八十 〜未来予知〜
八尋視点
「この調書にサインして頂ければ、すぐにでも帰れます」
「何度も言いますが、身に覚えがありません」
対面に座る、にやついた顔が蛇に似ている男が調書へのサインを求めてくるが、あやふやに笑ってにごす。
時刻は十三時。窓はなく、全面が鏡になった部屋に押し込まれ、折り畳み椅子に座らされてから四時間以上が経過した。
「簡単なことです。三鷹郡司を売るか、貴方が罪を被るか。わたしはどちらでも構いません」
簡素な長机に置かれた二種類の調書。ご丁寧なことだ。
早朝、良子さんを藤堂道場に送った後、戻った喫茶店に待ち構えていた男たち。尾けられてはいない。あらかじめ待ち伏せしていた様だった。
それと同時に、携帯端末からはメール通知を知らせる音が何度も鳴っていたので、会社にも人員が差し向けられていたと思われる。
車に乗るよう促された際に、メールアプリを起動して内容を確認しようとしたが端末は取り上げられてしまった。
男達は特捜などと名乗ってきたので、仙術を用い惑わせるやり方で切り抜けるのは少々具合が悪かった。
朝七時から二時間ほど車で移動。入った先は検察庁関連の施設ではあったが、どう考えても正規の手続きは踏んでいない。
異変を感じた玄武が、オレの居場所を把握しつつフォローに回ってくれているがまだ連絡はない。もう少しこの男から情報を集めたいところだな。
ここまでは、ありもしない罪状の説明と調書へのサインの強要、それ以外はどうでもいい世間話ばかりで時間が過ぎた。
向こうは余計な情報をオレに与えないように同じ話をしては調書へのサインを促すばかり。
そろそろ揺さぶりをかけて反応を見てみるとして。まずは弁護士を呼ぶといった正規の対抗手段を……いや、それはこの状況からして取り合いもしないだろう。
そもそもこの強行ぶりからして、見せられた令状は偽造しているだろうし、その面を突く?
……いっそのこと仙術を使ってこの男から情報を吐き出させるか? 一人だけなら他にバレずに出来るかもしれない。
だが監視カメラで記録されていたとしたら後々面倒だな。
……取れる選択肢は多いが、これは明らかに敵の罠、策。どうやれば正解なのか悩みどころだ。
「それとも社員のせいにされますかな?」
こちらが大人しくしていることをおのれの優位と勘違いした男が、対面の椅子に深く腰掛け笑いながらそんなことをのたまう。
何者かの意図で動く、もしくは操られているだけの駒の発言だとしても、その言葉を聞くと腹の奥が熱くなる。
「……言動には気をつけてもらいましょうか」
抑えていた感情が噴き出る。部屋に満ちあふれた怒気は男の生存本能を刺激したようで奴の指先が震え出した。
男は椅子から立とうとしたが、全身に広がった震えのせいで、上手く立てずに椅子から転げおちた。
起きあがろうとするが、もぞもぞと身をゆするばかりだ。
ひゅうひゅうと浅い男の呼吸音だけが部屋を満たす。
……しまった、もう少し情報を引き出すつもりが。これは龍樹との本契約の影響だな。以前より内蔵する気が増えたせいで、軽い気当たりのつもりがここまでとは。
さてどうするか——
『おお、怖い怖い。八尋や、最近は嬢ちゃんがおらんと直ぐに頭に血が昇るのぉ。そんなことでは大陸の八仙に笑われるぞ?』
男への対処を考えていると声が響き、目線の高さの空中に現れた渦——異界の入り口——から玄武が顔だけをのっそりと出してきた。
空気が常温から一瞬で零度近くに急激に変化したかのような、急激な寒暖差を感じる。異なる相ーー異界ーーへ、ズレた事を現す事象だ。
瞬く間に空間が変化していく。灰色の土と黒い空ばかりが広がる見慣れた風景。玄武の作る異界だ。
男のほうといえば、恐怖に震えていたところに刺激が強すぎたようだ。突然変化した風景に耐え切れず、目をむいて気絶してしまった。
目を覚まして、この状況に騒がれるのもうるさいので意識が戻らないように術をかけておく。
「玄武……済まない。落ち着いたよ。監視カメラは問題ないか?」
「部屋の隅に二個あったが線を食いちぎってやったし大丈夫じゃ」
「そうか、ありがとう。よし、この男への術はこんなものでいいか。……それでどうだった?」
男に術をかけたあと、玄武の持ち帰った結果を確かめるべく続きを促す。
『会社の方は誰も引っ張られてはおらん、警察関係も検察関係も寝耳に水らしい、特捜の独断じゃな、ただし……』
「咒式、もしくはその残滓……」
『咒式本体はおらんが、何人かに入り込まれた形跡があったのぉ』
「そうか……」
咒式を使った高度な人心操作。周防国親の仕業であると確信する。だがこのタイミングで何の意図での妨害なのか。
……そもそもの目的が読めない。ヤツの目的はなんだ?
