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八十六 〜周防と婆娑羅〜

周防 対 婆娑羅


 膨れ上がった光球が放つ光に目を焼かれぬよう、婆娑羅は腕で目を覆った。


 目を閉じたまま周辺の気配を探る。周防はその位置を変えぬまま動いていない。藤堂綺羅も鈴菜もそのままの位置。


 周防が先ほど鈴菜を通して話していた内容から致命傷ではないようだが。


 それよりも向井良子と遠藤八尋、玄武、水嶋の気配が感じられないことに婆娑羅は焦りを覚えた。


(光球にのまれて消えた? こちらは大丈夫なのに?)


 理解できない状況に焦燥感がふつふつと沸き上がってくる。


 周防を討つこと以外を無視したのは間違いだったのかも知れない……。そう婆娑羅が考え始めたとき、まぶたに届く光が弱まり始める。


「ザームの悲願がここに成った。……あとは待つだけだ」

 

 聞こえてきたのは周防の声。穏やかな落ち着いた声は先程までとは明らかに違っている。


 婆娑羅は腕を下ろし周防を見た。その手には小さな白い箱が握られていた。


「大変助かったよ。あとは狭間に戻って見物でもしてると良い。お手馬は先に還ったからな」


 周防が手のひらの白い箱に対して語りかける。すると白い箱は、風に吹かれた砂のようにさらさらと溶け消えていった。


「何をした?」


 婆娑羅は周防へ問いかけた。


「まあ大袈裟にいえば、世界を変えた」


 煙に巻くような回答に心を揺らされることはなかったが、明らかに変化した周防の気配に婆娑羅は戸惑ってしまう。


 自信に満ちあふれ他を圧するように放たれていた気が、今はしぼんだかと思うほどに静かで不気味だ。


 胸騒ぎ、胃から迫り上がるような苦さを伴う不安感に突き動かされ構えをとる婆娑羅。


 足裏に力が乗る。


「まあ、まて」


 絶妙なタイミングで声をかけられ、婆娑羅は飛び出す機を逃した。


「興味はないか? わたしの目的に」


「……」


 時間稼ぎに思える。本当のことを喋るとも思えない。だが、なぜか聞かねばならないと婆娑羅は感じた。


「こちらの目的はほぼ終わった。王典と稔麿。どちらも必要な能力を持った状態で送り込めた。……それに切り札も用意したし、勝てずとも負けはないはずだ」


 そう言いながら、周防は自身の後方を見た。

その先には藤堂流初代【藤堂三郎吉成】が(まつ)られる(ほこら)がある。 


「藤堂もこれで解放される。……実に楽しみだ」


「王典やら稔麿やら、まったく訳がわからねぇ。良子姉ぇたちはどうなってる」


「空を見ろ」


「空だと?」


 周防は人差し指を立て南東の空を指差した。


「そうだ。……うっすらだが月が見えるだろう?」


「そりゃそうだが……」


「およそ二千年前、この惑星にやってきた異世界の神は喝采をもって受け入れられた。だがその千年後、ある理由により疎まれ月に追いやられた」


 上空を向いた周防の顔が婆娑羅に向く。更に周防は続けた。


「疎まれた理由というのが今から千年ほど前、稔麿という男が一人の女に約束したことが始まりになる。故郷、元の世界に帰してやると言ったのだ」


「だから何の話しをしているんだ?」


 婆娑羅は内容が理解できずイラつきを口にした。


「まあ、聞け。女は帰りたかったから、稔麿に協力した。だが周りはそれを許さなかった。女は異世界の神、アラドが限界した存在。既にこの世界の維持装置のひとつとして定着し役目を持っていた。それが故郷に帰ればどうなる? 訪れるのはひどい混乱だ」


