2 厄介な訪問者
彼はなぜサリーを目覚めさせたのか。
わざわざ666年も眠り続ける、拗らせ魔女を起こした目的は何なのか。
とにかく、こちらとしては全く持って予想しておらず、また望んでもいない展開である。
怪訝そうに眉間に皺を寄せるサリーに対し、男はパァッと顔を輝かせる。
「それはもちろん、力試しです!」
満面の笑みで男が言う。翳りのない純粋な笑顔だが、言っていることはよくわからない。
力試しとはどういうことだろう。
この男の言うことは訳がわからないものばかりだ。
納得できない様子のサリーに、男がピンッと右手の人差し指を立てて説明を付け加える。
「ピスカの森に呪いをかけられた魔女がいる。これは有名な話です。魔法使いとしては、自分の能力を試すのに絶好の機会!ということで、力試しに丁度良いと思い至って呪いを解いてみた次第なんです」
凄いでしょうと鼻を膨らませる男に、サリーは呆気にとられた。
というのも、彼の言うとおりサリーは永遠の眠りにつく呪いをかけられた、いや、正確には自分自身にかけたはずであったから。
自分の魔女人生で培った全ての技術を駆使し、一口食べれば永遠の眠りにつく林檎を完成させ、そしてそれを自ら齧った。それは疲れ切った心身を癒すためであり、自分自身へかけた呪いでもあったというのに……。
なぜか今現在サリーはこの男に起こされ、しつこく絡まれている。
「意外と簡単でした。もう少し捻られたものであると期待していたのですが」
男は肩をすませる。
残念ですとでも言いたげな目で見られ、サリーは苛つきを覚えた。
(……私の魔法が、期待外れですって?)
そんなはずはない。人生を賭けた一世一代の魔法だったはずだ。全身全霊で編み出した、一種の賭けであり、呪いでもあった。
簡単に否定されるようなものではない。だが男はそれをいとも簡単に解いてしまった挙句、貶してくる始末。
「魔女さんは呪いをかけられるほど悪いことをしたんですよね!どんな悪事をしたのか、詳しく聞かせてくださいな」
「っ!」
本当にこの男は、随分と好き勝手に言ってくれるものだと、体の底から湧き上がる怒りが、やがて魔力となってサリーの黒髪をふわりと持ち上げる。
枯れたと思った魔力も、多少は残っているようだ。
(もういい。話が通じない相手はさっさと脅して消えてもらおう)
サリーはゆっくりと男を見据え、右手の人差し指を彼へと向ける。
【蛙になりなさい】
そそくさと呪文を唱えれば、男はポンっと煙に包まれる。サリーは魔女だから、呪文一つで呪いだって発動できる。
サリーは、ふふんと得意げに鼻を鳴らした。自慢の変身魔法なら魔力が足りない状態でも並の魔法使いを超える性能なはず。……かなり疲れたけれど。
「醜い蛙にでもなりなさい。少しは静かになるでしょう」
蛙になった男を瓶にでも詰めた後、ゆっくり数百年の間の出来事でも探ろう。そしてもう一度長い眠りにつくのだ。そう思っている間に、すぅーっと煙が消えていく。
男の姿がどうなったか確かめてやろうと思ったのに、残念なことに背丈の変わらない影が見えてくる。
サリーはチッと舌打ちを一つ。男の姿はちっとも変わってなどいなかった。
「ふぅ、危機一髪。きちんと“スーシェン“と僕の名前も一緒に唱えていれば、少しは成功したかもしれませんね。というか、唱えてほしかったのですが」
金糸の刺繍が入った黒いローブの袖で口元を抑えながら、男は淡々とそう言ってのける。
(……今の魔法、かなり全力だったわよね?)
