16 御伽話の続き
「……なかなか作り込まれた話ね」
公演終了後、垂れ幕が下がる光景を眺めながら、サリーはぽつりと感想を呟いた。
『ピスカの森の魔女』――サリーが知る過去とは違うものではあったけれど、なかなか味のある悪役として描かれていた。ピスカの森の魔女に感情移入できるところもあって、ちょっと嬉しくなる。
「良い悪役っぷりだったわ」
(……ラーネが悪く書かれてないのも良かった)
主役だから当然の話ではあるが、彼女の性格はびっくりするほどそのままだったと思う。
隣で「口が疲れました」と頬を手でむにむに解していたスーシェンが、サリーの呟きに呆れたように笑う。
「良い悪役ぶりって、呪い返されたんですよ?ふつう嘆くところでしょう。ですけど、題名の通りピスカの森と深く絡む興味深い話です。国民なら誰もが枕元で聞く話でもあります」
「貴方も枕元で聞いたの?」
「僕は……」
「あっ見て、魔女役の子のカーテンコールよ!拍手ができない代わりにハンカチやスカーフを振って賞賛を送るのね」
スーシェンの言葉を遮ってサリーは彼の袖を引っ張る。
目に映るのは、色とりどりのハンカチーフに包まれながらやり切った表情で舞台に立つ役者たち。そのなかでも、サリーは魔女役の少女に注目していた。
いやはや、彼女の演技は素晴らしかった。脱帽だ。当時のサリーよりも実にピスカの森の魔女らしかった思う。
カーテンコールで見せる素の彼女は無表情だけれど、まだ幼さの残る丸い頬がかわいらしい。
「あんなかわいい子が私を演じてくれたなんて嬉しいわ」
あの若さで魔女役だなんて気の毒なようにも思うが、本人は満足そうに観客に手を振り返している。
サリーもどこか誇らしい気持ちでその様子を見守っていると、ふとスーシェンが言う。
「実は沈黙祭でのピスカの森の魔女は、毎年ちょっとずつアレンジがされるんです」
「皆知っている前提の話だと言っていたじゃない」
「基本は変わりません。毒林檎で魔女が眠りにつくという終わりもいつも一緒です。ですが、魔女を倒した後のラーネの行動は毎回少しずつ変わるんです」
「というと?」
「今年は旅に出るエンドでした。ですが魔女を後追いして一緒に眠りにつくエンディングが描かれた年もありましたし、密かに王子と結ばれた年もあった。どうしてこうも変わるかというと、史実にラーネの情報が残されていないからです。歴史で描かれてない人物ということで、御伽話以降の彼女のその後は想像によるところとなる。知っています?ラーネのその後を決めるのは、その年の魔女役だという伝統もあるんですよ」
(ラーネのその後……)
サリーはその先を知っている。思い出したくもない、脳裏に焼き付いて離れないあの光景ごと全て。
(孤独の目を摘む冒険……ね。なるほど、彼女らしい選択かもしれない。魔女役の子は、良い終わり方を作ったわね)
「……御伽話の世界は自由で羨ましいわ。どんな未来にだって塗り変えられる」
「それは多分、僕たちだって同じですよ」
スーシェンがすっと肩をすませる。だが、咄嗟に返す言葉がサリーには見つからない。否定する強さも頷く勇気もない代わりに水晶に映る舞台に目を向ければ、完全に幕が降りきったところだった。
舞台が終わりを告げ、観客が退散しようと足を動かし始める、その時――突如、沈黙を破る男の声が会場内に響いた。
【話は、それから666年後のこと】
その声は深く体に染み渡る、枕もとで子供を寝かしつける母のような安らぎの声――
【眠りから目覚めたピスカの森の魔女は、ラーネの期待に反してちっとも改心しておらず、また悪さをしようとしました。イニティウルを乗っ取り、再び人々を恐怖の底に突き落とそうと企んだのです。ですが、そこに数人の騎士が現れ、苦闘の末、彼女を捕らえることに成功します】
“沈黙祭では、声を出してはいけない”
(そういう決まりなのでは?)