 周防の目は澄んでいる。言葉を操りあざむこうとしているとは婆娑羅は思えなかった。理解できない話は苦痛だが言葉を待つ。


「そこで我々ザームの一族は二人を嵌めた。稔麿の一族を人質にとり、アラドを月に封じさせたのだ」


「アラド?……ザーム? 本当に何を言ってるんだ。結局良子姉ぇたちはどこに行った?」


「月だよ」


「ちっ……聞くだけ無駄か」


「信じられんか。……ああ、少し待ってくれ。——鈴菜、わかっているな。絶対に手を出してはならん。終わった後の事は任せる」


『……承知致しました。マスタースオウ』


 周防が手首につけた時計に向けて呟くと鈴菜の声がそこから返ってきた。


「二人がかりで来ねえのか?」


 婆娑羅は倒れた綺羅とその横にいる鈴菜の方向を見ながらそう言った。


「そんな不粋なことはせん。わたしも楽しみにしていたのだから」


 萎んでいた周防の気が膨れ上がっていく。


「もうこれ以上は聞いて貰えんだろうし、始めようか」


 周防が足を開き構えを取ると、婆娑羅は気温が急激に下がったような感覚を覚えた。周防が放つ殺気によるものだ。


 数多の神格を殺してきた本物の殺気。藤堂綺羅や三鷹が放つものとは全くの別の性質。絡みつくような死の気配。


「ほう。受け止めるか」


 だが婆娑羅はそれに飲まれる事も無く周防へ鋭い視線を飛ばしている。


「この殺気を浴びても冷静さを保ち、慌てることもない……武人として見違えたな」


「仇を晴らしてぇし、アンタが憎い。でもそれだけじゃだめなんだ」


 婆娑羅は自らの意思を確認するかのように呟いた。


 三鷹誠司、向井良子、向井春樹、藤堂綺羅。日本に帰ってきてから手合わせした者たちは強く、そして心が明るかった。


 復讐に心を任せることに疑問を抱いたのいつからか、怒りに染まった拳に師の顔が、寂しいような表情が映るようになったのはいつからか。


「良い顔だな。賭けるに値する……だが紫炎を超えねばわたしには届かん」


 周防は薄く笑った。


「師匠、……孟紫炎が死んだのは俺のせいだ」


 藤堂綺羅との修行で確信した事実。武神と呼ばれた師、孟紫炎は周防よりも強かった。だが周防に負けた。何故か。自分を庇ったせいだ。


 まだ師には及ばぬ自覚もある。今日ここで死ぬかもしれない。それでもやると決めた。


 光球に消えたものたちのこと、周防が語った内容は気になるが、今は目の前の周防を撃ち破ることだけに婆娑羅の心は定まっている。


「良いぞ……とても良いぞ、久遠寺婆娑羅っ! 救世(ぐぜ)の英雄はそうで無くてはならん」


 笑みと共に噴き上がる周防の気。婆娑羅もそれに応えるように気を解放する。ぶつかりせめぎ合う両者の気。


 二人の距離は十歩。周防は微笑みを浮かべたまま、それを一瞬で一歩にまで詰めた。十分の一秒。瞬きよりも短い時間で婆娑羅に迫る。


 突き出される拳は水月に向かって吸い込まれていく。だがそれを迎え撃つ婆娑羅の拳が周防の拳と正面衝突した。


 ぶつかり合う拳。その軸足が置かれた地面からは放射状に亀裂が広がった。拳を潰さぬように互いに力を逃した結果だ。


 一拍の後、示し合わせたように二人は後方に飛び距離を取った。まずは一合、一当て。


 単純な力は婆娑羅の方が強い。にも関わらず互角。つまり技術は周防が上回る。


 見せた手の内も随分な差がある。婆娑羅は全力、周防はいまだ奥を見せず。得意の貫手を放ってこないのが証拠。その認識も両者共に同じ。


「楽しいな。光り輝く才能の発露を見るのは実に楽しい——」


 周防が喋り終わったと同時。婆娑羅は【転】で距離をゼロにまで縮める。正攻法の攻めはおそらく全て見切られる。


 かといって大技などには頼れない。溜め一つの隙に間合いを詰められ急所を狙い撃たれる。


 いまだ師の背中は遠く、未熟である自覚。ならば不意をつくしかない。


 腰を落とした姿勢から婆娑羅が繰り出したのは左正拳。胸元目掛けてまっすぐに突き込まれるそれを読んでいた周防は余裕を持って捕えようとした。


小癪(こしゃく)なっ……」


 しかし、周防の胸には正拳ではなく肘が滑り込んでいく。婆娑羅は突き出した左拳を折り畳み肘撃ちへ変化させたのだ。


 捕えようと伸ばした周防の手は空振りに終わる。しかし手を伸ばした勢いを利用し、あえて前に踏み込むことで技を潰しにかかった。


 周防の胸に婆娑羅の肘が入った。だが前に出ることで打点をずらしており威力はさほどない。気を集中させ防御。ダメージは皆無。


 周防は反撃に移った。


(不意をつかれたくせに余裕で流しやがってバケモンめ……)


