七十 〜送り火〜
「妾は、藤堂無手勝流を見守るもの。初代との約定に従い十七代目の試練と挑戦を導く」
茶々様は俺たちを見据えながらそう宣言した。
「さて、試練の方は簡単じゃ。咒式と戦い枷を解け。桜花は咒式に止めをさせ」
端的な試練とやらの内容説明。まさかの実戦形式だとは。茶々様の柔らかい雰囲気は鳴りを潜めており、これは真剣だということがわかる。
「この間、お方様との繋がりに損傷を与えたんですけど、この事で咒式が弱くなっていたりしませんかね?」
出来ればそうあって欲しい。
「ほう、そのような事をしておったと。ならば飢餓状態か、都合が良い。場所は絞れておるから近づけば誘き出せるな」
「なんです飢餓状態って?」
「ガス欠じゃ。だからあまり動かんようになるが、近寄ったものは確実に取り込んでエネルギーにしようと、なりふり構わず襲ってきおる」
うへぇ……当てが外れた。そんな危ない相手で気の解放、枷を外すのはハードルが高すぎないだろうか。
「不安か? 春樹は教えておいた方が良さそうなタイプじゃしネタバレしてやろう。咒式の攻撃、特に飢餓状態ならだが、侵食する力が弱いんじゃ、まあやられ過ぎれば駄目じゃが。要は適度に殺意があって緊張感があるし、枷を解く、気のピークを捉える練習には持ってこいなんじゃ。人間死ぬ気の時が一番集中するからの」
納得しきれないけど、さっきの茶々さまの口上からして、やりたくないは通用しそうにない。
「さて、桜花は神剣の力を引き出し、咒式の浄化じゃ。出来るな?」
桜花さんは口を固く引き結んだまま小さく頷く、いつもより緊張しているように見える。
「……無理な時は妾にいうのじゃぞ?」
「はい……」
◇ ◇ ◇
「茶々様もう二時間ぐらい待ってますけど、咒式来ますかね? 茶々様が威圧して炙り出した方が早くないですか?」
「馬鹿たれ。そんなことをしても警戒させるだけじゃ。かといって向こうのネグラは何かと仕掛けておるじゃろうし、向こうが痺れを切らしてこっちにくるまで待つのが正解じゃ」
ため息まじりで茶々様が呆れる。咒式がいる場所に近づいて誘き出すため待機中だ。
さっきから一言も喋らない桜花さんの緊張をほぐそうと、二人でこんなやり取りをしているが効果はあまり無い。
「……春樹よ、気持ちはわかるが集中せい。——来たぞ」
ついにか。っておいおい。
「……人間?」
肌色も悪いし、眼に光がない、ぼろ布みたいな服で表情も乏しい、だけどどう見ても人間だ。あれが咒式?
雑木林がある方向から、ひょこりと現れ歩いて近づいてきた。
「春樹よ、何度も言うが油断するなよ」
——! 茶々様の声と同時に突っ込んできやがった。
「結構、早いっ!」
オレに飛び掛かると同時に鋭く伸びた爪が目の前を掠めていく。気が練れないから直撃すると大怪我は確実だ。
「ゴガァッ!」
凶暴な野犬のように吠えた口からは尖り気味の歯が並ぶ。噛みつき攻撃とか野生感強いな。
「研ぎ澄ませろ春樹。お前は膨大な気を持つせいで本来なら最初に掴むべき要領を得ぬままここまできておる。歴代当主たちは枷などその日に外しているのじゃ」
茶々様が集中しろというがこれ以上どう集中すれば良いのか。
「グゴォォッ!」
危ねぇ。噛みつきから、追撃の噛みつきとか想像してないせいで面食らった。危うく噛まれるところだった。
「アホか! バタバタせんと集中せぇ! 気に頼るな、【転】なんぞなくとも、前に出て懐に入り込めっ!」
後ろにばかり下がっていたら怒られた。いやだって、当たったら大怪我……そんなに睨まなくても良くない? ……わかりました、やりますよ。
「そこじゃ、入り込め」
咒式が腕を振り上げたタイミングで覚悟を決めて前に突っ込む。半身になりつつ振り下ろされる腕を避ける。
「グギャゴッ!」
当然の如く追撃。振り上げのアッパーが唸り声と共に斜め下からの軌道でオレに向かってくる。
身体を捻り、軌道から逸らす。喉がやけに渇く……力が入らないのは恐怖心からだろうか。
