搾取された少女は精霊の愛し子でした~巫女は護りの石を編む~
日干しレンガ造の薄茶色の街並みの中、漆喰で塗られたその建物は、ひときわ白く輝いていた。まるで神殿のように美しい建物の中から、朗々とした声が響く。
『あなたがたの旅に、精霊のご加護があらんことを』
しばらくして建物から出てきた二人連れの男は、弛みきった頬に笑みを浮かべて、口々に話し始めた。
「いやぁ、サミラ様は噂通りの美人だったなぁ!」
「まさに伝承にある精霊の巫女さまだなぁ。こいつぁ一生の宝物にしねぇと!」
旅装に身を包んでいるから、きっと旅人なのだろう。彼らが手にしているのは、どうやらラクダのたてがみ飾りのようである。その文様に目を留めて、私は思わず声をかけた。
「すみません、その組紐細工、道中安全の御守ですよね?」
「そうだが、なんだ?」
旅人たちは足を止めたが、こちらを向いた途端に眉をひそめた。強い日差しから頭部を守るためのショールはすっかり擦り切れていて、物乞いに間違われても無理はない。私は顔から火が出そうになりながら、それでも懸命に話を続けた。
「あの、ならば一生の宝物にはしないで、目的地についたら精霊様への感謝と共に聖なる火にくべるのを忘れないでください……」
「ん? ああ、そういやそんな話も聞いたような……チッ、わかったよ」
「あーあ、楽しかった気分が台無しだぜ」
面倒くさそうに舌打ちを残して、旅人たちは去ってゆく。その背中を見送って、ほっとしながら建物の方へと振り向いた……その時。
「こらっ、スーリ! お前は客に声をかけるなと言っただろ!」
ゾヤおばさんの怒声が響き、私は小さく肩を竦めた。
「でも、お願いが成就したら、ちゃんとお焚き上げをするよう伝えないと……」
「だからってねぇ、お前のような小汚い娘が作ったなんてバレたら売れなくなるんだよ! サミラが作ったと思うから、ただの紐が高く売れるんだってぇのは、お前にだってわかってるだろう?」
ゾヤおばさんの言葉に、さっきの旅人たちが自分を見たときの顔を思い出す。私は惨めになって、思わず小さくうなだれた。
この小ぶりながらも白く美しい建物は、神殿ではない。元々はこのゾヤおばさんが旅人相手に営んでいる、ただの小さな民芸品を売る店だ。
砂漠の交易路の中ほどにあるこの大きめのオアシスに造られた村は、近くに盗賊団の根城があるらしい。だが不思議なことに、この村だけは長らく略奪を受けていないのだと、多くの旅人が好んで立ち寄る場所になっていた。
さらにゾヤおばさんの店で買ったマクラムの御守をラクダに結んでおくと、その先の道中もつつがなく進むと評判になり……前より高く値付けがされた御守も飛ぶように売れるうち、いつしかゾヤおばさんの店は今のような立派な建物になったのだった。
「でも、それで精霊様のお怒りに触れてしまったら、店の評判が落ちてしまいますから……」
「はいはい、分かった分かった! 分かったから、さっさと裏口に周りな!」
私は麻袋を抱え直すと、建物の裏へと周り込んだ。袋の中には、私が編んだマクラムの御守がたくさん入っている。裏口から店の倉庫兼休憩部屋に入ると、サミラが水煙草の長い煙管を咥えて休んでいるところだった。
麻袋の中からマクラムを取り出して、数を数えながら箱に納めていく。その様子を終わりまでじっと見張っていたサミラは、代金の銅貨を数えながら言った。
「ねぇ、今の倍あっても売ろうと思えば売れるんだけど、もっとたくさん作れないの? あんただってもっとカネが欲しいでしょ」
「でも組紐は丁寧に作らないと、文様の均衡が崩れて意味が変わってしまうから……」
