八十三 〜母〜
綺羅視点
藤堂流道場の裏手、雑木林が広がる裾野。
木々を薙ぎ倒しながらマキナシリーズの一体が吹き飛んでいった。
「中々硬いわね」
このままでは負けはしないでも、勝ち切ることは難しい。何度か交差しての感触を綺羅は呟いた。
四体のマキナシリーズはその巨体を持て余すこともなく緻密な連携で藤堂綺羅に対峙してきている。
数の利で囲むだけではない。直線的な体当たりかと思えばその背後の影にはもう一体がカバー。
避けた先を狙うように腕部による薙ぎ払いなど、休ませぬように途切れることのない波状攻撃は見事なもので、ここまで膠着状態に持ち込まれるなど綺羅は考えもしなかった。
何度も全力で撃ち込んだが手応えが薄く、装甲の表面部がやや傷つく程度で内部にまで打撃が届かないのだ。しかもすぐさまその傷は修復されていく。
綺羅はこの仕掛けに心当たりがあった。周防国親が得意とする肩代わりの術式だ。文字通り何かがダメージを肩代わりしている。
その何かについて綺羅は心当たりがあった。
異常なまでの再生速度。いや復元というべき現象——それは最高神格でしかなしえない奇跡の類いだ。
自身の愛娘が追い込んだところを盗むように攫っていったと聞いている。それを用いた術式だと彼女は断定した。
その場に留めようとする闘い方からしてマキナシリーズの目的は自身の足止めだろうと断定出来る。いまあちらに戻られるのはまずいということだろう。
「こんな高そうなオモチャで、随分と贅沢な使い方を考えたものね」
——敢えてあの場から引き離したのは失敗だったろうか。……だがあのまま戦い始めれば婆娑羅の仇討ち、周防との一騎打ちに持ち込むのは難しい。
他にやりようがあったかも知れないが、……いまは考えても仕方がないと綺羅は首を振る。
水嶋が放つ神気が先程から減衰しているのも気にかかるし直ぐに向かいたい。
だが足止めだけに最高神の核を使うというのも罠の匂いが強い。
何かあるのは間違いない。まずは相手の思惑を超えるべく、現況を力ずくでも打破する必要がある。
——封印を解く。今がその時なのだろうと綺羅は判断した。
「茶々様にまたお願いしないと……」
綺羅は目を閉じ深く息を吸い、正拳をその場で放った。握り込んだ拳にはシンプルなデザインの指輪が光っている。
『ビキリ』と音がしたあと、綺羅の手が開かれ割れた指輪が地面に落ちた。
「藤堂無手勝流十六代、藤堂綺羅。私の名前……」
前触れなく、先程とは段違いの気が彼女から噴き出す。
名前を取り戻したことで綺羅は力を完全に取り戻した。実に二十五年ぶりのことだ。
「手加減するけどちょっと痛いかもね」
マキナシリーズの一体が唐突に転倒する。脚元の装甲が大きな音をだし歪にへこんだかと思えば頭部が爆発したかのように弾け飛んだ。
機体は沈黙したまま動かない。
マキナシリーズの搭乗員たちに戦慄が走る。今までモニターに出る指示に従えば綺羅を捕捉し続けることが出来たのに、今の動きはその一切が感知されなかった。
一呼吸もせぬ間にという程の短い時間。その一瞬で一体が再起不能になるまで破壊された事実だけが突如現れたかのようだ。
『密集隊形っ!』
叫びながらマキナシリーズ二体が背中合わせで密集隊形をとった。
集合できずに棒立ちになるもう一体の搭乗員は不可解な現状に声を上げた。
「動かないっ! なぜっ……」
金属を叩きつける音が中にまで響いてくる。モニターを確認しても何が起こっているのか判断できない。機体が意図せず直立姿勢から膝立ちの姿勢へと変化する。
モニターがアラートを表示し両腕と頭部が無くなったことを表示する。
そして搭乗員がいるこのコクピット。
「ここだけは、たとえ何があろうとも破壊されることはない」
そう技術者達が口を揃えた胴体の装甲に、紙を破るような気軽さで穴が空いた。
内部のモニター、計器類を破砕しながら搭乗員の目の前まで拳が迫る。
その拳の下部から別の拳が突き込まれてきた。搭乗員は息すら出来ずにそれを見つめるしか出来ない。
次々と拳が出入りを繰り返す。砂遊びで山を崩すように装甲が消し飛んでいく。
