四十三 〜研究センター〜
「悪かったよ、鏡君。説明不足が過ぎた、謝まる」
緊張感が漂う車内。耐えられずに溢れた三鷹の謝罪。ハンドルを握る手には汗が滲む。しかし十和子の納得は引き出せず、助手席からは小さなため息。
フロントガラスには、流れる景色と映り込む二人の顔。
時間が経つにつれて彼女に積もる感情。これまでの信頼、それらが崩れていくような感覚。
全てを打ち明け、協力を要請して欲しかった。それが彼女の望みに一番近い言葉だろうか。
昨日、もたらされた情報を元に、車は例の施設に向かって進んでいる。夕方まで別件をこなし合流。まともな会話は交わさぬまま、目的地まではあと、五分程度。
助手席に座る十和子は、フロントガラスに映り込む三鷹を凝視しながら答える。
「何をですか?」
言いたい言葉が、素直に出てきてくれないことに苛立ち、彼女は唇を噛んだ。
「そうだ、この間、良い店を見つけてね。お詫びと言ってはなんだが……」
「……」
優しい声色、子供扱いするような嘲りもない。だがその場を逃げるような言葉では、十和子の心は晴れない。
はっきりさせるべきこと。それさえあればと、願いながら彼女は願望を口にした。
「課長は……いえ、三鷹さんと私はどうすべきでしょうか」
息を呑む音は、どちらから出たか分からない。
「俺は……駄目だ。時と場所を選びたいな。何より職務中だし、それに……もう着く」
「っ!……すみません……あとにすべきですね」
横浜市再生医療研究センター。藤堂流当代の卵子が保管されている場所へと到着した二人。
「締まらないなぁ、俺は……これが終わったら、時間を貰えるかい?」
「はい……勿論。わたしの方こそ職務中に申し訳ありませんでした」
十和子の欲した答えに近い三鷹の回答は、彼女にいつも通りの落ち着きを取り戻させたようだ。
施設の駐車場に車を止め、車外に出ながら二人は、通用口に向かう。
「ああ、所員の方が出迎えてくれているな」
三鷹は研究センターへ事前連絡を入れ、捜査への協力と施設の案内を依頼していた。
警察、しかも日常では聞き慣れない部署となれば所員も些か張り切っているかの様に見える。まだ若い雰囲気の三十代であろう男性。
時刻は二十一時。いかにも研究員な風貌の人物は、駐車場から歩いてくる二人に待ちきれない様子で声をかける。
「警備局の三鷹さんですか?」
「ええ、警察庁警備局国際テロリズム対策課の三鷹です。夜分遅くに恐縮です。ご協力感謝致します。彼女は部下の鏡です」
「鏡です。ご迷惑をお掛けしますが、よろしくお願い致します」
警察手帳を見せながらのお決まりの挨拶。所員の期待通りだったのか彼の目がいっそう輝く。
「迷惑だなんて、お気になさらずに、再生医療研究センターの時任です。研究が詰まって、放り出したかったので、ちょうど良かったんですよ! それに刑事さん? で良いんですか? 何か凄い肩書きの人が捜査に来るってんだからもう、興奮しちゃって!」
出迎えた時任は早口にまくし立てる。
「はははっ、ご期待に沿える様な事がないのが、一番なのですがね? 早速ですが保管室の方へ案内頂けますか」
苦笑を浮かべながら三鷹は時任を見る。視線に気付いた時任は興奮していた自分に気付いたのか、気恥ずかしそうに頭を掻いた。
「これは、済みません、お恥ずかしい。そうですね、何もないのが一番ですね、確かに仰る通りだ」
人懐こい雰囲気の時任に案内されながら施設を進み、一行は程なく保管室のエリア前に到着する。
「こちらですね。ああ、少々お待ち下さい、セキュリティが厳しくてですね、隣の部屋で臨時の入室IDを発行しないと行けませんから」
