八十七 〜因果〜
良子視点
「しかしこれは、完璧な器だ。こうまで見事に証を宿して」
アラドが笑顔を作り閉じられていた目が開く。黒一色の、瞳孔も白目もなくただただ黒い眼がわたしの眼を見つめてくる。
……顔が同じで目が真っ黒だと違和感すごくて、逆に落ち着けたんだけど。
さっきまで、なんで、どうして、どうしようで頭をグルグルさせてのがアホらしい。
だよね。似てるからってそもそも焦る必要ないし。考え込むなんてらしくないわね。もう考えるのやーめた。
身体の痛みは続いているけど何とか動くことはできそう。訳のわからないことばかりでいい加減腹立つから、とりあえず殴ってうさ晴らししたい。
それに、こっちに興味を引いて水嶋が回復する時間を稼がないと。
「降ろしなさいよっ!」
正拳をアラドに向けるけど、防御も取らないっ?! 舐めてるわね、後悔しても知らない……と、思ったらアラドに当たる直前に拳が何かに止められる。ゴムを叩いたような手応え。
「素手で殴ると拳が痛む。我の身体を労われよ?」
だからその顔でニヤニヤすんな。誰が我の身体よ。
片脚持たれて宙吊り、腰も入らない手打ちだけど、とりあえず連撃でこのゴム壁ぶち抜けないかチャレンジねっ!
「おりゃあっ!」
「……肉体も常人を遥かに超えて、本当に素晴らしい」
何発叩き込んでも十センチ手前ぐらいで全部止まるっ。……アクアを纏わないと全然ムリめかも。
うげっ! 触手が顔に張り付いてきたっ! めっちゃキモい……痛っ! めっちゃ痛いし! これちょっとめっちゃ痛いっ! 頭の中が掻き回されるようなっ……。
「龍樹っ!」
痛みでジタバタしてると、八尋の声と大気が震えるような音が聞こえて……身体に浮遊感。触手が顔から剥がれて痛みがマシになった。
八尋が何かして助けてくれた? ……とりあえずこのままだと頭から落ちる、何とか身体をひねって肩口から落下。
すぐさま首を上げてアラドの方向を確認——
「——がっっ!」
八尋からうめき声。
「稔麿ぉ、本当に冷たくなって悲しいぞ。あれほど求めおうたのに。今は龍まで使って噛みつこうと……そんなに器が大事か?」
「八尋っ!」
アラドの腰から伸びた触手が八尋の肩を貫いている。……早く助けないとっ!
「ん? 何を物欲しそうな顔をしておる。やらんぞ稔麿は我のものじゃ」
触手が蠢いて八尋はアラドの前に掲げられた。そこからわたしを挑発するように八尋に頬ずりするアラド。
どうしようめっちゃくちゃムカつく。汚いから触らないで欲しい。
「キモいっ!」
気持ちが口から溢れちゃった。
とりあえず早く離れなさいよ。
【転】で潜り込むように一足の間合い。防御のことは考えない……気を全部貫手に回して刺すっ——
「我の身体が痛む。大人しくしとれ」
ゴムの壁を貫く感触——と思ったら、いつのまにか指二本でわたしの貫手を挟んで止めたっ!? 固定されたみたいに動かないっ?! どうやってんのよっ!
アラドの手がわたしに延びてくる……。
「あぐぅっ」
やばっ! 頭がっ、ががっ、がっ、掴まれて、またあの痛みがっがっ!
「眷属も証も返してもらう」
だめっ、ち、ちからがっはいら——視界が黒く染まって……。
『——我をここから弾き出せば待っているのは緩やかな破滅』
……えっ? なにこれ。ここどこ?
さっきまで激痛に悶えてはずなのに、見たことがない場所に立ってる。夕焼けの地平線。高台というか丘の上かな?
視界に入ってきた足もとの石畳はアラドが出てきた遺跡に似てる……。
『おお我らが神よ、破壊と再生の神よ!我らを愛し自由を奪う神よ! 私たちは自らの手で突き進むのだっ!』
下の方から聞こえてくる合唱のような大音声は聞いたことのない言葉の羅列。だけどわたしにはその意味がなぜか分かる。
『ア・ラド。お前が作ったこの世界はもうこの人達のものだ』
背後から声……ちょい待ち。何で春樹の声なわけ?
