八十九 〜合格〜
春樹視点
「はるきっ! ……はるきっ!」
子供の声……俺の名前を呼んでいる。聞いた事がある声。
……まて、さっきまで吉成様に首を絞められて死にそうになってた筈だ。
真っ黒な視界からまぶたを開いて飛び込んできたのは泣き叫ぶ女の子の姿、姉ちゃんに似てるというか……姉ちゃんだな。
身体は動かない、体勢は仰向け。首を少し回すぐらいは出来そうだけど。
見覚えのない森の中、姉ちゃんの外見は五歳ぐらいか? これって……覚えてないけど、まさかあの事故の記憶?
『そうだ、お前たち家族を襲った飛行機事故、二人は奇跡的に助かりはしたが、お前は頭を打ち出血して危険な状態だ』
悪人面の俺が覗き込んでくる。そうだ、意識が無くなる直前に出てきて、記憶をどうとか言ってたな……どうしてこの記憶なんだ?
『色々と説明するのに分かりやすいところを選んだ。事故の衝撃で俺が表に出てきていて、その時の記憶だ』
「はるきっ! ……だめ、目をあけてっ!」
焦った声を出しながら、俺の顔に手を添える姉ちゃん。
大丈夫だよ、聞いた話しだと確かこの後、母さんがきて助けてくれ……姉ちゃん?!
「いやだ……いやだ、いやだ、いやだ、いやだっ!!」
なあ……俺。これはほんとうにあった記憶なのか? 何なんだこれ。何で姉ちゃんの顔に模様が浮き出てんだよ。
『追放された神、アラド。俺がいた世界の創世神。その現界用活動体がお前の姉だ』
……すまん。ついてけない。突然、何? アラド?
『……まあ、聞け。アラドは元の世界から追いやられ、この地球のある世界にやってきた」
こっちの困惑は無視して続ける感じだなこれ。まあ、覚えろって言ってたし、ひとまず聞こうか。
『最初は良かった。この世界にはアラド以上の神格がいなかったからな。まとめ役、神の王として歓迎されたんだ。だが千年前に月に封じられた』
随分な手のひら返しだな。理由はなんだ?
『元の世界に帰ろうとした。だがアラドが突然居なくなればバランスが崩れる。だから罠に嵌め、月の異界に封じた』
さっき言ってた現界用活動体ってどういう意味か詳しく聞いても? 姉ちゃんがどうとか。
『アラドは元々、現界をするために自分の因子を地球にばら撒いている。おおよそ五百年周期で因子は結実しアラドは現界していたんだ』
確か他の神格が現界する時も似たような感じだったよな。適合する因子を持つ人間に同化するとか何とか。
アラドは月に封じられているけどそれは続いていて……ということか。
『そうだ、今回、アラドは入っていないがな』
何となく理解が進んだ——
「ゆるさないっ! こんなこと、わたし、ゆるさないっ!」
おいおいおい! 姉ちゃんがヤベェ! ドス黒いオーラみたいなの纏いだしたぞっ!
『気にするな。どうせ後で俺が何とかする。続きだ。アラドがこの世界に来たのは偶然じゃない。呼ばれたんだ』
いやいや気にするって、とんでもないことになってる……分かった聞くよ。誰が呼んだんだ?
『お前らが周防と呼ぶ男、その元となった一族にな』
周防? 元になった? なんか変な言い方だな。
『人類を次の場所へ導く使命を帯びた一族と覚えておけばいい。奴らは創世神が去り停滞したこの星の人類を成長させるため、彷徨うアラドを招いた。そして帰ろうとすれば縛りつけた。今はどうしようとしているのかは見えないが』
「いやよ、いやっ! なんでなのっ! あぁぁぁぁぁぁぁっ!」
おい、本当に大丈夫なのこれ。姉ちゃんの背中から触手みたいなの生えてきたんだが。
『感情が昂り目に宿した王典の反応が進んだ。まあ、みてろ。そろそろだ』
王典て何だよ、あと、そろそろって——うわっ! 俺の身体が起き上がった! 血まみれの乳児が立ち上がった絵面が怖すぎるっ!
『表に出てきたオレが動かした。王典は神を統べる資格みたいなもんだ。それとこの時、正確に言うとお前は一度死んでいる。俺が生き返らせた』
説明ありがとう……そうか、いや、受け止めきれないな。何それ? 一回死んだの俺? えっ、えっ、えっ? 死んだ?