「ようやく中身が見れたわね」
伸びてきた手に首を鷲掴みにされ搭乗員の身体が宙に浮く。
「背中の配線は機体の中? 咒式と繋がっ——」
綺羅は突如走った悪寒に従い配線を引きちぎり、搭乗員を機体から引き離すように放り投げた。
「まさかっ!」
一直線に綺羅が向かうのは二体のマキナがいる方向。
そのうちの一体に瞬時に肉迫。中身の構造はさっきので理解できている。手刀で胴体の装甲を斬り飛ばし内部を露出させる。
先程と同じように搭乗員の首を掴み持ち上げ、背中の配線を切断。機体から放り投げて離す。
何が起こったか分からず棒立ちの機体の前に移動。同じ手順を繰り返す。
「最後の一体っ!」
ここまで一分もない時間だ。
最初に倒したの機体の前に移動し胴体の装甲を手刀で断ち割る。恐怖で全身を震わせる搭乗員が露出する。
「ひぃっ!」
「うるさいっ! 死にたくないなら、さっさっと出なさいっ!」
言うと同時に怯え縮こまる搭乗員の首を掴み機体から引き上げ、背中の配線を綺羅は引きちぎる。
「全員早く逃げなさいっ!」
搭乗員を放り投げながら、綺羅も機体から距離を取る。一瞬の静寂、二秒後。
動くはずのない機体が立ち上がり背面部から光の柱を噴き出した。
「ここまで変化させて、いったい何をするつもりなの……」
綺羅は顔を歪めて笑う周防の顔が頭に浮かんだ。
搭乗員達が逃げ去る姿を確認しつつ周囲を見れば、他の機体も同じように立ち上がり背面から光の柱を噴出させている。
それぞれの光の柱はその先端を触手のように蠢かすと上空へと伸び、その勢いをもって機体から抜け出した。
そしてお互いを認識するように空中で絡み合いだす。
「嫌な気配ね」
悪寒の気配は歪められた神気。機体の内部を露出させることで外に漏れた良からぬ気配。
あのまま放置していれば確実に中の人間は無事ではすまなかっただろう。
空中で絡み合う光が球体へと変化していく。
その様子を見ながら綺羅は身構えた。
やがて光は形を成す。オーディンであった名残はない。光をまとった白いヒト型。約三メートル程度の体長。申し訳程度に空いた目と口の孔。
空中からゆっくりと地面に下降し着地した。
意思の疎通が可能なのか、敵対するのか。恐らく後者は間違いないと綺羅は考えた。
わざわざ苦労してまで作り上げた存在が闘いもしないとなれば片手落ちどころではない。
いや作るのではなく、そうなるよう方向付けたというのが正しいだろう。神を作るなどはまず出来ない、作れたとしてもそれは神ではないナニか。
「この禍々しい気配はとてもじゃないけど人とは相容れないわね」
『禍々しいなど言ってくれるなよ。これは人を導くための神だぞ?』
マキナの残骸から周防の声が響いた。綺羅の片眉が上がる。
「……人に操られるものがどうして神などと」
『ははっ! これは神だよ。間違いなくな。お前がこれを倒すのか、それとも——』
「速いっ!?」
周防との会話中、空中から下降した神は何もせず立っていたが、周防の言葉が終わる前に綺羅に向かって突然、体当たりを仕掛けてきた。
巨体、三メートルに及ぶ人型の突進。綺羅は前傾姿勢をとり相手の肩口を両手で押さえ込むように受け止める。感触は硬質だ。
まともに受け止めれば押し潰される圧力。背中側に障害物はない、地面をスライドしながら力を逃す。
百メートル程度続くもまだ勢いは衰えない。神の身体がやや沈み、浮き上がる。横方向の力が斜め上方向へと変換された。
力の流れに逆らわずそのままに身を任せ、綺羅と神は空中へと射出される。
広がる眼下には周防と婆娑羅、離れたところには鈴菜と水嶋の姿。
神の顔、無機質な孔を備えるそれが水嶋の方向を向いた。
「そっちは! こっちに来な——ぐっ……!」
お前に用はないとばかりに神は綺羅を蹴り、方向転換した。綺羅と神の距離が空中で離れていく。
それを見た鈴菜が示し合わせたように水嶋から距離を取り始める、向かう先は綺羅の方向。
綺羅は体勢を立て直し着地する。目の前には鈴菜。水嶋の前には神という構図となった。
「これも作戦かしら?」
「……」
