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五十八 〜八尋、封じた記憶〜 

八尋視点


 山を枯らす狂った化性と成り果てた大猿が、夕日を背に浴びながら咆哮をあげた。


 その前に立ち塞がるは一人の青年。咆哮による威嚇に怯えも見せず、己の背丈の倍はあろう大猿を睨みつけている。


 その様子に苛立ちを覚えた大猿は、青年に向けて巨拳を放った。だが青年は恐れることもなく半身になって前に踏み込む。


 青年の横を巨拳が通りすぎる。一歩間違えば死。それを確信させる風切り音。しかし青年の表情は変わることはない。追撃で放たれた拳も冷静に見切り、再び避ける。


 この後ろ姿は次郎坊……。そうか、槍の力を無効化するために術を使ったんだ。全てを無効化とはいかず今は結晶に。


 だから今見ているこれは記憶。術をかけて朧げにしたはずの記憶。おそらく結晶の解呪に巻き込まれて術が解けてしまっているのだろう。


「八尋。フォローお願いね。大技で決める」


「分かった被害が出ないように周りに壁を作って抑え込む」


 俺の言葉に振り向いて、笑顔で応える美しい女性……菖蒲(あやめ)


 やはり術が解けている。そうでなければ菖蒲のことを、これほど鮮明に思い出すことはないはずだから。


「方、展、壁っ! 次郎! 真横だっ! 飛べェ!!」


 掛け声に反応した次郎坊が素早く飛び退く。俺が術で作り出した透明の壁が、標的までトンネルのように展開され並ぶ。


 通り道ができた。


「——定命より請う。解! 北辰! 浄雷之壱!!」


 間髪入れず菖蒲の手のひらから黒龍が飛び出す。

それは暴れるようにうねり、雷を撒き散らしながら突き進む。


 周辺の被害を抑え込むため俺が術で作り出した壁も黒龍の身が擦れるたびにあっけなく割れていく。正しい資質を持たない俺が放つものより圧倒的な威力だ。


 大猿は、やられてたまるかと、突き進んでくる龍に向かって左腕を突きだした。人間一人を簡単にミンチにできるだろう威力を秘めたそれ。


 だが自慢のその拳は、龍が纏う気を破ることが出来ず、身体に触れる直前に押し戻されるように弾かれる。


 猿の顔には驚愕の表情が浮かぶ。苦し紛れに出した右腕もまた弾かれた、と、同時に龍の顎が大きく開き大猿を呑み込む。断末魔をあげる間もなく大猿は顎に噛み込まれ、潰されてしまう。そして黒龍はそのまま上空に昇っていく。


「散!」


 菖蒲の気合いが響く。答えるように黒龍は上空で爆散した。大猿の身はそれに耐えることなく焼け焦げ、粉々になって空から降ってくる。


「菖蒲! やり過ぎだぞ! どうすんだコレぇ! いくらデカブツ相手だからって、全力出して跡形も無くなってたら、どうやって仕事完了を証明すんだよ!!」


 次郎坊が若いな。この頃はまだ千手と呼ばれる前。十七歳ぐらいか。


「ごめんごめん」


「クッソ適当に謝ってんのが手に取るようにわかるな……まあ、とりあえず破片でも拾うか」


 この双子のやりとりも、安心しきって横で笑う俺も。この時は何もかもが輝いていた。失敗しても、笑いあって。成し遂げた時は分かちあう。


 大事な、とても大事な、だが思い出したくはない俺の大切な記憶……。


 ◇ ◇ ◇


「菖蒲よ、今日から一緒に修行する事になった八尋じゃ。挨拶をせぃ」


 僧正師……これは、初めて菖蒲とあった日だ。

 

