六十八 〜翁は語る〜
花木爺語り
時は千六百十五年、大阪夏の陣。
藤堂吉成は徳川方より密命を受け千姫救出の任に当たっていた。
大筒の鉄玉が城内にまで届き、そこかしこから火の手が上がる中、吉成は城内を突き進む。
そして唐物倉にて複数の気配を捉えた吉成は中へと呼びかけた。
「誰ぞある!!」
中から返答は無い。だが間違いなく気配はある。
「千姫様をお迎えにあがったっ! 姫はご無事かっ!」
真田信繁も討ち取られ、もはや戦の趨勢は決している。後は自刃するか首を晒すか。豊臣方に選べる道はどちらも死の道。しかし秀頼の正室である千姫を徳川方へ返せば万に一つ、命に小指が掛かるやもしれぬ。ならば何らかの返答があるはず。
そう吉成は考えていた。だが。
「お、お、お、おっ……」
低く重い声と共に唐物倉の戸が吹き飛び、異形が現れる。全身は黒く硬質的な皮膚を纏い、頭髪体毛の類いはその一切がない。が、顔の造作は吉成の記憶にある人物であることを示していた。
「——右府様っ?!」
倒れ込むように転がり出てきた右府と呼ばれた異形ーー豊臣秀頼ーーは膝立ちから立ち上がればゆうに身の丈十尺を超えた。茫洋とたたずみ、目は虚。意識があるのか定かではない。
その後を追うように、壊れた戸から着物を羽織った肉塊が這いずり出てくる。それは吉成へ向けて、潰れた口から腐臭を吐きながら問いかけてきた。
「よ、じ、……な、り、なぜ、来た……」
「まさか……」
「に、くいっ……! トク、ガワ……めがっ!」
「淀殿……」
藤堂吉成は浅井家に仕えていた過去があり淀殿と深くとも清らかな親交があった。それは淀殿が豊臣家に入ってからも続き、その縁で今回の密命を受けている。
潰れた声色だが女性とわかるそれ、自分のことを諱で呼ぶ、吉成にとってそれは肉塊が淀殿であることを示していた。そして彼女が何をしたかも分かってしまった。
淀殿は幼少期、信長の妹で仙術使いであったお犬の方に神仙術の適正を見出され術を会得しており、その術の秘奥をもって秀頼を異形へと変えたのだ。
術は己の何かと引き換えに望むモノを呼び寄せ契約するもので、淀殿は己の身体、誰もが羨む美貌を魔神に捧げ、自分の息子と魔神の融合を図ったのである。
吉成は淀殿の歩んだ道のりを充分にわかっていた筈だが、それでもこれほどの外法外道に及ぶなど理解が追いつかなかった。敵陣にあって吉成は茫然と立ち尽くしてしまう。
「……そこに在るのは藤堂か?」
焦点の定まらぬ秀頼の目に理知の光が戻り、確認するように声を発する。それは立ち尽くしていた吉成を現実へと引き戻した。
「藤堂にございます。……右府様、まだ意識をお保ちか?」
「今はな……しかしもう幾許かの時で儂は消えるであろうな。藤堂よ、儂はもう疲れた……。千を預ける、それと子供達を任せれんか」
「承知。名をお変え頂ければ、手前が全て請け負いまする」
吉成を見据えながら秀頼は願った。
「構わぬ……。人間、生きてこそだ。狸爺にひと泡吹かせたぐらいが儂の華よ、そんな名前など実で残す事は無い。何年かは書にも残ろう、儂はそれで良い」
「ヒデ、ヨリぃ! なら、ん! このクニを、血を引、ぐ……おっ、グっっ、グぁっ! ぐがぁぁ!!」
「母上、もう良いのです。先にお眠り下さい、貴女に出来る私の最後の孝行だ。辛うじて人である間に死を」
秀頼は唐突に後方へと振り返り、巨腕を振り上げた。そしてそれを躊躇なく淀殿へと振り下ろす。石垣に使う巨石を無造作に落としたような重い音と同時に、ドチャリという肉を潰した音が鳴った。
「藤堂に、このようなことはさせられぬ……」
吉成へ振り返った秀頼の目は再び焦点を失っていた。
「もう意識が保たん……。藤堂よっ! 儂を討てぃ!」
秀頼は最後の意識一欠片を持って自身を討つように吉成へ吠える。その目は赤一色に染まり、辺り一面は邪気と殺意に満ち溢れる。背中からは角を有した触手が噴き出るように飛び出した。
その容姿、禍々しい気配。秀頼は完全に魔神と化したのだ。
無数の触手は天に向かって五間程度伸びた後、一つの纏まりとなり、吉成へと一直線に降り注いだ。
「安寧を……」
