三十七 〜春樹の解決策〜
「……ありがとう、もう大丈夫」
唇が離れて何分ぐらい経っただろうか。
抱きしめた体の柔らかさに悶々としていると、向こうから抱きしめ返す様な動作と声が返ってきた。
柔らかな力が彼女が刀の支配から解放されている事を示している。先ずは何よりだ。
「俺の胸はいつでも空けてますんで、専用にします?」
いつもの桜花さんの声色に安心しつつ、気恥ずかしさを隠す様に戯けた返事を返す。
「……他のに貸したら怒るから」
上目遣いで怒る仕草を見せながらも赤くなる桜花さん。離れるのが名残惜しい様に俺からそっと距離を取りチラリとこちらを見てくる。
ヤバい。撃ち抜かれた。元から撃ち抜かれている様なものだが、何というか、あの腐れ刀から解放された後の桜花さんの目には今まで感じていた遠慮が無い。
最高の気分だ! こんな時に姉から伝授された楽しい妄想パレードーー自分の好きなものだけを頭の中に並べてレッツダンスパーリィ。ーーが炸裂するのは癪だが、仕方が無い。
戦艦型ロボットの君は左側に。大盛りの蕎麦、そうだな君は正面だ。ラブラドールレトリーバー! いつか家族に迎えるからな! おおお!
背後からは水着姿の桜花さんだとっ! ぬぬっ心臓からまた例の力が、こっちにも反応するのか。だがコントロールの仕方はもう覚えた。まだまだお楽しみは続けるぞ。
「はい! 春樹くんハウス! 早く帰ってきて! ちょっと大事な話しよう」
「そんな……えへへ駄目ですよ、えっ? 遊園地ですか、勿論OKですよ?」
「流石、姉弟。嬉しくなったら一緒の挙動を見せてくる……私のせいだけど仕方ない……つぇぇっっい!」
「ぼふっ!!」
喉に指を刺してはいかんです! いや、正気に戻りました、はい。
「げふっ……すいません、今、人生が輝くという表現が陳腐に感じる程、みなぎっておりまして……何とか正気に戻りました」
「それは良かった、大事な話っていうのはこれの事よ」
そう言って桜花さんは手をかざす。そういえば抱き合ってる間にいつの間にか刀が消えていたが、どこに消えたのだろう?
などと考えていたら彼女の掌から刀身みたいなの出てきたけど、どうしよう。血が……出てないから大丈夫と言う判断で良いのだろうか?
「この刀の銘は浄罪って言うの」
「そうなんですね」
いやまあ知ってるんだけど。それよりお手てから刃物生えてますけどそれは。
「役割としては簡単に言うと神と呼ばれる存在への特化武器なのよね。あと何かに取り憑かれてる所為で悪人になってる人を斬る事で取り憑いたモノだけを斬るっていう能力とか、人だけ斬らずに枷を掛けたりとか出来るみたいなんだけど……」
「中々な能力ですね?」
「でしょ? それで聞いて欲しいの……私はこの刀と生きて行く事に漸く決心がついた、春樹くんのことも今まで避けたりしてたけどもう、それもしない」
桜花さんの決意は固い様だ、それは自分で選んだ道だろうから喜ばしい事だが、少し心配事がある。
それはあの腐れ刀の権能に損傷を与えたといっても、また回復すれば桜花さんを乗っ取ろうとしないかだ。じっと彼女の手から生えたそれを見つめると、浄罪からの意思が感じられる事に気付いた。
刀身に触れていないので断片的で拾いずらい思念を要約してみる。刀曰く、とても痛くて堪らない。もう支配をしようなどとはしない。次の適合者も血族からしか出ない。だからお前が責任を取れ。
言われなくてもそのつもりだバカ刀め。子孫繁栄してやる。
「こんな女は嫌よね……手から刃物出して……」
浄罪を見つめる時間が長かったようだ。桜花さんが消え入りそうな声を出した。
「済みません! そんな事は思って無いですよ! 少し刀とお話していただけですから」
「話す? 刀の意思がわかるの?」
「何となくですが、伝えて来る意味は分かりますね触れるともっと分かりますけど」
「私は契約の事以外は刀から聞かれないの……普段何を言ってるのか興味あるし、教えてくれない?」
「えーと」
おい、バ刀。普段どんな思念放ってんだよ。という様な感情を刀に向けてみる。途切れがちなラジオ音声に似た様子で思念が返ってくる。
『殺せ! 殺せ! 悪を殺せ! 討て! 討て! 悪を討て! 無為に散った命の無念を晴らせ!』
酷いなおい。聞くんじゃなかった……後悔後先立たず、電波ゆんゆんの思念がデフォルトと。
「何て言ってるの?」
『血で贖うのだ!』
「えっと……悪い奴はお仕置きだっ! みたいな?」
『ギリギリギリギリギリギリギリギリ!!』
刀的にはよろしくない説明だったらしく、金属がぶつかり合う不快な音で表現された怒りの抗議が飛んでくる。
折角、親切にオブラートに包んだ優しい表現にしたのに。無機物の癖に怒んなよと言いたい。
この刀はやはりどうにかして折った方が良いのではと思案する。
『……』
黙りやがった。と思ったら、脳裏に釈明めいた思念が伝わって来る。えっ? 漸く適合者が決心付けてくれそうではしゃいじゃった?