「膨大な気を纏うお前は、それに頼って攻撃を受けとめる癖がある。当たっておるじゃろ」
茶々様のさほど大きくない声がやけにハッキリと聞こえてくる。
「防御する際にお前は必要以上に力んでいるからの。当然、攻撃も力んでおる」
咒式が両手を広げ飛びかかってくる。抱きつかれるわけにはいかない。しゃがみ込んでから前転、すぐに起き上がり対峙。
「よいか、枷は気を練れないようにするものではない。ゆっくり練るのを邪魔するものじゃ。もう答えはいったぞ」
ゆっくり練る? 試しに気を練ると、やっぱり上手く練れない。なら速くか? 試して……。
「——分かったっ!」
今、とても良い手応えを掴んだっ! つまりはこうだ。咒式が再びオレに向かって飛び掛かってくる、今度は避けない。まだ、もう少し引きつけてからの、ここだ。
何も考えず、これまで習ったことをそのまま。何万回繰り返したか覚えていない技を出す。
「流転歩の壱【足撃】」
踏み込む強さはこれまでよりも小さく。だけど、より速く。咒式の腹部目掛けて拳を叩き込む。
バァァンと乾いた音が前方で鳴る。
「そうじゃ、基本を信じよ。お前が繰り返してきたことをすれば良いだけじゃ」
咒式の身体は二つに分かれ地面に転がる。撃ち込んだ姿勢のまま残心。
「枷が取れてる」
体内で感じていた枷の存在が綺麗さっぱり消えて、これまでよりも滑らかに気を練ることができるようになっている。
気を練ろうと体内で動かそうとするのではなく、技の中、動きを利用して一瞬で練る……。
「ふむ、掴めたな。ひとまずお前の試練は終わりじゃ。挑戦の方も期待出来そうだの……では桜花」
「……はい」
「止めを。浄炎は出来るか?」
桜花さんは頷いた。その顔は今にも泣き出しそうだ。
「桜花さん?」
「春樹、桜花を手伝え」
茶々様の指示に返事をしようとした時、上半身のみとなり地面に転がっていた咒式が顔を上げ桜花さんに話しかけてきた。
「桜花なのか?」
まだ動くのかと警戒したが、さっきまでの凶悪な顔つきではなく落ち着いた顔だ。それに声がさっきのような獣じみたものじゃ無くなっている。
「お父さん……」
「ああ、やはり桜花なのかい。神剣の気配も……契約したんだね」
「えっ? お父さん?」
事態が飲み込めず思わず声が出てしまう。
「咒式に喰われ形を奪われても、意識だけは守っておったのだろうな、強靭な精神力じゃ」
「そこの彼が咒式の核を半分ほど消し飛ばしてくれたから出てこれたよ。でももう時間がない、再生が始まる前に桜花、送ってくれるかい」
桜花さんは返事をせず、右手を掲げ浄罪の刀身を伸ばした。瞳からは涙が溢れ、頬を伝っている。
そうか、咒式が父親の形で現れることを桜花さんは分かっていたんだ。
「……浄めの火よ」
ぽつりと呟いたあと、桜花さんが掲げた刀身から炎が噴き上がった。
「ありがとう桜花。お母さんはもう、形を保てなくて表に出られないけど、桜花の幸せを願っていたよ」
「私……元気だよ、今度、結婚もするんだよ……お父さん、お母さん」
「……彼とだね。まさかこんな姿になってもこんなに嬉しい事があるなんて、母さんも凄く喜んでるよ」
そういってオレを見つめる桜花さんの父親の眉は、泣いているように下がり、眼は眩しいものを見るように細めらられていた。まるで泣くように笑っている。
ああそうか、これが父親の顔なんだ。
「娘さんを……幸せにします」
ありふれた言葉しか……いや、これでいい。
「ありがとう。きっと上手くいくよ。桜花、最後に会えて本当に良かった」
「……送葬」
桜花さんは目を閉じ俯きながら呟く。掲げた刀身から出ていた炎が更に高さと勢いを増しながら空中に放たれた。
巨大な炎のかたまりは、ゆっくりと地面に落ちていく。
眩い光が視界を埋め尽くす。焼けてしまわないように慌てて眼を閉じる。五秒程度で瞼に感じる光はおさまった。
