八十一 〜未来予知②〜
八尋視点
『それにしても稔麿ぉ、格が上がってるじゃねえかぁ』
「格が上がったついでに、その名前が何なのか教えてほしいところだな」
『……なんのことだぁ?』
名の通りの形で宙に現れた、霊器、天秤。
自分の事を稔麿と呼ぶこの霊器は僧正師によるとオレが産まれた時から取り憑いていると考えられるらしい。
まあ、この霊器に何を聞いても答えはしないので、真相は分からないが。
とまれこの霊器、素性は分からずとも対価を捧げればそれに見合うものを用意するという、破格の能力を持つ。
疑問はつきないが、蓋をせざるを得ない。
「未来を視る、時間は今からから一週間、対象は……十六代藤堂流当主だ」
いま視るべきは姉弟子だと、直感がそう告げる。
『対価は血か肉か骨か?』
「血だ。一合やる。足りるか?」
「釣りが出らぁ……と言いたいが、存在が強すぎるなぁ、もう一合だぁ。この間のアラド……違った向井良子だっけか? あれよりはマシだがなぁ」
「……アラド?」
妙に頭に残る名前だな……。
「おっと、すまんなぁ。お前の格が上がって喋れるようになったと思っちまってよぉ。つい口が滑ったぁ。気にすんなぁ」
いつもより口数が多い……。それにさっき聞いた名前がどうにも頭から抜けない。
だがこの霊器は口を滑らせる事はあっても、割ることはないというのはわかっている。
こびりついた名前を頭を振ることで追い出す。
「仙人の血、二合でオレの眼に藤堂流十六代当主の未来。いまから一週間を刻めるよう補助術式を作ってくれ」
『承知したぁ。対価を右に載せろぉ、間違えんなよぉ』
「始めるぞ」
指先に気を集め手首に突き刺す。龍樹の本契約の影響で身体能力が向上している。以前であればこんな芸当は不可能だった。
上手く動脈に傷をつけれたようで、血が順調に流れ出す。天秤の右の秤に腕をかざし血で満たしていく。
血は飲み込まれる様に秤に触れては消えていく。
『げふぅ。もう充分だぁ、術式を出すから眼を左の秤に載せろ』
美味そうに自分の血を飲む光景は何度見ても複雑な気分になる。
眼を右の秤に置く。
『藤堂十六代目の今から一週間だなぁ?』
「そうだ」
天秤がくるくると回り出す。滑らかな回転は供物と対価が充分に釣り合っていることを示す。
回転が緩やかになり停止すると、秤に載せた眼球が淡い光に包まれた。
複雑な紋様が連なり回転しながら眼球の周りを浮かぶ。ひとしきり周囲を回った後、次々に眼球にとびこんでは消えていく。
全ての紋様が消えた。術式は無事完成したようだ。
『毎度ありぃ。必要になったらまた喚べば良い、じゃあなぁ』
名残り惜しさを微塵も出さずに天秤が消えていく。空中に放り出された眼球を手のひらでそっと受け止める。
「さてと」
未来を視るという大それた事をするにしてはお手軽過ぎる様な気もしないではないが、ひとまず準備は完了した。
閉じそうになっている穴に眼球を持った手を入れる。
数秒も経てば充分なので穴から手を引き出す。手の中の眼球は淡く光っている。術が無事動作した証だ。
手早く眼窩に眼球をおし込む。賦活術式を発動させながら待つこと三十秒。……良し。手首の血も止まり、視力も戻った。
天秤で作った術式は完璧だ。間違い無く一週間程度の未来が眼球に刻まれている。後は術を発動させ再度瞑想状態に入る事で対象の未来を追体験出来る。
その場に座り落ち着いて瞑想を始める……。
◇ ◇ ◇
『嫌よっ! 諦めないで! 師匠!』
——腹部が熱い。手に感じるこのぬめりは、血だ。
今回の術式は指定対象の追体験という形式にしたせいか負傷の感覚までもトレースされている。
ということは、まさか……あの姉弟子、神滅が傷を負う? にわかには信じられない。
この視界は横たわって誰かに抱きすくめられている状態で、頭上の声は良子さんだ。場所は、景色からして藤堂流の道場か?
姉弟子が何かを喋っている? 喉に血が詰まって喋れそうにないな。視界もぼんやりとしていて、これはマズい。
『鈴菜。師匠が死んだりしたら、アンタと周防を殺してやるから』
この状況は機械仕掛けの悪魔と周防と戦った結果か? 良子さんは戦っていない?
状況が掴みにくい。
良子さんは姉弟子をゆっくりと地面に横たえると立ち上がり歩き出す。
辺りは冷たく暗い気で満たされている。
重苦しい空気のなか、水嶋さんと紫苑、御霊が良子さんの影から次々と現れた。
誰もみな表情が消えていて、まるで人形のようだ。何が起こっている?
