九十 〜姉弟〜
「またこれよ……」
堪えきれない感情が溢れて喚きたくなる。
今日はドキドキ、わちゃわちゃ、イライラしたりでジェットコースターすぎるんですけど。
ああ、もう。落ち着かない。
深呼吸。その場で【足撃】を放つ。こんなにも心が乱れているのに相変わらずのキレ。空気を割る音が気持ちいい。
「はぁ……」
ちょっとスッキリしたけどまだモヤッとする。
八尋、また笑ってた。でもあれは諦めて笑ってたようには思えないから、お仕置きは保留かな……。
かめかめは次があるからみたいなこと言って、あんなこと……ともかく戻る方法を考えないと。
白い石を握る手に力が入る。
「……姉ちゃん?」
——春樹の声だ。
「春樹っ! もう色々ありすぎてお姉ちゃん限界っ! だって八尋がまた……あれ? アンタ本当に春樹?」
振り返って春樹を見ると雰囲気とか、存在感が明らかに変わってる。
……一日、二日でここまで変わる? それに、いくらわたしがキレて注意散漫だったといっても、気配すら捉えられずに背後を取られる?
「そうだよ。姉ちゃんの弟。さっき最終試験に合格して帰ってきた。びっくりしたよ、母さんは倒れてるし、そこらじゅう散らかってるし。ああ、母さんはまだ起きてこないから家に一旦運んだ。桜花さんが今は見てるよ」
「合格したのね。おめでとう。それで師匠の具合は? それに婆娑羅と周防は居なかったっ?」
「ありがとう。オレがきた時にはもうこの状態で母さん以外は誰も。母さんも血はついてたけど傷はもう塞がってた。でも術が掛かってるみたいで起きてこない」
「……八尋がいればすぐなんだけど、あっちにいるし。婆娑羅や周防、鈴菜の事も気になる。もしかして、あの光球に飲みこまれた……?」
「あっちにいる? 姉ちゃん、一体どうなってんの?」
「それは……」
春樹にさっきまでの出来事を説明する。
周防のこと、アラドと水嶋とアクアの関係。そしてわたしと八尋のこと。わたしも訳がわからない事だらけで断片的だから意味が通じるか不安だけど。
「——わたしが知ったのはこんなところ」
なんとか説明できた。
「あー、そうきたかー」
「そうきた? 春樹分かるの?」
「まあ、全部じゃないけどアラドだとかのことは分かってる」
「どういうことよ」
「うーん……、上手く説明する自信がないなぁ」
「……とにかく一回話してよ」
「じゃあまずは俺の——」
……春樹の話しとわたしが見たもの、お互い持ってた情報を合わせていく。
前世から続く因縁とか、よく分からない周防の目的とか、全体をちゃんと把握出来たわけじゃないけど、わたしがやるべき事は見えてきた。
「……やってやろうじゃないの」
「なんか、すんなり受け入れたな」
「考えても理解が追いつかないから放り投げただけともいえるけどね。前世がどうだこうだより今どうするかよ。それに春樹がわたしの家族なのは、何も変わりはないから」
「俺も同じだよ姉ちゃん」
春樹が突き出してきた拳に自分の拳をぶつける。良し、なんか上手くいけそうな気がしてきた。
「アレにまともに勝つ事を考えても無駄なのがはっきりしたし、対処というか解決策が思いつけたの。段取り説明するから聞いて」
落ちてた小枝を使って地面に絵を描き始める。
「こうして、こう。で、たぶんこうなる」
地面に描き殴ったアラドをどうにかする作戦は我ながら良く出来ていると思う。……上手くいけばだけど。
「ほぼ賭けみたいなもんだな……まあ、何というか姉ちゃんらしいというか」
「上手くいくか確認したいから、春樹の力を一回見せてくれる?」
「分かった」
春樹が手のひらを前に突き出して空中を睨みつける。手を握り込むと、わたしたちの前の何もない空間が引きちぎられるように歪みだした。
バキンっと乾いた音がすると黒い渦が春樹の拳の前に出現する。
「月に作られた異界。姉ちゃんがこっちに戻された道。それを捉えて開いた」
「すごいわね……」
「明後日にはもう出来ない期間限定だけど」
「この穴を大きくしたり小さくしたりは自由自在なのよね?」
「結構消耗する感覚があるからあんまり馬鹿デカいサイズにするとかは厳しいだろうけど、こんな程度なら」
春樹は黒い渦を小さくしたり大きなサイズにして広げてみせた。
「閉じちゃうことも出来るのよね?」
「出来るよ。完全に閉じるともう開けない。アラドでもそれは無理」
——これならいける。考えたことが実現できる。
「……いくわよ」
「分かった」
「そういえば桜花に言わなくていいの?」
「なんか、死亡フラグみたいで嫌だからこのままいくよ。それに急がないとだろ?」
春樹はそう言って人が通れるサイズにまで穴を広げると躊躇いなく入っていった。
わたしもそれに続く。
