9 スーシェンにかけられた呪い
スーシェンと暮らし始めてもうすぐ三ヶ月が経った頃くらいのある日の晩、サリーはベッドに横になって考えていた。
あっという間に過ぎていく日常。どこか可笑しくて、でも密かに楽しくて……666年前には想像もしていなかったものである。
スーシェンはなかなか不思議な人物だ。
サリーを監視すると言い、サリーが話に聞く悪い魔女なら退治するとまで脅してきたのに、その割には始めから仲をぐいぐい縮めてくるしつこさがある。
やたらとサリーを揶揄ってきたり世話を焼いてきたり。こちらが何度呪いの魔法をかけても、悪い魔女と本気で罵ることはしない。残念でしたと挑発して終わりで、次の瞬間には親しいルームメートのように接してくる。メアリーチェに対しても紳士的な対応を怠らない。
「わからないわ」
スーシェンは一体何がしたいのだろう。
彼のお陰で、このところ呪いをかけようとするたびに罪悪感に駆られる。彼への怒りなんて三ヶ月も経てばとっくに消えていて、扱いがわからなくなっていた。
あえてフランクに接することでこちらを油断させて本性を暴こうとしている、なんて可能性も浮かぶ。あのスーシェンのことだ。狡賢さが一級品の彼なら有り得る話である。
だが一方で、もしサリーの前で見せるスーシェンの姿が素であるのならば。そうであるならば――
「……彼なら」
(彼なら、もしかして。僅かな可能性でしかないけれど……)
そんなことを考えてサリーは冷笑する。
都合の良い妄想には反吐が出るタイプだというのに、一時でも要らぬ希望を抱いてしまった。夢を見過ぎると、覚めた後に辛くなるのは経験済みだ。
誰かを信じることはまだできそうにない。出会ったばかりならばなおさらだ。
「無駄なことを考えるのはやめましょう」
首を横に振り、未練を断ち切るように目を伏せた。
それからどれくらい経ったのだろう。
ふと、サリーはバチリと目を開けた。
寝付けなかった訳ではない。ただ眠りに引き摺られる直前に、ドクリと心臓が一つ大きく波打ったのだ。
(なにか異変を感じる)
原因を探ろうと身体を起こせば、壁越しに呻き声が聞こえてくる。何かに耐えているような不規則な吐息が漏れ出ている。
「何かあったのかしら」
こんなところで声を上げる人物なんてサリーを除けば一人しかいない。
慌てて隣部屋の客室だったはずの『天才魔法使いスーシェンの部屋』とのプレートが掲げられた部屋の扉を開く。
「スーシェン、失礼するわね」
後でプレートについては必ず嫌味を浴びせてやろうと心に決めながら躊躇いなく部屋に入る。けれど、目に飛び込んできた光景にサリーは言葉を失った。
「……っ、サリー、さんっ!」
スーシェンがベッドの上で苦しそうに悶えている。
蹲って、酷い汗を流している。
額に浮かぶ青筋。眉間に寄る深い皺。いつも猫背な背中はさらに丸まり、ベッドの上でふるふると何かに耐えるように小刻みに震えている。さっきまで軽やかだったはずの声も、今は濁音を含んだ唸り声へと変わっている。
いつもの飄々と笑うスーシェンとは似ても似つかないその姿は、サリーに混乱をもたらした。
ふと黒い髪の毛から紅眼が覗く。その眼がサリーを捉え驚愕で大きく開かれると同時に、スーシェンが今までにない大声を張り上げた。
「サリーさん、来てはいけません!!」
あまりの迫力にサリーはたじろぐ。それでも、気を強く持って彼に詰め寄った。
「……何故、そんなに苦しそうなの」
「満月の夜は、ずっと!ゔぅっ!!」
「スーシェン!」
目の前のスーシェンにいつものような飄々とした態度はなく、ただ苦しみに悶えているだけ。
なんとかして楽にしてあげなければと、使命にも近い感情がサリーの中に芽生え、気づけば体が勝手に動いていた。
サリーはベッドの側に立ち寄りながら、スーシェンへと手を伸ばした。
「離れて、ください……っ、危険です!防御魔法でサリーさんか僕を閉じ込めて……っ」
「必要ないわ。どうすれば楽になるか教えなさい」
片膝がベッドへと乗るような変な体勢になっても、サリーは懸命にスーシェンの背中をさすった。
覗き込んだ彼の顔は今までにないくらい青白い。彼の心臓を押さえていた手が、不意にサリーの体を突き飛ばし、勢いよく冷たい床に尻餅をつく。
それでも自分の痛みよりスーシェンの方がずっと気になる。
彼の方は大丈夫だろうか。
顔を上げたサリーは目を見開き固まった。
『グルル……』
真っ黒な体毛に白い体毛の混じった一匹の狼が、ベッドの上からこちらを見下ろしている。ジェロそっくりにも見えるその姿は……。
――あぁ、これは……。
愕然とすると同時に、納得にも近い感情がサリーの中に広がっていく。
そうして、彼に感じていた違和感の正体がはっきりと形を表したことで、ある事実を悟る。