「はぁ? 別に手抜きしろって言ってんじゃないの。もっと作業を効率化すればいいって話でしょ? あんたってホント要領悪いんだから。終わったらさっさと帰って、一個でも多く編みなさいよ。あ、いつも通り、代金から紐代は抜いとくからね!」
いつもより少ない硬貨と共に、いつもより多めの色紐を押し付けられて――私は仕方なく、色とりどりの紐を麻袋に入れて店を出た。
ぎらぎらと照りつける砂漠の太陽の下に出て、ふと自分の指先に目を留める。色味が派手な方がウケるからと色濃く染められた紐を次々と編んでいる指先は、どんなに洗っても取れないほどに黒ずんでいた。
でも早くに親を亡くした私がこの村でなんとか生きてゆける仕事があるだけ、有難いことなのかもしれない。私は疲れきったため息をつくと、オアシスの外れへと向かった。
日干しレンガで造った二部屋だけの小さな家は、父を失ってからは修理することもできないままである。遠くから流れ着いた私の両親がなんとか家を持てたのは、賊の襲撃を受けたら真っ先に殺されるだろう村の端。それでも流民を受け入れてくれたこの村に両親は感謝していたのだが……貧しい暮らしの中で初めに父が、そして母も後を追うように、私を置いて逝ってしまったのだった。
でも、仕方がない。
これはきっと、精霊様を裏切った私たち家族に下された罰なのだから――。
* * *
ある朝。まだ暗いうちに遠くから水を汲んで小屋に戻ると、私は扉のない入り口をくぐって、手前の土間に水瓶を置いてほっとひとつ息を吐いた。そして奥の寝間に入って、扉代わりに垂らした厚織り幕を下ろした途端――後ろから抱き込むように首に短刀を突きつけられて、私はひゅっと息を呑む。
「静かにしろ。声を上げたら殺す」
一瞬にして血の気が引いて、私は冷たくなった指先を握り込んだ。
こんな村はずれのあばら家に物盗りなんて来るはずがないと、すっかり油断していた。だけど女が一人で住んでいることが知れたなら、人攫いが来てもおかしくは――。
だがその時、むせ返るような血の匂いと男の苦しむような息遣いに気がついて、私は思わず声を上げた。
「もしかして、ケガしてるの?」
「静かにしろと言っただろう!……このぐらい大したことはない」
その言葉とは裏腹に、男はとうとう短刀を取り落とし、床に膝をついた。弛んだ腕から抜け出して振り向くと、窓から差し始めた朝日が男の姿を照らし出す。すると男の衣服も、短刀も、べっとりと血に濡れていた。もしやその短刀で、人を殺して来たのだろうか。
でもそんなことより、今のうちに逃げなきゃ……!
震える膝を叱咤して、急いで部屋から出ようとした、その時――男の胸元から小さな光がいくつも飛び出して、私を引き留めるように辺りを舞った。
――タスケテ……タスケテ……
「これって……」
私は落ちていた短刀をそっと拾って物陰に隠してから、うずくまる男に近づいた。
「ねぇ、すぐに服を脱いで。傷はどこ?」
「なっ……どういう、魂胆だ……」
唸り声と共にこちらを睨んだ男に向かい、私は思わず声を上げた。
「今はそれどころじゃないでしょ、早く止血しないと死んじゃうよ!」
その剣幕に驚いたのか、男は素直に血と泥にまみれた外套を外すと、上衣に手をかける。露わになった身体はよく鍛えられていたが、肩を始めとして数か所にできた切り傷が、痛々しい傷口を開けていた。
「その首にかけている袋も、血がついているから洗おうか?」
私は手を差し出したけど、彼は黙ったまま小さな袋をつかんで首を振る。私は諦めて汲んできたばかりの水で傷口を洗い流すと、急いですべての傷口を押さえるように布を巻いて止血した。
布にそれほど血が滲んでこないことを確認して一息つくと、改めて男の泥に汚れた顔を見る。
「この傷、どれも致命的な深さじゃないとは思うけど、念のためお医者さんに見せた方が……」
「駄目だ。絶対に誰にも言うな……」