『うるさいなまったく。嫁と毎日やることやって、いまは無事なんだからどうでもいいだろうが』
お……おう。まあそうなんだけど。驚くだろ一回死んだとか言われたら。
『見ろ。王典が解放されアラドに捕捉される前に分身の繋がりを完全に断つぞ』
俺が小さな手を伸ばす。姉ちゃんは……おい、ちょっと目を離した隙に頭から角まで追加されてんぞ。
「ぎゃぁああああっぅっっああーー!!」
俺の手のひらからでた幾何学模様は蛇を象り全身を縛るように姉ちゃんに巻きつく。
『ここで力を使い、俺は深く眠りにつく。お前がこの間死にかけるまで眠る深さだ』
小さな身体から血が噴き出す。全身至る所が血塗れだ。
『打った頭もそうだが力の反動で傷ついた場所も治しながら、アラドの現界体も殺さずに繋がりを断ち、今日の記憶も消す。壊すより殺すより余程厄介で難しい』
悲鳴が止むと姉ちゃんの背中から生えた触手と頭の角は、ぼとりと地面に落ち灰のように散っていく。
幾何学模様が縛りを解くと姉ちゃんは意識を失いその場に倒れこんだ。
『ここまでは理解したか?』
……何となくだけど。でも、どうして助けた?
『あれを放置したままだと俺は静かに眠れないからな。まあ他にも色々理由はあるが』
景色が色褪せ黒く染まっていく。
記憶の確認は終わりということか。
……いまいち理解できてないけど。
『これで一度はアラドとの繋がりが切れた。成長し神滅の気も覚えて、取り込まれにくくもなった。だが最近になってアラドの眷属と契約をして無駄になったが』
眷属?
『星喰らい、こちらでは東王か。それと御霊と呼ばれる精霊』
えっ。水嶋さん? ちょっと待って。もう一杯で入ってこない。
『……それとオレはアラドの弟だ。予備、アラドのスペアとでもいう神格だな』
容赦のない追撃情報だな……。もうなにがなんだがよく分からん。
ん? ……分からないなりに気になったんだが、俺の中にいるなら、流転の気に晒されて大丈夫なのか? 神格なんだろ?
『権能を行使しなければ問題ない。使った場合反発しあって中身がズタボロになり寿命が縮まる。言っただろ試すなって。まあそれも問題無くなるがな』
問題ない? ……お前。どうするつもりだ。
『何度滅びても同じ役割、続く記憶、俺は疲れたし、飽きた。ならばせめて深く眠っていたいんだよ。今回は二度と目覚めないようにお前の一部になる。安心しろお前はお前のままだ』
いつのまにか柔和になった表情で俺は俺にそう言った。
このまま消える気だ……多分もう出てこないぞこの感じ。他に聞いておくこと……あっ、そうだ。ステータスの最後、あれ何だ? 本当の愛とかなんとか。
『俺を産み出した存在からの小言だよ。それがあれば飽きたりしないだろうって勝手な押し付けだ。まあそれはお前が見つけたから任務達成でいいだろ。じゃあ俺はもう眠る。そろそろ完成する』
完成? 何がだよ。あっ——この感覚。
『よし完成だ。お前が直感的に使えるようにしておいたから上手くやればアラドに対抗出来る。あと、今回は寿命の心配が無いように色々と細かい調整を入れている。使用期間も限定だ。数日で力は消えて無くなるからな』
アラドに対抗? 吉成様じゃなくてか?
『これ以上知ると俺とお前の境界がボヤけて、裏返りかねない。それじゃ眠れねぇ。なに、目を開ければじきに分かる。じゃあな』
そう言って俺の肩をぽんっと叩くと、もう一人の俺は一瞬で消えてしまった。
そして俺を覆う黒い空間に小さな亀裂が走り始める。その様子を眺めていると今度は首に痛みが。
——五体の感覚が戻った。閉じていた目を開く。
「気の質が変化したな」
吉成様は片眉を上げ少しばかり驚いているようだ。
俺の首を鷲掴みにする手に向けて貫手を放つ。
「む、鋭さまで変化を」
手応えはないが首から手を外させることには成功。吉成様は俺の突然の変化を警戒し、距離を取った。
……目に入ってくる情報に酔いそうだ。そこかしこに幾何学模様の蛇やら紐やら縄が無数に浮いている。
【灰燼】と戦った時と同じだ。
そして、直感的に使えるという意味が分かった……。前は説明されないとそれぞれの模様のもつ役割や意味など分からなかったが、今は見ると分かる。
しかも……こうすれば。
その場で【足撃】を放つ。吉成様に向けてじゃない。吉成様の右手に繋がり俺の前を漂う縞模様の紐目掛けてだ。
「ぬぐぁっ!?」
打撃が紐を伝い届く。弾かれたように吉成様の右手跳ね上がる。
これが見えてない相手からしたら何が起こっているかまったく分からないだろうな。
「これは神滅とは違う力、まるで神格、しかも上位の……」
吉成様の右手首から先がボロボロと炭化したように崩れていく。
炭化は侵食するように手首から先へのびそうだが——
「ぬうっんん! ……合格だ」
吉成様の気合いと共に侵食は止まり、肉が手首を覆い再び拳を形作る。
「合格……これで終わりですか?」
「そうだ。ギリギリまで追い込んでの力も見れた、求めていたものとは違うが」
「最初に話していた事ですね」
窪みから茶々様と桜花さんが出てこちらへ歩いてきている。本当に終わりのようだ。
「儂は探しておる。神と人が交わる事で生まれる新たな力を」
「神と人が交わる……俺の力のことでは?」
「似ているが違う。混ざっておらぬ。極限まで繋ぎ目が分からないが確かに切り替えているな」
言われてみれば、確かにそうだ。前は混ぜていた感覚があったのに今は同時に使っている感覚が無い。……たぶん寿命を縮めない為だろうな。
「終わりだ。また次代に期待するとしよう」
吉成様はまた姿勢を変えず滑るような動きで中央に戻った。
「済まんな」
茶々様に向かって手を向け呟くと吉成様の姿は透けて消えていく。
「諦めんやつじゃ。アレが満足せんと吉成の魂も輪廻しきれんのに。全くいつまでかかるやら」
顔をしかめながらも茶々様はどこか嬉しそうだ。待つ事を楽しんでいる様子に見える。
「春樹くん、帰ろう」
「……桜花さん待たせてごめん」
「いいの」
桜花さんの手を取り来た道を戻る。
……そうか、この場所。見えるようになった今なら分かるが、外界を遮断する結界で囲まれてるな。
ちょうど来た道の先、光が差し込む入口から幾何学模様の密度が違う……!