少し雑だったのは否めないが、きちんと放ったものではあったはず。
「ほら、スーシェンですよ。スーシェンって呼んでください」
「………」
「あっ、魔女さんのお名前は何ですか?魔女さんだけ僕の名前知ってるなんてズルイです!」
向こうが勝手に名乗って来たくせに、随分と自分勝手な男だとサリーも意地になる。絶対教えてやらないと思うのに、口が勝手に動く。
「……サリー」
「サリーさんですか!素敵な響きですね!」
男の魔法によって無理やり言わされたというのはすぐにわかった。
してやられたとサリーは唇を噛み締める。
一体、この男は何者なのだろう。こんなに巧みに魔法を操る人物など出会ったことがない。サリーをわざわざ眠りから目覚めさせた目的も、己の力試しだなんて滑稽なものだ。まるで彼におもちゃにされているような気持になる。――こんな最悪の目覚めはない。
「……っ、帰ってちょうだい。今なら不問にするから」
この男とは関わらない方が良い。それがサリーの判断だ。しっしっと手で追い払う仕草を見せる。だが、彼は傷ついたような表情をして言った。
「イヤです。せっかく僕と対等できる魔法使いに出会ったんです。この機会を逃したくありません。それに貴女を目覚めさせた責任をとって、本当に悪い魔法使いかどうか見極める必要があります。悪い魔法使いなら退治しなければなりません」
「……なんですって?」
自分の力試しをしたいと伝説の魔女を勝手に目覚めさせた癖に、彼女が本当に悪い魔女だったら目覚めさせた責任をとって退治する――?
(全く、この男の度を超えた我儘には反吐が出る)
「私は、ピスカの森を出るつもりも、誰かに危害を与えるつもりもないわ」
「信用できません。たった今、僕に攻撃してきたじゃないですか」
「正当防衛よ」
「もしかしてサリーさんは自信がないんですか?僕がサリーさんの呪いを一瞬で解いちゃったものだから、倒されるのも一瞬のうちと僕を恐れているんですね」
ピクリ、とサリーの頬が引き攣る。
完全なる挑発だ。わかっている。このような煽りに応戦しても無駄に熱を消費するだけ。聞き流してスルーするのが正しい反応だろう。
しかしながら、いつもなら聞き流すそれも、自慢の魔法を貶されたとなれば冷静ではいられない。ただでさえサリーは寝起きの機嫌が悪いタイプなのだ。
「さっきからグダグダとうるさいわね。力試しに呪いを解いてみただの、ここに居たいだの、貴方の都合で振り回さないでちょうだい。私は目覚めたくなんてなかったの!」
「何故です?」
「見ず知らずの貴方に教えるわけないわ」
「だとしたら、僕もサリーさんを監視しないと」
「だからどうして?」
訳がわからない。どうして放っておいてくれないのだろう。
「悪い魔女を目覚めさせてしまった責任を取らなければなりません。それに、動機がないならなおさら、貴女が何をしでかすかわかりませんし」
監視役が必要でしょうと同意を促す視線を投げられても、サリーが感じるのは理不尽に巻き込まれた怒りのみだ。
(そう。私が伝承に残る悪い魔女だからなのね……)
自分で蒔いた種ではあるが、知り合って間もないこんないけず男に説明することなど何もないし、土足で踏み込むのを良しとするほど寛容でもない。
代わりに、サリーはこの男をとことん痛い目にあわせてやると決める。
魔女の底力を見せてつけてやるのだ。
「良いわ、好きになさい。眠っている間に殺すこともできたでしょうに、下手に関わったことを後悔させてあげましょう」
早口でそう捲し立てる。
さすがに男も観念するかしら――と思ったサリーが甘かった。
「楽しみです」
きらきらと瞳を輝かせる男。間違った選択をしてしまったことは間違いない。
「よろしくお願いしますね、サリーさん」
差し出される右手。上機嫌の笑みを顔に浮かべる男が憎らしく、サリーは面倒なことになったと顔を覆う。再び静かに眠れるのはもうしばらく先のようだ。
(最悪だわ……)
だが、どうしようもない。
「ほら、よろしくの握手ですよ」
半ば強引に右手を包み込まれる。そこから感じる熱なんてさっさと引っ込んでくれればいいのにと思いながら、サリーは天井を仰いだ。
(さっさと彼を呪って、この森から追い出してやりましょう)
今日は寝起きだから上手くいかなかっただけで、きっと次は上手くいくはずだ。……おそらく。
こうして、この日から魔女サリーと魔法使いスーシェンの攻防戦が幕を開けた訳である。




