二十一 〜婆・娑・羅〜
「ギャハハハッ!! 何だよおい!! えげつねえ気当てだからどんな豪傑が来んのかと思ったら随分具合の良さそうな姉ちゃんじゃねぇか! 堪んねえなぁ!」
スルスルっと何の妨害も無く階段で十階、社長室。初めて見たんだけどこんなに広いの? ウチの道場より全然広い、百人ぐらい入れそう。
何なのこの綺麗な床素材、石? タイルとはまた違う様な……普段なら入るだけで緊張するような部屋ね。ソファやら棚やら端に寄せられてるのが緊急事態感が出てて台無しだけど。
で、ドア開けた第一声がこれなのよね。帰ろうかしら。
「水嶋、八尋、帰って良い?」
「「何卒お願い致します」」
仲良いよねふたり、まーたシンクロしてるし。お辞儀の角度を揃えれば良いってもんじゃない。水嶋の身内だって言うから武士みたいなの想像してたけど…… 猿のお面? 被って拳法着を着崩した一緒に歩きたく無い感じの不良若人。アレがアンタとこの身内ね……ふーん。
「オイオイオイオイ! 東王と調停者が傅いちまってスゲェじゃねぇか!! ……姉ちゃんの身体目当てか?」
おーい。それ多分地雷だぞー。そう言う冗談間に受けるタイプが一人いるんだから。
「我が君にお仕えする尊さを理解せぬ愚物め。それ以上その舐めた態度で物申すのであれば一面塵にしても構わんぞっっ!」
「落ち着きなさいってば……もう! 安っい挑発のっちゃダメだってば、どう見ても作戦でしょ」
見かけによらず思ったよりも策士よ。ってか、ちゃんと闘う準備してるのよね、この猿面不良。距離もいつでもとれる体勢だし。
社員さんと某組員も他の場所にさっさっと逃してたみたいだし、今もこっちにちゃんと意識集中させてるわね……成程、身構え方からして実力差まで理解したみたいね、こりゃ。
「ねぇ? バサラだっけ? 逃げるなら見逃したげるわよ?」
「チッ! 兄ィか調停者が切れてくれるか、焦ってくれりゃ派手に暴れてその隙にってプランが最善なんだがな……なんもせずに逃げ出すと後の仕事に、響いちまうからそりゃ無理だ」
アンタじゃ勝てないわよ? の挑発にも抑えるのね。
「そっ、じゃあお眠りなさいな」
「そうもいかねぇんだよ!」
あら、良いわね。相当な鍛錬してるわよ、中国拳法系の歩法かな? 真っ直ぐ最短距離で正中線へ吸い込まれるみたいな拳打。
何か見たことある。いつだっけ? 打ち出しのタイミングも会話を利用した虚実でバッチリだし。間合いも八歩以上離れてたのに、一瞬で詰めてきた。
でも簡単に避けられるとは、思ってなくて吃驚したかな? 立て直して肘で追撃か。でも私の間合いよ? ——気付いた、引き際の判断も良い。躊躇無く間合いを離してきた。
「あと半足ちょっとかな? 踏み込みをもう少し前にすれば届いてたわよ?」
「冷や汗が止まんねぇ……コレを見切られるなんてマジかよ、ここまで差があんのかよ……」
思い出した、〈箭疾歩〉とかいう技だったような? 師匠に前教えて貰ったからちょっとズルかな。初見だったら当てられてたかも。
「無理せず引くのは良い判断だけどね」
「オレがビビってるって言いたいのか?」
「違うわよ、強いわねって……!」
会話の途中を狙ってバサラが全力で踏み込みんできた。思い切りがいい。鳩尾に向けて一直線で中段突き、確か崩拳とかいう技。
さっきの一合で、ある程度実力差が分かってなお、この勢い。前に出るしか突破出来ないことを分かってる。
痛いのいやだから左の掌で柔らかく受け止める。衝撃を殺しきったあとバサラの右手首を掴んだ。——ちゃんと予想してたか。えらい。追撃は左拳の貫手。この軌道は喉。込められた殺気はなかなか、当たるとマズイわね。