想像していたよりも厳しいセキュリティ。隔壁のような大きなドアが通路を塞ぐ。三鷹に嫌な予感が走る。このセキュリティを強引に破れば確実に足がつく。内部の協力無しで、ここから盗み出すのは不可能に思えたからだ。
誘い込まれたか、或いはもう、証拠と呼べるものがなくなっているのか……。
「こちらをどうぞ」
三鷹が思考に沈み込むより早く、時任は臨時IDを発行し二人に手渡した。
「どうも、此処は所員の方以外に入る方はおられますか?」
IDを受け取りながら時任に問いを発する三鷹。
「私より上の役職…ああ、私は主任なのですが、主任以上とそれと…技師の方も入れますね。こちらからです、どうぞ」
隔壁が割れ内部が露わになる。
「外部の人間は?」
時任の案内に従い先へ進む。照明は部分的にしか配置されていないのか、中は薄暗い。無数の配管が視界を遮るように至る所に這っている。
「臨時IDを発行すれば外部の人間は入れますね。規則ですので、五年前までの入室記録は保管してありますが、それ以前は……」
「それなりの人数が出入りしている、という事ですね?」
「日進月歩で設備は良くなるので、入れ替えしたり更新したり、保守の為に業者も入りますし。今日確認される場所はこの施設が出来た当初の設備ですね。ほら、あそこです」
時任が指し示す先。空調が忙しなく動く音以外は何もない。パーテーションで区切られた区画。ごく僅かに漂う気配……嫌な予感が当たっていたことに、三鷹は小さく舌打ちした。
保険は掛けている。どこへ向かうかも告げ出向いている。念には念を。三鷹はスーツの内ポケットにある、緊急時に課員へ連絡する為の小型発信機の電源を入れる。
後ろを着いてきている十和子の表情が強張った。
「……っっ!」
どうにか最小限の声に抑えることに成功した彼女は三鷹へハンドサインで合図を送る。
「あそこですよ? ああ……凄いでしょ。これは特大サイズの完全冷凍保存設備でして、気になりますよね」
立ち止まった三鷹が、普段見ないであろう設備機器に興味が湧いたのかと思い、時任は設備の簡単な説明を始めた。
「確かにこれは見ものだ。……時任さん、申し訳ないが鏡の体調が優れない様でね、何処か腰を落ち着ける場所へ案内して頂けないだろうか?」
目線と緊急時の符丁、ハンドサインを駆使し、現在の状況を彼女に正確に伝える。
「それは良くない! あちらです、案内致しますので、三鷹さんは?」
【対象が出現、現場から離脱】
「私はここで待たせて貰います、構いませんか?」
「結構ですよ、鏡さんを案内したら戻ってきますので」
「課長……済みません……」
【一般人の退避を最優先事項とする】
「……大丈夫さ、鏡君。直ぐ終わるよ、早く行きなさい、時任さんご迷惑をお掛けします」
何か言いたげではあったが、判断の遅れは迷惑を掛けるだけと判断した十和子は時任に伴われ、足早に去って行く。
この様な事が、彼女を怒らせたというのに。舌の根も乾かぬ内から、同じ事を繰り返す自分に呆れ、三鷹は苦笑を浮かべる。
(正式に婚約を申しこむべきか……いやそれでは、なし崩しなのでは? 昨日は調子に乗りすぎたか……)
三鷹の記憶通りであれば。今から対峙する相手は尋常の使い手では無い。だと言うのに暢気な事に思考を回している事に気付いた三鷹は気を引き締める。
もう、隠すつもりもなくなった気配は、空間に溢れてだしている。
「周防さん、お久しぶりですね、二十七年ぶりでしょうか……覚えてらっしゃいますか、三鷹誠司です」
三鷹はパーテーション越しへ声をかける。返ってきたのは予想通りの人物の声。
「ククククク……随分と立派になったな。まさに麒麟児であると判を押した甲斐があった」
ゆっくりと現れ、姿を見せる男。
十四代当主の直弟子であった男。
二十七年前の藤堂無手勝流総師範代。
周防国親。




