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1 不本意な目覚め

 

 サリーが目覚めたのは、満月が去ったある朝だった。


『……さん、魔女さん』


 誰かに呼び起こされ、ゆっくりと意識が浮上する。頬に温もりを覚え、薄っすらと瞼を上げた。


「ん――」


 何年ぶりの目覚めだろう。

 目に映る先は薄暗く朧で、わかるのは辛うじてふわふわの黒毛と三角耳がご機嫌に揺れていることだけ。

 サリーは気まぐれ狼のジェロが会いにきてくれたのだと、黒いふさふさへ向けてゆっくりと手を伸ばした。


「おはよう、ジェロ。起こしに来てくれたの?」


 ところどころ銀の混じった艶やかな黒い毛並みを優しく撫でる。

 ジェロは気高い狼のはずなのに、サリーに撫でられるのが大好きな、愛嬌のある犬のような子だった。

 彼が満足できるよう、サリーもしつこいくらい撫でてあげるようにしていたのだが――ふと、毛並みを撫でている途中に違和感が走る。


「ジェロ、貴方、毛並みが変わった?それにもふもふも前よりだいぶ少なくなっているような……」


 夢現の中、サリーはぼんやりとジェロを見つめる。

 ジェロは撫でられたことに驚いたのか固まって動かず、サリーをじっと見つめているだけ。


「いつもの元気はどうしたの?というか、顔つきも、なんというか狼っぽさが消えて人間みたい……」 


 どうもおかしい。

 散々撫でてもらった後、尻尾を振りながらサリーの腕の中に飛び込んでくることもない。


「どうしたの、ジェロ……?」


 何か、おかしい。

 その疑問は、やがて視界がはっきりすれば判明することで……。

 ジェロの朧な輪郭がやがて線としてとらえられるようになった時、はっきりとその瞳に映った光景にサリーは唖然とする。


「ジェロ……じゃない!」


 ――そう。

 サリーは思いっきり勘違いをしていたのだ。 

 目の前にいるのが、人間の男ではなく、気まぐれ狼のジェロであると。


「……貴方、誰!?」


 サリーは途端、爪の先まで覚醒した。 先ほどまでとは打って変わった警戒心の強い声が、しぃんと静まり返った部屋に響く。

 どうやらこの男が、サリーを目覚めさせたらしい。


「スーシェンと申します。おはようございます、ピスカの森の魔女さん」

「……っ!」


(誰?何が起こっているの?)


 驚愕とともにサリーは飛び起きようとした――が、長いこと動かしていなかった体が言うことを聞かない。

 代わりに布団を目の下ギリギリまで引っぱり上げて、ジロリと男を睨み上げる。

 目の前にいるのは、決して気まぐれ狼のジェロなどではなかった。ジェロの毛並みと同じ髪色をした、れっきとした人間の男だ。名はスーシェンというらしいが聞いたこともない。男は興味津々にサリーを見つめていて、その視線に居心地の悪さを覚える。と同時に、ワインレッドの瞳と右目下の黒子が妙に艶っぽく、一瞬にして彼が魔法使いだと悟る。魔法使いの容姿は黒髪紅眼が多く、さらに人々を誑かすような容姿をしているのだ。何より、魔法使いの瞳には星が宿る。男の瞳に煌めくそれを見つけた時、サリーは厄介な未来を想像して再び眠りにつきたくなった。

 男は形の良い唇を動かして愉快そうに口の端を上げている。興味津々にサリーを観察するその様子は、まるで無邪気な子どものようだ。


「うわぁ、本当に赤い瞳をしているんですね。僕とお揃いです!神秘的で、まるで情熱に燃える炎のよう!」

「…………」

「それに艶かしい見た目に反して、意外と甘い声!尊すぎて耳が爆発するかと思いました!」


 テンションの高い男に、寝起きのサリーは頭を抑える。


(……よく喋るわねぇ、この男)


 随分と口が回るものだ。サリーがそのテンポで会話しようものなら、一分もしないうちに話題がなくなることだろう。


「突然起こしてしまってすみません。つい貴女と話してみたくなって。あ、喉乾いてる感じですか?お水要ります?果実水が良いとか希望あったら遠慮なく言ってくださいね。ちなみになんですけど、魔女さんがよく飲まれるのは?気になるので教えてください」


 サリーが何も返さないことを良いことに、男は好き勝手に話し始める。その勢いは止まることを知らず、次から次へと忙しなく話を展開していく。


「それにしても、巷で有名な『ピスカの森の悪い魔女』がこんな絶世の美女だとは思ってもいませんでした。もっと、こう、心の歪みが顔に出てしまっているような、そういうお方を想像していたのですが」