春樹が開けた道を通る。視界のない中を踏み出すと、一瞬の浮遊感のあと景色が広がった。
大きめの岩が点在する場所、さっきとは少しズレてる。
ちょうど岩の先に八尋達の気配。
「裏切り者どもめっ! 忠誠を破り、我を帰す約束も反故にしおって!」
怒り狂ったアラドの声が聞こえてくる。岩陰から春樹と二人で顔を出して様子を確認。
水嶋は触られないようにアラドの周りでチクチク攻撃してるっぽい。ヒットアンドアウェイを徹底してる。
八尋は自分の周りに青黒い雷撃を纏った独鈷を浮かせ、それをアラドの触手にぶつけてる。
ダメージは与えられていない、なんとか牽制が精一杯というところね。
二人ともボロボロで血塗れだけど、ひとまず間に合って安心。
「さて春樹」
「姉ちゃん。……あんなのと闘うの、嫌なんだけど」
春樹は眉をへの字に曲げて訴えてきた。
「何をいまさら。さっきまでやる気だったじゃん」
「想定外というか、強すぎじゃないかあれ。それに姉ちゃんとそっくりなのに目が黒くて触手が生えてて……」
「じゃあ、春樹頑張って! 作戦通りに時間稼いできてちょうだいっ!」
現物を見て尻込みしだした春樹の尻を勢い良く蹴って気合いを入れる。
「痛ぇっ! 分かったよっ!」
弾かれたようにアラドに向かっていく春樹。【転】も随分上手くなったわね。
じゃあこっちでやれることを始めようかな。
えーと、まずは八尋と合流して作戦の説明ね——と、思ったらアラドの触手に吹っ飛ばされて、ちょうどわたしの前に滑り込んできた。
水嶋はもうこっちに気付いてるから、声をかけたら来てくれそう。
「おーい。水嶋もこっちきてー」
わたしが声をかけたタイミングで現場に到着した春樹がアラドに向かって飛び蹴りを敢行。選手交代の隙が出来て水嶋がこっちに戻ってくる。
よし、八尋に説明……あれ? 息して無くない?
しゃがみ込んで意識と呼吸をチェック。
「八尋さーん、生きてるー?」
応答なし。呼吸もなし。……ちょっと焦る。
「死んでる場合じゃないわよー」
心臓動けーと念じつつ、掌底をこんぐらいの角度で胸骨へ、おりゃっ。
「がはっぁっ!」
血を噴き出しながら蘇生完了。ふぅ焦らせないでよ、ほんと。はい、ハンカチどうぞ。
「良子さんっ?! まさか本当に?!」
八尋は起き上がるといきなり詰め寄ってきた。
ん? いま、まさか本当に? とか言った? もしかして、自己犠牲だけで終わらせるつもりだったの? ふーん。
わたしなら何か打開策があると思って信じて逃してくれたんじゃないの?
そうじゃないならぁ、言いたいことがぁ、いっぱいあるんですけどぉ?
「あっ、いえ、そのっ、……申し訳ありません。ですからその圧を少し下げて頂けると……」
険しい顔つきだった八尋は、わたしの顔を見ると吃った。
……後でゆっくり話すから。逃げないでよね。
「我が君っ!」
水嶋が戻ってきた。
手札も揃ったし、じゃぁ始めましょうか。
「八尋。思いついたことがあるから、あれ呼んで、あれ。名前分かんないけど、天秤みたいなやつ」
「……思いついたこと?」
「春樹がアラドを抑えてる間にしか出来ないから早く」
アラドと闘う春樹がいる方向を指差す。
『貴様ぁぁっ! アルベドかぁぁぁっ! ここでも邪魔をぉっ!』
怪獣が暴れているような爆音が響き、巨大な土煙があがるたび瓦礫がそこらに飛びちる光景が広がっている。
「……わかりました。……天秤」
「せっかくアラドが見逃してくれたのに、呼ぶなよ稔麿ぉ……げぇっ」
八尋の呼びかけで、気配も無くノータイムで出てきたのは宙に浮かぶ金属の天秤。
げぇっとか言ってるし逃げられると困るから秤の真ん中をがっちり鷲掴みー。
「わたしのお願い聞いてくれるかな?」
「な、な、な、なな、んじゃぁっ! おまっ、器のほうかっ! い、い、いやじゃぞ! これ以上アラドに逆らうと儂、消されるぅ」
ふーん。そう言う事いうんだぁ。
「おっ、が、かっ、いかんっ! それ以上力を、入れると、儂がひしゃげるぅ!」
「お願い聞いてくれたら、すぐ帰っていいから。それとも今ガラクタになってみる?」
「分かった! 分かったから離してくれぇ」
良し。最初からそう言えばいいのよ。
「アラドより無茶苦茶じゃぁ……」
「さてと、じゃあこれ」
天秤がぶつくさなんか言ってるけど、とりあえず無視して、取り出しますはユニコーンペン。
「創世の神器じゃねぇかぁ……」
「そんな名前なのこれ? まあいいや、聞いて。これでアラドの元いた世界への道を開ける。でもこれ、反動が凄いから使うなって言われたのよね。だからそれを抑える術を作って。アラドの記憶で見たから知ってるの。出来るでしょ」
「出来る……だが何を対価に捧げるぅ。半端なもんでは無理だぞぉ」
「これよ」
自分の眼を指でさす。きっとこれなら釣り合う。




