13 魔女役アトリの不安
ピスカ領の首都オリスは現在、街中色鮮やかな飾りや花々で溢れかえっている。
家中の窓に吊るされたガーランド、玄関ドアに飾られたリース、街行く人々の胸ポケットや髪に挿さる花。
どこへ視線をやろうともいつもより目映ゆく見える光景は、皆が心待ちにする年に一度のイベントの訪れを伝えている。
風が運ぶ甘い花の香りが街中を包み込む。
今日は特別至る所に露店が並び、香ばしいパンを売る店も、可愛らしい見た目のクレープやカラフルなキャンディを売る店もある。
定番なのは毒林檎モチーフの林檎飴。毒々しい見た目に反し、甘くて爽やかな味が大人気で、どの店も大行列を作っている。その他にも珍しい調度品やアクセサリー、雑貨等も露店に並び、カップルや夫婦がお揃いでブレスレットを揃えたり指輪を購入したりして楽しんでいる。なかにはちらほらと魔女の仮装をする子どもの姿もあった。
人々は声を出すのはタブーとはいえ、美味しい食事や雑貨が立ち並ぶ街並みに心を躍らせ、笑顔を振り撒きながら足取り軽くブレドの街を歩いている。
『沈黙祭』が始まった。
ピスカ領の首都オリスのセンターストリート、その中央広場に建てられた仮設ステージの前には、沈黙祭のメイン『ピスカの森の魔女』の劇を観ようと集まる人々がひしめき合い、場所取り合戦が起こっていた。
声が出せない以上、言葉ではなく力で解決しようとする者が後を絶たない。至る所で起こる小さな喧嘩や暴動をブレドの騎士団員達が一つ一つ丁寧に納めていくが、やがて騎士団長ヴィンセントが登場すれば、客までもが隊をなして綺麗に整列し、揉め事はきれいさっぱりなくなる。
ヴィンセントの圧倒的な存在感は人々にとって圧である一方で、自分らを確実に守ってくれる頼めしさもあった。なかには彼を知らない他所の領から来た観光客がなりふり構わず騒ぎ立てることもあったが、そんな相手にもヴィンセントは淡々と注意をし、罰金を徴収して持ち場へ戻っていく。しかも彼の持ち場はステージと観客の間で、それは勿論納得なのだが、何故かステージの方を向いて立っているのだ。
それを疑問に思う者はいても、騎士団員達を含め誰もそのことを指摘できるような者はいない。
どこか上機嫌にも見えるヴィンセントの背中を眺めながら、人々は舞台の開始をじっと待った。
その反対側――仮説ステージの裏では『ピスカの森の魔女』の開演に向けた準備が整えられていた。
この舞台、音楽や台詞はない。舞台も沈黙祭のルールに則り、声を上げてはならないこととなっている。故に舞台装飾と演者の演技任せだ。
もうすぐ開演前とあって、舞台袖では本番衣装を纏った役者達が控えている。
その中の一人――黒いローブに包まれた小さな魔女アトリは、何かに怯えるように立ちすくんでいた。
胸の辺りまで緩やかに延びた黒髪、ガーネットのような赤い瞳。黒髪紅眼の魔女の姿に相応しい格好となった彼女を、演者仲間達は素晴らしいと絶賛してくれた。衣装班が熱心に製作した魔女の帽子とローブがさらにアトリの見た目を完全な魔女へと変えた今、彼女は立派なピスカの森の魔女である。
しかしながらアトリの顔色は悪い。手足は小刻みに震え、呼吸は浅い。
いつも表情を崩さずクールな少女にしては珍しい反応だと、周囲の者はその異変に気づくも、大方大役に緊張しているのだろうと悟るようにして彼女のことを見守っていたが……。
やがて、舞台の幕が上がる数分前となる。ぞろりと舞台袖に役者や出揃う中、つんつんと背中を突かれてアトリは振り返る。
「緊張しているの?」
少女役の演者が口パクで尋ねてくれるのだが、アトリは首を横に振るだけだ。
(なにも、いえない……)
昨日起こった恐ろしい出来事を話すことは許されない。声が出なくなるという変な魔法をかけられて話す術がないのだ。
アトリの脳裏はずっとその恐怖に支配されているというのに。
◻︎
「貴女がアトリさんですね」
稽古終わり、家へ帰ろうとした時だった。明日は沈黙祭。リハーサルでの反省項目をおさらいしながら、明日へ向けて体調を整えようと考えていた時。アトリの目の前に一人の男性が現れた。眼鏡をかけた長髪の男性。貴族の人なのか上質な生地の服を着ている。
アトリは彼に見覚えがあった。
「きのう、けいこ、みにきてたひと……」