『エクセルヒューマン、探りを入れておったろ?』
機械仕掛けの悪魔と先日の良子さんを狙った事件。残骸の解析によって、エクセルヒューマン社が関与したのは間違いないといえる。
まあ、EIM以外であんな馬鹿げたものを作ろうと考えるのは、エクセルヒューマン社ぐらいしか思いつかないので答え合わせは簡単ではあったが。
競合ではありつつも幾つかの新規事業は共同出資による協業などで、関係は良好の筈だったが……あくまで表向きでしかなかったようだ。
機体の残骸から発見された流体制御用センサーと幾つかの動力機構の知見は間違いなくEIMが産み出した技術。
真由美さんが操られていた時に流出したものと考えられる。
しかし、やはり腑に落ちない。エクセルヒューマンの業績は近年下降の一途だ。売上高は横ばいを維持しているが、利益率が悪化し続けている。
まるであの機械仕掛けの悪魔やマキナシリーズと呼ばれる機体を作るためだけに利益を吹き飛ばしている様にしか見えない。
いくらなんでも、折角手に入れた技術を金に換えもせずそんなものに注ぎ込めるだろうか? エクセルヒューマンの社長もここ数年は表舞台にでてきていない。
ここまでの情報から、周防がエクセルヒューマン社の中枢を握っていると判断していいだろう。
だがそれが分かったからと言って周防の目的は見えてこない。
「黒幕を倒せばゴールなのか、他の答えがいるのか。分からないうちは手の出しようがない」
『だが、お前の目的は邪魔をされとる。嬢ちゃんにもこの状況は共有しておるが、そろそろ我慢出来ずに乗り込んでくるぞ』
「心配をかけてしまっているからそろそろ出ないとダメだな」
ここから事態がどう動くか。いずれにせよ未来を観測する必要がありそうだ。
「良子さん絡みで精度がどうなるか分からないが、今日、明日……一週間程度までに絞った予知ならある程度信頼できるだろう。サポートを頼む」
『うむ』
玄武から術式が放たれ、亀甲紋様の連なりが異界内を埋め尽くす。
この術式は術者が指定した対象——術者を含む——以外の時空間を固定し切り離すものだ。
この状態になる事で予知に不要な干渉が起きにくくなり予知の精度を高める事が出来る。
深く息を吸い込みゆっくりと吐く。何度か繰り返し少しずつ、浅く長い呼吸に切り替える。
気が整ったところであぐらになり瞑想状態に入る。
それから約三十分後。
前触れもなしに突如、目の前の風景が歪みだす。瞑想を維持しつつも、歪みを注視していく。
その歪みに徐々にではあるが、鋏で切り込みを入れた様な切れ込みが入っていく。少しずつ、一本また一本と切れ込みが増えていき歪みはいつしか穴となる。
その穴は少しずつ拡がっていく……予知の準備が整った。
「これだけは何度やっても慣れないな……」
これからせねばならない行為に思わず呟きが漏れる。この穴はもうすぐ拡がりを止め、十分もしないうちに閉じてしまう。
人の脳では理屈を理解出来ないが、この穴の先は未来の情報が格納されている。そしてこの穴に記憶装置ーー機械、生物問わずーーを入れればそこへ未来が流れ込み、焼きつく。
脳も記憶装置なので頭を穴に入れれば未来の情報を得る事が出来る。だが入れたが最後、膨大な未来の情報が流れ込み記憶が上書きされ続け、一瞬で脳が焼き切れる。
ではどうするのかというと、目を使う。人間の目も記憶装置として使えるのだ。
やり方は単純だ。
……ためらっていても仕方がないので、右眼に指を入れ抉り出す。賦活術式を掛けながらなので痛みはない。あるのは嫌な柔らかい感触。
この行為に慣れてしまっている自分が少しだけ怖いな。
「出てこい、天秤」
右手に目を握りながら何もない中空に声をかける。
『喚んだかぁ。稔麿ぉ』
相変わらず、いつ出現したのか分からないが、今日も今日とて喚べば来たので良しとする。
……さて、準備ができた。
不確かな未来を観るとしようか。




