三十四 〜俺はお前でお前は俺だ〜
「どんなカラクリで権能を封じたのか知らんが、だからと言って若僧に遅れは取らん」
セリフを吐き捨てると同時に灰燼が突っ込んで来る。条件反射に近い形で迎撃の拳を突き出す、交差する両者の右拳と左拳。
速度と技術に勝り、経験も段違いに豊富、今の迎撃も誘われたに違いなく、意識を失った原因の顎をカウンターで狙われた。
だが、それはこちらも想定内。肩を入れ込み、額で受ける。前に出る力を利用されたなら、より前に出て潰す。
「そうかよ、でも、びびってんだろ? 踏み込みが甘くてカウンターでも大して効いてないからな」
半分以上ハッタリだ。結構効いてる。だがさっきまでと違い此方の攻撃に脅威を感じているのは間違いない。連撃に繋げてこず、一撃の後はすぐさま離脱してくる。
「ふん、久しぶりに両手が使えるから遊んでやっているだけだ」
でしょうね。足を止めての泥試合、殴り合いの漢祭りに持ち込みたいが、間の取り方から足運びから、年季が違いすぎる。権能が無くて五分、四分六でこっちが有利と見たのは甘かったか……
『つまんねぇなぁ、お前。せっかく引きずり落としてやったのに手も足もでねぇたぁ』
権能を引きちぎってから、いつの間にかあの幾何学模様達は視界から消え失せていたが、悪人顔の俺はまだ、気怠げに寝転がって此方を見ている。灰燼には見えている様子が無いので、俺の妄想で無ければ……
『アホが。小難しいこと考えて余所見してると』
「おぇぇ……」
『そうなる』
権能ありきの速度と思い込んでたら、もっと速いのぶち込んできやがった! 鳩尾をアッパーで突き上げられ胃が迫り上がる。
「貴様は俺を舐めすぎだ。一瞬有ればお前を殺せるのに変わりは無い」
これは本当。確かに俺を殺そうと思えばいつでも殺せるだけの強さだ。でも……コレで確信だ。コイツ、俺を殺すのに何か手順か、手間を掛けないとダメな理由か、もしくは殺しはご法度か……
『ふぅー、このタバコってヤツは美味いな、こっちに来て一番の収穫だ。死んでみるのも悪くねぇな』
一応、この国じゃ未成年は喫煙しちゃダメなんだが……お前、実在してんの? どっから出したそれ? 匂いを感じるって。
『あん? コレはお前、イメージってヤツだよ。お前が時々嗅いだりした匂いの記憶を元に頭の中で再現したんだよ』
また混乱する事言ってきたな。俺が死んで困るなら、そんな遊んで無いでさっきみたいに力を貸してくれよ。
『何だ? お前死にたいのか? 折角助けてやったのに。俺が今これ以上手を出せば、すぐ様裏返るぞ?』
お前は何なんだ。何でお前の言う事が嘘じゃ無いって分かるんだよ……
『俺はお前だよ、お前の中で死んだまま眠ってたが、強烈な殺気を浴びたお前が死を意識したせいで少し起きちまった』
死んだのに起きるとか意味わかんねえよ。
『死んだように眠ってたんだよ』
言い換えただけじゃねぇか。とりあえずわけがわかんねぇ。
「まだ余裕があるか、その頑丈さは誉めてやる」
灰燼は腹のダメージで立っていられず蹲る俺の腹辺りをつま先で引っ掛かけ、勢い良くカチ上げて来た。
十メートル近くの高さまで蹴り上げるって、どんな脚力だよ……。これでは、死に体を晒すばかり……! 灰燼の気が急激に膨れ上がって……くそっ、予想通り大技が来る!
『いつまで寝ぼけてんだ阿呆が。習った事まで忘れやがって、これ見よがしに力溜めてくれてんだから裏をかけ。あるだろうがよ、お誂え向きの技がよっ!』
出来たら苦労してねぇって……〈転〉一つにしても満足に使いこなせてねえ……の……に? そうか!
「灰燼の名はこの技から付いた……権能が上手く使え無いから良かったな、多分死にはしないだろう」
灰燼の拳に収束された気がその空間周辺を歪めている。準備が出来たのか少しばかり腰を落とし、猫足立ちに似た構えを取った。
風を切る様な音が一瞬鳴る。
ここだ、このタイミングで〈空転〉を使う。
母がする様に空を渡るかの様な挙動は無理でも落ちる速度を加速させるなら俺でも出来る。
大事なのはイメージ、想像する事だ。〈流転〉の気を足に回して、空を大地の如く踏み締める。……足裏に引っ掛かりの感触、成功っ!