悲しみを滲ませた声色が静かに響く。触手は吉成の目前。
『真伝に至る者、打ち滅ぼせぬものは無し』
現代にまでそう口伝される強さはまさにこの時、発揮された。
「グオオオオオオッッッ!!!!」
ゆっくりと——【足撃】にて突き出された吉成の拳が触手を裂く。触れた箇所から先は灰色の塵となって消える。痛みなどありはしないはずの魔神からは苦痛の雄叫びが上がった。
弾けるように魔神は吉成との距離を取る。そうはさせじと【転】の歩法で詰める吉成。苦し紛れに出した魔神の巨腕をその腕に抱え込み——【捌撃】左足の爪先と右足の踵が腕の関節目掛けて顎の如く振り下ろされる。
バツンっと小気味良い音と共に、魔神の腕は千切れ傷口の断面から灰と化していく。本体側の面もゆっくりと灰になるが魔神はその面ごと食いちぎり灰化を食い止めた。
傷をものともせず魔神は殺気を撒き散らしながら体当たりを敢行する。だが気付いた時には魔神の頭部は爆ぜていた。
——【膝撃】地を這うように低い重心から突撃したところを迎え撃つように狙われ、膝で頭部を吹き飛ばされたのだ。
しかし最高位の神格である魔神は頭部が無くなった程度では動きを止めはしない。灰化にも即座に対応し食い止めてみせ、頭部を修復しながら吉成に掴みかかる。
先程千切れた腕は修復が終わり、二つ揃った魔神の両腕は吉成を捉えようと伸びる。
吉成は構えることもなく、迫り来る手を撫でるように触れた。——【流撃】魔神は吉成を掴むことができず逆に引き込まれるように体勢を崩し前のめりになる。そこへ再びの足撃が胸部へ突き刺さった。
衝撃で仰け反り後退する魔神。好機と見た吉成はさらに間合いを詰める。
魔神はそれを触手を持って迎撃する。不意をついたと思えるタイミング。だが吉成は冷静だ。触手の突撃を握り込んだ拳、その面で受け止める。——【受撃】だ。
触手は拳から先へは押し込めずその場でたわむ。吉成の腰を切る動作が拳に伝わると今度は大きく弾かれる。
お互いの距離は一足よりも更に近付いた。この間合いを嫌った魔神は一瞬のうちに指から鋭爪を生やし逆袈裟に振り上げる。
間合いの外に避けると思いきや吉成は更に踏み込むことで攻撃を外す。そして魔神の膝を左足で軽く踏みつけた。添えるように置かれた足など簡単に振り払えると、魔神は足を蹴り上げようとするが動かない。
更に力を込め蹴り上げる、今度は動く。膝に片足を乗せる吉成も浮き上がる。空中で死に体となれば思うがままに嬲れると魔神はほくそ笑んだが、その蹴り上げた足の膝から先は消え失せていた。
——【茎折】吉成は左足で踏みつけたと同時に右足で魔神の膝下を斬るように蹴り込み足を断ち切っていた。
バランスを失った魔神は崩れ落ちた。吉成は【空転】にていまだ宙に留まる。
「……最後だ」
吉成は戦国の世に翻弄された二人を思いながら呟き、魔神目掛けて宙より加速した。胸に去来するのは幼き頃の淀殿との思い出ーーあとはこの拳を撃ち下ろすのみ。吉成が祈るように念じたその時。
「……これでいい」
「——!」
魔神が発した言葉。諦めではなく、陽の気すらはらんだ言葉に吉成は直感、確信にも似たものを覚え拳を止める。そしてそのまま地面へと降り立った。
「魔神よ、賭けをせぬか」
「何をいっておる……?」
止めを放たずただ宙から降り、更には賭けなど提案する吉成に魔神は困惑する。
「このままただ滅ぼすのも、如何にも面白く無し……一つ賭けをせぬかというておる」
吉成は魔神の言葉、そしてその眼に何かを感じとった。それは引き寄せられぬやもしれぬ可能性だ。魔神からは先程まで放っていた、邪悪な気配が消えている。
「……魔神である我の今際に何を抜かすかと思えば賭けだと?」
「今からこの銭を放る。地面に落ちた時、表か裏か当て合わぬか?」
「当てて勝ったからと言ってどうすると言う?」
「お前が勝てば、このまま逃す」
「世迷言を」
魔神の目は変わらず焦点を結んではいない。だが吉成はここまでのやり取りで先程感じたものが正しいと確信しきった。
魔神から放たれた致命の攻撃の数々。だがどこか投げやりで勝とうとする意思が弱い。疑問と違和感。
