四十四 〜交差〜
同門であった期間は三年間だが、何度も稽古を見てもらった事もあり、三鷹は周防の容姿をはっきりと覚えている。
今の姿はその頃と変化がなく、余りにも不自然といえる。白髪と黒髪の割合が七対三から十に変化した程度。肌艶も若々しい。
そして、いまだ全盛期といえる気の充実振り。周防から放射状に放たれる圧力は彼の周りの空気を抑えつけるかのように蠢いていた。
既に異界の中に引きずり込まれた事も三鷹は察知した。
「少しどころか随分とお元気そうですね。記憶通りなら七十代だったと記憶していますが?」
周防は人差し指を立てゆっくり振りながら、出来の悪い学生でも分かるような調子で説明を始めた。
「いかんな、三鷹君。無手で武の道を歩む者は対峙するであろう最新の武具のみならず、最新の科学、医療にも触れるべきだ」
周防から放たれる気は、辺りを呑み込むように充満していく。隠すつもりのない戦意が場に満ちる。
「そんな事も教えないとは師匠が悪いのでは? 今からでも遅くない此方に鞍替えしてはどうだね?」
心底心配するかのように眉尻をあげながら提案する周防だが目の奥は冷たい光を放っている。
「随分と買って頂けている様ですが、これでも義理堅い方でして、ご恩の深い方につくと決めております」
言葉を交わす間に二度、氷刃の様な殺気が三鷹の肌を撫でてきたが、彼は柔らかく受け止め逸らした。
師の言を思い出し、極力戦闘に発展しない様に努めているのだ。先程の殺気は言わば試し。軽々しく答えれば周りを巻き込む闘いがすぐさま始まる事は容易に想像出来た。
「残念だよ、才能ある若者が散る姿は見たくないのだがね」
両手を開き呆れるような仕草もまた誘いである。隙を見せれば一撃で決められてしまう。周防の胸から下、見る事もなく見る。
観の目といわれる目付けを絶やすことなく三鷹は周防との会話を続ける。
「敵いませんね。周防さんに取っては、私なんかでもまだ、若者だ……あぁ、そうだ。教えて欲しいんですが、十六代目の卵子を盗んだのは貴方ですか?」
「人類の宝を腐らせるより余程、有意義な用途に用いたとも! 今日見たのだろう? だから私が此処にきた」
(師の予測は当たっており、黒幕も予想通り。組み立てていたパズルは全て揃った。彼の目的を除いて)
藤堂流を辞めてからの周防は、有力なスポンサーを幾つも手の内に納め神殺しを実行してきた。
その事自体が藤堂流とこの国が結んだ契約に反しており、本来なら許される訳がない筈なのだが、現在に至るまで証拠も残さず、何食わぬ顔で神を殺し続けている。対策課はその尻尾を探していた。
この国で神殺しが可能な人間は限られる。消去法で犯人は浮かび、周防でしか有り得ないのにその影はこれまで見ることさえ出来なかった。
二十七年もの間、闇に潜んでいたものがその姿を見せた。確かな手掛かりはいま三鷹の前にある。
だが藤堂流を抜けた理由も卵子から人を作った事も、何の目的の為なのか不明だ。三鷹はそれを探る為、会話を続けている。
「神を殺すにも作法があるのは誰よりご存知でしょうに、相変わらず趣味の悪い悪行三昧ですか?」
「ふむ、認識の違いだね。私は誰よりも善行を積んでいるだけだ。神など居らずとも人間は生きて行ける。それに藤堂と決別してからは、金を受け取った事など一度も無い。器は人なのだから。依頼料をせびって殺す君らの方が余程悪どい殺人者と思うがね?」
迷いのない声色で語られる言葉と刺さるような視線。だが三鷹はたじろぐ様子を見せない。
「神格覚醒もしていない女性の目玉をくり抜いて、その両親に首だけで返すのが悪行で無くて何なのですか……」
「ほう、随分と調べた様だね? ではその両親が儀式の生贄と称して何人殺したかも知っているだろう?」
「勿論、ですが何も知らない者を手に掛ける事が理解出来ませんね」
場に満ちた空気は、もう冷ます事は出来ないほど熱を帯びている。
「覚醒すれば神格に呑まれ暴走するかも知れない。もし覚醒したのが神とは名ばかりの、悪魔に成り下がった様な存在だったその時は? 自分や家族が隣に居れば? 三鷹君、私はね、そう言うあやふやな神のサイコロで人類の可能性が奪われるのが何より嫌いだ」
空気を切り裂く音。極小さく衣擦れよりも僅かな気配。周防の手が一瞬ぶれる。
察知出来ていなければ、確実に眼球に刺さったであろうナイフ。眼前に突然現れたかのように迫ったそれを三鷹は指で挟み込むように掴んで止める。想定外の攻撃と手段だったが表情には出さない。