綺羅は鈴菜へ問いかけるが返答はない。しかしその代わりにというように、鈴菜は頭部に手を伸ばし顔を覆っていたプロテクターを外した。
「ここまで似てるのね。しかもあの人の眼の色まで……」
綺羅は苦々しい顔で周防がいる方向を見た。三鷹から聞かされていたが、実際に見ると分かってしまう。間違いようもなく自身の血を引く存在、そして父親が誰なのかもを。
——鈴菜の持つ頭部プロテクターから周防の声がした。
『感慨深いだろう。惚れた男との子供なのだから』
周防の言葉は綺羅の脳裏を駆け巡った。数多の闘い、血と心を散らし大人になった結末。
先代東王【水嶋三郎】との記憶。
力に呑まれ狂った三郎の最後の願い。
名前を封じることになった顛末。
持てる技の全てをかけて、三郎の神霊だけは滅ぼさすに還す事が出来た。
そして時が経ち異なる存在となって目の前に現れた時に抱いた感情。
思考を振り払うように綺羅は鈴菜を見据える。そして放たれる気配があまりにも自分と似通っていることに気付き、怒りを覚える。
「……外道ね」
『そう、神滅としての格も同等だ』
「人間をなんだと思っているの。道具だとでも?」
機械仕掛けの悪魔と呼称された世界中で起きた事案。それは自分と同じ神滅を作るため。だがそれも、周防の目的の一部でしかないのだろうと綺羅は感じた。
『まさか、役割だよ。人はだれしも役目を背負って生きる。どんなに低俗で無価値に見えるような人間でも何かの歯車であり必要であることは間違いない』
「だからといって十五、六の子供の手を汚す必要が?」
『神の畏れが必要だったのだよ。お前一人ではあの神を出現させるだけの畏れが足りぬ。同時代に二人、それで初めてアレを現界させることができる』
「目的はなに? ここまで手の込んだことをして、成し遂げようとしているものは?」
『まだだ、それはずっと先に……ふむ、もう少し話してやりたいが、それは無理そうだ』
鈴菜が持つプロテクターから出力される断定的な口調が一転、なにかを確かめるような調子になった。
『道はほぼ固まりつつある。鈴菜よ、手筈通り足止めだ』
「承知しました、マスタースオウ」
『綺羅よ藤堂流は今日で終わる、新しい時代はきっと——』
「まだ話は——!」
周防の音声が途切れたと同時。【転】を用いて一足の間合いに鈴菜が綺羅の前に現れた。そのまま流転歩の壱【足撃】が綺羅に向けて放たれる。
「貴女と闘いたくはないの! 引いてちょうだい」
綺羅は鈴菜の拳を片手で払い、逸らす。
その拳から放たれる気は神滅と呼ばれる特性、神を滅することに特化した気質。
神々とのいらぬ軋轢を生むため藤堂流が名を封じる理由でもある。
綺羅の目に体勢を崩し無防備にさらされた鈴菜の背中が写る。だが綺羅の拳は前に出ない。迷いがあった。
だからこそ水嶋に相手を任せていたのに。
両者が交差し互いに振り返る。
「お母さん」
唐突に。
鈴菜が無表情で言い放つ。
その言葉は綺羅に刺さった。刺さってしまった。ありえた未来。伴侶との暮らし。子供。綺羅の精神が揺らぐ。
更には神と水嶋が居る方向に巨大な光球が発生したのが目に入る。
綺羅はほんの一瞬だが呆然となる。だが、わずかな乱れ。立て直しは可能。
しかし上空から近づく気配と聞こえてくる声のタイミングが悪かった。
『師匠ーーーー!!』
「良子ちゃん……」
声の方向に思わず顔を向ける。
「あの娘とわたし、どっちがお母さんの娘なの」
鈴菜が平坦な声色で綺羅に問いかける。——私の娘は一人、それと息子……。上空に向けた顔を綺羅は戻す。
鈴菜の顔がすぐそばにあった。綺羅は見下ろし鈴菜は覗き込むような位置だ。距離が詰められていることに気づけなかった。
鈴菜の表情は怒りとも悲しみとも泣いているとも分からない。綺羅はその顔を見て言いようのない感情を覚えた。
鈴菜の顔に雫が落ちた。自分の目からこぼれた涙だ。左の下腹部が熱い。貫手が腹に突き立っている。
何故、自分は泣いているのか、胸に感じる重みは何なのか。
それに妙に頭がぼやけてくる。
「邪魔だから眠っていて、お母さん」
綺羅の耳に冷たい声が届いた。