 ……それにしても当時のまま、子供の視界で見る記憶とは不思議なものだ。


「八尋って言うの? 格好イイ名前だね! 僕は菖蒲! 鞍馬菖蒲! 双子のおにぃちゃんがいるの! 後で紹介するね」


「え…どう…やひ……ろ…です」


 俺は……暗いな。こんなに陰気なのか。下を向いたまま、目も見ようとしない。だが声を出すことにすらこの時は勇気が必要だったことを覚えている。


「あぁ駄目なんだぁ! 挨拶はきちんと目を見てお顔にっこりだよ!」


「菖蒲よ、八尋はちと辛い事が重なって元気が無いんじゃ、許してやれぃ」


「そうなんだ……。八尋くん、目を見せて?」


「目……?」


 菖蒲が近づいてくる。きめの細かい肌。幼いながらも彫像のように整う顔立ち。揺れる長い睫毛、紫の虹彩。魅入られたように目が離せない。


「お前と同じじゃよ八尋。菖蒲もまた未来が分かる」


 菖蒲は俺に向き合い顔を近づけ瞳を重ねてくる。脳に電流が突き抜けたかのような、射抜かれた感覚が全身を走る。


「ジイジ……僕決めた! この子と結婚するから!」


「?!」


「コレ、菖蒲。見た事をきちんと説明せんか、お前以外は見えておらんのじゃぞ?」


「だって八尋くんと二人で旅行してたよ? こないだテレビで見たけど、恋人とか夫婦は二人で旅行するんでしょ?」


「飛躍しすぎじゃて……まあええ、八尋よお前と菖蒲は二百年振りの仙術継承資格者じゃ。儂の技を受け継いで貰えれば嬉しいのぉ」


  ◇ ◇

 

 ——! 意識が途切れて、場面が切り替わったのか? 

 目の前には椅子に座る次郎坊。対面には俺。

 ……この教室は、通っていた中学校のものだな。もう菖蒲と次郎坊が側にいることが当たり前になった時期か。


「次郎……どう思う?」


「何がだよ?」


 ああ、まだ次郎と呼べた頃。いや、本当はいまもこう呼ぶべきなのにな……。

  

「菖蒲が最近、学校で冷たいんだ……前みたいに一緒に帰るのも駄目だって言うし、俺何かしたかな?」


「それを双子の俺に相談すんなよ……てかお前気付いて無いの?」


 心底呆れた様子で次郎坊が俺に問いかける。俺はこういったことには、とことん鈍いからな。


「何がだよ?」


「それさっき俺が言ったセリフな? 学校で目立ってんだよお前は。菖蒲は女子達からやっかみうけてんの。だからといってお前から何か言ったりすんなよ? 余計ややこしくなるから」


「どうして菖蒲に!!」


 俺はこんな風に感情を出すことが出来ていたのか……。


「ほっときゃ良いんだよ。中学卒業したらオレらはそっち系のヤツばっかり通う高校通うんだから、そんな事も無くなる。卒業までもう半年もねえだろ?やり過ごしゃ良いんだよ」


「何で……そんな、我慢出来るんだよ……」


 賢明な次郎の提案なのに。馬鹿な俺は怒りを抑えもせず、本当に甘ったれだ。


「まてまて、頼むぞ八尋。……ここは一般人ばっかりなんだから間違っても術式組もうとするなよ?」


 未熟な自分を見つめるのは辛い。次郎坊にあたり散らしても、何も変わることなどないのに。


「こんな場所で気やら術を漏らしたなんてバレたら、また爺さんとあの怖い姉ちゃんにぶっ飛ばされんぞ?」


「それは勘弁してくれ……落ち着いた」


「今日帰ったら話してみろよ? この話題じゃ無くて高校楽しそうだなとか、今度遊びに行こうとかだぞ? あっ! 釣りとかキャンプは無し。そういうのは駄目だ」


「魚釣り、菖蒲も好きじゃないか」


「いや、菖蒲は魚釣りは好きだけど、俺が言いたいのはそう言う事じゃない……頼むよ八尋」


 俺は今、とても大切なものを見ている。綺麗で眩しくて……だけど心が裂けそうだ。どれだけ術であやふやに、朧げにしようとも、俺の中に残り続ける確かな記憶、思い出……。


 此処から先は見たくない……時間は戻らないから。仙術は時さえ止めるが、戻すことは出来ない。


 ——深く沈んでいく感覚を覚える。ああ、きっとそうだ。いやだ、見たくない……。玄武、どこだ、どこにいる。術が解けているんだ、かけなおしてくれ、思い出したくないんだっ……。