息を呑むサリーの横で、スーシェンが身を乗り出して水晶をガシリと掴んだ。
「この声……っ、まさかカルロス卿!?なぜ彼がっ!」
サリーも唖然とした。
水晶越しでも、沈黙祭のルールが破られ騒然となる会場が映っている。
男の声音はどこか無機質で胸騒ぎがする。聞き覚えがある声だ。ねっとりと耳にまとわりつくような話し方でまるで……。
胸に湧き出た憂い。嫌な汗が流れ出る前に、サリーは訝しげにスーシェンに訊く。
「スーシェン、これは誰の声かしら?カルロス卿って人の声なの?この前貴方が言ってた、この国の唯一の魔法使いで宰相っていうのが彼なの?彼は一体何者?これは演出なの?何が起こっているの?」
頭に浮かんだ疑問をそのままスーシェンに投げていく。
だが、彼は答えるどころではないようで汗を浮かべて固まるだけ。
そうしているうちに映像の中で再び舞台の幕が上がっていく。
最初は演者の足元が、次第にその全身が露わになるが……。
「……っ!」
その光景を見た誰もが息を呑んだ。
もちろん、サリーとスーシェンも例外ではない。
「っ、なにこれ!」
「……っ、なんて、酷い…………っ」
舞台上には、魔女役の少女が一人で立っていた。いや、正確には立たされていた。
華奢な身体は一本の太い棒に括り付けられ、足元には薪や藁が敷かれている。
そのシーンはまるで……。
(魔女の処刑……)
今すぐにでも火に焚べて殺さんとばかりだ。
足元では小さな火種が一瞬で大きな炎へと姿を変え、今にも少女を飲み込まんとする勢いで燃え上がっている。
(何、よこれ……)
「アトリ!!!!!」
水晶の中に映る観客の誰かが張り裂けそうな声で叫んだ。
呆然としていたサリーもはっと我に返る。
人々の悲鳴が上がるなか、少女は何かを叫んでいる。身を捩って、何かを必死に訴えている。それなのに彼女の声は誰の耳にも届かない。まるでどこかへ吸い上げられていくかの如く、全ての音が奪われていく。
だから観客は思ったのだろう。
――彼女はまだ演技を続けている。まさか命が脅かされている最中に、沈黙祭のルールを守る余裕などあるわけない。
異様な空気の中、先ほどと同じ男性の声が会場に響く。その声は風に乗り、空気を震わせ、誰一人余すことなく全員の耳元へと届く。
【――御伽話の悪役に相応しい結末を】
涼しげな声音に潜む怒気。
嫌な予感にサリーの背中がぞくりと震え上がる。
幻聴であって欲しいと思うほど、手足に汗が滲み、心が落ち着かなくなる。
この時、サリーの脳裏に過ったのは、一人の男の顔だ。かつての宿敵である金髪碧眼のあの男の顔。
(まさか――)
先ほど抱いた不信感は気のせいではなかったということか。
あの耳にまとわりつくねっとりとした喋り方、ピスカの森の魔女への深い怨念……彼の正体は…………。
「アトリ!!!!」
湧き出た答えが膨らむより前に、再び男性の叫び声がサリーの耳に届き正気に戻る。
立派な騎士服に包まれた彼は、必死に舞台に上がろうとしている。剣に手をかけ、荒波を掻き分けるようにして前へ出ようとしている。
「アトリ!アトリ!!今助けるからな!!」
彼は観客や他の騎士団員達の制止を振り切りながら必死に少女の元へ寄った。しかし舞台上に上がろうとした彼を透明な壁が阻む。
まるで話に釘を刺すなとでもいうようなバリアだった。剣で貫こうにも体当たりしようにも意味はなくなす術がない。
サリーは震えた声でスーシェンに話しかけた。
「――ねぇ、スーシェン。貴方の魔法であの子が何て言っているか教えて。あの子、本当はどうなっているの?」
スーシェンに先程と同じ腹話魔法を使うよう頼む。彼の力を借りれば状況把握ができる筈だから。
彼はすぐに了承して少女の叫びを声に乗せて出した。
その表情が悔しそうに歪められたのは、やはりあの少女が――
「っ、彼女の口はこう言っています。……っ、『助けて、兄さん。演技じゃない。助けて。声が出ないの。お願い、助けて。誰か。熱い、死んじゃう。死にたくない。助け――』
スーシェンの口から紡がれる言葉は、耳を塞ぎたくなるほど痛ましいものだった。
「もういいわ。もういい」
サリーは聞いていられなくなって口を挟んだ。目を伏せて、心を落ち着かせるように深く息を吐いた。
これ以上スーシェンが術を使う必要はない。
(あの子の叫びは悲痛に溢れているのに、声が出せないせいで演技と間違われるなんて……)
