七十二 〜森羅万象 弐〜
周防は藤堂家を後にしてから自室に篭り、藤堂流一門の集合写真が飾られた壁を見つめ続けていた。彼の頭に響く声は鳴り止まない。
『人類種は現時点西暦一九七八年五月三十一日から起算して四百二十年後に絶滅します。絶滅を回避する方法は多数ありますが、そのどれもが成功率1%以下となります』
(これは一体なんだ?……)
『質問の内容から推測するに覚醒時の混乱症状と判断されます。チュートリアルのロードを開始、完了。適合者:周防国親への同期完了、接続』
「答えるだと?!」
対話ができることに驚く周防の頭部に、発光する緻密な文字の集合体が光輪の形をとりながら浮かんだ。
『ザームの一族により作り出されたシステム【森羅万象】はザームの末裔が取るべき未来を予測によって助けます。ただし予測精度を高めるためには予知能力者を排除するか、制御する必要があります』
『ザームの使命は人類の永続です』
『完全なる人類。個体名:藤堂綺羅の出現により周防国親の適合条件が揃いました。人類絶滅回避の確率は現在1.8%まで上昇』
周防は記憶を書き換えられていくかのような感覚を覚え、全身を震わせた。誰かの記憶が次々と流れ込んでくる。綺羅を初めて目にした時に起こったそれよりも、もっと強烈に。
(ウォル=ザームだと? 何だ? 何を言っている!? ……ザーム、そうだ。人類を救う為に俺たちは血に潜り続けている)
流れ込む記憶は周防に自身の状況と森羅万象というものがどういうものか理解させた。
森羅万象はザームと呼ばれた男が四千年前に作り上げた術式である。
適合者と呼ばれる術式行使者が寿命を迎え死ぬとその記憶を取り込む。
術式を行使するのに最も適した人類が現れるまで森羅万象は待ち続ける。
適合者にしか森羅万象は認識できない。
時には二百年以上も適合者が現れない事もある。
森羅万象はあらゆる事象を観測し続ける。
このシステム自体には外部へ干渉するような能力はない。あるのは予測のみ。世界の未来を見通すのだ。
人類を救うというザームの目的のために。
『——選択をどうぞ』
森羅万象から周防の脳内へ、現在の未来予測と共に四百二十年後の絶滅を回避するために動くかどうかという提示がなされた。
過去の適合者の中には何もしないという選択肢を取った者もいた。その場合森羅万象は次の適合者が現れるまで待つ。
適合者が現れない場合はそれも人類の選択という事だとも森羅万象は周防に示した。
(このまま知らぬふりを……動くとすれば?)
『選択をどうぞ』
動くとした場合の大まかな流れが周防の脳内で展開される。——それは周防が見た夢そのものだった。終わりの見えない冷たい悪夢。狂う事も出来ずに続くそれ。
『藤堂綺羅が成長し現界中の神性体、全てに勝利する確率は68%、しかし人類種絶滅確率は変化無し。子孫を残した場合、2%上昇し3.8%が確定』
「これがおれの役目なのか」
周防は壁に掛けた写真を見つめながら呟く。
その日から彼は夢を見ることがなくなった。
◇ ◇ ◇
平成十八年。藤堂家に併設された道場はみるも無惨な様相と化していた。
壁や柱は至る所が破壊され、血があちこちに飛び散り、道場の中央には腹に拳大の穴が開いた女性が横たわっている。
「麗華っ! 無事かっ……くそっ! 誰がこんなっ……」
息を切らしながら道場に飛び込んできた顔色の悪い男。藤堂宗一郎である。横たわる妻の姿をみつけ彼は駆け寄った。
「貴方っ……何故……病院から……貴方の身体ではもう、ぁ……ぁ……に……さ……」
「麗華……」
藤堂麗華は宗一郎の腕の中で息を引き取った。
ぽとり、ぽとりと雫が床を打つ音が鳴る。しかし自身の涙はまだ頬に留まっていることに気付いた宗一郎は背後に顔を向けた。
白一色に包まれたスーツのせいで、ことさらに目立つ赤色に染まる右腕。そこから滴り落ちる血。見慣れた顔。
「国親……何を……何をしている。何故お前の手が赤い、まさかあの手紙も」
周防の右手が貫手の形を取り、宗一郎に向けられる。
「役目を果たす為だ……そしてお前も俺の手で葬る。そうせねばならぬ。先に地獄で待っていてくれ」
宗一郎は癌に侵されていた。余命数ヶ月。放っておいても死ぬ。