そして最後の今際の際に出た言葉。ーーこの存在は魔神といいながら、そうあるべき役割にどこか飽きている。吉成はそう判断し、取引という名の賭けをもちかけた。
吉成は魔神が興味を持つよう更に話しを続ける。
「今お前が肉塊と呼んだその人は、儂が唯一好いた女性だ。右府様も関白様より行く末を頼まれておったのに、遂にはこの様な仕儀になってしまった」
「……」
魔神は吉成の顔を見つめている。
「これで徳川の一人勝ちでは儂の寝覚めは最悪だと思うてな」
「クククっ! カカッ! 面白き男じゃの人間! まるでお前が徳川を滅ぼしたい様では無いかっ!」
魔神は吹き出すように笑う。吉成の賭けの一歩目は成功した。
「面白かろう?」
「確かに。ではお前が勝ったらどうする?」
「二人を返せ」
「生き返らせろと? 男の方は我が離せば良いし、女もまあ、できぬこともないか。だが二人がこうなることと因果が定められていた場合、お前の勝ちは無いぞ?」
「この賭けに天の差配は要らぬ。手もださせぬ。これを見ろ」
吉成はそう言うと懐から銭を取り出し放り投げた。手のひらからは流転紋を展開。空中へ射出し、回転しながら落下する銭をそれで包み込んだ。
流転紋は因果を断つ。これにより神や世界からの影響を受けない純粋な結果が現れる。
包み込まれた銭は吉成の目線の高さで回転を続けている。
「我は裏だ」
「儂は表だ、このまま手に落として止める」
時の流れが遅くなったかのようにゆっくりと、吉成の手に落ちていく一枚の銭。出たのは永楽通宝の文字。
表。
——吉成の勝利。
「お前の勝ちだ、二人を返そう。……だが女の方はどうなっても文句をいうなよ。損傷が酷すぎるから、そのままとはいかん」
生きていればそれが最上と吉成は頷いた。
「では賭けた分を支払おう……」
魔神は静かに息を吐くと、身体を霧状に変化させあたり一面を闇で覆った。
一瞬の静寂。永遠に続くかのような暗闇は突如晴れ、霧散する。
残ったのは仰向けに横たわる男女。男の胸は微かに上下している。
女の手がピクリと動く。吉成は駆け寄りその手をとった。
「淀殿っ!」
「吉成か……」
「ご無事で……」
「魔神が全て教えてくれた、苦労をかけたな……」
「いえ、それより……」
「ああ……これか?」
開かれた淀殿の左眼は金色の瞳となっていた。
「魔神と融合したのじゃ。意識はこちらにくれておる」
吉成は彼女の内包する力を探り、その通りであることを確認した。秀頼と融合していた時と違い邪気は無く、穏やかな気を放っている。
「生き返るにはこうしかないようじゃ。それと吉成をいたく気に入ったみたいでな、妾と共に末まで見届けると。あと、色々とこの状況は具合が良いと。そういっておる」
◇ ◇ ◇
「その後初代様は、淀殿と秀頼公その子供らを逃がし、千姫様救出も果たされた。どうだ凄かろう?」
我がことのようにハッスルしながら語る爺ちゃん。いや、確かに凄い話しだけど、トンデモ嘘歴史じゃん。
「本当の話し? なんか盛大に盛ってない?」
「今度、家に戻ったら記録を見せてもらえ。そう書いてあるからの。まあ信じるかは別じゃが……信じるしかないこともこれから起こるじゃろうて」
信じるしかないことって何だよ……。
それにしても話しが長いって。結局十二代目の話しまでいかなかったし。頭のネジが飛んだ例えの割に硬派で最後ラブストーリーで無理矢理感あったし。まあ、魔神と賭けとか中々飛んでるけど、盛ってるだろ。あっそういや秀頼さん最後どうなった? 桜花さんもこんな話し……。
「凄く素敵なお話しですねっ!きっと吉成様と淀殿はここから純愛に……」
どストライク。お目目キラキラ。最後のとこそんなに良かったの?
「春樹くんもそう思わない?」
「あっ、はい」
振り向きざまのこの威力。星が飛んでるよ。はぁー桜花さん可愛い。
「良いか? 淀殿は魔神と融合し……影響……継承の儀を……今も見守って……春樹よ聞いておるか? それと淀殿の外見じゃが……二十代後半の……で……そこまで背は……」
爺ちゃんなんかいってるけど桜花さんが可愛すぎて細かいことはどうでもいいや。




