三十ニ 〜依頼〜
「お茶をどうぞ」
ちゃぶ台を囲み、お茶を一口。目の前には、立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花と形容しても良い桜花さんが頬をやや紅くしながらお茶を飲もうとしている。
「頂きます。急なお願いになり申し訳ありません」
「奉納舞の件ね、春樹にさせてみようと思うの、ねえ? 春樹」
どうすれば彼女を一撃で沈めれるのか……正攻法で告白? いやまだそれは感覚的に遠い答えだな……そもそも一撃が正しいのか、それとも速射砲の様なジャブの連打が正しいのか……ん?
「何か言った? 奉? 奉納舞?」
「桜花ちゃんのお家に伺って奉納舞を捧げるの。十の型を五十五歩で繰り返しながら円を地面に描く。それが奉納舞、今みたいな邪念は捨てて舞うのが礼儀だから先に言っとくわね」
サラサラと奉納舞とやらの動きを紙に走り書きしながら母は説明を続ける。
邪念では無く、使命に賭ける情熱だと強く否定したいが、大枠で言うと邪念のカテゴリに該当する感情は抱いているので黙って聞く事にする。
「この奉納舞は五年前まで私がやってたけど、良子ちゃんに引き継いだ、でも就職出来たからね。今年からは春樹にやって貰いたいの」
書き上がった走り書きを確認しながら、自分でも問題無く務められる内容だと判断する。藤堂流の基本―――十型五十五歩と呼ばれる動きなら慣れたものだ、丸一日でも続けられる。
奉納舞はこの基本型の繋ぎに使われる四の型〈転〉を敢えて魅せる様に見せる動きーー速すぎて何をやってるか分からないから分かる様にするーーとする事で舞として成り立たせる様だ。
「桜花さんの力になれるなら断る理由が思い浮かばないね」
彼女を見つめながら一言。ここで一瞬だけ表情チェック! 良し! 嬉しそうに微笑んだ後に直ぐ顔を引き締めた。この路線も結構お好みと。
「一応、藤堂流の唯一の神事だから、今の感じは抑えてね? 良子ちゃんと違って、春樹は分厚い猫被れるんだから」
恋愛に関しては背中を押し込む程の後押しを見せる母から、再度の注意の言葉が飛んでくる。成程、思ってたより危ない案件だな、これ。
「神事と藤堂無手勝流が結び付かないから、そこら辺が危険度高いって理解で合ってる?」
神殺しが生業の流派に神事って言う時点でもう怪しい。
「正解よ。奉納舞って言ってるけど、本質は武力による威圧。神に類する立場からしたら目の前で自分を消滅させる事が出来る力が振り回されるんだから、いい気分はしないわよね」
何年続けてきたのか知らないけど、意味が分からない儀式だな。辞めれば良いのに。虐めと何が違うんだろう。
「奉納舞を披露して頂く事で神祐地の澱みが取り払われるの」
素直な疑問が顔に出ていたせいか、桜花さんから奉納舞の必要性について追加の説明を頂く。
「澱みは生命を持たないモノを作り出し、世を乱す。私達、神祐地の管理人は、その生命の無いモノを狩る事は出来ても、澱みを払う事は出来ない……春樹くんに力を貸して欲しいの」
貸す。何なら上げる。だから……
「ストップ、桜花ちゃん。まだ駄目よ? 良子ちゃんとも約束したでしょ?」
「——! すみません……」
新婚旅行は何処が良いかな? 沖縄とか良いよね。海外旅行も良いけどやっぱり日本だと、節目で新婚旅行で行った所にもう一度行ったりしたいよね。
「こうなるからね? 私の育て方に問題があったと言われたら返す言葉も無いけど。良く見ててね? こう治すから」
桜花さんはお肉好きだから、近江牛……関西を巡るのも良いかもしれないな。旅費は最近の生業代がすこぶる好調なので何ら問題無し……指輪っ! そうだ指輪だっ! 何処に行けば……
「ゲバァっ!」
喉に指が割と深めに刺さったっ! 誰が?!
