七十八 〜だからお願いね〜
「要約するとこんな感じ」
「私が留守の間に……」
わたしの話を聞いた八尋は静かに怒った。ああ、また手をきつく握り込んでる……。
抑えようとしても漏れる怒気。八尋の手を取って拳を開かせる。
「誰も怪我はなかったし、だから、ね? みんなもいるから」
八尋は周防と対峙したあたりから以前より感情が表に出るようになった。特に怒りの感情が顕著。
「想定していた事態よりも深刻だったものですから、取り乱しました。篠塚さんからも詳細な報告は上がってきておりませんでしたので」
「それは私がお願いしたの」
あの後、篠塚会長に連絡して八尋にはなるべく情報の精度を落として伝えるようにお願いした。
そうすれば、単にわたしが襲撃者を返り討ちにしただけのショボイ案件になるだろうからと、そう考えたのがダメだったかな。
「ええ、それはすぐにわかりましたよ。篠塚さんはわたしに隠し事をするのは苦手ですからね」
わたしの手を握り返してくる八尋。……あの、それで怒りを収めてくれるのは良いんだけど、ちょっと汗出そうだから離してほしい。
(ねぇ、桜花ちゃん、あの二人は本当に付き合って無いのよね?)
(もし付き合ってるとして、良子が私達に黙ってられると思う?)
(思わない。秒で答えれる。絶対言うと思う)
(あの良子がよ? 男の人の手を取って、しかもなだめる様な仕草で、あんな優しい目で見つめてるのよ?)
(ほんとにヤッてないの? 桜花ちゃん)
みなさーん。小声のつもりでしょうけど全部聞こえてますけどー。あと最後。最後のやつ。
ちゃうねんって。あぁもう、何と言うか戦友って感じなのよ、伝わんないかぁ……。
「ひとまずご無事で何よりです。水嶋さんと御霊がついていれば本来は心配する必要などないのですが、今日の様な出来事は流石に我慢出来ず、お恥ずかしい姿をお見せしました」
「落ち着いてくれたらそれでいいよ」
もう大丈夫かな? 八尋の目を少し確認。うん。怒ってはないや。
「今回の事とわたしが集めた情報で周防に繋がる関係者や拠点も絞れましたし、一度姉弟子も交えてきちんと話すべきでしょうね」
「どうせなら誠司兄ぃにも通しといた方がいいと思う。関係者集めて作戦とか方針決めた方が良いかな。集まる日取りは私からみんなに確認するわ」
八尋はそうですねと頷きながらやっと手を離してくれた。汗出てないよね? 出てないや。良かった。
「皆様、折角のお時間をお邪魔して申し訳ありませんでした。もう引き揚げますのでご容赦頂ければ幸いです」
お辞儀がさまになる男。よしよし納得してくれたのね。お帰りはあちらよー。
「「「引き揚げ無くて良いです!! こっち来てお話し聞かせて下さい!!」」」
背後から揃った大声が。
「えっ……みんな? ちょっと、もうちょい中学とか高校の時の話ししようよ?」
「「「後でね?」」」
目が怖いんだけど……。こっちに座れって? あっはい。
◇ ◇ ◇
深夜三時、八尋と二人、喫茶【遠藤】がある商店街に向かう夜道を歩いている。駅前のタクシーで帰ればすぐだけど「歩きませんか?」って、いわれたから。
「ねぇ八尋。さっきみんなと何を話してたのよ? 私だけのけものとか酷くない?」
信じられない戦術だったよね。入れ替わり立ち替わりでわたしと八尋を分断して、八尋がいったい何を話したのかさっぱりわかんないし。
「良子さんはとても良い御友人をお持ちですね」
「それは知ってる。でも本人前にしてコソコソ話した後、もう帰れって言うのは酷くない?」
「ふふ、くっ……ははっ!」
八尋は立ち止まって肩を揺らす。もう! 笑わないでよ……まあ、悪意がないのは分かるけど。
「すみません、思わず笑ってしまいました。少しお話しをしても?」
「良いけど……」
「今日、ようやく決意出来たんです。私はこれまで月に行く、宇宙に出る意味を分かっていなかった」
うん? 行きたいから行くんじゃなかったの? 子供の時の夢を実現するんでしょ?
