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七十三 〜平穏〜


 季節は春の午後一時、喫茶【遠藤】にて。


「あれ、良子ちゃん? どうしたの。バイト辞めたんじゃ無かったの? 何にせよ久しぶりだねー、元気そうで良かったよ、常連みんな気にしてたんだよー」


「……いらっしゃーせー」


 メイド服でお客を迎えるのは久しぶり。わたくし向井良子でございます。


 この気軽に声をかけてくるおっさんとお兄さんの間ぐらいの人はラーメン屋の時からの常連。


「あっ! 聞いたよ、聞いた。春樹くん結婚するんだってね。若いのに大したもんだよ。ほんとにおめでとう」


「ありがとうね。てか、何で知ってんのよ。まだ誰かに話したりしてないのに。まあいいや。あとバイト辞めてないの。ここのオーナーの会社に就職したから。時間空いたりしたらこっちも手伝うのよ」


「……」


 なんで返事しないのよ。おまえ。あれだろ。ほかの常連もだけど。わたしがいた時は週一来るかどうかだったくせに、最近毎日きてるだろ。理由は知ってるからな。


 お店入ってくる時、なんでいるの? っていう顔したのちゃんと見てたからね。ほら、ちゃっちゃっとそこの席座って。これメニュー表。


「……なんにしようかなー」


 わたしの真顔塩対応にややビビりながらも、ちらちらと視線を送る先は奥の厨房。はぁー、浅はかねぇほんと。


「コーヒーとあと真由美スペシャルお願いしようかな!」


「コーヒーと真由美スペシャルね。はいはい。因みにこれ今日四個目だかんね」


 一番高いメニューを頼むのはいったいなんのアピールよ。


「え! アイツら、抜け駆けはダメだって言ってんのに!」


 そんなに驚くことかしら? そもそもこんなことで、抜けも駆けれもしないのに。


「真由美さーん、オーダー入りまーす」


「「はーい」」


 気持ちのいい声がした厨房側へ振り向くとそこには真由美さんと紫苑の姿。真由美さんはすっかり元気になって、一月前にこの喫茶店を八尋から引き継いだ。


 それと同時に紫苑にはこっちを手伝うようにわたしから言った。その方が絶対に良いとおもったからね。


 紫苑は真由美さんと一緒に働くことに最初だけは少し緊張していたらしいけど。いまじゃもうすっかり仲良し。一緒にお皿を洗う姿はまさに親子。これまで出来なかった、かけがえのない時間を共有するかのよう。


 いやー久しぶりのウェイトレスだけど、これをみれるだけでも楽しいわ。


「なんて美しいんだ……」


 ただこの常連、他にもいるけどこの下心丸出しの商店街独身連中。これさえなければもっと良いんだけど。


 今日もこの人で四人目。うっとり真由美さん見つめて、呟いちゃって。まったく、いい大人がほんとに。あーあ。


 真由美さん、美人度と親しみやすさが掛け算した男殺しの容姿だし、熟女の概念壊されるから気持ちは分からないでもないけど。


「あの、お母様。ドレシッングはこのぐらいの塩味で良いでしょうか?」


「見てみるわね? どれどれ……バッチリよ! 紫苑ちゃん。次はカレー、八尋君も大好きなスペシャルカレーよ!」


 意気込む真由美さんと大きく頷く紫苑。うーん、癒されるわ。ここのところ最高何ちゃら神さんとか周防さんちの国親君とか濃いめも濃いめの濃い濃いメニューでお腹一杯だったから、マジでこの二人を眺める時間は至福ね。


 見てこの尊い笑顔。はぁー最高。もうほんと良き。嫌なことも忘れられる……。


 そう。思い出したくないけど周防に乱入されてから、そろそろ三ヶ月。


 あのあとから八尋はなにかを調べだして会社にあまりこなくなった。何をしているか聞いたらややこしいこと話し出したから、あまり内容は覚えてないけど。


 周防を追いかけてるのは確かみたい。わたしの勘だと、どうせあっちから来るから放っておけばいいと思うけど。


 開発室の仕事も、いまはわたしができることなんて全くなくてすごく暇。勤怠管理とか会社支給のスマホアプリが勝手にやっちゃうし、主な仕事が椅子に座ってるだけとか耐えられない。