……前の適合者は技術があって素敵だったけど力は引き出せなかった? 十三年待った? 知らんがな……やっぱり有罪。
アレは駄目だよ。俺さ、桜花さんがやりたい事をやりたいようにやって欲しいんだよね。あんな風に意識奪って操る感じは違うの。わかる?
「……? 何か案外普通なのね。どうしたの? 刀じっと見てるけど?」
「えっ、あっ! ちょっとお話ししてたんですよ。結構話せる奴ぽいっですね?」
「私、そんなの出来ないんだけど……」
「多分聞こえる状態で取り込んじゃうと精神保たないでしょうし、それも含めて適合者ってのじゃないですかね?」
まじまじと自分の手から生える刀を見て呟く桜花さんに割と当たりであろう答えを返す。刀からもそんな返事が来た。同調する性質では真の力を引き出しきれないらしい。
「そっか……さっきの続きなんだけど。私はこの刀を受け入れた後に自分が何がしたいか分かった。先ずそれを春樹君に聞いて欲しいの」
「聞きますとも」
「私の両親、此処で死んだの、いえ、殺された……」
姉とこの人が友達なのは周りの人間からすると凸凹コンビに見えるのだろうが、そんな事は無い。この人も充分いい感じに爆弾を投げてくる。まあそれは今、好きな所でもあるが。
気軽に相槌を打って答えるには大きな話なので頷きだけを彼女に返す。
「両親は先代の管理人とその世話人。咒式と呼ばれる神の穢れの浄化作業中の事故で亡くなったと聞かされて来たけど、どうにもおかしいの」
「おかしい?」
「最近分かったんだけど、お墓に骨が無いの」
それは露骨におかしい。何かが隠されている。一番怪しいのは、此処の神達だろう。
「灰燼様やお方様達は契約が済めば話すと仰ったわ、それを一緒に聞いて欲しいの」
「何で気付いたんですか?」
「この山の裏手に両親のお墓があるんだけど、そのお掃除の時にね。一昨年の奉納舞の後、良子が一緒にやってくれた時に分かったの」
流石、姉。何かを起こす。
「そろそろええか?」
「お方様」
妙齢の美女が後ろから声を掛けてきた。そう言えばずっと見守ってくれていたな。二人の世界に入り込んでしまっていた。
「これから幾らでも乳操り会えば良いからの、少し邪魔するぞ」
中々良いことを言う。全くその通りだ。理解のある上司、組織のカリスマとはこうあるべしだろう。
ただ両手を何か掴む様にして舌をペロペロしながら今のセリフを言ったかと思うと、神の尊厳とは何かを考えさせられるが。
「……少し遊び過ぎたの。真面目に話そう。簡単に言うとな、真犯人は妾じゃ」
思わず殺気が漏れる。だが彼女の背後から灰燼が姿を現した事で飛びかかる様な事にはならずに済んだ。
「ふふ……済まん、結果としての真犯人であって妾が実行した訳でも無い、妾から出た澱みが咒式となり、桜花の父と母を食った、成り代わったと言うのが正しいのか……そしてその咒式は逃げて、今も何処かで悪さをしとる」
「全て話すと仰っていた意味が分かりました……」
桜花さんの眼から再び涙が出てくる、声は震え、今にも叫びながら泣き出しそうな、そんな感情が込められているのが分かる。
「黙っていて済まんかった、だが仇を討たせてやるにも力を付けねばならんしな。そして何とか無事に……契約は成った。桜花よ、わかるな? 妾とこの神祐地、丸ごと浄罪で焼き清めよ。下準備は春樹殿の奉納舞で万全となろう」
「……」
桜花さんは答えない、応えもしない。灰燼とお方様の二人を涙の流れる瞳で見つめ続けている。二人は身じろぎもせずそれを受け止めている。
