20 アトリのこれから
「――という訳で、貴女のお兄さんの意向で、しばらくうちで貴女を預かることになったわ。よろしく」
魔女役の少女が目覚めて一番、サリーは彼女に軽く今後の説明をした。
先ほど彼女の兄と会話をして、うちで暫く彼女を預かることが決まったのだ。
寝起きで事態を呑み込めていない少女に代わって、スーシェンが声を上げる。
「ちょっと大丈夫ですか?よろしくなんてそんな軽々しく引き受けて…」
「あらまぁ細かいことは良いじゃない。私達は彼に頼まれた通りこの子を護れば良いのよ。ついでに趣味の悪い格好の男がいることが不安って言っていたから、これを機にそのエプロンはしまいなさい」
「自信作ですよ!!」
「それから貴方はさっさとこの家に結界を張って私たちを護りなさいね。これ以上あの男に監視されないように」
あの男は魔道具を使って生き長らえている。ということは、かつてラーネから奪った水晶もきっと使っているのだろう。彼がどこまで盗み見をできていたかはよく分からないが、もしスーシェンとの二人生活を覗かれていたかもしれないと考えるとなかなか寒気がしてくる。
「はいはい。人使いが荒いんですから。全く……」
スーシェンは命じられるがまま結界魔法を発動した。サリーと同じ霧タイプの結界だ。
「……不思議ね、貴方が使う魔法は私が知るものばかり。魔法使いは皆そうなのかしら」
「いや、そんなことはないと思いますよ。僕の場合は……」
「あのぅ」
少女の小さな声に、サリーとスーシェンは雑談をやめ、素早く反応する。
彼女のかわいらしい声が掠れている。喉に潤いが足りていないようだとサリーは眉根を寄せた。
「ちょっと声が掠れているわね。喉渇いている?スーシェン、早く水を!」
「はい、ただいま」
スーシェンが慌てて水が入ったマグを差し出す。サリーはそれをすっと受け取ると少女に持たせた。
「……あの、」
「やっぱり自分じゃ難しい?しょうがない子ねぇ」
何か言おうとした少女の手からマグを取り、代わりに彼女の口にその蓋を当てる。そのまま、ごくりと喉を鳴らす少女のペースに合わせて、少しずつ傾けた。
「どう?喉は潤ったかしら。傷が見えるところも手当てしといたけれど、他に痛いところはない?」
「ない、です……。あの…………」
少女が恥ずかしそうにサリーを見上げ、くりくりの瞳を向けてくる。
何を言い出すのか黙って見守っていると、彼女は戸惑いながらも口を開いて言った。
「あ、ありがとう、助けてくれて」
サリーの頬が桃色に染まる。
少女の礼に返すようにその頭を優しく撫でる。
「貴女の方こそよく頑張ったわね、小さな魔女さん」
怖い思いをしただろうに、最初に口にする言葉が感謝とは健気な子だ。
少女はサリーの手に気持ちよさそうに目を細めていて、二人の間に流れる時間はとても穏やかなものだ。
そしてその光景に、どばどばと涙を流している者が一人。
「尊いっ、尊い光景ですっ。まさに、天使と悪魔の感動の友情シーン……!」
「誰が悪魔よ。それより、今更になって気づいたけれど何ちゃっかり私の部屋に入っているの?ここは男子禁制よ?ねぇ、メアリーチェ、アトリ」
サリーの問いに少女――アトリはこくりと頷く。
アトリはサリーに全信頼を置いてくれているようで、微笑ましい。
メアリーチェもサリーの肩でスーシェンを威嚇しているのだから、三対一で、スーシェンの完全敗北だ。
「アトリさんまで!」
彼は大袈裟に嘆き、腰を下ろしていたベッドの端から立ち上がる。
「多勢に無勢では仕方ありません。夕飯になったら呼びに来ますから、それまで邪魔者の僕は邪魔者らしく部屋の掃除やら何やら邪魔者らしく一人寂しく過ごすことにします。邪魔者の僕ことはどうぞお気遣いなく!」
「いってらっしゃーい」
「キィィ!ムカっとします!!」
ハンカチを噛む真似をしながら騒がしく去っていったスーシェンを女子チームで見送る。
彼が去って部屋が静かになると、サリーは改めてアトリを観察し出した。
アトリが何を言われるかと構えているけれど、サリーはそんな大事なことを言うつもりはない。
「聞きたいことはたくさんあるだろうけど、私ちょっと疲れているの」