「そう……じゃあとりあえず、水がなくなったから汲んで来るね。そこの寝床使っていいから、身体を休めて待っていて」
「あ、待て! くそっ……」
立ち上がった私に男は手を伸ばしかけたが、肩をかばってうずくまる。この様子なら、しばらくは大人しくしていてくれるだろう。
再び瓶にいっぱいの水を汲んで奥の部屋に戻ると、男は寝床ではなく古びた絨毯の上で目を閉じて横になっていた。どうやら熱があるようで、ひどくうなされている。
だが全然体格の違う相手を担いで寝床に移すことは諦めて、私はそのまま布を水に浸した。軽く絞って苦しそうな顔をそっと拭うと、血と泥に汚れた最初の印象からは程遠い、どこか品のある整った顔が出てきた。
守護の小精霊、それも善性のモノをたくさん連れているのは無自覚みたいだったけど、一体何者なんだろう……。
私が手を止めて驚いていると、呻き声と共に、男は薄く目をあけた。
「ごめんなさい、起こしちゃった?」
「……なんだ、人を呼んで来たんじゃないのか? バカか、俺が盗賊の斥候で、兵士に追われてる状況だったらどうするんだ……」
「小精霊たちが助けてあげてって言ったから、助けたの。私には、精霊様のお願いを断ることはできないから……」
「精霊? ははっ、馬鹿なことを言う娘だな」
「信じてないでしょ。まあ、慣れてるけど……」
『スーリ、いないのかい!?』
その時。垂幕の向こうから声が響いて、私はびくりと肩を撥ね上げた。
「ゾヤおばさんがきた! ちょっと静かにしててね」
私は男の姿が見えない角度で垂幕をめくると、土間の方の部屋に出る。すると作業台の上に積んでいた組紐の山を漁っていたゾヤおばさんは、こちらを向いて怒声を上げた。
「ちょっと、お前がグズグズしてるせいで商品が足りないからわざわざ取りに来てやったのに、まだこんだけしかできてないのかい!? 決まった数が揃わないなら、今日の報酬はやれないよ!」
灯りの油代は高いから、日が落ちてしまうと作業はできない。だから朝日と共にいつも編み始めるのだが、今日は怪我人の世話をしていたから、規定数に少しだけ足りなかったのだ。
「あんたは紐を編むしか能がないんだから、怠けるんじゃないよ。ほら、新しい紐だよ。こんなただの紐をうちの店がカネにしてやってるんだから感謝しな!」
「あの、次はもっとたくさん作るから、少しでも今日のお代をもらえませんか……?」
怪我人にとっての一番の養生は、栄養のあるものを食べさせることだ。でもこの家に、蓄えなんてほとんどない。
最後の頼みにすがるように訴えると、ゾヤおばさんの視線が私の身体中を這った。
「稼ぎたいんなら、そろそろ客を取ってみるかい? そういやあんた、サミラと同い年だっけか。貧相だが、こんだけ育ってりゃあじゅうぶんだろ。この街は旅人が多いからねぇ、いくらでも斡旋してやるよ」
「そ、それは……」
「ふん、身も売らずにこの砂漠で女一人生きていけるだけ、ありがたいと思うんだね」
ゾヤおばさんは数枚の銅貨を床に投げると、ありったけの組紐細工をつかんで家から出て行った。その後ろ姿を見送って、私は床に膝をつく。散らばった硬貨に手を伸ばすと、あまりの惨めさに涙が滲んだ。だがこれがあれば、少しだけど干し肉も買えるだろう。
床に這いつくばって拾い集めていると、いつの間にか近くにあの男が立っていた。こちらに伸びる手に思わず身を竦めたが、その手は私の横を素通りし、床に落ちていた硬貨を拾う。だが屈んで傷が痛んだのだろう彼の呻き声に、私は我に返って言った。
「まだ動いたらダメだよ!」
「さっきから黙って聞いていれば、あの者は一体何なんだ。物が良いから売れるのであって、あの者の手柄ではないだろうに!」
……まさか、私のために怒ってくれてるの?