  ◇ ◇


「なぜだっ!? 賦活術式が弾かれる!?」


「違うの……わかって八尋……もう無理なの」


 冷たい、心底冷える雨が降る。脇腹から大量の血を流す菖蒲を抱きかかえ俺は、絶望感に押しつぶされそうになっている。


「この咒式はこれまでのとは違う……」


 人を襲いその存在を喰らう咒式。だが、どれだけ人を喰らっても仮初の生命でしかない。しかし義母に取り憑いたタイプのように同化や侵食で生命を得ようとする珍しい種類がいる。


「諦めないでくれっ!」


 ただのデートだった筈なのに。好きなアーティストのコンサートの為に訪れた街、そこに突然現れた蛇型の咒式。


 逃げ惑う人達に向けて放たれる触手を受け止めた菖蒲は深い傷を負い、そこから咒式に入り込まれてしまった。


「ねえ……覚えてる? 初めて会った日の事」


「覚えてる、覚えてるさ! だから術式を受け入れてくれ!」


 彼女は完全なる資質を持つ仙術継承者。俺の付け焼き刃のような仙術など、死の淵にいようとも彼女なら簡単に妨げる事ができる。


 何度も彼女に向けて賦活術式を施すが、僅かに動いた人差し指を軽く曲げる動作一つで掻き消されてしまう。


「あの日見たのは今日の事なの……私にはこれ以上の未来は無い。……でも八尋の未来はまだまだ先がある」


「……」


「ごめんね、いつかは話さなきゃいけなかったけど……結局最後まで出来なかった」


「今からでも術式で封印すれば時間は止められるっ! 師に願えば龍金を触媒にして……」


「……駄目よ、同化は止められない。今ですら全てを憎むこいつの感情に呑まれそうだもの。このまま化け物になりたくない」


 咒式は菖蒲の傷から中に入りこみ、すぐに同化を進めた。それはあまりにも早い速度だった。

義母に取り憑いたものより、遥かに強力な咒式。


 たとえ仙術で外的時間を止めたとしても内部、精神の時間までは止まらない。咒式はその間に菖蒲と完全に同化するだろう。


 この時点では義母に使った、咒式を剥がす術式は完成していなかった……。


「だからお願い、八尋を好きなままで死にたいの」


 彼女は死を選んだ。


「……」


 何も判断が出来ず、黙るだけの俺。苛立たしい……。彼女の覚悟を受け止めることが出来なかった自分自身をなぜまた見なければっ……。


龍樹(りゅうじゅ)。八尋と契約して」


 菖蒲の右手が淡く光る。

 霊獣が主の願いに対して了承の意を伝えている。


「これで一人でも戦える様になるよ……」


 繋いだ右手から俺に流れ込む力。龍樹と呼ばれる霊獣を従えるものは仙術継承者となる。


 龍樹との契約が切れた影響で、身体、精神に対する補助が無くなり彼女から生気がみるみると消失していく……。


「菖蒲……俺の何を見たんだ」


「教えてあげない……でも大丈夫。悲しい事じゃないから。でも、ちょっと月に行くのは大変かもね……」


 彼女は少し笑いながら、俺を見つめたまま……俺は……。


 駄目だ……呑み込まれるな。これは夢だ。——本当に? あの時できることはあったのでは? だとしても時間は戻らない。——逃げるのか? 誰がっ! 逃げるものかっ! ——こんなにも奥に沈めてあやふやにして?


 ……ああ、何も考えたくない。寒い、心が冷たくなっていく。……菖蒲。


「菖蒲っ!」


「「もう、泣かないでよ……」」




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