昨日、沈黙祭の総括で兄ヴィンセントの上司であるブレド公爵と一緒にいたひとだ。アトリの容姿を黒髪紅眼の魔女の見た目へと変えた魔法使いさん。昨日はローブの姿だったからすぐには同じひとだと気づけなかった。
このひとの魔法のおかげで、今日のアトリの演技は迫力があると大絶賛だった。
彼は足取り軽くアトリに近づいて優しく髪を一房掬い取る。
「今日の貴女の演技も実に実物でしたよ。なかなか、あの忌まわしい魔女が蘇ったような感覚を覚えました」
彼の声は穏やかで優しかったけれど、感情の読み取れない不気味さを含んでいて、アトリの表情は警戒心で曇る。
「ありがとう、ございます」
それでも、アトリは最初演技を褒められて誇らしかった。俯いて頬を染める。
「わたし、えんぎ、すきだから……」
演技の道を進めてくれたのは兄だ。感情の起伏の少ないアトリは、誰かになり切ることで感情というものを一つ一つ丁寧に覚えていった。それを側で見ていた兄が、高い稽古代を払って演技教室に通わせてくれたのである。
兄の期待に応えるようにアトリは努力した。それはとても楽しい努力で、アトリはあっという間に役者としての才能を伸ばしていった。
魔女役に選ばれて光栄だとアトリは言おうとした。でも懸命に話そうとするアトリの口に、男はしぃーっと人差し指を当てる。
「お話してはいけませんよ」
「ちんもくさいは、あした、だから、だいじょう…」
今日はまだ大丈夫だと、アトリは告げようとした。
けれどその時だった。
【口を閉じよ】
男が何か呪文のようなものを唱え、途端アトリは声が出せなくなる。
(ど、うして――!?)
声が出ない。正確には、話しているつもりなのに、音にならない。喉を抑えても違和感はないし痛みもないけれど、声が喉で響かずどこかへ吸い上げられていくような感覚があるのだ。
口を開いてぱくぱくするアトリに、男は満足そうに笑う。
「演技の質を高めるためのおまじないですよ。明日の演技、とっても楽しみにしていますからね」
言いたいことだけ言って、彼はすっと姿を消してしまう。
残されたアトリは、何もする術がなく、絶望感と焦燥感とに包まれたまま帰宅するだけだった。
アトリの家は、ピスカの森に最も近い都市オリスにある。
「アトリ、おかえり」
出迎えてくれたのは、ブレドの騎士団長を務めている彼女の自慢の兄ヴィンセント。どんなに忙しくても毎日アトリのために食事を用意してくれる妹想いの優しい兄だ。
アトリはヴィンセントの顔を見ると、気が緩み、涙腺が緩んだ。
ただいまを言わないアトリにヴィンセントはどうしたものかと振り返り、そのまま涙を流す妹に気づくと、鍋の火も消さないで急いで駆け寄ってきてくれる。
「どうしたんだ。何があった」
ヴィンセントは必死にアトリを慰め、何があったのかと事情を尋ねるが、アトリはただ何も言わず泣くばかりである。兄を前に気が緩んだせいでもあった。
「アトリ、大丈夫だ。俺がいる。落ち着け」
しゃくり上げる声さえもどこかへ消えていく。それが恐ろしい現実を突きつけてくる。
アトリには今、伝える術がない。
文字の読み書きは上手くできないし、変な男のせいで声が奪われて喋れない。アトリが落ち着くのを待って、ヴィンセントが頭上から優しく声を掛ける。
「明日の舞台、緊張しているのか?心配するな。何があっても俺が守ってやる」
安心させるように抱きしめてくれるヴィンセントの袖をアトリはぎゅっと掴む。
兄の言葉にホッとしたのも束の間、直ぐに脳裏に先ほどの男のねっとりとした笑みと言葉が蘇り、アトリは顔色を青くした。
『楽しみにしていますからね』
あれはどういう意味だったのだろう。
何を企んでいるのだろう。
あの後、ヴィンセントはすぐ沈黙祭に備えて泊まり込みの仕事に出掛けてしまった。最後までアトリのことを心配しできるだけそばに居たけれど、互いにやるべきことがあるから仕方なかった。
そしてアトリの方も、魔女役として舞台に立つ時が刻一刻と迫っている。
舞台袖からアトリはヴィンセントを不安気に眺める。凛々しい兄は、背の高さと気高さですぐに見つけ出すことが出来る。
(にいさん、ほんとうに、まもってくれる……?)
アトリの震えは、魔法にかけられた瞬間から止まることはない。
不安は消えないまま、やがて幕が開き、舞台『ピスカの森の魔女』が始まった。




