三十一 〜弟の秘密〜
「姉ちゃん何してんだろ?」
日曜日、家の居間。昭和の色合いが濃く残る箪笥や鏡台が鎮座する空間、その中央に構える年季の入ったちゃぶ台に頬杖を突きながら独り言が漏れた。
「どうしたの? 突然、お姉ちゃんなら先週も帰って来たでしょ?」
美の精緻を体現したかの様な顔が訝しげに義理の息子に向けられる。母と呼ぶには若すぎる外見は十年以上変化が無い。
「いや……就職したんだなぁって」
「良かったわよね。八尋がちゃんと考えてたみたいだし、お母さん一安心、お茶入れてくるわね、お菓子は要る?」
首肯のみで母さんの問いに答え、先ほどの感情について再び考えを向けてみる。
一月前に齎された報せ。あの姉ちゃんの就職。とてもじゃ無いが一般的な日本企業で働き口が見つかるとは思えなかったので吉報と言える。
本人がどのように自分を認識しているか定かでは無いが、あの姉は自然現象、台風や地震といった類の化身では無いかと疑う事件を引き起こす事が多々あるからだ。
「人の事より先ずは、自分の事だな」
先ほどの感情については、答えが出た。受け入れてくれた会社への同情だ。引き起こされる騒動を是非、陽気に楽しんで貰いたい。
まだ会った事も無いが雇用を決めた遠藤八尋なる人物はきっと高潔な篤志家に違いない。
……日課の薬草作りがまだ終わっておらず、仕上げの工程が丸々残っていた事を思い出し、お茶を飲んだ後は作業に取り替かることにした。
◇ ◇ ◇
居間から移動し調薬部屋と呼ぶ裏手の庭に面した部屋で作業中だ。薬研に数種類の実を混ぜ込みすり潰していく。
潰した物を今度はすりこぎに入れ、薬湯ーー内臓機能への薬効がある草木の煮汁ーーと少しずつ馴染ませペースト状になったら取り出し、団子状に整形する。
水分量も申し分ない仕上がりに見えた時、目の端にポップアップが浮かぶ。
薬草丸
状態:良好
「上手く出来たな……」
姉にも母にも誰にも知られていない自分の能力。子供の頃から認識出来ていたそれはRPGで言うステータス画面と言われるモノに酷似しており、対象の状態を確認する事が出来ると言うモノだった。
自分にしか確認出来ない代物なのでその存在を証明する方法は無い。誰にも知られないというか、知らせようも無い。
頭の病気を疑っていたが健康診断などでは健康そのものなので問題は無いと思いたい。
このステータス画面は自身の詳細についても、勿論確認出来る。
文字を覚えるまでこの画面は理解不能な数字の羅列、意味のある様な字体を持つ象形文字群で表記されており、暫くは意味のないものだったが、文字と言葉の語彙が増えるにつれて、日本語の表記に変化していった。
そして小学二年の夏。自分が所謂、異世界と呼ばれる場所から転生してきた存在だと言う事が分かった。
あの時、ステータス詳細画面にそれまで意味不明な文字列であった場所が〈注記〉という文字に変化している事に気付き、それを認識した瞬間、別画面が飛び出してきたのだ。
そこには誰かが自分に宛てた文章、手紙ーー宛名は象形文字のままで誰なのか分からない、宛先はこの手紙を見る者へ、と表記されていたので普通に考えればステータスの主である自分の事だろうーーが書かれていた。
書かれている内容は、此方の言葉で表せない意味の物が多いのか、殆どは象形文字と意味不明な数字だが、一文だけが確認出来、こう書かれていた。ーー転生先である異世界の地球と呼ばれる星で愛を見つけろ、それが父母の願いーー
一瞬凄まじい衝撃が全身を走った……が。
そもそも転生と言われても前世とやらの記憶は無いし、あの姉と義母が自分の家族である事に比べれば全ては些事と言っても差し支えない事に直ぐに辿り着き、衝撃は霧散した。それもステータス画面によって気付いた事ではあるが。
向井良子(姉)
状態:良好
生命力:|\|%=×*」9
危険度:○°>°6^\
注記→
〈注記閲覧権限がありません。権限の取得には|#%6<「」*〉
藤堂×$#2(養母)
状態:封印
生命力:九九九九九九九
危険度:九九九九九九九
注記→
〈人類最高峰の身体能力を持ち、概念存在への干渉を可能にする技術を有する個体。封印状態の為、能力値は半減している〉
母と姉のステータスは何度思い返しても笑える。焦った時や驚いた時はこれを思い出すのが落ち着く為のルーチンでもある。
ステータスの表記、状態は今のそのまま、健康であったりを表している。大体の人は良好、偶に病気、病名を自身が理解していれば病名も表記される様だ。
生命力は複雑だ、人間で言うと肉体的な強さや寿命、状態も関連していると思われる。危険度は良く分からない、何に対して危険なのかも今のところ判断がつかない。
ただ修行や訓練、闘いを行った後は数値が上昇する事は確認出来ているので、戦闘能力を表しているのでは無いかとは考えている。