それでもわざわざ病床の宗一郎に送り主不明の手紙を送りつけて誘き出したのは、周防が自ら殺す事で新たな選択肢が現れる為だ。
「国親っ!」
宗一郎は叫びながら身構え、周防の前に立った。全盛期とは比べようもなく技は衰えている。だが妻を親友に殺された怒りは一瞬だけ宗一郎に力を与えた。
床を蹴り雷光の如き速さで周防に飛び掛かる宗一郎。突き出された拳は流転紋を纏う。
——だが、休む事なく闘い続け技を磨いてきた周防にそれは届かない。
「その技では俺を殺せん。癒えぬ病のせいで立ち止まってしまったお前の技では。眠れ、宗一郎」
周防は宗一郎から伸びてきた拳を左掌で包み込むように受け止めた。それと同時に槍と化した周防の右貫手は宗一郎の防御を容易く破りその胸を貫く。
周防の顔一面に宗一郎の吐血がかかる。周防は微動だにしない。だが頬には一筋の肌色。
「この馬鹿野郎がっ……泣くほど辛えなら、相談ぐらいしろよ」
周防は無言で宗一郎を見つめていた。
「おいっ……国親ぁ、何かわかんねぇけど、どうせお前の事だ、想像もつかない事やるん……だろ? 頼むから……綺羅まで殺すなよ」
「……ああ、約束しよう」
宗一郎の最後の言葉に周防は短く返事をし、その身体を抱きしめながらそっと床へと下ろした。
それから周防は横たわる二つの骸の側でしばらく立ち尽くしていた。
『人類種の絶滅回避成功確率が4%に上昇。殺害犯の偽装方法は——』
波打つ感情が凪いだころを見計らうかのように森羅万象から結果と次の動きが提示された。
「まずは現況を」
要請に従い周防の脳内に森羅万象から様々な情報が映像や数値として展開されていく。
『現況観測』
『二百五十キロ先で神滅波動発生。減衰波長解析。藤堂綺羅は個体名:東王を神滅せず神界送還で留めた模様。これにより人類絶滅回避確率が1.5%に減少。想定通りです』
「藤堂綺羅は今日この時より畏怖の存在となった。約定に従い名を封じるしかない」
『個体名:茶々が藤堂綺羅の名を封じた場合、人類絶滅回避確率はーー%上昇します』
求めていた不確定な数値が森羅万象より提示され、周防は少しだけ笑った。
◇ ◇ ◇
現在。エクセルヒューマンジャパン本社、研究棟の一室。うっすらと青い液体が満たされた巨大な透明タンクーー治癒装置ーーの中、無数のチューブと呼吸器を繋がれた状態で周防国親は浮かんでいる。
それを見つめる女性。相馬鈴菜だ。兵装は着込まず身体のラインが浮き出るボディスーツのみを着用している。
先日のオーディンの一件で周防の身体は限界を迎え、それを癒すため治癒装置の中で浮いているのである。
弱っているとはいえ、最高神を人間の生身で貫き封印するためにはそれだけの代償を支払う必要があったのだ。
「そろそろね」
治癒装置の前で腕を組みながら相馬鈴菜はそう呟いた。その言葉通り、治癒装置からはブザー音が鳴り、それと共に内部の液体が減少していく。
全ての液体が無くなった治癒装置の中で周防は自立している。そしてその目が開かれ、自身に繋がれたチューブと呼吸器を無造作に引き剥がす。
「おはようございます、マスタースオウ」
「おはよう、鈴菜。夢を見たよ。いや実に懐かしい、やはり人間というものは素晴らしいな。幾つになっても思い出というものは色褪せない。そして死ねばそれが失われる……何とも儚い」
治癒装置の中に掛けられた梯子を登りながら周防は鈴菜に返事をする。
「いつもどおりのご様子で安心しました」
周防は裸体だが隠すそぶりも見せない、鈴菜もまた、何も気にすることもなく周防にタオルを渡す。
「それでは私は任務に向かいます」
「ああ、あまり気負わずにな」
相馬鈴菜がエリアから出ていく様子に周防は目を細めた。成長するたび藤堂綺羅に似る姿。そして彼女が愛した男の面影。全ては彼の目論見通りに進んでいる。
「会えばわかるぞ、綺羅よ」
『個体名:相馬鈴菜の神滅総数は二百十八体となり次の任務で個体名:藤堂綺羅を上回ります。よって任務成功後、畏怖対象は相馬鈴菜となります』
「あとはあの姉弟と救世主だな……」