 男は目覚めたばかりの御伽話の魔女に大興奮で、サリーの機嫌も気にせず騒ぎ立てる。先程からつらつらとよく噛まないで喋れるものだ。

 サリーの方は、耳がキンキンしてどんとん眉間に皺が寄っていく。魔女を怒らせるとろくな目に遭わないということをこの男は知っているのだろうか。


「寝ている姿も妙に色っぽくて魅力的でしたが、目覚めて頬が色づく姿はもっと艶かしくてつい魅了されてしまいますね。さすがは伝説の魔女といったところでしょうか。あっ、それより調子はどうです?起き上がるなら僕がお手伝いしま――」

「ちょっと黙ってちょうだい」


 とりあえず、まずこの男を黙らすことが一番だとサリーは声を上げた。こうも騒がれては状況把握もままならないから一旦口を閉じてもらいたい。

 そしてそのまま起き上がろうとして、全く自由の利かない体に絶望する。腕も腹筋も力を加えたところでぷるぷる震えるだけで、おまけに背中や腰が悲鳴をあげているのだ。やはり長いこと眠りすぎたのか、体はすぐには言うことを聞いてくれないようである。しかも体を起こす途中で背中に悪寒が走り、サリーは不機嫌な声で静かに男に告げる。


「……勝手に触らないで」


 いつの間にか男の骨ばった手が背に当てられていて、触れられている箇所がジワジワと生温かい。


「気持ち悪い」


 ポロッと口から本音が溢れ出た。

 怒るかも――とサリーは男をチラ見したが、彼は笑顔のまま何のショックも受けていない様子でにこにこと上機嫌に笑っている。


(……変なひと)


 むしろサリーに触れる手の範囲が広くなり、細身の見た目にしては逞しい二の腕が軽々とサリーの体を起こしてくれる。


「遠慮はいりません。666年ぶりに眠りから目覚めたら、体もすぐには言うことを聞かないでしょう。下心はありませんから、安心して僕に寄りかかってクダサイ」


 胡散臭い笑顔に反吐が出そうだ。下心という単語が出てくる時点で信用に置けない人物には違いないだろうが、いかんせん男の言う通り一人で起き上がるのは至難の業で、結局彼にされるがままとなったサリーは項垂れる。

 額に手を当て、はぁと息を漏らした。


「……私、そんなに眠っていたのね」


 自分はどうやら666年も眠っていたらしい。

 そりゃあ、ジェロもいないわけだ。あの子はただの狼だったし、眠りにつく前に別れを告げていた。目覚めた後のことなんて考えてなかったから、もう会えないとなるとなかなか寂しいと、思わず感傷に浸ってしまいそうになる。

 代わりに上半身だけ起こしたまま、ぼんやりと辺りを見渡す。

 あの頃よりさらに年季の入ったサリーの家は、蜘蛛の巣だらけのまるでお化け屋敷のような不気味さを醸し出している。家の中を見るだけでも、温かみのある雰囲気が消え失せ、どんよりとしていて薄暗く湿っぽい。

 それでもサリーが今の今まで眠っていたベッドは清潔で、その理由はすぐにわかった。サリーの視界の上の方で、黒い影が動いたからだ。

 サリーは影に声をかける。


「おはよう、メアリーチェ」


 どうやら眠っている間、毒蜘蛛のメアリーチェがサリーに付き添ってくれていたらしい。彼女のお陰で、蜘蛛の糸は張り巡らされていても部屋には埃や塵一つない。

 天井から糸をつたって降りてきたメアリーチェに、サリーは優しく微笑みかける。表情筋が痛むのは長すぎる時間眠りこけていた代償だ。

 彼女はサリーの目覚めを喜ぶように肩に乗り移ってきて、久しぶりの感触に胸が温かくなった。自慢の八本足はサリーが眠りにつく前よりさらに太く長く逞しく育っていて、時の流れを感じさせる。

 メアリーチェは数千年を生きる蜘蛛だ。出会った頃はまだ生まれたばかりだったから、666年経った今もこうして元気にしているのだろう。


「魔女さんは、毒蜘蛛とも仲良しなんですね」

「メアリーチェよ。彼女は私の良き理解者なの」


 男からの質問につい素直に答えてしまった後で、サリーは慌てて我に返る。


(いけない。一瞬でも警戒心を解いてしまった)


 サリーは嫌われ者のピスカの森の魔女だ。666年経ってもなお悪い魔女と呼ばれている辺り、評価はそう変わっていないだろう。男を見る限り害は無さそうだが、飄々とした相手を前に警戒心は捨て置けない。そもそもなぜこの男がサリーを目覚めさせたのかさえ、まだわかっていないのだ。

 サリーは気を取り直して男を睨みつけた。


「……それより、貴方の目的は何?」


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