『ア・ルベド……』
『もう神としてあらずとも良くなった。そう考えてくれ姉上』
振り返り——終わる前に景色が歪んでいく。また、真っ暗。水の中に沈んで行くように下方向へ身体が落ちていく感覚。
これ、たぶんアラドの記憶が流れ込んできてる。いや、流し込まれてるっていう感じ? わたしから喋ったりとか出来なくて一方的に見せられてる。
……それはそうと、さっきの春樹の声に似てたというか気配が。
あっ、今度は反時計回りの渦巻きが目の前に出てきて……現れた景色は日本家屋? これなんだっけ、ナントカ造り、平安時代とかの建物……あー、思い出せないからとりあえずいいや。
なんか畳に座ってるわね。これ。
『姫が居られた世とはどんなところでしたか』
——八尋っ! 八尋の声だっ!
『稔麿。我を姫などと……配下に聞かれたら引きちぎられるぞ』
背後の声に振り返って——ぶっはっ! ちょっとなにそれコスプレじゃん、掛け軸の人が着てる服じゃん! 八尋なにやってんの?
……ん? わたしはえらく重ね着してるわね。そういや今、姫とかいってた? それに稔麿? 八尋でしょ?
『帰りたいですか?』
『帰る? それはそうだな。みずから創り上げた世だ。忘れる訳もない。だが、帰れるものか。異なる世を渡るに費やす贄はそれこそ、この世の命全てに近い」
『ではこちらにはどうやって?』
『ほぼ全ての眷属が我を裏切り自らを贄として捧げ、ここに通ずる穴を作りおったのよ。裏切らなかった配下とそこに押し込められて、気づけば此処に来ておった』
『裏切らなかった? この御霊は?』
『それは、昔から我に刃向かう。縛られるのが嫌だと言ってな』
二人の視線の先には木像? 何だかこれを知ってるような……。
『対を成す星喰らいのほうは従順じゃがな。……さて稔麿よ。まさかその顔、連れて行くなどと妄言を吐くつもりか?』
『贄を極力減らせるとしたら?』
『……我は此処ではどうやっても異物。戻りたい気持ちはある。だがそれなりに馴染んで役目も出来た。贄が少なくて済むからと言って、それを放り出せば阿鼻叫喚の混乱が——』
『出来るとしたら?』
『何を企んでいる?』
えーと。手を握るのは良いんだけどさ。顔近くないかな? そ、そのこれ以上、近づくとちょっと恥ずかしいかなー……。あ、あ。
あー……。これ、早送りとか出来ないの? おいおいおいおい。いやー、ちょっと……良しっ! 渦巻き来たっ! 景色が歪んでそっから逆回転。
『稔麿ぉぉぉぉっっ! 裏切るのかっ!』
場面が切り替わって……また、あの石畳。前のと違って今回はめっちゃ強そうなのに囲まれてるんだけど?
どいつもこいつも歴戦って感じの気配を持ってる。敵意剥き出し。
そんななか一人が円陣の中から踏み出してきて——八尋、いや、稔麿だったかな?