「戻ってきた?」
「ごへっ! ぼふっ! ……戻った」
あんな目を見つめられてお願いされちゃうと、思わず盛り上がってしまって、トリップしない訳が無い。
手っ取り早く喉を突かれて正気に戻すと言う母の荒技で正気に戻されたけど、本音を言うと、もう少し浸っていたかった。
「良いかしら? 五十五歩を三回繰り返すのよ?」
「分かってるって、姉ちゃんだって出来たんだから」
「「……」」
あれ? 何で沈黙されるんですか、マイマザー、アンド、マイハニー。
「そうよね……春樹が知ってる筈ないものね」
「姉ちゃんの奉納舞って問題あったの?」
「問題は……無いと言いたいけど、あったわね」
話が見えてこない。あの姉の事だから真面目には取り組んだ筈。……結果が斜め上を行ったのかな?
ため息混じりに母から言葉が出る。
「ちょうど五年前だから良子ちゃんは高校生、そろそろ説明しないといけない時期に来たと思ったからこの奉納舞を先ず選んだの」
奉納舞は神が遠巻きに見守る。舞の最後に至っては、藤堂流の気の流れに当てられて踊り出す存在まで出るそうだ。自身を完全に滅ぼす力に美を見出すのか理由は定かでは無いそうだが。
幾ら姉でも、超常の存在を目の当たりにすれば、多くを語らずとも気付く筈だ、との母の当時の目論見について説明を受けたが……
「ざっと聞いただけでも上手く行きそうにない」
力なく頷く母。姉の行く末、将来を心配する時、その若々しく華やかな外見に隠されがちな母としての顔が表に出る。この人が自分達の母で居てくれる安心感に包まれる時でもある。
「初めての奉納舞が終わった日、私は、それなりに覚悟を決めて良子ちゃんの帰りを待ったわ。それまではこの生業については黙っていたからね、普通に生きたいならそれが一番だから……でもあの娘、帰ってきて開口一番、何て言ったと思う?」
大方の予想がついた。
「賑やかなお家で楽しかった。って言ったのよ……私、もう気が抜けちゃって。結局最近まで説明するの伸ばしてたし……。実際、奉納舞で何が起こったか、見た訳じゃ無いから桜花ちゃんから話してくれる?」
「はい。通常であれば奉納舞の後、三日三晩は、それこそお通夜の様な空気感、その場では気に当てられて踊り出す様な神々も居られますが、舞が終われば倒れ伏されるのが常です。ですが良子の場合は……三日三晩の宴会が続きました」
「「「……」」」
考える事は放棄した方がよさそうだと言う目線を交わし合いながら、この件についての扱いはいつもの共通認識で片付ける事にする。
「姉ちゃんだから仕方ない」
「そうね」
「流石、春樹くん。手馴れた対処ね」
だが、俺に起きるかも知れない事はもう少し聞いておくべきだろう。
「俺が奉納舞をしたとして起きるかもしれない問題って何だろう」
決闘……リンチ……監禁……ボソボソと母から不穏な単語が漏れて来る……いくら桜花さんのためとはいえ、気持ちが萎えそうだ。
そんな事想定しなきゃいけないの? 伝える内容が決まったのか目線が此方を向いた。
「春樹。大丈夫だとは思うけど危ないと思ったら即撤退よ? 分かってるわね? 勝てないと思ったらその場から離脱。五分以内に、最低五キロは距離を稼ぎなさい。それで直ぐに私に連絡」
五分で五キロ? 一分一キロだよね? 百メートルを六秒で走んなきゃいけないんですがそれは……
「母さんは来ないの?」
「私が行ったら任せる意味もないでしょ? 春樹には次期藤堂としての顔見せでもあるんだから、私がついて行ってオムツの取れないヒヨッコ扱いされ続けたくないでしょ?」
そりゃそうだ。この生業は舐められてちゃあ余計な仕事が増えるってことは家業のバイト経験で骨身に沁みてる。
姉は藤堂に収まる様な器じゃ無いのは母さんも分かってるから敢えて色々伏せられて来たとこもあるが俺には最初からこの仕事を継がせる意志が見えていた。その期待には応えたい。
「分かった。まあ、格好つけて来るよ」
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