「春樹殿、説明が足りんだろう? 咒式は神の穢れじゃが、神から切り離された存在では無いのじゃ。発生源である神から存在する為のエネルギーや意味を供給……まあ掠め取っておると言った方が正しいの。早い話しが妾が懐かしき狭間へ還れば現世にある妾に由来した咒式はガス欠になって干からびる」
簡単じゃろ? と彼女は肩をすくめる。
「嫌です!」
大きな声では無いが強い拒絶を含んだ桜花さんの声が通る。神様連中は死の概念が人間と違いすぎて、簡単にこう言う事を言うのが頂けない。
関係性は深く聞かずとも態度と話し振りで、仲の程度は分かる。親しい相手を焼けなどと言うのを気軽に言うのは困り物だ。そりゃ嫌に決まってるだろうに。
「かと言って今も、お前の両親の姿をした咒式は何処かで人を喰らっておるやもしれぬし、捨て置けん。だが妾達は此処からは動けん。答えは一つじゃろ?」
「それでも、嫌なんです……」
桜花さんが俯いている。これは何とか力になりたい。咒式とやらからの盗電ともいうべき所業、それを切り離す方法……あれ? 俺の例のやつでいけるよな?
試してダメならまた別の方法を考えよう。さっきのでまた新しいことも分かったし、もっと制御出来るはずだ。
流転の気を全身に巡らせ【足撃】をその場で放つ。灰燼がピクリと反応するが、殺気がない事にも気付いており、静観してくれるようだ。
「春樹殿はやる気になってくれたようじゃな」
「ちょっと違う。アンタを神界、狭間に還さずに済む方法を試す」
「奉納舞を始めるのではないのかえ?」
弐の型〈受撃〉ーー相手が突いてきた打撃を左手で絡めとる様に円を描く動きで受けると同時に〈足撃〉を撃つーーを放ちながら、返事をする。
「違う」
参の型〈膝撃〉ーー受撃の姿勢から膝蹴り、真上に突き抜ける様に刺し貫く勢いそのまま宙返りーー着地と同時に再び足撃。
心臓から漏れる力を流転の気の流れに巻き取り引き出す。この感覚を最もスムーズに行えるのはどうやら流転歩の型のようだ。
引き出す為の呼水としての感情の起伏も必要が無い。感覚的にそうだろうという感触に従ってみたが、正解だった。
立ち止まったまま力を引き出そうとした時より遥かに楽にあの状態になる事が出来る。
瞬きを一度すれば、見慣れてきた世界が現れた。ついさっき見た模様ばかりが漂う中、新顔がチラホラと見える。
これなら特定も容易だろう……と思ったが十種類はいるな。どれだ、アレは違う。これも違う。さっき聞いた話し通りなら分かりやすい筈、漂うのではなく本体に繋がっている……
「見えた。これだ」
黒く細い一本の管だろうか。蛇のようなそれは彼女の右足首に巻き付いている。他の模様が印象的過ぎて、見過ごしてしまいそうになるが間違いない。
これだけが本体である彼女に繋がっている。反対側はどこまでも伸びていて先が見えない。
引きちぎるのが正解なのか……再生する性質がコレにも有れば根本対策がいるだろう。ひとまず掴んでみて強度を確かめる。
「何だコレ」
声が出るほど予想外の感触。硬いのに曲がる不思議な質感でもある。強めに握ると内部が中空、液体で満たされている様な触感も感じる。
「春樹くん、どうしたの」
「桜花さん、信じてもらえるかは分かりませんが、俺見えるんです。その咒式と神の繋がりってやつが」
「……信じるわ」
桜花さんは真っ直ぐ俺を見つめるが、それ以上多くを聞いてこない。俺たち姉弟の扱いを良く心得てらっしゃる。
言葉で伝え切る自信がないから本当に助かりますとも。姉ちゃんにも一応感謝だな。
