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21 小さな弟子


 美味しそうな匂いが鼻を掠め、サリーは薄らと目を開いた。

 空はとっくに日が暮れているようで、部屋の中は真っ暗だ。

 夕飯の時間を越してしまったと思いながら、朧な薄暗い部屋を見渡すと、寝落ちする直前腕の中に囲ったはずの小さな温もりが見当たらない。

 どうやらアトリはとっくに部屋を出たらしい。

 スーシェンが連れ出したのだろうと納得して、サリーもベッドから降りる。ぐぅと鳴るお腹を抑えながらリビングへと続く階段を下ると、野菜と肉とが混じった香ばしい匂いが漂ってくる。晩飯はポトフだろう。


「やっと起きましたか」  


 テーブルには沢山の料理が並び、スーシェンとアトリがちょこんと各々の椅子に座ってサリーの訪れを待っていた。


「サリーさんが目覚めるのを待っていたら冷めちゃいましたよ」


 咎められて、返事の代わりに肩をすくめた。

 サリーが椅子に腰掛ければ「命の恵みに感謝を」というスーシェンの挨拶を合図に食事が始まる。

 予想通りメインはごろごろの具材が入ったポトフ。それからふっくら焼き上がったパンに、デザートの葡萄まである。

 アトリがいるからか、いつもより少し豪華なメニューだ。

 冷めているのも猫舌のサリーからするとさほど気にならない。


「先に食べていて良かったのに」

「皆一緒の方が美味しく感じられますから」

「そう」


 サリーは、ちらりと隣に座るアトリを見やった。

 小さな手で大きなスプーンを口に運び、もぐもぐとほっぺたを膨らませて寡黙に食事をする様子は、冬支度として一生懸命腹ごしらえをする小動物のよう。


「よく噛んで食べなさい」


 サリーの声掛けにアトリはこくりと頷く。

 その反応に満足したサリーは彼女の頭にぽんと手を乗せ、自分の食事へ視線を戻す。 


 目の前でそれを見ていたスーシェンが、眩しいものでも見るように目を細めた。

 感慨深そうな視線が二人を温かく包み込む。


「まさかズボラなサリーさんが誰かの世話を焼きたがる日が来るなんて」

「ズボラは余計よ」


 サリーはすかさず口を尖らせる。


 スーシェンはなぜこうも一言余計なのだろう。わざわざ怒らせようとしているのだとわかっていても、反応せずにはいられない。そしてその反応を彼は嬉々として逃さず拾うのだ。

 案の定サリーが不機嫌になれば、スーシェンはすかさず大袈裟に嘆いて言う。


「いやぁ、僕もこれくらいの世話を焼かれたいなぁ。いつも貶され脅され罵倒され。アトリさんが羨ましいです」

「それで喜ぶのが貴方でしょう。誰が貴方の世話なんてするものですか。蛙になった方が随分とマシよ」


 スーシェンを蛙にできないのなら、いっそサリーの方が蛙になってしまおうか。


「ひ、ひどーい!この悪徳魔女!!」

「うるさいわねぇ。変態ストーカー魔法使いが何か言っているわ」

「なっ、一応僕の名誉の為に言っておきますけど、僕にそんなこと平気で言えるの、サリーさんくらいですよ!僕基本はクールでミステリアスな感じで通っているんで」


 堂々と宣言することではないだろうに、どうしてこうも自信満々なのか。

 スーシェンの思考回路は相変わらず理解できない。

 

「ですから、サリーさんが僕を受け入れる日が来るまで、たとえ地獄の果てだろうと追いかける所存です。いえ、たとえ受け入れた日が来たとしても追い回して困らせ続けましょう」