「そして彼女は悪神を宿していた」
迷いのない言葉を続けながら虚空を見つめ佇む周防。三鷹にとっては、ここまで殺気が読めないのは初めての事だ。
どんな人間、それこそ神ですら、殺気を完全に消す事など出来ない。
勿論、隠し方や気の流れ、出す出さないで相手を幻惑させる事は可能だ。
だからこそ読める筈なのだが読めない。あまりにも巧妙に隠された殺意は三鷹を矛盾めいた思考に陥らせた。
その隙を見逃さず周防は〈転〉の歩法で距離を詰める。ニ撃目が再び眼前に迫る、今度は拳打だ。踏み込みと同時に突き伸ばされる拳。
上体を僅かに捻りつつ、半歩下がる。伸び切ったところを狙い肘に突き上げるように掌底を放つ三鷹。だが手応えなく空を切る。周防が反撃を察知し直ぐ様に距離を取ったからだ。
「これも避けるか! 素晴らしいな! いやぁ、一撃目と二撃目を何食わぬ顔でいなす者など、そうそう居ない。誇って良いぞ」
「動きの起こりを最小限にして殺気は強弱というよりも波みたいに広げるイメージですか、これは何とも読めないですね」
「この国に古来より伝わる、藤堂とは違う神殺しの技だよ。弱者が強者を倒す為の技だ。もう触りは理解したようだな」
やや腰を落とし脚を撓める周防。その両手はどちらも貫手を形作る。三鷹も両椀を前方に出し構える。空手で言えば前羽の構えに近い。
「貴方の目的がどうしても見えてこないんです。どうです? まずは二日ほど勾留させて貰って、そのあたりじっくりとお伺いさせて貰えませんか?」
「何かと忙しくてねぇ、君もそんな事に時間を費やしていてはいけないよ、力のある者はもっと大きな事を為す義務がある」
会話に見切りをつけた周防は転を用い、前後の動きで激しい出入りを繰り返しながら貫手を放つ。閃光のように煌めくそれには、一撃でも貰えば消し飛ぶ様な気が込められている。
滑らかに繋がれ終わる気配を見せない貫手の連撃。
三鷹は刃物に似たそれを確実に捌きながらも、反撃への糸口を掴めないでいた。自身の師が負けはしないが無傷では済まないと評した理由が思い返される。
貫手に集中された気は、防御の事など毛ほども考慮されていないと見せかけ、安易な攻撃を誘う罠だ。
それに気付いている三鷹は、死を形作った様な貫手を眼前に捉えながら注意深く観察する。次々と突き刺してくる貫手を捌きながら放てる反撃、拳打は限定される。
いま捌いた一撃に対して三鷹が反撃できるのは、体勢的に胸元への貫手もしくは正拳となるが、その位置は一撃で倒すのは難しいと思わせる程度には気が練り込まれている。
それをぶち抜くほどの気を込めて一撃で倒すしかないが、相手は周防だ。その先に罠を用意していない訳がない。
「貴方が死神と呼ばれる理由がよく分かります……正に死神だ」
「昔のあだ名だよ、それに死神などと……あんな見ているだけで上役に逆らえもしない日和見連中と同じにしないでもらおう」
「っ! 闘い方の話ですよ!!」
急激に膨れ上がる殺気、本能が警鐘を打ち鳴らし、すぐさま飛び退く三鷹。瞬間、鼻先を掠める質量を纏ったかの様な濃厚な死の気配。
「本当に素晴らしい才能だな……これを見て生きてるのは先代の東王と藤堂綺羅だけだぞ?」
周防から立ち昇る暗黒のモヤ。ただ暗く、ただ黒く、その身体にまとわりついている。
「何だ……それは! ……だが、しくじりましたね」
「守りに徹しているとは思ったが、そうか、これはしてやられた……思わず彼女の名を呼んでしまったな」
布を引き裂くような音が響き、周防と三鷹の間の空間が割れる。透き通る肌をを持つ人の手、女性の手が虚空より伸びて出てくる。
「懐かしい顔ね、お久しぶり。輝く才能を目の当たりにすると我を失うのは貴方の素敵なところだけど欠点でもあるわね?」
罅の入った空間を割りながら笑顔で現れた女性。藤堂流十六代目当主が周防の前に立ち塞がった。
「久方ぶりだな当代。結界は異界化するタイプで中に入る事など出来ない筈なのだがね、相変わらず非常識だ」
「名前を呼ぶからよ、異界だろうとこの世にある限りはその名を呼べば私には分かるのよ、情報があれば結界を割って入るなんて目を瞑っても出来るわよ。ご存知でしょうに」
「ふはは!! はっはは!! ……今日はお暇させて頂こうか」
「逃げれると?」
「勿論だとも」




