十六 〜家業〜
◇ 水嶋視点→りょうこちゃん視点
◇ ◇ ◇
「我が君」
水嶋六郎は主である向井良子の影ーー遍く全てを照らす主の影、即ち安らぎの泉と彼は形容しているーーの中から不遜にならぬ様、身を浮かばせるも平伏したまま声を発した。
己が主からは困惑の気配が放たれている事が確認できたが、まだ傅かれる事に慣れておられぬ為と判断し彼は次の言葉を繋いだ。
「恐れながら申し上げます」
「何よ? わざわざ師匠の家に着く直前に言うって事はそれ絡み?」
ーー普段の立ち振る舞いからは想像がつき難いが、主は本質を見る事に長ける。他者の思いを汲む事にも労を厭わない。この素晴らしい主に仕える喜びを詩文にし、広く知らしめるべき、と、責務感にはやろうとする心を必死に抑え、彼は今語るべき仔細を具申した。
藤堂流と己が一族には確執がある。いや、あったとするべきが正しいがそれは、十六代藤堂流当主、つまりは主の師よりの情け、温情によるものに過ぎないという事。そして八尋に対する怒り、処分の程度を勘案するに、恐らくこの身にも何らかの制裁が加えられるであろう事。決して庇い立て無用である事。
主へ伝えても良いと許されるであろう内容のみを選んだが、正しかっただろうかと少しばかりの不安を抱きつつ、彼は主の声を待った。
「確執って敵対してたの?」
ーーやはりか……確信に近くはあったが一つの答えは得る事が出来た。主は藤堂流の本来の姿を知らない。意図的に知らされて来なかったという解釈が正しいと考えられる。
神を殺す手段を持つ者は珍しくは無い。神と言えど所詮は肉の器。肉体の損傷が修復を上回れば死ぬ。但しそれは生命の相が移行すると言う意味合いでしか無い。
しかし藤堂流の歴代当主の何人かが到達せしめた人類の偉業、神滅。我が主は無自覚にそれを成し得る力を備えておられる。
ここからは自身より伝えてはならない領域。主の庇護者たる藤堂流十六代目が伝えるべき内容。しかしながら何も答えぬのもまた、不敬。
そう考えた彼は一言のみで主に返答した。
「御意」
「師匠と敵対しようとする時点で中々に煮詰まった人達ね?」
彼に取ってその感想は全くの同意であり、何も足す事も無く。そもそも彼に主の言動を否定する事などその考えが浮かばない、ただ深く頷くばかり。
二十七年前、先代東王である水嶋九郎、彼の叔父で有り、一族最強と呼ばれた男ですら藤堂流十六代目に敗れている。
ふと彼の脳裡に恐怖が過ぎる。ーー調停者ですらあの有様、そもそも仙術を極めた者は世の物理法則など嘲笑うかのような現象を引き起こし、言い伝えによると死者ですら黄泉から連れ戻すと言う。
にも関わらず調停者が当代の眼前に立てたのは僅か十秒に満たない。千手無双と呼ばれたあの次郎坊ですら、致命打を貰わぬ様にするのが精一杯。後に聞けばそれでも加減されていたと。
あと、四半刻もせぬ間にあれが我が身にも降り掛かる……。だが怯えを出すなど、東王の名に泥を塗る訳にはいかない。
座して死を待つのみ。過ぎった恐怖を決意で塗り潰し、主に気取られぬ様に彼は平静を装おったが、僅かばかり気持ちが滲んでいたようで主から声が掛かる。
「危なくなったら間に入ったげるから、大丈夫だってば、ほら、もう家の前なんだし早く入ろ?」