身体をバサラの右肩側へ移動させ追撃を避ける。読んでいる攻撃だからね。これでそんなに驚いた顔してちゃだめ。
足元お留守。膝裏を軽く蹴れば、ほら、崩れて片膝ついた。右肩から丹田を抜けるように一本拳で打ち下ろし。
「ぐあっっ……」
ここを徹されると気が抜けて力が入らないでしょ……と、思ったけど手加減しすぎたわね。一瞬右手の掴みを緩めたら、すぐさま剥がされて距離取られた。
「……しゃあねえ。出し惜しみしちゃ負けだわこりゃ、恨んでくれるなよ? 力を貸せ。猿翁!」
エンオウって何じゃろかいね? あっ……こいつ、何か力が膨れ上がって外向きに放出しようとしてる! みたいに見えるから……。
「げぇっ!?」
〈転〉で詰めて反応出来て無い所に、前蹴り中足! ノーモーショーン! っと。いい語呂ね、これ、今度春樹にも教えてあげよっと。
「周りを巻き込むような技使おうとしたでしょ? ちょっとお仕置きいるわね?」
さっきは加減したけどちょっと強めに捻るわよ。小手返しー、残念フェイント。後ろに回りたかっただけー。はいっ! 立ったまんまアームロックの完成ー。
「ぐぎぃぁ!! がっ!!」
ありゃりゃ、腕極めてんのに無理矢理逃げたら、折れちゃうわよ? ……関節外したのね。起用な事を。
「前言撤回……逃げてもいいか? 姉ちゃん?」
「少し教えてくれたら考えるかな? さっきの技、結構な力というか気というかアンタ達の場合なんていうか知んないけど大掛かりな技しようとしてたでしょ? あれどんな技?」
「言いたくねぇ……」
「言ったら、逃げてもいいか考えたげる」
「ぐっ……! 背に腹ぁ変えらんねぇかぁ……! しゃあねえ、言やぁいいんだろ! 別に大したこっちゃないさ。目潰しだよ目潰し! 規模だけはスゲェやつだよ! ただただ全身光って目眩しするんだよ! その間に逃げようとしたんだよ!」
「ふーん、じゃ、良いわよ? 逃げても」
「だから言いたく無かったんだよ! こんな技! 格好つかねぇ、さっさっとやれよ……へっ? 逃げてもいいの?」
「だから良いって言ってんじゃん」
疑り深い子ね。ほら、素が出てるわよ。
「ホントに?」
「マジ、おおマジ、何なら、連絡先交換して時々稽古つけたげても良いぐらいよ? さっきの技も人巻き込んで傷つける様な技じゃないってことがわかってアンタの心根がまともだってのも分かったし」
「我が君! そのような……情けを掛けるような相手では!」
「うっさいわね! アンタこの子まだ未成年じゃない! 十五、六歳ぐらいでしょ! アンタの一族どうなってんの? 割とマジで」
さっきのアイアンクローは正当性があったわね。こんな未成年と闘わせようとするとは。
「!!……何で分かるんだ?」
「見りゃ分かるでしょうに、お面と服装で隠してるけど骨格がまだ出来て無いじゃない、それに声も低い声とか下品な物腰もカモフラージュで無理してるし。虚実は使えても拳筋が綺麗。もうちょい年取ると外連味っていうか嫌らしい拳筋になるし、武術やってりゃ誰でも分かるんじゃない?」
我が一族とかって紹介と水嶋の困り顔を察するに。
「アンタ家出状態でしょ?」
「な! 何でわかんだよ!」
やっぱりビンゴ。多分やりたい事を止められて反発してる感じね。貫手に込めてた殺気からして事情は悲惨だろうけど。
「なんとなく。それより、まだ強くなりたいんでしょ? 毎日稽古もしてるでしょ?」
「そうだよ!強くなりてぇ……強くならなきゃなんねぇんだよ!」
「なれるわよ? 今の倍ぐらいには簡単に、貴方才能あるもの」
