1話 初恋
「行ってきます」
朝日が差し込む中、僕――望月千颯はリュックサックを背負い、玄関の扉を開けながら部屋の中に声をかける。けれど、返ってきたのは静寂だけだった。
当然だ。この部屋に住んでいるのは僕だけなのだから。しかし、挨拶はきちんとしなければならないと思っているため、誰もいなくても僕はいつも声をかけている。
僕は静寂に蓋をするようにそっと扉を閉め、アパートの階段を降りた。
楓や夏蔦の色付きを楽しみながら15分程歩くと、最寄りの駅に到着した。券売機で切符を購入し、改札口を通ってプラットホームに降りる。
目線を上げて電光掲示板を確認すると、どうやら次の列車の発車時刻は25分後だということが分かる。
一本前の列車は出発したばかりなのだろうか、一直線に伸びた線路の先に車体の影が見えた。それ故か、ホームには殆ど人がいない。
暇を持て余した僕は、列車と彼を待つために、ベンチに腰掛ける。そして、ズボンのポケットから徐にスマートフォンを取り出して起動した。
すると、画面に映し出されていたのは。
『ごめん、駅に着くのギリギリになるかめ』
文章の最後を入力ミスしてしまうほどに焦っている、彼からのメッセージだった。
恐らく「ギリギリになるかも」と入力したかったのだろう。僕は連絡アプリを開いて返信する。
『分かったかめ、気をつけて来るかめよ』
『煽っとんか?』
『煽ってないかめ』
『着いたら覚えとけや』
おぉ、怖い怖い。
とりあえず彼の到着がギリギリになる事は把握できた。僕は連絡アプリからゲームアプリに切り替えて暇潰しを始めた。
★―★ ―★
あれから20分ほど経っただろうか。彼は未だ到着していない。あと5分で列車が到着するというのに、間に合うのだろうか。
僕は少し彼の事が心配になった――その瞬間だった。突然、背後から首をガシッと掴まれた。走って来たのだろうか、荒い息づかいが聞こえる。
すると。
「覚えとけって言うたもんなー、千颯」
ソイツは明るく、されど低い声で僕の名前を呼んだ。
僕は慌てることなく首元の拘束を払い退け、ソイツの方を振り返る。
「ギリギリだぞお前」
「わりぃ、いろいろ準備してたんや」
そう言って、首から一眼レフをかけた丸メガネのソイツ――目黒佑介は両手を合わせて頭を下げた。
彼の背中のバッグには「準備してた」ものだろうか、何かの機材がはみ出ていた。
「なんで昨日の内に準備しなかったんだよ……」
「いやぁそれがな、昨日の内に準備は終わらせてたんやで。けどな、今日になって持っていく一眼レフと三脚を変えようと思ってしもうたんや。そしたら迷ってしもうて、気づいたらギリギリの時間になったっちゅー話や」
「バカだろ」
僕が佑介にツッコむと、佑介は神妙な面持ちになった。
「いーや、千颯も乗り鉄から撮り鉄になってみろ。この気持ちが分かると思うけん」
「分かろうとも思わないね。いいか? 列車もその景色も時の流れに乗って動いているからこそ美しいのであって、態々それを写真に収めるのは……」
「あぁもう! お前の思想はいつも強すぎんねん!」
僕の美意識は即座に否定されてしまった。
会話の流れの通り、僕らは鉄道オタク――所謂「鉄オタ」である。そして、佑介とは鉄オタという趣味を通じて仲良くなった、高校時代からの親友である。
ただし、一括りに鉄オタといっても実態は様々で、例えば僕のようにあらゆる鉄道を乗りつぶすのが趣味の「乗り鉄」や、佑介のように鉄道の撮影をするのが趣味の「撮り鉄」などがいる。
それでも、鉄道が好きということには変わりないので、僕たちは休日に集まっては、各地を巡って思い思いのことをしている。
そういう流れの一環で、今日はまだ行ったことのない無人駅に行ってみようという話だったのだ。
そんな感じで僕たちがバカな会話をしていると、列車が到着する案内が流れた。佑介が到着してからたったの3分である。
気がつくと、ホームで並ぶ人もそこそこ増えている。僕たちは彼らの後ろに並び、到着した列車に乗り込んだ。
★―★―★
列車に揺られること20分、乗り換えてさらに揺られること50分、僕らはようやくその目的地に到着した。車内には殆ど人が居らず、どうやらこの車両から降りるのは僕たちだけらしい。
列車を降りて辺りを見渡すと、そこには。
「……やべぇな」
「……あぁ」
思わず感嘆の声を漏らしてしまうほど、秋色に染まった美しい山々が広がっていた。
少しの間、僕たちは心を奪われて立ち尽くした――。
「……こりゃあ、いい作品が撮れるで!」
佑介は興奮しながらホームの端に移動し、バッグから機材を取り出して組み立て始める。
「相変わらず速いなアイツ……」
僕は佑介の行動の速さに、思わず舌を巻いた。
一方の僕は既に「乗り鉄」を満喫してしまったため、手持ち無沙汰になってしまった。
――しょうがない、この周りでも探索してみるか。
そう思って、一旦駅を離れることを、佑介に伝えに行こうとした。――その時だった。
「……キレイ」
後ろの方から女性の声がした。
――他にもこの駅に降りた人がいたのか。
僕は気になって後ろを振り返り、その人を見た。そこには、肌が少し日焼けしていて、黒髪のショートヘアで、大きなバックパックを背負った同い年ぐらいの少女が、凛とした佇まいで景色を見つめていた。
やがて僕の視線に気づいたのだろうか、彼女がこちらに目を向けた。その瞬間、僕は先程の絶景を忘れてしまうほど、一瞬にして心を奪われた。
僕は、生まれて初めて女性に――このバックパッカー少女に恋をしたのだった。
お読みいただきありがとうございました。
それでは、次回もまたよろしくお願いします(→ω←)