話の内容がいまいち掴めない。
「調停者。正直私には重い、重すぎる名でした……。名を汚さない様に必死でしたが、それは間違っていました。良子さんは、わたしのことは余裕がある人間だと思われていたでしょう?」
「そうやって、こっちの考えてる事を見透かす様なこと言われたらそう思うってば」
「良子さんの考える事は分かり易い、かと思えば振り回される。私は貴女に興味がある、いやそれ以上だ」
「えっ?」
八尋はこちらを向いてそんなことをいう。突然すぎてどう返せばいいかなんて解らない。顔ばっかりが熱くなってくる。
「これは普段のお返しですね。効果があることが分かりましたので、とても大きな収穫でした」
「何よ……八尋の癖に。大体、このやり取り、水嶋やアクア、紫苑にも何となく伝わったりすんのに恥ずかしくないの? かめかめにもよ?」
「恥ずかしい? そんなに恥ずかしい事でもないと思いますが?」
顔が近い。だからそれが恥ずかしいといってるのに。まじまじと見つめてこないでって。
「私は何だか恥ずかしいのっ!」
結晶から復帰したあたりから態度が違うのよ。具体的には目。目が違う。こっちを観察する目じゃなくなってる。それまではわたしの挙動を見張る様な視線だったのに。
「決意が出来たと先程申しましたが、一つお願いがありまして……見届けて欲しいんです」
「見届ける……見てりゃ良いの? 」
「そうですね。見てるだけです、絶対に手を出さないで下さい。フリではなくですよ?」
ふふふ……八尋くん。そこまで言うとフリだよそれは。まだまだ分かってないね、君は。
「そのお顔だと余り理解はされていないですね……。まあ私が心配されないように頑張れば良いだけか」
あっ。ちょっと馬鹿にしてる。文句言おうかしら……手を上にかざして何してるの八尋?
「龍樹」
なに? リュージュ? ……やだ、急に雨。傘なんて持ってないのに。
それに雷まで……。やめて欲しいわね。
『喚んだなぁ……。確かに喚んだ。お前の腹が決まるとは予想外だぁ』
声……何処から? 上からよね? 地響きみたいな声——黒い空が光って雲に何か大きな影が浮かぶ。なにあれ。
「良子さん、周辺に迷惑をかけたくないので異界への穴を開けてそちらに移動します」
だから、自然に手を取るなっつうの。私も当たり前みたいにしてるけれども……。
八尋は少し笑って印を結びはじめた。空気が変わっていき、周りの色がモノクロになっていく。商店街へ続く道はまばたきのあいだに、だだっ広い荒野、岩と土が目立つ異界に変化した。
「ねえ……さっきのなんだけどさ?」
……まさかあんなのと何かしようなんて事は考えてないよね? 異界に入る前にチラッとだけ見えた、目測百メートルぐらいのでっかい、たぶん黒い龍? 羽を生やして空を飛んでいたように見えたけれど。
「龍樹です。玄武と対を成す神獣……私はまだアレとは仮契約でして、今日は本契約を実施します。素直に契約してくれるかは分かりませんが——来ましたね」
『八尋ォオオオォ!』
バカでかい声と共に大きな黒い塊が降ってきて、辺り一面が砂煙に覆われた。目の前の視界は黒い物体でいっぱいになる。
上を見上げても顔とか形とかなんにも見えない。スケールデカ過ぎ。なんなのこれ。
「応えてくれるか?」
『お前ぇ次第だぁ』
「そうか……。定命より請う、封、北辰、浄雷之零」
八尋はどこから取り出したのか、いつのまにか例のお面をつけ龍樹に話しかけ、印を結んでいる。
『問う……汝……求めるは力か、それとも理か……選べ』
八尋と龍樹が会話するたび青と黒が混ざった雷がお互いを行き交う。
にしても、この龍の鱗。さっきの落ちてきた衝撃と共に取れたのか足元に落ちてきたから、拾って手に取ってみたんだけど。緻密な柄でいい仕事よね。