「驚いただろ? 俺もだよっ!」
どんな達人の攻撃だろうと、タイミングを外されれば打点はズレるし技の威力は半減以下。
空中に打ち上げられ頭から落ちて行くところを狙われていたのを逆手に取り、〈空転〉で逆に急加速。
閃光の如き拳は顔を滑る様にズレ、その先には驚きに染まる灰燼の顔。自慢の石頭をその眉間に突きさす。
見事に裏を突けた。鼻骨周辺は確実に割れた手応え。怒り狂われる前に手打ちか、それともこっから追撃か。
運良くコレで決着が第一希望だが……それには先ず勢い余り過ぎて地面にめり込んだ自分の頭を引っこ抜くところから始めないといけない……ホント格好つかねぇ。
『無様だろうと何だろうと、やっぱりお前が生きてた方が良いな、久々に笑った』
——! お前、もう消えるつもりだろ。もっと色々説明していけよ。気になるから……ちょっと待ってね、ぬぐぐぐっ。
「よっ……とっ! ぶへぇっ! 土噛んだっ、まじぃ」
『知り過ぎるとお前と俺が裏返る。今だって色々誤魔化して反則オンパレードだ』
何だよ。そんなふうに笑って、俺みたいな顔出来るのかよ。普段から悪人顔はやめた方が良いと思うぜ。
『ちっ……ヘラヘラすんのが性に合わねぇだけだ。俺はもう寝る。あんまり死ぬ様な目に合うなよ? 五月蝿くて仕方ねえ……それと試すなよ』
……試すと不味いのは分かってるから大丈夫だよ。
疑問だけを残して余韻は残さず、俺が掻き消えて行く。言う通りで有れば、今後会わないのが正解なのだろう。ステータス画面の先についても、釘を刺されたな。、
だからと言って忘れられる様な出来事では無いが。こんな時は無性に姉が羨ましくなる。あの人ならこんな出来事程度は笑って済ますか、深く悩まず忘れるか。
それに今日此処に来るのがあの人だったなら。目の前の達人も笑いながら怒るなんて、器用な事をしなくても済んだだろう。
折れた鼻を痛みを感じていない様な動きで無造作に直し、口に残る血を吐いてこちらを睨む。
「生きて帰さん……」
「怖えな。……でも、来客みたいだぜ?」
甲高い音が響き、窓ガラスを叩き割ったかの様な罅が俺と灰燼の間に現れた。異界が外部からの干渉を受けた場合の現象だ。
誰かが異界に無理矢理入り込んでこようとしている……出来れば味方であって欲しい。
「控えろ、お方様がおいでになる」
灰燼の凄惨な笑みは消え失せ、立膝の体勢を取っている。そこまで畏まる相手が来たんだな。そういうのは意に介さないタイプかと思ったから意外だ。
罅が大きくなり、白磁の手がゆっくりと異界に侵入を果たして来る。
花魁? ド派手な帯は前に、肩出し、足元は高下駄、もう一方の手には、おかっぱ頭の着物を着た小さな女の子が手を繋いでいるが……コレは人間じゃない。気配が式神とかのそれだ。
帯の上に鎮座する胸部装甲がやべぇのに顔がロリって……神らしからぬ雰囲気、服装だけじゃ無く気配からしてヤベェのが来たな。
「灰燼、派手にやられたな。近うよれ」
「御意」
どんだけ偉いんだよ……お方様って存在。灰燼って、どう見てもプライド高そうだし、あれだけ強いと権力とか屁とも思って無さそうなのに。
それを顎で指図して、喜んで従わせるって。確かに声は抗い難い不思議な魅力があるけど……。
「藤堂の」
俺のことだよな……返事したら魂抜かれるとか無いかな? 名前縛りとかって神の特技みたいなところあるしな。現に返事をしたくなってる。
返事をするのを耐えて居たら、灰燼がマジギレ顔でこっちを睨みつけてくる。……俺、一応藤堂流だよ? 神殺しの流派だよ? 警戒ぐらいさせてくれよ。
「肝など取らんから挨拶しておくれ? こちらは立場もあってヒトより先に名乗るわけにもいかん」
「……藤堂無手勝流奥伝、向井春樹」
お方様と呼ばれる女はニヤリと笑い、灰燼の頭を優しく撫でる。
「向井……あの、向井良子の血縁かえ? 似ておらんのぉ?」
「目だけ隠して並ぶと良く似てるんだってよ」
白魚の手をかざしながら此方の目を隠す様な仕草を取り、一つ頷き。納得した様だ。
姉を知っているのは、奉納舞で遠巻きに見ていた神の一柱で有るということだろうか。
気の動きを感じ、灰燼の頭に置かれた手を見る。その手から温かな雰囲気を持つ光が溢れ、彼を包み込む。
「確かに口元や顔の線は良く似ておるの。春樹殿、宜しくな。妾はお方という。好きに呼べば良い。灰燼、早とちりせんで正解じゃ」
「仰せの通りで」
折角与えたダメージが無かった事になりました、と。しこたま殴られて漸く返せた一撃が跡形もなく治ってる。
白皙の美青年再降臨。……鎖付きの手枷まで、持ち主のところに飛んで戻って来やがった。権能の回復まで一時間はあるって言われたのに。
「春樹殿、すまなんだな。てっきり目当ての姫が来ると思うておったのに当てが外れて、灰燼もイラついておったのじゃ」
まさかの姉狙い!? おい、灰燼、お前スゲェな。
「何を勘違いしておるのか知らんが、実力が届かなければ桜花を救えんから試したのだ、無能で有れば殺すかと考えたが……まさか権能を封じられるとは」
ありがとう悪人顔の俺。気を効かして出て来てくれなきゃ、俺は多分死んでたよ。それと今、桜花さんを救うとかどうとか言ってたのは? 目線をお方様に向ける。
「桜花は今、身に宿した霊刀に喰われかけておる」




