19 クロードの抱く違和感/ヴィンセントの決意
――沈黙祭でピスカの森の魔女を呼び出しましょう。
カルロスがとんでもないことを告げたのは、沈黙祭の前々日のこと。演目『ピスカの森の魔女』のリハーサルの鑑賞を終えたすぐ後のことだった。
クロードは最初、何を言われたかすぐにはわからず、仕事中の彼にしては珍しく狼狽えた。
「は、はい?」
「ですから、さっさと魔女を呼び出して退治してしまいましょう、ということです」
ピスカの森の魔女に対する恐れなどないとでもいうようにカルロスは簡単にそう言ってのけ、クロードに紅眼を向けてくる。
「貴方は私の言う通りに動いて下されば問題ありません」
カルロスの眼はぞっとするほど冷たく、こちらの意識が吸い込まれてしまいそうなほど強い吸引力があった。
「ピスカの森の魔女は必ずや現れるはずです。そこを狙いましょう。大丈夫です。何が起きても私を信じてください」
信じろと言われてもその眼を見てしまったクロードは、カルロスを信じて良いのか不安に思った。
僅かに体に走る悪寒が、何かを彼に伝えようとしている。カルロスに対する違和感が拭い切れないのだ。
(カルロス卿は何をお考えなのだ?何を隠しておられる?)
完全に心を委ねられない理由があるはずなのだが、その答えを見つけるより先に選択を迫られてしまった。
だが、今のクロードは彼に従うほかない。
魔法が使えない普通の人間にとって、魔女や魔法使いという生き物は味方である限り頼もしいが、反対に敵であればとてつもなく恐ろしい存在なのだ。
カルロス卿の目的は、常にピスカの森の魔女を討伐することに一貫している。おそらくその執着がクロードの目には恐ろしく映っているだけなのだろう。
まさかイニティウル国に害をもたらすような考えを持っているわけではないだろうし、彼を信じて間違いない筈だ。……そう思うのに、クロードの心のもやもやは晴れない。
そして、そのもやもやが、さらに大きくなる事件が起こる。
ピスカの森の魔女の登場だ。
カルロスの言葉は本当に現実となった。
彼の描くシナリオは、御伽話の続きを作り、魔女を侮辱して挑発するというもの。
それに従うかの如く、ヴィンセントの妹アトリが魔女役として舞台上で見事な演技を見せた。火刑される魔女を魂で演じたのである。
あまりの演技にヴィンセントは妹を舞台上から引き摺り下ろそうとしていたが、あれは演技で、その証拠に彼女は沈黙祭の規律を守り悲鳴一つ出さなかった。
そして彼女の演技に釘を刺すように、舞台上に煙が舞い、そこから一人の妖艶な女性が突如現れる。
艶やかに腰まで伸びた黒い髪に宝石を埋め込んだかのような真っ赤な瞳。線の細い身体に、血色感のない陶器のような白い肌。御伽話で描かれるよりずっと美しい魔女の登場に、クロード含め誰もが息も忘れて立ちすくんだ。
だが、相手はピスカの森の魔女――稀代の大悪女だ。
魅了されてはいけないと手に剣を強く握り、ブレドの騎士団と共に彼女を包囲する。
魔女はアトリを囮にしており、常に冷静なヴィンセントもさすがに下手に動けないようだった。
彼女の放つ魔法は全てカルロスの攻撃を防ぐためのものでしかなく、それだけで彼女の強さが透けて見える。それでもなんとかして、カルロスと騎士団との連携の上ついに魔女を追い詰める。しかしながら魔女はピンチに陥ると、アトリを連れてどこかへ消えてしまった。
彼女の姿が消えた直後、カルロスが忌々しそうに「邪魔が入った」と呟くのをクロードは耳にした。しかしそれも一瞬でカルロスはすぐに騒然とする人々に向かって宣言を始める。
『ピスカの森の魔女が目覚めてしまいました。魔女はさっそく少女を攫い、我々を恐怖に晒そうとしています。彼女を倒すため、私――魔法使いカルロス・アンデッドは、クロード・ブレド公爵と共にピスカの森に討伐へ向かうことをここに宣言します!』
カルロスがチラリとクロードを見やる。自分に続けとその眼で訴えている。
それまで呆然としていたクロードは我に返り、慌ててピスカ領の領主としての威厳ある姿を掲げた。
『カルロス卿は、この国一番の魔法使いであらせられる。彼と我がブレドの戦力を持ってして魔女討伐を成し遂げることをここに誓う!』
ま国王から任命を受けた身として、国民を落ち着かせるのが最優先である……はずなのだが、宣言しながらもクロードは疑問を感じていた。
カルロスの作戦は失敗に終わり魔女を逃してしまった。彼の作戦は、アトリというか弱い少女を恐ろしい魔女に渡すという失態を招いてしまったのである。それにも関わらず、カルロスはケロリとしている。まるでこうなることも想像の内だったというように涼しげな表情で人々を見渡している。
(何なんだ、この違和感は……)
自分は彼を信じ続けて良いのか。
その自信が削がれていくような感覚に苛まれる。
けれどクロードはこうも思うのだ。
その正体がわかる時はもうすぐなのだろうと。