「どうしよう、アトリ、メアリーチェ。悪寒が止まらない」

「すぐそうやって女子チームで固まって……。卑怯ですよ!」


 スーシェンとの言い争いは日常茶飯事なのだが、今日出会ったばかりのアトリにとっては目新しいものだろう。

 不安に思ったサリーが彼女をチラリと見ると……。



「あら……」

「おや……」



 自然と微笑んだアトリに、サリーもスーシェンも口喧嘩を止めて固まった。

 彼女の笑顔を見たら、しょうもない言い争いにも価値が生じるというものなのか。


「これは……」

「なかなか……」


 二人して顔を見合わせる。


 きっとその続きを言わなくても、考えていることは同じだろう。


「もう、おしまい?」


 口喧嘩の続きを催促するアトリにサリーもスーシェンも苦笑するだけ。

 流石にもう口喧嘩を続けようという気は起きなかった。


「あの、」


 そんな二人に代わり、アトリが小さな口を開く。


「じゃあ、まじょさん……えと、サリーさん」

「なあに?」


 アトリに名前を呼ばれたサリーは上機嫌に彼女に向き直った。

 小さな魔女が緊張しながら自分の名前を呼んでくれたことが嬉しく、つい動作も声も甘くなってしまう。


「メロメロじゃないですか……」


 隣でスーシェンが、僕が名前を呼ぶ時の正反対の反応じゃないですか……と身を震わせているが、当然だろう。ストーカーと一緒にする方が失礼だ。サリーは無視を決め込む。

 数秒後、アトリは小さく口を開いた。


「わたし、いつまでここに?」


 言いにくそうに口を開いた彼女に、サリーは正直に答える。


「そうねぇ。はっきりとはわからないのが現状よ」


 カルロス次第といったところか。

 あれは性急な男なので、そこまで長くはないだろう。

 ただ、ピスカの森の魔女として復活したサリーを甘くみるような男ではないし、スーシェンの存在にも気づいているだろうから、慎重になることは間違いない。


「サリーさんはあの時、アトリさんのお兄さんとどんな約束を交わしたんですか?」


 スーシェンがアトリの疑問を補足するように尋ねてくるので、サリーは彼との会話を思い出してみる。


 そうだ。カルロスに監視されてもバレないよう、サリーはテレパシーを使ってヴィンセントと話した。

 会話は単調で淡白な実にシンプルなものだった。

 ヴィンセント自身、垣間見える妹への想いはかなり強いようだったが、衝動に身を任せるような浅薄さはなく、まともそうな人だったのを覚えている。


「ただ妹を宜しくって言われただけよ。ただ、そうねぇ、あの男の足止めをしてくれるとも言っていたわ。彼、ブレドの騎士団の長らしいの」


 だが、実際にその強さを知らないサリーからすれば、彼がどれだけカルロスを抑えられるかなど推測できない。

 アトリも眉根をギュッと寄せた。


「にいさん、すごくつよい。……でも、あのおとこのひとは、きけんだから、すごくしんぱい」


 あの男――カルロスがアトリに行った所業を思い返すと、今でもサリーははらわたが煮え繰る寸前だ。

 彼と接触した昨日今日の出来事を思い返しているのか、アトリの顔色は青白い。


 けれど、サリーはふと気づく。


 その青い瞳には、静かな青い炎が宿っている。


「わたしも、つよくなりたい……にいさんを、あのひとから、まもれるくらい」

「あら?貴女が望むならあの男の記憶なんて消してしまおうとも思っていたけれど」


 恐ろしい男の記憶なんて無い方が幸せだろう。


 アトリを兄の元へ返す暁には、サリーを含めたカルロス関連の全ての記憶を全て消してしまおうかと考えていたけれど……。


 アトリは意外と強かな子らしく、サリーの言葉にふるると首を横に振る。


「あのひと……こわい。けど、まもられるだけは……もっとこわい。わたし、まほう、つかえない。でも――」


 アトリの言葉を遮ってサリーは言う。


「使えるわよ?」


 うん、使える。


 その方法をサリーは知っている。


 アトリが強くなりたいと願ったのなら、サリーはそれに応えることができる。



「――――使える?」

「――――は、い?」



 軽々と何の躊躇いもなく魔法が使えると言ってのけたサリーに、アトリもスーシェンも固まって空いた口が塞がらない。

 思考が停止する二人を見て、そんなに驚くことかとサリーはもう一度告げた。


「使えるわ」


 この事実は、極一部にしか知られていない秘密――そしてサリーがピスカの森を守る理由の一つ。


 魔女や魔法使いは決まりごとが多いが、逆に言ってしまえば、それさえ満たしてしまえば魔法を扱えるようになる。

 最初に現実世界へ帰ってきたのはスーシェンだ。


 信じ難いというようにサリーを諭す。


「サリーさん、気づいていないようですが、アトリさんの髪も瞳の色も魔法で変えられているだけで、中身は普通の人間の女の子ですよ?魔法を扱う者の素質があるようには思えませんが……」