「承知。お気遣い痛みいります……ですが決してお手は出されませぬ様。伏くしておねがい申し上げます」
◇ ◇ ◇
水嶋がすんごい緊張してる。
師匠が遠出の用事が入ったり、何やかんやで結局アクア事件から一ヶ月近く時間が空いたのよね。
ようやく師匠と時間も合うから早く話を聞きに行きたいのに。難しい顔でこっち見てくるし、顔を直視しようとしないからチラチラ視線が来て気になるし。
そんでその服。普段チャラ男の時から変わらずボタンシャツ胸はだけ気味でダメージジーンズかチノパンみたいなコーデしてるのに、今日は何なんその格好。
まだ影から半分しか出てきて無いから全貌見えないけど、その外套みたいなやつの下、鎧よね? クロスって響きが近いけど。何着てんのよ。
「とりあえずどうすんの? 影から出とくのね?」
「先日は顔も見せぬ無礼を致しました故」
「そんぐらいね? 言っときたいこと?」
ごめんって、冗談、冗談。そんな目のハイライト消さなくても良いじゃんよ。多分大丈夫だって、知らんけど。もう家の前だし挨拶するかんね。
「師匠〜! ただいま〜!」
「良子ちゃ〜ん! お帰り〜!」
やっぱり我が家はここですね。今日も変わらず美しいマイ師匠。ハグして。ハグ。はぁー落ち着いた。夜ご飯何だろう。お腹減ってきちゃった。
「奥の部屋で話す? 先にご飯?」
ご飯が待ち遠しい! 師匠のご飯は凄いのよ。只々美味しい。
「はいはい、ご飯食べる前に話すから。お茶淹れて来るから奥入って待っててね。そこの高貴なお方もね」
「は〜い」
水嶋。顔顔。固いって。シリアスキメ顔通り越してこめかみ引くついてない? そんな緊張する? うちの師匠。
「奥行くからついて来て」
「御意」
まだ家出て一年たってないけど、この古めかしい武士が住んでそうな日本家屋がすごく懐かしいわね。この柱もさ……ほらあった。春樹と身長つけてたやつ、薄ら傷が。……そういえば春樹は何してんのかしら? この時間だと学校終わってる筈だから、居るはずなんだけど? 気配しないわね。
あっ、お茶の匂い。師匠もう持って来てくれたのね。
「春樹はバイトよ」
傷を眺めながらぼんやりしておりましたらそんな答えが。バイト?
「……うそ! 春樹いつからバイトしてんの?」
「ちょうど良子ちゃんがバイトするって連絡あった時ぐらいかな?」
と言う事は二ヶ月前ぐらいか。
「何のバイト?」
「内緒!」
いやー美魔女やわ。なんかこの人、毎年可愛くなってない? 今の見た? めっちゃ笑顔で内緒! って私男だったら勢いで愛の告白しちゃうレベルだよ。
水嶋……ちょっと赤くなって無い? 撃ち抜かれたわね。私しーらないっと。突っ立てないで、早くそこの座敷に入って座りましょうよ。
はいはい、着席、着席ー。
「話しの前に水嶋が挨拶するって言ってるから紹介するね?」
何よ? 何で裏切られた! みたいな顔して私の事見るのよ。さっき挨拶してないからって言ってたじゃん。気を利かせてあげただけじゃん、もう!
「……ご存知かと思われますが、水嶋と申します」
「個体名:東王。まさか契約済みとはね、驚きだわ」
お茶を配る師匠から凄いパワーワードが聞こえてきたよ?