『姫、すまぬしくじった。なんとか姫と神を分けて、どちらも元に戻したかったが……』
『今からそうすればよいっ!』
『……だめだ。人質も取られたし、それにどうやら今ではなかった。必ず迎えにくる。だからしばらく眠っていてくれ……出てこい、天秤』
『呼んだかぁ……うげぇ、修羅場じゃねえか、帰っていいかぁ』
八尋じゃなくて稔麿? とかいう人が印を結ぶと金属の天秤が宙に現れた。しかも喋ってる。
『帰るのは少し我慢してくれ。姫を封じる。贄は神格六体だ。釣り合うか?』
『釣り合う訳なかろぉ……』
キシキシと音を立てながらとてもゆっくりと天秤が回転を始めた。
『ならオレの命も載せろ』
『……契約者が死ぬと、またあの薄暗い何もねぇとこに帰らにゃならん。だから嫌じゃぁ』
『頼む』
『あーあ……仕方ねぇなぁ。贄は石か何かに封じたのかぁ? そいつを左に載せろぉ』
『……右ではなくか?』
『左だぁ。それで代償との変換効率が桁違いになって釣り合いが取れる。だが反則なんだぁ。必ず何かのツケを払う必要があるぞぉ、現世で払いきれないなら来世、自分で払えないのであれば近しいものが肩代わり。何で払うかは決められん、それでも良いかぁ?』
稔麿は無言のまま頷いて、天秤の左皿に宝石のような石を六つ置いた。
『毎度ありぃ……後悔するんじゃねぇぞぉ』
天秤がクルクルと軽快に回りだし光を放つ。
視界が白に埋め尽くされる直前に突然の浮遊感が襲ってきた。
目がまだよく見えない、なにがどうなってるの……。
足が地面に着地した感触。間合いを離すべく飛び退く。
どうやら頭に食い込んでた手が緩んで外れたみたいね。ぼんやりと視界が戻ってきて……アラドの右手が千切れてる。
あと、身体のこの感覚……アクアが消えてるっ!?
アラドの千切れた腕の断面の近く。そこに光る石のようなものが浮いている。あの形、あれは、あの石は——断面に吸い込まれた!?
「稔麿ぉぉっっ!」
完全に戻った視界のおかげでアラドの右手が千切れている理由が分かった。八尋だ。黒龍が上空で唸りを上げている。あれが腕を食いちぎったんだ。
「来いっ! 天秤っ!」
八尋が叫ぶと、さっき見た天秤が突然現れたっ!
「嬢ちゃん逃げろ」
影から唐突に浮かび上がったかめかめはわたしに向かってそう言ってくる。
かめかめ? アンタなにいってんのよ。今のこの状況でどこに逃げるのよ?
「逃げるって、八尋を置いて逃げられないでしょうがっ! 水嶋も倒れ込んだままだしっ……」
随分落ち着いたかめかめの様子に違和感。何でそんなに落ち着いてる訳?
「思えば嬢ちゃんには振り回されっぱなしじゃったが楽しかったのぉ」
「なにいってんの……?」
遠い目してどしたん? 今は思い出に浸るような時間じゃなくない? 八尋と水嶋をどうにか助ける方法をさ。
……ところでアンタはどうしてあっちに向いたままなの。あと、さっきの逃げろってかめかめはどうするつもり? なんだか嫌な予感がするんだけど。
「八尋が天秤に触れおったな」
「左っ?! ダメよっ! 左はダメっ!」
さっきの記憶がフラッシュバック。思わず叫んでしまう。
「なんじゃ突然。右じゃ、右に触れとる。門の通過人物指定、対象距離。それとアラドをここに縫いつける。それが一番無茶か。対価は命といったところかの」
命? 死ぬ? 八尋が?
「そんな顔をせんでも良い。死ぬのは儂じゃ。あとこれを受け取ってくれ」
いつのまにかかめかめはクチバシに白い石を挟んでいて、それをわたしの手に載せてきた。宝石? 死ぬのは儂?
「次期玄武じゃ、大事に持っておいてくれよ」
わたしに石を渡すとかめかめは巨大化しながらアラドの方へ突進していく。
「ちょっと!」
示しあわせたように黒龍が上空から下降を始める。かめかめと黒龍が同時にアラドに喰らいつく。
その衝撃で八尋が宙に浮く。こっちに向いた視線がわたしを捉える。
まただ……。また笑ってる。あの時も笑ってた。八尋の手が印を結びだす。
——! 急に遠近感がおかしく……わたしは動いていないのに、八尋達がどんどんと遠ざかっていく。
そこからは一瞬。ほんの一秒程度で見慣れた景色がわたしを覆う。
道場裏手の空き地……。
わたしだけが戻ってきた。
どうして、あのバカは自分だけ犠牲にしようとするの。言いようのない、怒りなのか悲しいのか分からない感情がお腹の底で暴れ狂ってる……。