 婆娑羅の眼前に膝が迫る。だが肘の手応えのなさに周防の反撃を予想しており慌てることなく側方に飛びこれを回避。


 やや距離が離れ婆娑羅は息を吐く。


「二合目か。……確かあと二合だったな」


 呼吸を整える婆娑羅に向けて周防は確認するように問いかけた。孟紫炎が周防と交差し決着がつくまでの手数は四。お前はそれに届くのかと。


 婆娑羅は挑発を受け流せない自分に怒りを覚えた。だが。


(……駄目だこれじゃ負けちまう)


 婆娑羅はすぐに自分を取り戻した。


 怒りを振り払うべく、丹田へ気を回し震脚をその場で撃つ。周防の挑発は確かに効いた。だが想定通り。この辺りは修行でも随分と準備したところだ。


「クソが。丁寧に挑発しやがって。お陰で逆に冷静だよ馬鹿野郎」


「楽しいねぇ」


 言葉を交わすと、二人は前傾姿勢で踏み出し同時に跳び上がる。


 三合目。思考の裏を突くべく繰り出された飛び膝蹴り。それはお互いに同じ手だった。

 

 高さ五メートルまでゆうゆうと跳び、空中で激突する膝と膝。技は周防、力は婆娑羅。であれば、力の逃げ場が無い空中であれば。


「ぐがぁっ」


 気を張り巡らせ硬く固めた筈の膝が、メチメチと音を立てる。流石の周防も痛みに耐えかね、呻き声を漏らした。


 そのまま押し切られ周防は体勢を崩しながら落下していく。


 ——勝機。闘う者としての勘が婆娑羅に強く働く。


 空中で身体を縦に二回転させたあと直下方向に脚を向け足刀の形に突き出す。狙いは周防の首。


 上手く受け身を取れないまま周防は落下し地面へ激突した。


「これでっ!」


 間髪入れず婆娑羅の足刀が周防の首目掛けて落ちてくる。だが——。


「危ない、危ない」


 地面に突き刺さる婆娑羅の足刀。周防の姿はない。


(——あのタイミングでどうやって!? 声はどこから聞こえてきた? 後ろっ!?)


 風を切る音が耳を掠める。意識するよりも早く身体が勝手に反応し首を倒したお陰で、婆娑羅は頬の肉を削られるだけで済んだ。


 振り返りながら距離を取る。追撃は無し。周防が貫手を放った姿勢のまま婆娑羅を見ていた。


「どうやったんだ!」


「ちょっとした手品だ。いくら鍛えても所詮は儚く脆い人に過ぎんのでね。力負けすることなどありふれた日常(にちじょう)だ。それに抗う手はそれこそ無数に用意している」

 

 どうやって自分の攻撃を避けたのか分からないことは思った以上の重圧となって婆娑羅の心にのしかかった。


 攻めねば勝機はない。だが足が前に出ないのだ。力こそ上回れど、技では一歩どころか背中が見えるかどうかの距離を見せつけられている。


 婆娑羅は弱気を振り払うように首を振り、息をゆっくりとはいた。


「……ふう。考えても仕方ねぇ。【見ずとも感じろ】だったな」


 言葉と共に婆娑羅は一歩を踏み出した。相手の技は読めないし、分からない。なら考えてもどうしようもない。


 自分の反射速度と修練を信じるのみ。


「ほう……。初代の口伝か。随分と綺羅に可愛がられているな」


「四手目だ」


 自然体のまま歩みを進める両者。互いの間合いが一足となる。


 更に前に。突き出し構えた手と手が重なり合うかという距離。


 刹那(せつな)、ぶつかり合う右上段蹴り。またもや選択が重なる。


「おらぁぁぁっ!」


 気合いと共に婆娑羅が右足を振り抜く。体勢を崩す狙いだ。しかし周防はそれに逆らわずその場で回転、更には後ろ回し蹴りへと変化してみせた。


 流転の気の巡りを宿した周防の足先が婆娑羅の頭部へ吸い込まれていく。婆娑羅はその場でしゃがみ込みそれを避ける。うなる風切音。


 髪の毛一本を掠らせつつ婆娑羅は叫んだ。


「猿翁っ!」


 光。影以外は白となった空間。婆娑羅が懐に忍ばせていた猿面から強烈な光が発せられている。婆娑羅の視界は保たれたままだ。


 しゃがんだ姿勢から伸び上がるように拳を伸ばす。しかし。


(反応しやがる……)