「知っているわよ?ほら」


 サリーはアトリの頭にポンっと手を置く。その手から軽く魔力を流してやると、彼女の姿は煙に包まれ、やがて銀髪青眼の本来の姿へと戻っていく。

 カルロスの魔法で姿を変えられたことは気づいていたが、元に戻すタイミングを失っていたのだ。

 驚いて目をぱちくりさせるアトリに、すかさずスーシェンが手鏡を渡す。最初こそ鏡に映る自分の姿を見ることに躊躇していたアトリだったが、サリーの「大丈夫よ」という声掛けにおそるおそる鏡を覗きこむ。


「私とお揃いも良かったけれど、こっちも悪くないわ」


 優しく話しかけたサリーの横で、スーシェンが唇を尖らせた。


「私たち、ですよ」

「また余計な一言を」

「はい?これのどこが余計な一言?ちょっと酷くないですか。いったいどうしてサリーさんはいつも僕を仲間外れにするんですか」

「監視役を仲間と認める方が間抜けで阿呆じゃない」

「だから、それは表向きの理由で本当は――」


 息を吸うかのように言い争いが始まるが、アトリの耳には届いていない。


 彼女の意識は全て、鏡に映る自分の姿に向いている。

 兄とお揃いの、癖毛の銀の髪と青色の瞳。

 

「……もどってる」


 アトリが小さく呟いた頃には、既に彼女の頬に涙が伝っていた。


 まさか泣かれるとは思っていなかった。

 サリーは驚きながらも抱き着いてきた彼女の頭を優しく撫でる。


「あらまぁ、こんなことなら早く元に戻してあげれば良かったかしら」


 可哀想なことをした。よしよしと彼女が満足するまで撫で続けようと思う。

 そんなサリーの隣でスーシェンが訝しげに言う。


「アトリさんの本来の姿を知っていたとすれば、なおさら魔法が使えるという意味がわかりません。魔法を扱う者の容姿は黒髪紅眼と決まっているというのに」


 確かにスーシェンの言うように魔女や魔法使いは必ず黒髪紅眼。これはサリーも知る定説だ。


 けれど――


「魔法なんて、ほんとは誰にでも使えるわ」


 魔法を使えるようになる方法が秘密裏にされているだけで、その方法を教われば誰でも扱えるようになる。そのような人物をサリーは何人か知っている。


「あのね」


 サリーは少し屈んで、大きく見開かれた青い瞳に語りかける。


「魔女や魔法使いっていうのはね、先天的な者と後天的な者とのニ種類に分かれるの」 

「魔法を覚えたら見目も変わるということですか?」

「うーん、ちょっと違うかしら」


 スーシェンも魔法使いのはずだが、サリーの持つ知識を完全には網羅していないようだ。

 やはり時代が変われば知識も変わるということか――

 どうやって説明しようかしらとサリーが悩んでいるところ、アトリが伏せていた顔を上げる。


「……じゃあ、わたしも魔女になれる?サリーさんみたいになれる?」

「可能性はあるわ」


 アトリに魔女の素質があるかはわからない。

 だが、試してみる価値はある。強くなりたいなら魔法は強力な助っ人だ。


「わたし、まほうまなびたい!」


 アトリが弾けて笑う。

 青色の瞳がきらきらと星のように輝き、小さな口は興奮で大きく開いている。

 年相応の子どもの笑顔を見て、サリーもうんうんと頷く。


「わかったわ。なら、明日からは魔法について学びましょうか」

「はい、ししょー!」

「まぁ!」


 まさか自分が師匠と呼ばれる日が来るなんて想像もしていなかったが、不思議と悪くない気分だ。


 その日、サリーに小さな弟子ができた。


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