『個体名:向井良子及び、個体名:向井春樹が——月面——アラド——で人類絶滅回避確率はーー%上昇。その後ーー%低下。救世主の出現条件を満たします』
周防はようやく掴む事が出来た未来の可能性を再確認し顔を歪めた。森羅万象が指し示す人類生存への無数の道筋。たった一つだけ存在する数値解析不能ルート。
家族も友も罪なき者も、その全てを殺し周防はそれに賭け続けている。予測出来ない未来にこそ答えがあると信じて。
周防は身体を拭き終えると用意されていた服へと着替えた。そして治癒装置から十メートル程度先。厳重に鎖に巻かれ空中に固定された白い箱が設置された場所に向かって歩く。
「主神よ、貴様はどう思う。人類種が生き残る事に協力して貰えるならば別の道もあるが?」
箱の正面に立ち問いかける周防。小さく震える白い箱、示す意思は——否。
「無いのであれば心臓は鋳潰して私に必要な道具にさせてもらうが」
白い箱は沈黙する。
「交渉決裂……か、予定通りだな」
周防は白い箱に近づくと鎖の部分に人差し指を当てる。すると鎖がみるみると解け白い箱がゆっくりと落下する。
周防はそれを両手で柔らかく受け止め、両目を閉じて集中を始める。体内から気を集めその両手へ。可視化できるほどの気がそこから発露している。
ボソボソと周防が呟くたび両手から光りが飛び出し幾何学模様の形を取り、また両手に戻っていく。
何度かそれが繰り返された後、両目がカッと見開かれた。包み込む形から一気に押しつぶすように合掌。訪れる一瞬の静寂。
「ふむ……中々良い仕上がりだ」
ゆっくりと手を開きその手の上で光る五個の結晶を見つめる周防。極度の集中で明らかに消耗していたが、その顔は満足感に満ちていた。
「斎藤主任を」
結晶を準備していたケースに納めたあと、周防は室内に据え付けられた端末のスイッチを押し声をかける。数分もしないうちに目的の人物が勢いよく室内へやってきた。
「お目覚めになられたのですね、マスタースオウ! 鈴菜は何もいわなくてあの娘はホントにっ」
「任務で張り詰めているのだよ、許してやってくれ。それよりもその机に置いているケースを見てくれるか?」
「これはっ!」
斎藤主任は形の良い瞳を丸くしながら結晶が収められた透明なケースへと走り寄る。
「これで設計仕様上の上限出力が可能に……ですが人類ではマスタースオウだけしか出来ないこの技術は、後の世に残す為にあれ程、録画とその解析が必要だと申し上げておりましたのに……何故一声かけて下さらないのですか」
神由来の物質を加工可能な状態へ変化させる技術は現在人類では周防だけがそれを体得している。その事実を知る斎藤主任は、結晶を見つめる顔をギギギと音がするかのように周防へ振り向けた。
「これは私が悪いな。済まないね、年甲斐も無く良い素材を手に入れた高揚感で失念していたよ。しかしモニターには記録が残っているだろうから勘弁してくれまいか」
「……後程、出力幅の最適化などで微調整をお願いさせて頂く事になるかと思いますので、その際は、解析室にお越し願います」
「喜んで伺うとしよう」
斎藤主任の迫力に押されるように周防は直ぐに返事をする。彼女がその様子に納得し再度結晶に視線を向けた時、室内の天井スピーカーから社内放送が始まった。
【エクセルヒューマンジャパンより社員の皆様に定時退社時間をお知らせします。開発研究棟以外のオフィスはオートロック施錠が作動します。十八時までの退社が出来ない場合、責任者への残業申請及び承認を得て下さい、また、責任者が——】
「今日から突貫作業となるだろうが苦労をかけるね。どうだろう? 三ヶ月、いや四ヶ月有れば問題ないかね?」
斎藤主任はこれから結晶を加工するための作業に忙殺される。それは彼女しか出来ない内容が殆どだ。周防はそれを気遣い負担が軽減できるよう森羅万象が提示する最大猶予期間で尋ねた。
「二ヶ月で試運転は可能です、そこから微調整ですので三ヶ月頂ければ」
斎藤主任は微笑みながら答える。周防はその笑みを見て力強く頷いた。
「頼りにしている」
「ご期待下さい。それでは私は解析室へ向かいます」
斎藤主任は結晶が収められたケースを持ち退室していった。
周防は椅子に腰掛け天井を見つめる。
「もうすぐだ」




