ニ 〜出会い〜
……ん、意識飛んでた。まずは現状確認っと……。
朗報。乙女の尊厳、たぶん死守。漏れてないからね。さすが私。
でも……鼻水と涙と涎が混ざったようなモノが、顔全体に塗してあるのは如何なものか。
ちなみに視界はほぼゼロ、だけど手の形は薄ら分かる。視力は多分ある?
首から下は動かないか………これは座ってるのかな? イマイチ感触ないけど。そんな感じ?
さっきまでの痛み治まってきてるから、頭は無事だと信じたい。
誇張なしで、頭が三倍ぐらいに膨らんだと思う。しかも途中で頭が洋梨の形にされたと思うような締め付けの感触あったけど……頭の形大丈夫なのかしら……。
『パスを構築中』
アクアなの?……さっきから随分進歩したわね。意志が明確に言語化されて、そんな可愛い声してたのね。
『現状を共有』
わお! 視界に突然、飛び出してきた謎画面! 便利ねこれ。さながらゲームキャラクターのエディット画面。
目の前の真っ暗闇にスクリーン投影みたいに映ってる。そこに俯瞰視点で私がいる。
いつものジャージ姿とくせっ毛のひっつめ髪。……それより、涎垂らしながら、蝉の抜け殻さながらの姿勢で、ベンチに腰掛けてるんですけど。絵面がヤバすぎる。
……これは一刻も早く復帰したいところね。
とりあえず視線を画面の私に向けると同時にポップアップが複数出現。
身長百七十三センチ、B:九十センチ、W:六十ニセンチ、H:九十ニセンチ……ふふ、我ながらナイスボディ。体重六十キロ——まてまて、ウェイト。そこはしれっと開示しちゃダメだから。ね?
他にも一杯ポップアップしてるわね、ーー身体は保護したから問題なし。精神安定を図る為に脳内の伝達物質を調整。……調整?
外の時間より圧縮してるから一時間が一秒しか経たない。心配事のケアありがとう。訳わかんないけど。
ねぇ。ホントに脳内物質弄れちゃうの? ちょっと、いまテンション高めなのもそのせいとか? 余計怖くなってきたけど……んんー、まぁいっか。
おっ、蝉の抜け殻ポーズの隣りに佇んでるのはアクアなのね、形が不定形、色味は変わらず。
いや、深みが出た? ほうほう、これが終わると、もうちょっとプルツヤぼでぃになって、ヌメリもなくなっちゃうと……それは良い。とても良い。
おっ? この状態が解除される時間は十分ぐらい、との情報が飛んで来ましたよ。ありがとねー、えっ、でも私の体感時間は大体五時間……。長っげ。
あっ、名前気に入ってくれたんだ! 良き良き。
ちょいとばかし落ち着いてきたし、これまでの事を思い出してみますかね。
アクアもこれからよろしくって事で、聞いて頂戴。
一向に視界がクリアになる気配もないし、慌てても仕方ないしね。
まずは、そうそういきつけのラーメン屋。これがある日突然コーヒー屋になったのよ。
ほんと、突然よ。何なら暖簾すら変わってないんだから、何の躊躇いもなしに入るのも仕方ないよね。
あの日も、なんの疑問もなく暖簾を潜っちゃうもの、すいっーと、いつも通りのルーチンだもの。
そんでもって、奥の席に座って言うのよ、『ラーメン一丁!』って。十五年通ってるからね。
それで通じちゃう。
どこまで話したっけ? ああそうだ、お店入って注文したとこだ。
ここラーメン出てくるのが早いのよ。座って一分しないうちに出てくる。麺はもちろん硬めで。
だから店主の顔とかお店の中とか見ない。食べ終わって、やっと挨拶する感じ。
異変というか、いつもと違うと感じたのは丼の持ち方。
ラーメン屋のオヤジの丼の持ち方ってさ。スープギリギリで親父の指が、ワンバン手前ぐらいの距離感を掠めるわけなの。
そりゃもう年季の入ったシワだらけの男の手だからね、節くれだったゴツい手なのよ。