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同じくその場には苦虫を噛み潰したような表情をする人物が一人。
(あれは絶対演技などではない)
ヴィンセントに至っては、違和感を通り越し、不信感をカルロスへ募らせていた。
(ピスカの森の魔女……彼女が私の代わりにアトリを守った。カルロスという恐ろしい魔の手から)
アトリが拘束され、火が投じられた瞬間、ヴィンセントは一瞬何が起こったのか理解できなかった。
火が燃え上がり、アトリが苦しそうにもがく。アトリの全身が、その瞳が、その届かない声が、ヴィンセントに助けてと訴えており、気がつけば走り出していた。
――アトリ、アトリ、今助けてやる。待っていろ。お前を助けるためなら、火の中だろうが飛び込んでやる。
ヴィンセントの中で既に覚悟は決まっていた。
だが透明な壁が自分と妹を隔たり、どうしても助けに行くことが叶わなかった。そしてその時「邪魔が入った」と言うカルロスの声が耳に届き、彼こそ悪魔だったのかと歯を食いしばった。
先日、カルロスにより、『舞台上に魔女を誘き出すから、騎士団は彼女が現れたら即座に彼女を包囲するように』との命を受けていたが、まさかこんなやり方だったとは。
大事なアトリを囮に使うなどという非道極まりないやり方だと知っていたら、絶対に頷かなかったというのに。
ヴィンセントの剣を握る手が憤懣でぎりぎりと震える。
昨晩アトリが泣いていたのは舞台の緊張によるものなどではなかった。あれはカルロスに対する恐怖だったのだ。
そしてピスカの森の魔女が現れ、アトリの声を取り戻したのを見て、ヴィンセントはさらにそう確信した。さらに魔女は、アトリを囮に自分を庇うような真似はせず、むしろ自分が盾となってアトリを守り続けた。
(本当の悪は、こっちだったのか)
カルロス・アンデッタ。
大事な妹を傷つけた悪の魔法使い。
ヴィンセントはゆっくりと剣をカルロスに向けようとして、すんでのところで動きを止める。
(――私はお前を許さない。だが、お前を倒すのはもっと力をつけてから。私がさらに強くなってからだ)
この場でカルロスを切り付けようとするほどヴィンセントは浅慮ではない。
なにせ相手は国一番の魔法使いだ。
もっと力をつけ、協力者を増やした万全な状態で挑まなければこちらが簡単にやられる。
そのため、ヴィンセント自身は一番危険なカルロスの近くで味方のふりをしながら彼を監視し続けるのだ。
それがアトリを守りきれなかったヴィンセントの贖罪だと腹を括る。
アトリの視界にカルロスを映したくなどない。彼に敵う力を見せたピスカの森の魔女の側が今は最も安全だろう。彼女の腕に包まれるアトリの表情が全てを物語っていたように思う。
それにアトリを守るのは魔女一人ではない。魔女が消えたあの僅かな一瞬、彼女の肩を抱く男の姿があった。変なフリルのエプロンを付けたあの男……。
(ピスカの森の魔女ら――しばらくの間アトリをよろしく頼む)
勝手な頼みであることは百も承知だが、魔女を見つめるアトリの安心しきった表情を見て、ヴィンセントはピスカの森の魔女を信じると決めた。趣味の悪い男がそばに居るのが難点だが、彼も魔法使いと言うのなら我慢しよう。
そう思った時だった。
『――それが貴方の願い?』
脳內に艶やかな聲が響き、ヴィンセントはフッと頷く。
どうやら魔女がアトリをどうするべきかの確認取りに來たらしい。
(貴殿らといればアトリは安全でしょうから)
『そうかしら?カルロスとかいう彼、多分だけど割とすぐピスカの森に突撃しようとか言い出すと思うわよ?』
思いのほか気さくな魔女にヴィンセントは告げる。
(こちらで足止めを行いましょう。私はブレドの騎士団長を務めています。故に騎士団の戦力やら領民への避難やら、討伐にあたっての準備期間を設けることができるかと)
『あら、頼もしい。わかったわ。なら彼女は私が預かる。……けれど本当にそれで良いの?ピスカの森の魔女に大事な妹を預けてしまって大丈夫かしら?』
心配しているような、おどけているような、そんな聲音だった。
自らそのようなことを言い出すとは、なかなか愉快な魔女だとヴィンセントは微笑む。
(アトリが貴女を信頼した。それが答えです)
彼の世界はアトリが全てだ。
『――そう。わかったわ。怪しまれるのが嫌だと言うから、もう連絡はしないけれど、後できっちり謝礼はいただくわよ』
(恩に切ります)
脳内から彼女の気配が消える。
会話を終えたヴィンセントは、数十キロ離れたピスカの森を遠目に眺めた。
黒い霧が晴れた森は、温かな光を反射して鮮やかな緑色の姿で佇んでいる。
御伽話の悪い魔女が目覚めたにしては、森は幻想的に美しい。
ピスカの森の魔女――御伽話で聞く人物とは、少し違っているようだ。
だがヴィンセントは御伽話など信じない。この目で見たことが全てであるのだから。