そう。
取りあえず、サリーは疲れている。
ピスカの森の結界を解いたり、アトリを助けたり、カルロスとバトルしたり、ヴィンセントとテレパシーで会話したり。
魔力は残っているけれど、体力、気力の方が、もう随分前に限界を迎えている。
「というわけで、私は寝るわ」
もぞもぞと毛布に潜り込んでアトリを抱きしめる。
子どもの体温は温かい。小さく波打つ心音は良い子守唄だ。
スーシェンの作るスープのように胸がじんわりと温まっていく。
「おやすみなさい」
その温もりに上機嫌な笑みを浮かべたまま、サリーは深い眠りへと沈んでいった。
□
アトリはピスカの森の魔女に抱きしめられ、身動きが出来ずにいた……かと思いきや、眠りについたサリーの寝相がひどく、あっという間にベッドの端に追いやられてしまった。
することもなく、部屋を出る気もないアトリは、ただサリーの寝顔を見つめる。
天蓋付きのベッドで、彼女は、今は身を丸めて眠っている。
ちなみに先程までは指先から足までピンと伸びをした状態だった。
長い睫毛に縁取られた瞳は閉じられ、少し空いた薄い上唇から小さな寝息がすぅすぅと漏れている。細い顎は寝相を打つタイミングに合わせてよく彼方此方を向き、それが幼子のようで少し面白いなんて思ってしまう。
アトリの中で湧き出る疑問はたくさんあった。
この状況がまずよくわからないし、兄と何を会話していたのかももっと詳しく知りたい。彼女が起きたらきっと尋ねてみようと思う。
けれど、わからないことだらけのなかでも確かなことが一つ。
『自分の眼に映るものを信じろ』
アトリの脳裏に、よく兄のヴィンセントが口にしていた言葉が再生される。
(おとぎばなしは、ほんとじゃない……)
これが、アトリが知る唯一の答えだ。
ピスカの森の魔女は想像とかけ離れた世話焼きのお姉さんだった。だからアトリは彼女を信じてみようと思う。
やがて、コンコンとノック音が響く。
アトリは反射的に、ベッドに横になっていた体を起こした。
(どうしよう。へんじ、したほうがいい?)
起きる気配のない魔女に代わって、魔女さんは眠っています……と言うと、ゆっくりと扉が開かれる。
そこから顔を覗かせたのは、さっき部屋を追い出された男の人だ。背が高くて、魔女さんとお揃いの黒い髪と紅い瞳をしている。
確か名前は……。
「……スーシェン?」
「はい、そうですよ。アトリさんは記憶力が良いんですね、ってサリーさん、相変わらず酷い寝相ですね」
やれやれとスーシェンが呆れるけれど、その表情は柔らかい。
ぼんやりとスーシェンを見つめるアトリの視線に気づいて、彼は穏やかに微笑んだ。
「もうすぐ夕飯ですよと言いに来たんですが、お寝坊さんは仕方ないですからもう暫く眠らせてあげましょうか」
「わたし、おてつだい、します」
「それはありがたい。では、スープをお椀によそってくれますか?」
アトリはこくりと頷く。
スーシェンと共に階段を下りていると、彼は呆れたような声のトーンでアトリに話しかけてくる。
「サリーさんってば、全くもって危機感がありませんね。僕がいるから安心って信頼しきって……ほんとに、しょうがない人です」
アトリはスーシェンを見上げた。
下から見ると表情までは見えないけれど、頬が緩んでいることは分かった。
けれど、アトリが気になるのはスーシェンではなく魔女の方だ。
「サリーさん。まじょさんの、なまえ……」
サリー、サリー、と心の中で何度も呟く。
アトリが知りたかった、ピスカの森の魔女の本当の名。
「はい。是非ともサリーさんって呼んであげてください。貴方にそう呼ばれたらきっと喜びますよ」
「よろこぶ、ほんとに?」
「そりゃあ、大喜びですよ!そして僕はその瞬間を絶対に水晶記録するんです!二度と消されても大丈夫なように複製も作っとかないといけませんね」
「ふくせい?」
「何でもありませんよ」
スーシェンは慌てて今の話は内緒だと言うけれど、後でサリーさんに言おうと頭の中にメモしておく。
「ささ、お寝坊さんを待ちながらこちらも夕飯の支度を始めましょうか」
スーシェンの声掛けにアトリはこくりと頷いた。