一般的な人、例えば三十代男性なら生命力は百程度、危険度は一桁の数字だ。熊だと生命力は九千程度、危険度は一万から四万。
道行く人を多数観察しサンプルを集め、修行と称した食糧調達の熊狩りで得た数値なのでそれなりに根拠はある様には思う。母の半分程度に達した現在の自身の数値も参考になる、母との実力差として当て嵌めても違和感が無い。
母の出鱈目な数値、姉の文字化けの羅列。姉の文字化けに至っては常に変化しており、どちらかと言うと此方で悩んだ記憶の方が大きいかもしれない。
自分の由来が異世界だと言う事など香り付け程度しか無い。悩むのが馬鹿らしくなる。それに分かりやすい目標まであるとなれば。
「早くなったわね、優秀、優秀」
手元の材料が全て丸薬になったタイミングで声が掛かった。母の手に持った盆には今日の夕飯が載せられている。
「そろそろ次の薬の作り方も教えてよ」
そろそろ例の薬……死んでいない限りはどんな傷でも癒す増強剤の作り方を知りたい。
「大学受験終わったらね。ご飯にしましょ、手を洗って来て」
◇ ◇ ◇
「ご馳走様でした」
「はい、お粗末様でした、美味しかった?」
「うん、いつも通り美味かった」
食器を片付け始めた時、滅多に鳴らない来客を告げるベルが鳴った。誰だろうか、この時間に来るのは……
「はーい、お待ち下さーい」
珍しい来客に興味が湧き、母について玄関口へ向かう。ネットショッピングの届け物では無いだろう。
母の様子からして既知の人物なのは間違いない。玄関口と居間の距離なら相手の気配で誰か当ててみせるからだ。まだ自分にはそこまでの芸当は出来ないので誰が来たかは、分からないが。
「夜だから、静かにね」
此方を見ながらそんな事を言う母の眼は悪戯を思い付いた子供の様に喜色に満ちている。これはもしや。
玄関の引き戸の前、磨りガラスから透けて見える姿形は期待通りの人物に見える。母が鍵を開け引き戸を引く。
「こんばんわ、夜分遅くに申し訳ありません。藤堂様に奉納舞のお願いにあがりました」
山田桜花
状態:良好
生命力:二八八九〇〇
危険度:一八ニニ三〇
注記→
〈神祐地の管理人。霊刀浄罪の適合者(未契約)※忘れるな、お前の愛は此処にある〉
「桜花さん!」
「こんばんわ春樹君」
黒と薄紫色が混ざる瞳は今日もこちらへは向けられない。ここ数年、眼を合わせない様な振る舞いを彼女は見せるが、母からの密告で理由は分かっている。
姉に釘を刺されたからだ。弟の進路が定まる迄は手を出してくれるななどと、随分古めかしい釘の刺し方だ。
桜花さんが、律儀にもその釘が刺さった振りをしている事も姉は気付いている筈だ。男を紹介するという流れは大抵は上手く行かない、あくまで姉へのデモ、興味のある振りだからだ。
逆説的に手を出すつもりがあるという証拠なので、此方としては一手、手間が省けてありがたい。彼女が自分に好意があるのか無いのか、分かっているのといないのでは、取る戦法が変わるというものだ。
「春樹。桜花ちゃんを居間に案内してあげて、私は、ゆーっくりお茶を入れて来るから」
母の完璧なアシスト、姉が居れば絶対に邪魔をされるが今日は居ない。普段はこんな長時間、彼女を見つめる時間を姉は許してくれない。折角の時間を楽しむとする。
「どうぞ桜花さん」
上着を預かり、コート掛けにかけ、彼女を招き入れ居間へ向かう。今日の彼女の出立ちは、ハンチング、大きめサイズの厚手の茶色セーター、ジーンズ。
対する此方は中性的と評される顔に作務衣。彼女の好みドストライクなのはリサーチ済み。万が一の備えが効を奏した形だ。
居間に向かいながら背後の気配を探れば彼女の視線は自分の背に強く向けられている事が分かる。つまり彼女は眼を合わせない様にしているのに背中は穴が空く程に見ているという事だ。
確かめあった事は無いが、初めて出会った時の天啓に似たシグナル。あの点と点が繋がった感触は彼女も得た筈……だからこそ、この背中に視線は注がれていると考える。
彼女もまた、充分な使い手なので此方が気配を探っている事も分かっている。だが視線が逸らされることはない。
残念ながら我が家は広いと言っても十秒も歩めば、居間に着いてしまう。お互いに楽しめた時間が直ぐに終わってしまうのは残念だ。
「こっちの座布団使って下さい」
「ありがとう春樹君」
座った途端に俯き気味の彼女を見る。頬に差した赤みは化粧では無さそうだ。先程のやり取りはいい方向に働いているとみた。
姉の一方的な、されど無視し得ない御触れの期間の間も此方が動いてはいけない訳は無い。
今日突然訪れた好機を逃す訳にはいかない。この関係を一歩進め、愛を見つける為に、渾身のストレートを放つ所存だ。
お読み下さりありがとうございます。
引き続き本作をお楽しみ下さい。