私は驚いて、次に久々の温かな気持ちに包まれた。精霊には人間に害を成すものもいるけれど、あの小精霊たちからは善性しか感じられなかったから、やはりこの人は悪い人ではないのだろう。でもすぐに現実を思い出して、私は自嘲気味に笑った。
「良いものを作れば売れるというのは、幻想だよ。私みたいな孤児が作った細工物なんて、信用も、魅力も何もないんだ。何を売るかなんかより、誰がどうやって売るかで、商品の売れ行きは決まるのよ」
親が死んですぐの頃。組紐細工をカゴに入れて一日中売り歩いてみたけど、憐れに思った人が施しのつもりで買ってくれただけで、この品自体を良いと思って買ってもらえることはなかった。そんなときに店に置いてやろうかと声をかけてくれたのが、ゾヤおばさんだったのだ。
「特に御守なんていうものはね、美しい巫女が綺麗な神殿で売るから意味があるの。だからね、ゾヤおばさんの言うことにも一理あるんだ……」
「……この村の御守が素晴らしいという評判は、俺でも耳にしたことがある。初めは信用がなかったかもしれないが、結局はこの御守自体に効果があったから、ここまで評価されているんだろう? ならば地道に売り続けていれば、あんな店に置かなくてもいつか評判になったんじゃないのか?」
「あはは、地道になんてやってたら、その前に飢え死にしていたよ! ゾヤおばさんの店なら、安くても定期的に買い取ってもらえるの。私みたいにみすぼらしい子が『このお守りがあれば幸せになれますよ』なんて言ったところで、誰も信じてくれない。でもサミラみたいに幸せそうな見た目の子が言ったなら、みんな信じるし、それは仕方のないことでしょう?」
惨めになりすぎないように、私があえて笑顔を見せると……男はその端正な顔を、どこか哀しそうに歪めて言った。
「……君の名を聞いてもいいか?」
「スーリだよ。あなたの名前は?」
「俺は……カイだ」
「カイさん、お腹すいてるでしょ。急いで用意するから、少しだけ待っててね!」
* * *
私は鍋に麦と水を入れると、かまどに掛けて煮込み始めた。朝はただの麦を煮ただけの粥しか出すことができなかったけど、今夜は市場で買って来たばかりの干し肉がある。
硬く干された塩漬け肉を小刀で少しずつ削り、ぐつぐつと煮える鍋に落としていく。ほとびた肉から塩味と旨味が充分しみ出したところで、私は軒先に干していた香草をすり鉢で軽く砕いてから鍋の中に散らした。
出来上がった麦粥を器に注ぐと、私は垂幕をくぐって奥の部屋に入った。何度すすめても寝床を使おうとしない彼は、まだ部屋の隅で壁を背にして座っている。常に片膝を立てた姿勢は休まらないだろうに、何かを警戒しているのだろうか。
その近くに膝をついて器を差し出すと、彼は小さく礼を言って食べ始めた。
「これは、うまいな……」
「食べる元気が戻ったなら良かった! でもごめんね、こんな薄い麦粥しかできなくて……」
「逆だ、粥は消化に良い。弱った身体に、この粥ほど美味なものはない」
彼が初めて浮かべた微笑みを見て、私の頬は熱を持つ。こうして誰かに食事を振る舞うなんて、何年ぶりのことだろう。
「そっか、ありがとう……」
「いや、礼を言わなければならないのは俺の方だ。刃物で脅すなど酷いことをした俺に、君はとんだお人良し……いや、すまない。恩人に対して、失礼なことを言ってしまった。君には本当に助けられた。この恩は必ず返す」
頭を下げた彼に、私は慌てて言った。
「気にしないで! 小精霊に頼まれたから、だからやっているだけだから。これは精霊様に対する贖罪でもあるの」
「贖罪……?」
「えっと、何でもない……」
「そうか……ならば聞かないでおこう。そういえば、君は俺が身を隠したい理由を聞かないのか?」
そう言って不思議そうに首を傾げる仕草は、どこか気品すら感じられるものだ。それに先ほどの恩義を気にする丁寧な態度も、彼はやはり――。
「あなたが着ていた外套の文様、シャバーズ族の上位の戦士が身につけるものでしょう? だからこれ以上は聞かない方が、私の身のためかなって。それだけだよ」
最初は暗がりで気付かなかったけど、明るいところで改めて見ると、その生地には鷹と宝冠の繊細な文様が織り上げられていた。シャバーズ族はこの近隣では最も大きなオアシス都市国家である。何か揉め事が起こっているのなら、巻き込まれたらこんな小さな村など一瞬で潰れてしまうことだろう。申し訳ないけれど、気づかないフリをするのが一番だったのだ。