誰が彼女にそんな酷いことをしたのか。どのような狙いがあってこのようなことを始めたのか。
大方、予想はついてしまった。
考えることは尽きないけれど、それよりもまずやるべきことが先に一つ。
サリーはもう一度ふぅと呼吸を整えてらソファから腰を上げる。
「スーシェン、ちょっとだけ席を外すわね」
まったり鑑賞している場合ではなくなってしまった。
「え、ちょっと」
スーシェンはサリーが何をしようとしているのかすぐに分かったのだろう。慌ててローブの裾を掴んで引き留めてくる。
「サリーさん、駄目です。危険です。カルロス卿はイニティウル王国随一の魔法使いであられるお方。変に絡んではいけません」
袖を掴まれてもサリーの意思は変わらない。
こんなことを平然としでかすのだから、恐ろしい相手なのは百も承知だ。
そしてあくまでこれは予測でしかないが、恐らく彼は666年前の――
「問題ないわ」
「いけません!魔法で少女をこちらに」
「それも可能だけれど、すぐまた次の被害者が出るわよ。平穏でいられるのも時間の問題なの。彼の姑息さは私が一番よく知っている。少しばかり挨拶してくるわ」
いずれは戦う相手だ。
勝手にくたばってくれると思っていたのだけれど……そんな都合の良い展開は無かった。
そしてそんな彼の一番の目的なら666年前から既に判っている。
「行ってくるわね」
「危険すぎます!」
「そうね。けれど私のせいで彼女のような犠牲者が出るのなら、いつまでも引きこもってばかりいられない」
「ですけど、っ、サリーさんの魔法では敵いません!」
言ってしまったというように、スーシェンは顔をくしゃりと歪ませた。
サリーがどれだけ魔法に誇りを持っているか知っているから、最後まで言いたくない言葉だったのだろう。
それでも言ったということは、それほどサリーを引き留めたいということなのだろう。
(……お互い、不器用なのね)
不思議と怒りは湧いてこなかった。代わりに少し困ったように笑って言う。
「大丈夫、私はピスカの森の魔女だから」
「それはどういう意味で、」
スーシェンが理由を尋ねきるより先に、サリーはその場から姿を消す。これ以上説明している暇はなかった。
「サリーさん!!」
最後に聞いたのはサリーを呼び止めるスーシェンの声。それだけで、これからどうなったとて悪くないと思える気がした。
◻︎ ◻︎ ◻︎
スーシェンが一つ瞬きをした次の瞬間には、サリーはピスカの魔女の家から姿を消していた。
魔女の家に一人取り残されたスーシェンは呆然と水晶を見つめる。その目線の先に映るのは、少女を抱き抱え、舞台上に泰然と立つサリーの姿だ。
(あの距離を、こんな一瞬で……)
彼女の魔力ではあり得ない話だ。数十キロ以上の距離を、瞬きの間に移動するなど、自分でさえかなりの魔力を消耗する。魔力も体力も少ない彼女には土台無理なはずだった。
(やはりサリーさんは全く本気を出していなかった……)
サリーはよくスーシェンのことを飄々としていて得体が知れないと言う。しかしスーシェンの方とてサリーに対して同じことを思っていた。
スーシェンを前にすると感情的になるのに、でもどこか根っこの部分では冷めているのだ。
彼女がナニカを抱えていることは知っていた。ふとした瞬間に垣間見える表情は、何かを憂いてとても淋しそうだった。その正体にも気づかないふりをした。
それでも、彼女が時に翳りを見せながらも穏やかに暮らしてくれるのならば、それで良いとスーシェンは思っていた。そばに居られるだけで満足だった。
でも、彼女は違った。
我が身の危険を顧みず、見ず知らずの一人の少女を救うためだけに身を奮い立たせた。
スーシェンが考えるよりずっと、サリーは臆病ではなかったのだ。
(サリーさん……)
気の弱い少女は、もうその面影はない。
やがてピスカの森の魔女の家に強い日差しが差し込む。
森を覆う黒い霧が晴れ、窓の向こうの景色が鮮やかに色づき始める。
光を浴びた木々や草が目覚めを告げるように、葉や花を空に広げ始めた。どこからか鳥の囀りや獣の雄叫びが響き、あっという間に森が活気付いていく。
それは紛れもないピスカの森の目覚め――666年ぶりの覚醒。御伽話の続きを告げる、芽吹きの瞬間。
この瞬間を待ち焦がれたはずなのに。
スーシェンは森の変化には目もくれず、ただ一心に水晶に映るサリーを眺め続けていた。