「貴方も……」
スーシェンも。このおちゃらけた自称天才魔法使いも。
(私と同じだったとは)
一呼吸おいて、心を落ち着かせれば、先ほどかいた汗がすぅーっと冷えていく。
やっと腑に落ちた。
スーシェンが、サリーに、ピスカの森の魔女に会いに来た理由が。
ゆっくりと手を伸ばし、狼の双眼へ問いかける。
「――貴方も”呪い”にかけられているのね」
彼は決して、魔法の腕試しでここへ来たのではない。
もっと深い理由を持って、サリーに、いやピスカの森の魔女に会いに来ていたのだ。
アォンと鳴いたスーシェンの双眼は艶やかな金色で、美しいと思うと同時に悲しくもなった。
「気づけなくてごめんなさい、スーシェン」
狼の顔にそっと両手を沿わせる。獣の姿でもスーシェンは理性を失っていないようで、静かにそれを受け入れている。
不思議と恐怖は感じなかった。目を閉じて、彼の額に自分の額を擦り合わせる。
「そうね。聞きたいことはたくさんあるけれど」
やはりスーシェンはいけすかない男だ。
こんなに大きな秘密まで持ち込んで来るのだから、人間の姿に戻った暁にはどんな目に遭わせてやろう。
「――まぁでも、今夜は眠りましょう」
まぁ、今日だけはいい。
今夜だけは、怒らないでいてあげるから。
「おやすみなさい」
ただ静かに。
静寂に、身を任せて。
お互いの温もりだけを感じながら、ゆっくりと眠りについた――
◻︎
木々が擦れる音で、サリーは目を覚ました。
「はぁ、いつのまに朝になったの……」
伸びを一つして、寝ぼけた頭で起き上がる。膜が張ったような意識状態のまま周囲を見渡すと、どうやらここは自分の部屋ではないらしい。ベッドも布団も自分のものとは違っている。欠伸をして、これはどういうことかと目を擦りながら考える。
「そういえば昨日の夜……」
ゆっくりと思い出す昨晩の出来事。
狼になったスーシェンを撫でながら、そのまま寝落ちしてしまったようだ。狼になったスーシェンは柔らかくて温かくて、つい彼を寝かしつけるつもりが自分も眠りについてしまった。そしてそのスーシェンといえば……。
「あら」
どこにも見当たらない。ふとんに温もりはなく、どうやら彼はとっくに起きたらしい。
サリーも部屋を出て彼を探すことにする。もしかしてサリーに秘密がバレてこの家を出ていってしまったかもしれないなんてちょっと想像しながら。
「サリーさん、おはようございます!」
だが、拍子抜けするほどあっさり、スーシェンはいつものようにキッチンに立っていた。
自分の分は食べ終わったのか、一人分の食事だけがテーブルに用意されている。
「おはよう、スーシェン」
なんだか、心配して損した気分だ。とはいえ、スーシェンがいつも通りでいることにサリーはホッと胸を撫で下ろした。だから無意識に挨拶を返したことにサリーは気づかない。
サリーの初挨拶に、スーシェンは動きを止め、サリーも時間差で自分の口元を抑える。
「あっ」
時すでに遅し。
喜びに目を潤すスーシェンの興奮はもはやおさまりそうにない。
「やっと……やっと!サリーさんが僕に挨拶をしてくれるようになりました!!しかも僕の名前まで言って!!こんなに嬉しいことはありません!!!!」
「ち、違うわよ。今のはただの気まぐれで、次回が約束されているわけではなくて――」
スーシェンの声はいつも通り、いや、いつも以上に張りも勢いもあって元気だ。
「それでも嬉しいんです。昨日あんな失態を見せてしまったのに、サリーさんは僕を熱く抱きしめてくれて、朝までずっと柔らかな温もりを……」
昨夜の出来事を曲解しまくっているスーシェンに、サリーは戸惑いと怒りの声を上げた。
「いやらしい言い方はやめてちょうだい。私はただ、貴方を介抱しただけ……というか貴方、体の方は大丈夫なの?」
「サリーさんったら、それは普通男性側のセリフですよ」
「茶化さないでちょうだい。私は本気で心配しているのよ?」
昨晩の出来事など幻だったかのように、スーシェンはふざけている。もしかして昨晩のことに触れてほしくないのかもしれない。
それでも、サリーは一度話を聞いてみるべきだと思った。
サリー元気な声とは裏腹な悲しそうな顔に、スーシェンは面を食らったように目を丸くする。
「……心配してくれたんですね」
「当たり前じゃない!あんな苦しそうな姿見て放っておく方がおかしいわよ。それより貴方のあれは、やっぱり……」
「はい、”呪い”です」
スーシェンはすんなりと答える。静かに頷いた彼に、サリーはさらに問う。
「――貴方がここに来た、本当の目的を教えて」
真っ直ぐとサリーの紅眼がスーシェンを射抜く。
スーシェンは全てを諦めたように目を閉じ、ゆっくりと息を吐いた。