「気づいていたのか……すまない。だが迷惑は承知で、もう少しだけここに置いてくれないか。鷹の王の戦士の誇りにかけて、必ずこの恩は返す」
「恩なんて気にしなくていいよ。私が勝手にやっていることだから」
「そういうわけには……そうだ、これをやろう」
彼はずっと大事そうに首にかけていた袋を手に取ると、小さな巾着の口を開いた。中から転がり出てきたものは、血色に輝く透き通った大きな石である。
「それって、もしかして宝石!? ずっと首にかけて離さなかったし、大事なものなんでしょう? もらえないよ……」
「綺麗だろう? なんてな、これは宝石じゃないんだ。ただの柘榴石だが、これだけ大きく美しければ、まあまあの金になるだろう。適当に売ってくれて構わないから、君の暮らしの足しにしてくれ」
「ダメだって、本当にもらえないの!」
「遠慮するな。俺にはもう、無用の長物だからな」
「ううん、そうじゃなくて……。あのね、私なんかがこんなに高価なものを持ってたら、盗んだんだろうって言われるだけなの。だから、受け取れないんだ……」
組紐細工を自分で売り歩いていた頃のこと。羽振りの良さそうな旅商人から、その時持っていた全ての細工と引き換えに、金貨をもらったことがある。かわいそうな子どもに同情してくれたのだろうけど、自分が作った細工が初めて売れたことに喜びながら、私は市場へと走って行った。
だがそこで待っていたのは「金貨なんてどこで盗んで来たんだ!」という村人たちの罵声――。必死に説明しても誰も信じてくれなくて、ウソをつくなと棒で叩かれた。まだ村にいたあの旅商人が騒ぎに気づいて誤解は解けたが、村人たちが謝った相手は私ではなく、立派な身なりをした旅商人の方だった。
子ども、それも女一人の寄る辺なき身とは、そういうことなのだ。
「そうか……ならば誰にも見つからないように、大事に持っておくといい。君の御守ほど力があるかは知れないが、その石には守護の効果があると聞いたことがある」
「……分かった。そういうことなら、少し預かるね。この石、たくさん血を吸っているみたい。浄化してあげないと」
「血? ああ、ずっと懐に入れていたからな……。適当に洗ってくれ」
「ううん、清めはするけど、そっちじゃない」
私は軒先に干していた香草から白いセージの葉を数枚ちぎり、小皿に乗せて火打石を打った。散った火花が乾いた葉をくすぶらせ始めると、赤い石をつまんで煙にたっぷりくぐらせる。しばらくして煙が消えたら、柔らかなシャミ革で石の曇りを丁寧に拭った。仕上げに砂漠で少しずつ拾い集めた石英のさざれを敷き詰めた小皿の上に、つやを取り戻した血色の石をそっと乗せる。
日干しレンガ造の小屋の窓辺に小皿を置くと、白い月が柘榴石を照らした。月光がさざれ石に反射して、キラキラと赤い石を包み込む。するとその光に誘われるかのように、無数の小さな光が辺りを踊り始めた。
「やっぱり、小精霊たちが宿っていたのは、この石だったんだね」
カイが座るほうへと振り向いて、笑顔を向ける。すると驚いたようにこちらを眺めていた彼は、どこか呆然として、口を開いた。
「綺麗だ……」
「見えるの!?」
「ああ、たくさんの光が見える。だが、綺麗と言ったのは……いや、何でもない」
* * *
翌朝。私は作業台の前に座って紐を一本手に取ると、縒り合された繊維を細く割き始めた。そうしてまるで糸のように細い紐を数本作ると、次は板に小さな留め針をいくつも打っていく。留め針のうち何本かに紐を結びつけると、そのまま一心に編み始めた。
「それは、組紐細工を作っているのか……?」
今日は硬い絨毯に横たわったまま、カイが声をかけてきた。その息遣いは荒く傷口は熱を持っているというのに、どうしても女性の寝床を借りる訳にはいかないと言って聞かないのだ。
「そう。今編んでいる文様の主想はね、生命の木っていうの。カイの傷が早く治りますように」
私は優しく微笑むと、編みかけの組紐を見せた。
「傷が……まさか旅の安全だけでなく、そんな効果を与えることもできるのか?」