 課の人たちは構ってくれるけど、明らか邪魔しちゃってるのわかるし。


 それならばと喫茶店でウェイトレスやってても良いか聞いたら、どうぞどうぞって快く送り出されて、今日から勤務地変更という扱いなのね。


「良子ちゃんも一緒に覚えましょうね!」


 うっわ、考えごとしてたら流れ弾きた。至福タイム終了のお知らせ。だってここからの流れ知ってるもの。昨日ここにきてからずっとだし。


「……あら? だめだったかしら?」


「ダメとかじゃないですけど」


 真由美さんはわたしの目を覗き込んでくる数少ない人のうちの一人。じっと見つめてこられるのは苦手なんですけど。


「紫苑ちゃんが作ったら八尋君とても喜んでくれるけど、良子ちゃんが作ったならもう覚悟を決めると思うのよね! ね? 良子ちゃんもそう思うでしょ!」


 ほらきた。読み通り。そしてこのキラッキラの笑顔。眩しい。


「何回もいいますけど、八尋とはそんなんじゃないですからね?」


「我が君……」


 ちょい待ち! 待って! ストップよ! 紫苑!? そこで目をウルウルさせるのは、反則よ?! 


「紫苑ちゃん……大丈夫よ。今はちょっと恥ずかしいだけで、もう少し時間が経てば、もうそれはそれは甘い空気になっちゃうんだから! お母さんが約束してあげる!」


 これ。これさえなければここは素晴らしい空間なのに。何故こんな爆発物があるのか。


 原因は私と八尋のやり取り。真由美さんから見ると、もう深い関係のそれにしか見えないらしいのよね。


 昨日のことを思い返す。こっちにしばらくは戻るから実家に帰ろうとしたのよ。就職時に社員寮に入ったから、前のアパートは引き払ってるし。


 でもですね。諸々の事情でそう簡単には帰れないことが判明したのよね。いや帰れるんだけど帰りたくないというか。


 弟夫婦(片方親友)と義母の恋人がいる家で夜を過ごしたくないというか。


 夕飯たべ終わってお風呂上がりに気付いたのよ、脱衣所にまで響くみんなの話し声に。


 そして、さらに夜がふけるとどうなるんだろうと考え出したわたしの脳。


 日本家屋の壁は薄くて音が通る。そして真夜中ともなれば? そりゃもうオーケストラよ。演奏を控えてくれたとしても控えさせてるという引け目がわたしの頭の中でスパーク。


 だから服を来てからすぐに家を出ちゃったの。会社に忘れ物したから、今日は寮に泊まるからって。みんなに言い訳しながら。


 水嶋はついてこようとしたけど、ちゃんと置いてきた。


『音は遮断出来る』


 わたしの影のなかに収まるアクアから思念。


 ……ねえアクア。そういう問題でもあり、そうでもないのよ。これはとてもセンシティブな問題なの。


『なぜ? 生殖行為は——』


 ストップ、アクアちゃん。うん。もうやめて。お願いだから。ね? そういう直接的なの良くない。もっとライトなのですら聞くのが嫌で飛び出したんだから。


 で、舞い戻ろうと寮に電話したらもう満室。EIMの寮は自社の最新家電からなにから完備の部屋で人気といえど埋まるの早すぎる。


 それで八尋に電話。じゃあ【遠藤】の二階が空いてるからどうぞって。真由美さんと紫苑が住んでいるから寂しくもないし。渡りに船よね。


 でもさ。八尋がいまこっちに泊まってるとか知らないじゃん。二部屋あって、片方八尋。もう片方真由美さんと紫苑。どうして部屋が空いてるっていったの? 空いてねぇから。


 お店についてから真由美さんが八尋の部屋にお布団を二つ敷きはじめてさ。あれ? あれ? ちょっと待って、なにしてんのって。


 あの馬鹿八尋、止めもしないし。「かまいませんよね?」とかいうのよね。かまうわ、このバカ。何言ってんだ。


 真由美さんにも説明したの。八尋とはそういう間柄じゃございませんって。でも六回繰り返し説明しても真由美さんの「へ? なんで?」っていう顔が変わらないから、わたしは諦めて喫茶店のソファで寝ることにしたわけ。