目を開けて前を確認すると——すり鉢状に削り取られた地面が飛び込んできた。半径十メートルのサイズの中は、何もかもが消え失せている。
……いや、中央部にふわふわとたくさん浮かぶ火の玉みたいなあれはなんだ? 百どころじゃないぞ。
「咒式に囚われていた魂たちじゃ。随分と喰われていたな。桜花と共に黄泉へ送るぞ春樹。拳印術を使え」
茶々様から耳慣れない言葉を投げられ首を傾げる。
「拳印術?」
「そうじゃ、基本は奉納舞と同じじゃ」
「奉納舞は習ったのだろう? あれの発展じゃ、当主なら印が出てるじゃろ?」
印、流転紋の事で合っているだろうか? 促されるままその場で正拳を放つ。
「それじゃ、おお……龍紋とはまた珍しい。綺羅の雪花紋にも劣らぬ美しさよ」
記憶の形と変わっている。前の時より模様が複雑になったように思う。
「茶々様、取り敢えずこれで合ってますか?」
「うむ。拳の周りに出しとるのを動かせるか?」
「うーん……速く無くて良いならこんな感じぐらいなら」
母さんや姉ちゃん程は激しく動かせないが、流転紋を拳を回るように回転させてみる。前より格段に速くなっているな。
「まあ及第点じゃ。良いか、奉納舞が円の動きを為しておるのは、理解しておるな」
「それは分かります」
奉納舞は円を描きながら型を放ち繋いでいく動きになる。
「では型を繋ぐところで紋様を移動させてみよ。次の型に使う最初の身体の部位にじゃ」
言われるまま奉納舞をその場で始める。まずは足撃を放つ。拳に流転紋が出現する。この次は受撃、流転紋を拳に纏わりつかせるように維持。次は膝撃……流転紋を膝まで移動させるのがかなり難しい。汗が吹き出てくる。
「うむ、出来とるな。ゆっくりで構わん」
ゆっくりと確実に型を繋げていく。十の型を一周。
「よし、春樹は後もう一周。桜花の方はそろそろか」
チラリと桜花さんの方を確認すると、浄罪を握りしめ青眼の構えを取っていた。よく見ると切先が文字を描くように動いている。
「桜花、最後じゃ。魂たちを包み込んでやれ」
「はい」
浄罪の切先から柔らかい光が伸びるように放たれ、すり鉢の中央部にある魂たちを包み込む。
「春樹。自分が舞う事で出来た陣が見えるか」
後方を確認すると、そこには精緻な紋様を持つ円陣が地面に刻まれていた。
「凄ぇ……」
「そろそろ二周目の最後じゃな。足撃で円陣の中央にくるじゃろ。そこに紋様を"置け" 」
自分で描いたとは信じられない見事な円陣に気を奪われ流転紋が消えそうになるが、なんとか維持し、言われたように中央部に置く。
「うむ、良いぞ。そのまま離れて構わん」
流転紋が身体から離れても維持出来るか心配だったが、円陣の中央に置いた紋様は消えるどころか回転を早め出した。
「桜花、魂を円陣の中央に」
桜花さんは刀身の切先を陣の中央へ向ける。すると、光に包まれた魂たちが導かれるように移動してきた。
「魂の苦しみ、悲しみは、此処に置いゆく。親兄弟、子と共に過ごした記憶、伴侶と重ねた時間、友との語らい。良いものだけを持って昇る。神剣だけでは、送ってやれても悪いものは絶ってやれんからな。因果を絶つ流転紋の使い道の一つじゃ。覚えておけよ」
円陣から淡い光が放たれる。一つ一つのサイズが拳大の魂たちの表面からプツプツと泡が浮かぶ。
いつ消えたのか分からないが、瞬きするたびに魂たちの数がどんどんと減っていく。
残りが二つとなったとき、淡い光がとても強いものになった。その中で肩を寄せあう人影が見える。人影はこちらを見ているような気配だ。
直感的に桜花さんの両親だと分かったが、光が弱まると共に人影も薄くなっていく。
光が収まるとそこには何もなかった。
「ううっ……」
声の方を向く。桜花さんがその場でうずくまり、顔を手で覆って泣いている。
「ありがとう、愛している。そう、二人は最後にいっておったよ、桜花」
桜花さんに駆け寄りながら、背中に聞こえてきた茶々様の声は、優しくて悲しい響きだった。