「そうだよ。組紐細工の文様にはね、それぞれ意味があるの。でも皆その意味を忘れて、ただきれいな模様の飾りだと思っているみたい。でも正しく使えば、精霊様が力を貸してくれるのよ」
私は浄化を終えた赤い石を手に取り、組紐で手際よく周囲を取り巻いた。形を整えてから端を結ぶと、首から下げられるように丈夫な鎖編みの紐に通す。
「できた! どう、綺麗でしょ?」
「ああ。だが君は、なぜそんなことを知っているんだ……?」
「それは……私の母さんは、神殿で精霊様に仕える巫女だったらしいの――」
――母は幼い頃に巫女として見いだされてから、ずっとおつとめに縛られる日々だった。だがそこで下男として働いていた父と出会って、駆け落ちの果てにこの村に流れ着いたのだという。
だが父が井戸を掘る仕事中の事故で、次いで母が貧しさの果てに病をこじらせて、二人ともあっけなく亡くなった。巫女の職務を放棄したから、精霊様のお怒りに触れてしまったのかもしれない。
思い出してしんみりしそうになった私は、慌てて笑みを作った。
「さあ、これを首にかけて。この赤い石、これまで見たことがないぐらい、すごく力のある石だから……あなたの傷も、きっとすぐに治してくれる」
しかしカイは拒絶するように、静かに首を横に振る。
「いや、これは君にあげたものだ」
「この石にはね、あなたのご先祖様たちの想いが宿っているの。あなただけの大事な護りの石だから、ぜったいに手放しちゃダメだよ」
「ははっ、なるほど」
その言葉と共にカイが突然笑顔を見せたので、私はうなだれた。
「やっぱり、信じられないよね……」
「いや、信じるさ。この石が我が家に先祖伝来の宝物だと、よく分かったな。それにあの無数の小さな光たち、俺にも見えた。……信じるよ」
「そっか……ありがとう」
彼は細工を首に掛けると、ゆっくりと目を閉じた。
* * *
あれから六日が経ち、カイの身体はみるみるうちに回復していった。どこか青白かった肌は血色を取り戻し、いつしか痛みに呻くことも無くなっていた。
そしてとうとう、最後の夜――。
「世話になったな。本当に、世話になった……」
彼は私が繕った外套に身を包むと、そう言って深く頭を下げた。
「気にしないで。……お別れだね」
――また、一人に戻ってしまうんだ……。
ここ数日の彼を匿う生活は、とても楽しいものだった。だが私の都合なんかで、立場のあるらしい人を日陰に引き留めるわけにもいかないだろう。彼の外套の背中に描かれている鷹と宝冠の紋章を思い出しながら、私は無理に、明るい笑みを浮かべてみせる。
そのとき――彼は無言で、私の手を取った。驚いて重なる手へと目をやると、染料で黒ずんだ指先が見える。私は顔を真っ赤に染めると、思わず手を引いた。
「ダメ、汚いから、見ないで……!」
だがぐっと手に力が込められて、引き留められたかと思うと――指先に口づけが落ちた。
「何も、汚くなんかない」
そのままさらに手を引かれ、彼の胸へと倒れ込む。思わず彼の顔を見上げると、不意に唇を重なって――見開いたままの私の目から、涙があふれた。
「……俺の名は、シャバーズ族のカイヴァーン。俺と一緒に来ないか?」
そのまま私を抱きしめて、カイは低く経緯を語り始めた。都市国家シャバーズの首長の嫡子である彼は、遠征の途中に異母弟の罠にかかり、ここまで落ち延びて来たのだのだという。そしてあの大きな柘榴石は、シャバーズ族の首長に代々伝わる、当主の証の石だというのだ。
「――だから俺と一緒に来れば、きっと危険なことも多いだろう。気の休まらない夜が続くかもしれない。だが俺は、お前をここに置いて行きたくない!」
嬉しさのあまり首を縦に振ろうとして、私はふと両親の顔を思い出した。
「でも、私は精霊様の罰を受けているから……あなたまで不幸にしてしまう!」
その瞬間、ぶわりとたくさんの光の粒が舞った。
――アリガト……タスケテ、アリガト……
「……君の編んだ組紐細工は、確かに力を持っているのだろう? 俺には……精霊たちはお前を護っているように見える。この村、なぜか盗賊の襲撃に遭わないので有名な場所ではなかったか?」
この厳しい土地では、毎日どこかの砂漠で、街の路地裏で、たくさんの人が息絶えている。村ごと砂に埋もれて消え去ることだって、少なくはない。そんな世界で何も持たない孤児がひとりで生き延びられたのは……加護のおかげだったのだろうか。