黒紫の半透明、硬質なガラスの様な手触り。高級なお皿にしか見えない……盛り付けるとして骨つきの肉? ラムとかね。いや、お刺身盛り合わせも合うな。
「求めるは理」
とか考えていたら八尋の声と共にいきなりの閃光。
龍が光ってる。目が灼きつくような光の奔流。腕で顔を庇う。目が焼けるからこういうのは先に言いなさいよまったくもう。
——? わたしの足元に影が伸びてくる。八尋の気配じゃない。誰かいる。
『こんばんは』
「こ、こ、こ、こんば、んは?」
はあ、こんばんわ。眩しくてお顔も分かりませんが女の人の声。さっきまでの出来事と何一つ結びつかないもんだから、戸惑っちゃって挨拶が上手く返せない。
『ああ……眩しいわよね、これでどう?』
突如光が収まりさっきの風景だけど。……八尋が居ない。
代わりに……伊吹ちゃん? いや違う、とてもよく似てるけど、もっと落ち着いた印象を抱く微笑みでこっちを見てる綺麗なひと。
「もしかして菖蒲さん……?」
『ふふ……正解。良く分かったわね? 向井良子さん』
当てちゃったよ……。当てずっぽだけど。御用の向きは何でしょう。
『大丈夫よ、そんなに身構えなくても、八尋の彼女に挨拶したかっただけ』
いやそれ違う。何で皆んなしてそっちに持ってくのよ。大体、ちゃんと想いを確かめ合って、お付き合いしませう。ってそういうのを経て二人でその、あれよ、恥ずかしいわね!
「彼女じゃないです。社長と社員です」
生暖かい目を向けないで下さい。うんうんって頷かれても。
『何でそんなに否定するの? この間、二人きりで買い物デートしてたじゃない嬉しかったでしょ?』
「なんでしってるの?」
『龍樹の中から見てたから』
あっ……悪い顔して笑ってる。嫌味がないから怒るに怒れないわね。
「菖蒲さんが何者なのか聞いても良いかしら」
『良いわよ、と言うより最後は貴女に会いたかったから龍樹から出てきたの』
「最後……? 八尋に会ってけばいいじゃん。最後?」
『駄目よ。アイツ、私見たらまたウジウジするんだから』
だから貴女にお願いするの、菖蒲さんはそういって微笑みながら私の額に優しく手を置いた。
そして、私の頭に流れ込んでくる記憶。想い出。
——塞ぎ込んで下ばかり向いている男の子、声を掛けたら悲しい顔で、はにかんだ。
毎日一緒に遊ぶ内に悲しい顔はしなくなったけど何処か遠くを見つめる時があった。その横顔を見ているとどうしようもなく胸が苦しくなった。
どっちの背が高いか、毎年比べた。中学生になってからは、お互い恥ずかしくなってしなくなった。けれど彼が下を向く事はなくなった。
十六歳の夏、突然降った叩き付ける様な雨から逃げ込んだ無人駅、一時間に一本の路線じゃ誰も居なくて二人きり。髪を拭いてくれた手が離れるのがイヤでそっと握りしめた……。
そして初めてキスをした。
景色を見せたいと言って色々なところに連れて行ってくれた。恥ずかしそうに月に行きたいと夢を語る姿は他の誰にも見せたくない程、愛おしかった。
仕事を始めて、自分がどれだけ甘くて無責任で、弱いかを知った。幾つもの命が手からこぼれていった。でも彼が隣にいればそれも乗り越えられた。彼も同じ気持ちで居たと思う。
けどそれだけじゃ駄目だった、この世界で甘いまま、無垢なままでいたツケは自分の命で払う事になった。
また塞ぎ込んで下を向く男の子。——もう私は彼に声を掛けられない。
でも彼を残してこのまま消える事は出来ない。せめて彼が前を向くまで……見ているだけしか出来ないけれど。
『ようやく前を向いてくれたの。貴女のおかげ。だからお願いね』
彼女はそう言って優しく微笑むと、わたしに背を向けて歩きだした。
異界の空気に溶けていくようにその姿が消え始める。
「あっ……」
わたしが何か言おうと声を出した時にはもう、彼女の姿はどこにもなかった。