「!! アンタ! 名前は何て言うんだ!」
「藤堂無手勝流奥伝。向井良子よ」
「八極拳士……あぁこういうときゃどう名乗りゃ良いんだ兄ィ?」
締まらない包拳礼ね。首傾げっちゃて、……もうちょっと若いのかな? 中三? あり得るわね……手加減して良かった、大人気なさ過ぎるもの。
「家は出ておるのだから分家と言えど家名は名乗れんぞ? お前はただの婆娑羅だ」
「そうかい、じゃあただの婆娑羅って事で宜しく頼むわ」
「んじゃ、まずは腕ね、こっち来て」
痛いけど一瞬だし我慢しなさいよ、その外れた腕見てると元に戻したくて仕方がないのよ。力は抜けてるわね、じゃあ蹴り込んでっと。
「痛ってぇ! 蹴ってはめるって……!」
「関節はそれで大丈夫ね。一週間もすれば腫れも治まるでしょ。……それと目先の目標欲しくない? 強くなる為の」
「何でだ? 何でそこまでしてくれんだよ」
何でだろう……この子、直向きなのよね、応援したくなっちゃうと言うか。
「アンタ師匠いるでしょ? 言われたことない? 全部教えてやるとか、跡を継いでくれとか」
「言われたさ、師匠は死んじまったけどな」
殺気の理由ね。納得。
「家出の原因かな? まあ後から聞くし今はいいわ。まだまだ伸びしろがあんのよアンタ、素材がいいっていうか、磨きたくなる才能があんのよ。身体的なものだけじゃ無くて戦う為の頭脳っていうか勘所が良いのよ、教えたくなるのよね」
手合わせしてみて分かったけど、あれだけ殺気出しても凶々しさが無いし、寧ろ人が良すぎるんじゃない? 悪い奴でも困ってたら手を貸しちゃうタイプと見た。
「頼む! 正直これ以上強くなれる未来が想像出来なかったんだ! どうすりゃ良い?!」
「見せたげるわ、一瞬だから瞬きしちゃ駄目よ?」
まず流転歩の壱〈足撃ち〉を撃つ直前までゆっくり気を練って動きを見せるっと。
良し良し、ちゃんと見てる。説明すると上手く伝える自信ないから見て覚えてね。ほら、アンタの気の練りだと大きく練れても絞り込む様には練れないでしょ?
こうやんのよ。ゆっくりと左手を前に出して、足で撓めたバネと気の巡りを螺旋状に肩口に伝えていく、まだ放つには早い。
肩口から更に丹田に回して反対の肩口へ、お手玉の要領で足から出た力を肩から丹田。また肩へ回して丹田、繰り返して気を溜め込んでいく。これで流転の気の巡り、藤堂流の基本形になった。
からの!
腰を切り込んで、見た目はただの正拳突き!
この瞬間好きなのよね。空気を破るんじゃ無くて置き去りにする感じ。引き手が大事。足から生み出したエネルギーを押し出すんじゃ無くて、撃ち抜く対象に置く感覚。
綺麗に決まると衝撃やらは全部足から流せるから……あっ、床割っちゃった……。
「はい、終わり、どう?」
床割ったのバレて無いかな……
「「……」」
八尋さん? 水嶋さん? 何か言ってよ。
「!! っはっ?! どうもこうも! 何だよそりゃ!人間の体でそんなに気を練れるのかよ?! しかも起こりも何も分からねぇなんて……構える動作も自然過ぎて、いつ構えたかわかんねえなんて、そんな事あんのかよ……! ダメだ震えが止まんねぇ……」
今の現状から先が無いって思ってたでしょ、私に気当たり飛ばして来た時に、まだこの感じは知らないって分かったからね、練り方まだまだ甘いのよね。
「婆娑羅」
「兄ィ……」
「我は、我が君に一撃で倒されている。そして我が君は、かの藤堂無手勝流当主の秘蔵、いやそれ以上のお方だ。先程お見せ頂いたそれは一端に過ぎない」
もっと褒めても良いわよ? 何にもあげれないけど。