さて、この掴んだ管をどうしたものか、気を練った状態で触っているせいなのか、本体側のお方様は居心地が悪そうだ、流転の気がこの管越しに伝わっているのだろう。
「春樹殿……何をしておるか分からんが、やるなら一息で頼むぞ」
「俺を処刑人みたいに言わないでくれ、だが期待には応えらない、確認しながらだから、ゆっくりになる」
気の利いた気休め一つも浮かんでこない時はありのまま伝えるしかない。一息に千切れない事も無いが再生も早いような気がする。
イメージは腐食、管を食い荒らすように流転の気で侵食していく光景が脳裏に浮かぶ。これだ、やってみよう。
両手で管を折り曲げる様に持つ、限界を迎えたのか曲げのきつい箇所から罅が走る。少しばかり露出しその先から黒い粘り気のある液体が染み出してきた。
この罅へ針よりも細く収束させた気を差し込む、指先から円錐が飛び出すイメージで……。
「くはぁっ……あひゅっ……」
「「お方様!」」
青少年には刺激の強い、甘く高い声が響く。悪いことをしてるわけじゃ無いのに罪悪感が凄い。
罅から入った俺の気に当てられたのか、彼女に繋がる側へは流れ無い様にしているので余波的なものだろうが……何故こうなる。桜花さんの顔が見れない。だが手応えがあったので……。
「申し訳ない! もう少し強めます!」
思わず丁寧後になる。そして耳から入ってくる音がどんどん刺激的に……
「あぅぅ……もう……駄目じゃ……溶ける」
雑念が恐ろしい事になってきたが気の流れは非常に安定している。これまでの修行に感謝。
棘つきの金棒で股間を打ち据えられる自分を想像しながら心を沈める。ああ情けない。こんなプレイを致す羽目になった原因の咒式とやらはこれでお仕置きしてやる。
罅に更に差し込み気を広げ罅を穴にする。「いっ……く」聞こえてくる声は自主規制するしかない。
やはり内部は液体の詰まった空洞のようだ、螺旋の動きを加えて円錐にした気の先端を遠当ての要領で射出すればホースを通る水の如くいつかは咒式にまで届くと予想。
撃ち終わったら千切って全力で【崩震】を撃ちこむ。完璧なプランだろう。
「あんまり得意じゃ無いけど!」
言い訳じみた締まらない掛け声で気を放つ。空洞の穴径に対してやや大きい気の塊は黒い管を正しく蛇の様にのたうち回らせ、付与された螺旋の性質に従い前に進んで行く。
すぐさま手刀を一閃し管を切り分ける。
「上手くいってくれ!」
先程まで穴であった箇所は切り分けた後、放射状に裂け広がっている。そこ目掛けて、藤堂流奥義【崩震】を撃ち込む。
拳に収束させた気を回転させながらの正拳。インパクトの瞬間一瞬引く力を加える事で生み出されるエネルギーは視認出来るほどの光を放ち、流転紋と呼ばれる形状を形作る。
流転紋はしばらくその場に留まり、ゆっくりと前進していく。黒い管はそれに触れた先から消えていく。
先に射出した気の塊は咒式にまで届いたかは分からないが恐らくは届いただろう。そう思う事にする。
流転紋が消えた後も、管が再生したり、蠢く様な動きは無い。導火線に火がついた動きの様に端から消えていく。一息の間に視界の範囲には管が見えない状態となった。
これなら繋がりも断ち切れたと思われる。ここまでくれば俺のする事はもう何も無い。構えを解き、ゆっくりと振り返る。
そこには蕩けきった顔の妙齢の美女とそれを支えながらこちらをもの言いたげな目で見る白皙の美青年、そして顔を赤らめつつもジト目で俺を見つめる桜花さん。
……俺は悪くない。と言いたい。どうしてこうなる。
お読み下さりありがとうございます。