でも、その時はいつもより手が綺麗なの。爪とかツヤツヤ。なんか爪の先まで透明感。
いつもだったら凝視して、その黄ばんだ爪をスープに入れたら殺す。ぐらいの体勢でいるわけなんだけども。
その日はね、もう持ち方からしてちゃんとしてたの。指なんかスープインする気配が微塵もない訳。
なんか流行りのエステ? とか、新人雇った? ぐらいまでは考えたけど。
ラーメン来たし、食べるよね。そりゃお腹が空いたらイカンですよ。待てるわけがない。
うーんこれこれ! この味! あむあむ、むぐむぐと。いんやー、今日も美味しかったね、ご馳走様でございますっと。
乙女だから、爪楊枝とか使わないわよ? ちゃんと歯ブラシセットとか、もってるんだから。
で、だね。
替え玉どうしよかっなーとか考えてたら。唐突に声をかけられた訳ですよ、店主から。
◇ ◇ ◇
「向井良子さんですよね?」
何言ってんだと。オメェの店が出来て初めての客が私だよと、オープン初日に並んで、一番乗りしたの覚えてねぇのかよってね。
——いや待て、声がちげぇし! それ以前に親父じゃねぇし、何かすげぇ若ぇ! 貴方だれ?
自分の迂闊さに震えちゃう。びっくりしすぎて声も出ないし、目も見開いてる。
ちょっと待って、確認しようか。
ラーメン屋の親父はハゲてる。この兄ちゃんはフッサフッサ。前髪長めのツーブロック。ラーメン屋の親父は見た目、五十絡み。
この兄ちゃんは年齢不詳ね……若く見えるけど。色黒、背は結構高いわね、身体は細め、顔は中性的だけど男らしさを感じる顔立ち。
まあ、イケメン様よ。はいはい、もてそう。
ラーメン屋の親父は有線かラジオ派だったけど、この兄ちゃんはなんかジャズぽっい曲をレコード盤でかけてる。
……もてそう。
ふぃー。落ち着こう。大丈夫。 一旦周りを見て確認しよう、間違えて入った可能性があるからね。
……暖簾、オーケー。記憶の中の暖簾、黄色の暖簾。同じだね。
そんで、お店の内装。あれ? いつもと違うや……椅子とかテーブルとか、何かアンティーク調?
カウンター席と厨房は、ほぼ変化無し。此処が変わって無かったせいで気付くの遅れた……。
ラーメンは同じだね。鶏ガラベースの淡麗系。好き。
ラーメン屋の親父は……うん。どう見ても違う。
「あの……」
返事もしてないから、そうなるよね。わたし問いかけフル無視してるし。
でもね、小学校で習ったでしょ。知らない人と喋っちゃいけませんって。私の名前は良子と言いまして、名は体を表す。
つまり私は教えられた事を守ってる良い子ちゃん。私は悪くない。
でもこのままだと話が進まないから、この兄ちゃんの話しでも聞いてみようかな。もしかしたらラーメン屋の親父の関係者かもだし。
そんな感じでまあ顔を上げて、続きをどうぞ的なジェスチャーで、はいっ!
「貴女の事は叔父から聞いていたんです。このお店は、権利を譲って貰って喫茶店にしました。店を譲る条件にラーメンのレシピを引き継ぐというのと、常連さんが困らない様に、お店の外観も極力変えないという条件があったんです」
おおっ……語り出した。そうよ。それそれ。やれば出来るじゃない。その説明を欲してたのよ。簡潔かつ一息で、大変よろしくてよ。
私のミニマルブレインにすっと、入ってきたわね。ミニマムじゃなくてミニマル。これ大事。ミニマルね。
「つまりあれね、あの親父はせっかく常連もついて、商店街の会長も次は任せてみようか、みたいな時に全部ほっぽり出して逃走したと。仮説としては……夜逃げした?」
「先ほどの説明で、そこまで飛躍した捉え方をされるとは思いませんでした」
冗談だってば。……ところで、何食べたらそんな爽やかに苦笑いできるの?