「どうしたのっ! 春樹くんっ!」
桜花さんの手を離し走りだす。何だよあれっ、入口の先に見えたものが信じられない。あんなサイズの模様……!
「何を焦っておるんじゃ」
追いついてきた二人には見えていない……それはそうなんだが、くそっ、なんて言えばいい。
今も信じられないぐらい大きな幾何学模様が、龍の形をとって俺の横を通り過ぎていった……これは家の方向だぞ?!
「ちょっとごめん」
「何を……!」
「きゃっ!」
二人を両肩に抱えて担ぐ。足元に流れてきた紐を軽く踏みつけると大きくうねる。
……よし。ちょうど良いのがあった。
「少し飛ぶ」
この紐は力を反発させる性質がある。だから思いっきり震脚を撃てば。
「なんのこと——」
反発で一気に空中へ射出。
返ってくる力の方向と受ける足の向きを合わせればこんな事もできる。
二人が驚いても暴れずにいてくれて助かるな。この速さなら家までニ十秒かからない。
しかし、あのサイズのやつ……何百どころか千は超えて俺の家に集まってやがる。
猛スピードで空中を進みながら、はっきりと見えてきた我が家の近くの光景に、より焦りを覚える。
マジで何があった?
とにかくもう着く。そこで確認するしかない。【空転】を連発、空を踏み、速度を低下させ荒々しく着地。
模様は裏手に集まってやがるな……みんなの気配はない……いや、あそこに倒れているのは。
「母さんっ!」
二人を肩から降ろし、倒れている母さんにかけよる。
呼吸は……大丈夫だ。服に血はついているけど血は止まってる。これならすぐ目覚めるはずなのにおかしいな。
「春樹よっ! ちゃんと説明してからにせんか舌をかむとこ——綺羅ではないかっ! しかも封印まで解けとるっ!」
「眠っているようです。取りあえず移動させましょう」
母さんを持ち上げ家に移動、縁側からすぐの居間に横たわらせる。
母さんの出血していた箇所に小さな文字の集合体が見える。それからは細い管が伸びて体内に刺さっているようだ。
これを壊すのは簡単だが、繊細すぎて俺が触るとガラスのように割れ、体内を傷つけてしまいそうだ。茶々様も色々と確認しているようだし聞いてみよう。
「茶々様何か分かりましたか?」
「眠らせる術が掛かっておるようだが、詳しいことは分からん。無理矢理はよくなさそうじゃ」
「春樹くん、お布団持ってきたしここに敷くよ」
「桜花さんありがとう」
桜花さんが用意してくれた布団に母さんを寝かせる。
こういう術に詳しい人物を当たるしかないか。
……ふと、開け放った居間から縁側、その先、裏手の空き地に目がいく。
幾何学模様が折り重なり形づくられた龍たちがいまも集まり続け巨大な黒い球になっている。
——! 何だこの音。
ブチブチと何かを引きちぎるような、気持ち悪い音が耳に届いてくる。
「……音がしませんか?」
「えっ?」
「何がじゃ?」
二人に聞いてみてもキョトンとされた。俺だけに聞こえている——! つまりは幾何学模様が放つ音だ。
「またっ! どこいくんじゃっ!」
「春樹くん?!」
「そこで待ってて下さいっ!」
裏手に走る。何があるか分からない、念のため気配を消して隠れながら観察しよう。
草むらがある場所に身を潜める、ブチブチと何かが裂けるような音はやはり黒玉から放たれている。
よく見ると、玉の中央部に切れ目が……一気に広がった!
中から何か出てきた……。
人型、というか人だな。
メイド服を着ている。
良く知ってる人が出てきたな……。
マジでどうなってんだ。