「水嶋でしょ? 何その東なんちゃらって?」
「良子ちゃんへの説明は何も?」
ね、聞いて。ホントにこの人達説明しないの。ホウレンソウって知らないのよ、きっと。
「調停者の判断で開示はしておりません」
契約に至ったなら、私から言う事は何も無いよ。存分に貴方の使命を果たすと良い。私からも祝福の意を込めて貴方の一族に改めて友誼の誓紙を贈るわ」
「これ以上ないご配慮、痛み入ります」
おっ、これなら血が飛んだりしなさそうね。ちょっとドキドキしてた。だって八尋は控えめに言ってもぶちのめされてたから水嶋も同じようになるんじゃ無いかって。
もうフライングヘッドは見たくなかったしね。あの絵面ホント酷いから。師匠からのお仕置きは水嶋には無しっぽいかな。
はぁー。安心。お茶美味しい。
「良子ちゃん。十六年前貴女と春樹がこの家に来た時、私が貴女に言ったことを覚えてる?」
覚えていますとも。私の座右の銘ですからね。
「死ぬな。生きろ。楽しめ。よね? 実践してるつもりだけど?」
「そうね、私もそう言った限りは貴女が死なないように、何があっても生き残れるよう鍛えてきたわ。ちょっと鍛え過ぎたかもしれないけど。楽しめてる?」
これはまあ即答出来るわね。
「楽しいわね! 最近知り合いが増えたのよ! 師匠も知ってる人ばかりだろうけど」
「そう良かったわ……聞けて良かった。家業の事、話すわね。私の薬局、と言っても漢方だし普通の薬局とは違うけど、この仕事じゃない方は、はっきり言うと八尋の阿呆と同業ね」
最近気付きました。割と最近。
「ただ私の場合は調停じゃ無く討滅って言う表現ね。悪神とか人外とかを黙らせるのが私の祖先からの生業なの。ちなみに人外と闘ってみてどうだった?」
どうだったと言われれば……咲夜さんは殺し合いになったら多分勝てなかったかな……咒式はキモい。
「とりあえず足撃で何とかなったけど」
「そういう流派だしね。でも拳足一撃でそこまで追い込めるのは私と良子ちゃんぐらいね。春樹はまだ修練が足りてないし、才能は充分だけど」
「才能?」
「才能よ、春樹と良子ちゃんは天才的と言っても良い、理論的には誰でも出来るのよ? 威力だったり効果だったりの個人差が凄くでるけど、私の一族以外でそのレベルにまでたどり着いた人はほとんどいないの」
「なるほど」
「もう結婚してとかは考えてないから、良子ちゃんか春樹に……そうそう二人ともでも良いのよ? 藤堂流は奥伝から先に至った人はみんな当主扱いだし」
……奥伝から先? あっ。忘れてた。真伝出来なかったけど、厳密には出来たけど効果が違うとか何かで、でも奥伝以上って言われてた。
春樹もこないだ奥伝受かったもんね。
……儲かるんだろなぁ、この仕事。師匠って私と春樹のこれまでの生活から学費やら全部だしてくれて、師匠が私達に着せたい好きな服とか即買いしても余裕だもんね。お小遣いまでくれようとするから……
「あくまでも希望よ? やりたい事があるならそっちすれば良いから、就職も自分だけでやってみて自活したいんでしょ?」
「それはそうだけど……」
「選択肢の一つで考えてくれれば良いわ。家業を黙ってたのも、先に良子ちゃんに教えちゃうとたぶん他の道は選ばないと思ったから、そうしてきた。でも養子縁組はそろそろ本気よ?」
「あぅぅ、そのぅ、私達からは何も師匠に返せてないのに貰ってばっかりだし……その上、養子縁組とか。師匠の親戚の人も良い顔しないんじゃ……」
「諸手を挙げて賛成してるわよ。それにそろそろお母さんって呼んでくれても良いんじゃない? 春樹は母さんって呼んでくれるし、お姉ちゃんが良いなら養子はいつでも良いよって言ってんのに」
弟は私達両親の顔覚えてないしね。私もそう呼んでも良いんだけど、恥ずかしいんだよね……十六年、師匠で通して来たからさ? タイミングがね。
いやさ? 師匠ってルビ振るくらいの感じなのよ? 私の中では。
何かちっちゃい頃、お母さんって呼んでねって言われた時に、この人がお母さんになってくれて嬉しい! って気持ちが凄い強かったんだけど、こんな綺麗な人を私達が母親って物に縛っちゃ駄目な気がして呼べなかったし。
私の母親が最後に私に微笑んだ顔がどうしても忘れられないのよね……。
「今日はここまで、無理強いする事じゃないから、良子ちゃんの結婚式までの楽しみに取っとくわ」
「何かごめんなさい……呼ぼうと思うんだけど……結婚とかは相手いないし……」
彼氏なんて出来たことありせんけど? 水嶋さん? 今こっちを見なかったかしら? どういう意図で見たかあとで聞くからな。
「良いわよ、随分と熟成させてるんだから、いつでもいいから不意打ちで泣かせてちょうだい」
ゴニョるわ〜、恥ずかしいのよ、ほんと。それと彼氏いないのちょくちょく言うのよね、まだ? って感じで。
孫は春樹に期待してくらさい。
お読み下さりありがとうございます。