「もう十五年通ってるから、あの親父の人柄も分かってるつもりだし。それなりお客さんも多いからお金絡みじゃないんでしょ? 何でまた突然なの?」
「結婚するんだそうです」
「マジで!?」
「マジですね」
ぼひゃー。確かに、一部のおば様たちからは、絶大な人気を誇る親父ではあったけども。なんかさ、雄々しいって言う字が似合う人だったよね。むしろライオンだよ。ライオン。
「……ちょい待ち、お店を辞める理由になんないわよね」
わたし、ちゃんと敬語使えるのよ。ただなんかこの兄ちゃんに敬語使うの、なんかイヤというか。
まぁ、こういうのってタイミング失うと軌道修正しづらいわよね。
「向井さんには事情を全て話して欲しいと頼まれていますので」
ん?
「私には?」
「きちんと話さないとあの娘は何をしでかすか分からないとも言われてましたね」
わぁー……。
わたしへの評価、めっちゃ辛辣。まあタイキックぐらいはちょっと考えたけど。何をしでかすか分からない、なんて評価は酷い。遺憾の意。
「えーと、出前事件、商店街自動割引システム、拳王伝説、肉の人、ラーメン抗争、あと四つか五つぐらいは聞いたんですが……」
待って、ちょい待って、ウェイト。こいつ何で知ってやがる。
「何の事かしら? そういえば、挨拶をしてなかったわね。私は向井良子。ちなみに貴方がさっき喋った内容を忘れるいい方法があるんだけど、聞く?」
ふふふ、こういう時、修行してきて良かったって思うよね。こめかみをあたりを狙ってスコーーんと撃ち抜けば、あら不思議。記憶喪失一丁できあがりぃ。
ちょっと位置が悪いかなぁ。カウンター越しだし。
「いえいえ、遠慮致します。私の方も挨拶が出来ていませんでしたね。大変失礼致しました、遠藤八尋と申します。前店主の北方清秀は母方の叔父です、ラーメンは今後も続けますので、よろしくお願いします」
ちっ、さらっと流しやがった。高めの顔面偏差値と対人スキルをお持ちのようで。仕方がないから、握り締めた拳を開くとしようじゃないの。挨拶されてるし……。
「向井良子……です、よろしくお願いします……」
個人情報だだ漏れな気がするけど、それはまぁ置いといて。不用意に踏み込めば、カウンター食らって泡吹く未来が思い浮かぶしね。
思い出したくもない事を、沢山知られてるようだし。
それにしてもあの親父、結婚って。おめでたいじゃないの。
「五十代で結婚かぁ」
「……? 叔父は三十九ですよ?」
「ん?」
「ですから叔父は三十九歳、ああもう四十が目前ですね」
「ん?」
「その……再び固く握り締めた拳を、柔らかく開いて頂くと嬉しいのですが……」
だって、何だかややこしい事言うんだもん。おっちゃんどう見ても五十代だったし。他の人と間違えてない?
「昔から随分老けて見られるのが悩みの種という叔父でしたから、良子さんが驚かれるのも無理はないかと思いますよ」
おう、名前呼びしてんじゃねぇよ。オメェとは今日初めて会ったんだぞぅ。ちょいとフランク過ぎ。距離感大事にして欲しい。
「ちなみに私は二十七歳です」
……二十七。思ったより若いとかじゃ無くてそのまま年上。……今から敬語に戻すのハードル高いわね。
てっきり一つ二つ程度の年の差とか思ってた。……面倒くさいしこのままで良いや。
「はぁ、もう取り敢えず納得する様にするし、フライパン越しに喋るの辞めてくんない?」
どんな前情報仕入れたら、その対応になるのか知んないけど。攻撃されたわけでもないのに、手は出さないっての。人をなんだと思ってる。
「常人では反応出来ない早さと、タイミングで手が出ると伺ったものですから、ご気分を悪くされたなら謝罪致します」
「それと、提案があるのですが、聞くだけ聞いて頂けないでしょうか」
提案……聞こうじゃないの。そのレディーに対する無礼千万ーーフライパンガード継続中ーーを帳消しに出来る提案である事を祈ってあげるわ。