「そんな……私てっきり……。気づかなくて、自分の不幸をあなたたちのせいにして、ごめんなさい。あなたたちはずっと、護ってくれてたのに……!」
カイは微笑みながら自らの首元をさぐると、組紐に包まれた美しい赤い石を取り出した。
「この石、俺の先祖たちの魂が宿っているのだったな。君には、その幸せを願う者はいないのか?」
「自分のご先祖さまは、よく知らない。でも……」
小さな光の粒がふたつ、私の頬に寄り添うように飛んだ。
「いっても、いいの……?」
両手のひらを差し出すと、ふたつの光は手の上でくるくると舞って――やがて胸の中へと向かうように、すうっと姿が消えてゆく。それを笑顔で見送ると、私は顔を上げた。
「わたし、やっぱりこれからもカイと一緒にいたい。どうか、連れて行って……!」
この先に、どんな困難が待っているかは分からない。
でもあの光を見た今なら、どこまでも行ける気がした――。
◆ ◆ ◆
数年後。スーリは精霊の愛し子と呼ばれるようになっておりました。その加護をもって恋人を助け、首長の座を取り戻したのだといいます。
こうしてシャバーズ族の首長妃となったスーリのもとに、ある日、この近隣で一番と言われている大商人が現れました。それは幼いスーリから手持ちの組紐細工を全て買い、金貨をくれたあの旅商人でした。
スーリが大変だったころにもらった施しに対するお礼を言うと、商人は慌てたように言いました。
「おそれながらお妃さま、それは違います! 私めは何も、ほどこしたつもりはございません。ただあの組紐細工に価値を感じたゆえに、買い取ったまでにございます!」
「まあ、気遣ってくれてありがとう」
「いいえ、本当に違うのです。私めは品物の目利きには自信がございます。そしてその目利が正しかったことは、この私めの現在が証明しておりましょう!」
かの商人の旅路は、とても順調なものでした。やがて彼は幸運にも船を手に入れ、大陸を出て広く商売を始めました。その道ゆきも順調で、この幸運は、きっとあの組紐細工のおかげに違いない――そう考えた商人は、礼を言おうとあの時の村を訪ねました。だが村はすっかり寂れて、少女の姿もなくなってしまっていたのです。
「かの少女も盗賊に殺されてしまったのだろうかと悲しんでいたところに、お妃さまが作られたという組紐細工の評判を聞きました。もしやと思い、拝謁を願った次第にございます」
「あの村が寂れて……? 盗賊とは、あの村に何かあったのですか!?」
スーリが去り、精霊の加護がなくなった村は、間もなく盗賊の襲撃を受けました。実は盗賊たちは、以前から財を蓄えているらしき村を狙っていたのです。しかし行こうとするたび不吉なことが起こって、襲うことができないでいたのでした。
「そんな、村の人々は無事だったのですか!?」
「それは、私の方からお話をさせてくださいませ」
商人が連れていた従者の顔を見て、スーリは驚きました。彼はかつてゾヤおばさんの店で下働きをしていた少年だったのです。
「村の者のほとんどは、すぐに逃げ出して無事でした。しかし……」
『来るなっ、これは全部あたしのモンだっ!』
ゾヤおばさんは貯め込んだ財宝を惜しむあまり、大きな荷物を持って行こうと必死にかき集めました。そうしているうちに、ついに盗賊たちが店に踏み込んで……ゾヤおばさんは重たい財宝を抱いたまま、その背には曲刀が振り下ろされました。
それを見た少年は持たされていた荷物を放り出し、命からがら逃げました。それでも荷物を手放さなかったサミラは、財宝と共に拐われてしまったのか……それ以来、誰も姿を見た者はいないといいます。
――その後。スーリの願いで、かの村の再建が行われました。村人たちに広く組紐細工の技を伝え、多様な文様が家々の軒先を飾るようになり――こうしてかの村は、再び砂漠を渡る人々の安らぎの場所となったのです。
おしまい
最後までお読みいただきありがとうございました。
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この短編のその後の世界を舞台にした長編も書いております。
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