 なぜか対面のソファで八尋が寝てたけど。いや、部屋で寝ろよ。こっちが押しかけてるのに気を使うでしょうが。どういうつもりか話そうとする前にさっさと朝早くに出かけちゃうし。ほんと——


『そろそろ良子も(せい)しょ——』

 

 最近覚えた技術。アクアちゃん、ミュート。そんでもって回想終了。取り敢えずこういう時は逃げの一手よ。


「コーヒー持っていきまーす」


 常連がコーヒー待ってるし。だから真由美さんも紫苑もその悲しそうな顔はやめてね。背中に視線が刺さって痛いから。


「良子ちゃん……ちょっと今、俺は耳がおかしくなったのかどうか分からないが。その、彼氏……というか、仲の良いというか、そんな相手が出来たのかい?」

 

「何故耳がおかしくなったら私に彼氏が出来るのよ。殴るわよ」


 うっせえぞ、常連。黙ってコーヒー飲めや。おら。


「ああ、良かった……いつもの良子ちゃんだ。この殺気、圧力、普通の男じゃ二秒も持たない。——待てよ! 死線を涼しい顔で切り抜ける歴戦の傭兵、それか伝説の格闘家あたりなら、あり得るのか?」


 じゃあ、この殺気に耐えてるアンタは何者なのよ。


「あることないこと、商店街の皆んなに吹いて回ったりしたら、油性マジックで額にカッコいい漢字を書くからね」


「うぉ! その絶妙にいやな仕返しぐあい……やっぱり良子ちゃんに彼氏なんて出来るわけないな……いやー、焦ったよ」


 焦る? 今お前が焦るべきはその腐った脳みそからひねりだされ、口からつむがれたわたしへの暴言がまねく、その結末にこそ焦るべきだけど?


 ご覧なさいよこの右手。もうわたしの意思とは無関係にそのこめかみを握り潰してしまいそう。


「違うんだよ良子ちゃん! 皆んなのアイドルに彼氏が出来たら寂しいだろっ! つまりはそういう事だよ! だから落ち着こう、ねっ?」


 はあー、やっぱり脳みそ腐ってるのね。おまえさ、来店時点でわたしを見てため息ついたじゃん。残念そうに顔をしかめたじゃん。


 お客さんだから我慢したけど、もう無理よ。そんなあなたに送る言葉。聞いてください。


「花も恥じらう乙女とは、言えぬ年頃、春うらら。お前のあたまをかち割るぞ」


「ポエム!? これが出るのはヤバい! お会計置いときます! ありがとねー!!」


 わたしの右手をかいくぐって転がるように店から飛び出す常連。


 ……まだテーブルに持ってきてない真由美スペシャルの代金はしっかりと置いてあったから。追い討ちかけてアイアンクローは許すとしましょうか。


 それにしても、あれで商店街の会長って。歳は確か四十歳。前は師匠にも粉かけようとしてたのに今は真由美さん狙いか。節操なしめ。


 と、いうより常連全員そうだけど。


 ——あっ。思い出した。アイツが拳王とか何とか言い出した奴だ。油性ペン確定。漢字なんにしようかな。


『愛』


 それいいかも。ナイスね、アクア。センスある。草書体にして痣みたいにしよう。


 せっかくの真由美スペシャル残すのもあれだし。出前にしてアイツのとこに届けるついでに額にお絵描きタイムね。


『そのあと道場で婆娑羅(ばさら)と手合わせ』


 それね。その用事もあった。


 内弟子となった婆娑羅。春樹とも仲良さげに話してたし、すっかり藤堂流に溶け込んでる。


 でも部屋が余ってるのにわざわざ道場で寝起きしてる理由、たぶんわたしと一緒よね。今思うとだけど。


 昨日家から飛び出したとき、婆娑羅だけが「逃げたっ!」とかいってきたもん。


 昼間は師匠との手合わせで身体をズタボロにされて夜は疎外感と気まずさで心をズタボロにされてるのね。きっとそうに違いない。……婆娑羅には優しくしてあげよっと。


「大丈夫よ、紫苑ちゃん。時間の問題だから」


「お母様……」


 婆娑羅の境遇を思いつつ外を見てカッコつけてたら背後から被弾。


 ……えーと。その件については、もう少し考えさせて下さい。


 



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