 周防は婆娑羅の技に凄まじい速さで反応し目を閉じていた。目に残像は残るだろうが、数秒で回復する程度のダメージしかない。


 更には打ち下ろしの左拳を放ってくる。それでも目を閉じながらの拳打、僅かに婆娑羅の拳が先に届——かない。


 周防が自身の右手を、突き込まれてくる婆娑羅の前腕に添え軌道をずらしたからだ。これが目を閉じての動きだと誰が信じるだろうか。


 周防の左拳が婆娑羅の首を捉えようと迫る。


 しかし、婆娑羅は焦らなかった。


(……まあそうだよな。どうやったとしても届かねぇのは。だから……手の内を見せ本気を出す前、ここだっ!)


 もし、周防が拳を固めず貫手での攻撃を選択していたならば、ここで婆娑羅は重傷を負い結果は違っていただろう。


 拳を固めさせる為に目眩しを用いる策は上手く作用した。貫手は点、拳は面。視界がない状態で選ぶとすれば、捉える範囲が大きなほう。


 周防の拳が顎先に到達し婆娑羅の首が傾く。だがそれは自ら傾けたものだ。何度も繰り返した動きは本番で充分な働きを見せた。


 傾けた顎先は拳を流す。入り込んできた周防の前腕を首と肩口で捕える。そこを支点に引き込む動きを婆娑羅はとる。


 周防は引き込まれる強さに負け体勢を崩した。だが崩れながらも返しの一撃、右貫手を放ってくる。


(練習どおり、ありがとよ師匠達……)


「……連枝柳葉」


 揺れる柳の枝葉のごとく、婆娑羅の姿が揺らめいた。


 周防の右貫手は婆娑羅を穿(うが)つことなく空を切る。


「ぐぁっ……!」


 周防の口から血が溢れた。


 婆娑羅の貫手が周防の腹に深く刺さり込んでいる。


 苦し紛れの一撃を周防に撃たせ、カウンター。婆娑羅の狙い通りの決着が訪れた。

 

「……見事っ」


 それは賞賛だった。憎しみもなく、嘲りもなく。心動かされた時、ふと口から出るような賞賛を周防はボソリと呟いた。


 周防の身体から力が抜け婆娑羅に寄り掛かる。


「さて……ぐ、救世の英雄よ」


 周防は力のない声で詰まりながらもそう呟くと婆娑羅の肩に手を置いた。


「オレは英雄なんかじゃねぇ」


「神格を宿しながら藤堂の技を使う、それがどういうことか……す、すぐにわかる。【転】に僅かに乗る、そ、その気の質、綺羅ですら見、見落とした」


 肩口に置いた周防の手が淡く光ると、全身を引き裂くような痛みが婆娑羅を襲った。


「なっに——! がっ、あっっ、っ!」


「お前は、せ、背負わなければならない、だ、だが、オレと違って、く、狂った芝居は必要な、ない」


 婆娑羅は必死に耐えようとするが視界は暗転する。意識を失い頭から仰向けに倒れていく。


 周防の腹に刺さった貫手が、ズルリと抜けた。


「がはぁっ……! うぐぁっ、し、し、森羅万象……け、気配は、な、ないな。よ、良し、お、お、俺の役目も今日で終わりだ。……そ、宗一郎、約束は守ったぞ」


 周防が血を吐きながら見つめた先には横たわる綺羅がいる。鈴菜がこちらに向かって走ってきているのが周防の目に入った。


「す、鈴菜……生きて自由を勝ち取れ」


 ぐにゃりと折れた周防の身体は地面にぶつかり、そこからピクリとも動かなかった。

 


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