横たえられた姉弟子の視界からみる良子さんの後ろ姿。恐ろしい……彼女がこんな殺気を放つなんて。
駄目だ……貴女はそんな感情に囚われては——
『稔麿』
——!? 目の奥が灼けるように痛みだす。
『稔麿』『稔麿』『稔麿』
繰り返されるこの声は良子さんだ。
視界に映るのは彼女の後ろ姿。それ以外の景色は全て黒く塗りつぶされている。
何故だ、どうして予知の中の彼女がこちらに振り返るんだ……。
『稔麿』
違う。オレは八尋だ。貴女は知っているだろう。
なぜ天秤が呼ぶ、その名前を口にするんだ。
まったく理解が追いつかない上にいつのまにかオレは姉弟子の視界、追体験ではなく、自分自身の姿で黒い空間に立っている。
混乱に拍車がかかる。本当になんなんだ、外部からの干渉は考えにくい……。
ゆっくりと彼女がこちらに歩いてくる。
『ようやく逢えた』
身震いするような蠱惑的な表情……。あまりの美しさに息をのむ。
違う、彼女はこんな笑い方をしない。だが、あまりにも美しい、顔を背けることに罪悪感を覚えるほどだ。
歯を食いしばりながら首をそむけ、視界から一瞬彼女を外す。
再び視線を彼女の方向に戻すと姿がかき消えていた。
まばたきほどの間に? やはり幻覚かと考えた時、耳元に鈴がなるような声がかかる。
『ずっと待っていた』
耳から入ってくる音によって、脳が痺れるように震え、湧き上がるような多幸感が全身を走る。
『もう離さない』
「あっ、がぁっ……」
だが、その多幸感を吹き飛ばすように腹部に激痛が走る。いや、激痛どころでは……。腹から彼女の手が突き出てっ……。
「ごぼっ……り、りょ、う……こ、さ……」
口から噴き出す血が彼女の顔にかかるが、気にするそぶりもない。それどころか、うるんだ
瞳を向けてオレの顔に近づいてくる。
桃色の舌が少しだけ口から見え——唇が重なる。
『稔麿、我のもの、誰かに渡すなど……ああ、もう時間——』
暖かく柔らかな感触が口元から失せる。先程までいたはずの彼女の姿はどこにも見当たらない。
不穏と安心と同時、何故か訪れた寂寥感に戸惑う。
「八尋っ!」
喝を入れるような玄武の声が届き、黒い世界が霧散する。
……見慣れた異界だ。穴が空いたはずの身体にも異常はない。
今見たものは何だ?
「終わったか? その顔だと良くない結果じゃな」
「ああ……マズい。そのうえ、まるで理解できない事象が起きた」
「何が起きた?」
「うまく説明できないが、予知に介入されたのは間違いないと思う。外から異常は?」
「いや。術は問題なく動いておった。だが限りなく停止した時空間を超えて干渉するなど、神でもできんぞ?」
玄武の言う通りだが、さっきのがオレの錯覚だとは到底思えない。何者かが干渉してきたのは間違いない。
どう判断すれば良いか迷うが、いずれにせよここから出るという選択肢しかないか……。
「今は考えても無駄になりそうだ。置いておこう。玄武、異界から出してくれ」
「うむ。——おっ? 嬢ちゃんが来たぞ。三鷹もおる。随分と落ち着いて動いてくれたの」
「……」
「どうした?」
「いや、何でもない」
玄武が首をひねりながらオレの顔を見てくるが、さっきのことをうまく話せそうにはない。
「……まあ、大丈夫か」
何も悪いことはしていないが妙な緊張感を味わっていると、異界が解けていく気配が訪れる。
空間ががほつれ、色を取り戻し元の位相に戻っていく。
異界が完全に消え元の場所に戻る。
寝転ぶ男が目に入る。そうだ起こしてやらないと。
……ズボンの股が少し濡れてしまっている。悪い事をしてしまった。侮辱されたからといって、浴びせていい気の質ではなかったな。
記憶も少し消しておいてやろう。
額を指で軽く押しながら気を送り込んでやると、男はパチリと目を開けた。
「大丈夫ですか? 突然倒れられたので、体調が優れないのでは?」
「あひぁいあいいいイイ!」
オレの顔を見るなり、叫びながら部屋から飛び出していってしまった。
消し方が甘かったか。この手の術はまだうまくできないな。手間は掛かるが後で処置するしかないか。
「こっちだよ、良子ちゃん」
「誠司兄ぃ、ありがとね」
男が開け放ったドアから良子さんの声が聞こえ、心臓がドクンと跳ねた。
「八尋っ」
部屋に飛び込んできた彼女を受け止める。
「ご心配をおかけしました」
「ほんとよっ! このっ……あら? 体調大丈夫なの?」
……まったく。ごまかせないな。本当に良くオレのことを見てくれている。
「少し疲れましたが、良子さんが来てくれたので、もう大丈夫です」
本当にそう思う。
声を聞いた時、あの予知が頭をよぎり言いようのない不安を覚えたのは事実だ。
だが腕の中に収まった彼女が与えてくれる安心感は、それをいともたやすく上書きしてくれる。
「……無理はしちゃだめよ」
一瞬こちらを見た顔は、紅く染まった頬が照れくさいのだろうか直ぐに下を向いてしまった。
「見せつけるじゃないか。良子ちゃん」
「あっ! あっ、あの、その、これはっ!」
良子さんは気恥ずかしさで慌てて離れてしまう。
「いや、ごめんよ。ついね」
これが三鷹誠司か。藤堂流師範代、そして警察庁の切り札。今日初めて会うが、この落ちついた佇まいと滲み出る強さは噂通りだな。
「三鷹さん、初めまして。遠藤です。お噂はかねがね」
「これはご丁寧に。三鷹です。天下のEIMの社長に名前と顔を知って貰えるとは光栄ですね」
「いえ、そんな大したものでは……」
「ご謙遜を。ところで遅くなって申し訳ありませんでした。今日は朝から立てこもりに、バスジャック。あげくに爆破テロ予告とお祭り騒ぎでしてね。そのせいでここに乗り込めるようになるまで時間がかかってしまって。良子ちゃんも良く待ってくれたね」
「いいの。誠司兄ぃに連れてきてもらわないと、わたしがここに来るなんて出来なかったんだから」
——なるほど、理解できたぞ。敵の狙いはシンプルに足止めだ。オレを止めることで良子さんも動けないようにしたわけだ。
分断。それが今回の目的だろう。予知のあの場面と重なる。
「良子さん」
「——! なによいきなり。顔が近いわよ」
「藤堂流道場、姉弟子のところへ向かいます」
周防はきっとそこにいる。




