十三 〜師匠〜
「伊吹ちゃんどうかな? お腹の辺り暖かいと思うんだけど?」
仰向けの伊吹ちゃんのお腹に手を当て気を流し込みながら話しかける。師匠が来るまで少しでも良い状態に持っていくわよ。
うんうん、そうね、もう駄目だと思ってたんだね。良いんだよ、貴女は何も悪くないんだから、泣かなくて良いから。
「良子さんと仰るんですね……私は葉山伊吹と申します……」
あまりにも掠れた声に、この事態を引き起こした人物、誰かが分からないけども、そいつに一発叩き込む決意が頭に浮かぶ。
「無理に声は出さなくて良いわよ、元気になってからゆっくりお話ししましょ? 今は頷いたり目を閉じたりして痛みとかを教えてくれれば良いから」
よし、ちょっとだけ痛いかもだけど我慢よ。観の目、闘う時の見方、見るともなく見る。この目で伊吹ちゃんの気脈を捉えて、合わせて……。
「少し痛むわよ、ゆっくりいくから力抜いてね、さっきも言ったけど今日初めて会う私を信じるのは難しいかもだけど、信じて頂戴。必ず助けるから」
力入れるだけの元が無いから力みようは無いと思うけど、慎重にっと。
さっき広げた経絡から全身に……あー、こりゃ酷いわ、何とか行けるかどうかってとこね。
澱んでる血流と浅い呼吸に同調しながら私の気脈を異物に感じない様に誤魔化しながら繋げる。
ーー!! よし、繋がった。この澱んだ気脈を私が吸い取って綺麗にして返す。
繋げれたけども、伊吹ちゃんの中はまるで濁流に叩き込まれたかの様な気脈の乱れ。これしんどっ! これ、しんどっ! 伊吹ちゃんの気脈の澱みを浄化するの難易度鬼! 後一時間……師匠くるまで、私が持つかな?
しゃあない。気合だけなら無限大。わたしを舐めんなよ。黒モヤモヤめ。
「身体の中に、何か入ってきた感覚ある?」
お目目パチパチっと。体内と言っても他人の気脈をはっきり感じれる、相当鋭い感性の持ち主ね、この娘。普通の人だと何だかあったかいとかの感想しか出ないんだけど。
「それは貴女を助ける力だから、痛かったり、もぞもぞするかも知れないけど追い出そうとしないでね」
もっかいパチパチっと。では……そろーりとなっ。
「!!ガッッ!? アッ! アッッ!?」
伊吹ちゃんの身体が跳ね上がる。
「受け入れて! 少しずつだから! 受け入れる分だけ楽になってくるから!」
「ッーーー!」
我慢強い子だわ。何とか耐えてる。
私がいまやってるのは澱んだ伊吹ちゃんの気を吸い出して綺麗にして返すという作業。
吸ってるわたしは自分の気脈をドロドロにぶつけて浄化すればいいけど伊吹ちゃんは綺麗になった気を受け入れないといけない。
消毒液が染みるといえばわかりやすいけど痛みは万倍。
みたところ鍛えてない普通の女の子が耐えれる痛みじゃない奴だし、このまま今みたいな身体が跳ねるほどの痛みが続くようだと二十分も保たない。
これは私が請け負うしか無いわね。吸い取る速さを倍に綺麗にして返す気をさっきの半分の速さにする。
これで伊吹ちゃんの痛みは少しはマシになる筈。わたしが持つかは知らないけど、やるしかない。
「ぎっ!」
始めた途端に変な声出た。覚悟決めててこれって……後悔は無いけど痛いものは痛い。涙と鼻水出そう……というか出た。
うげぇ、やっぱり血が混じってて最悪。まだ呼吸で痛みを和らげる余裕が残ってて助かった。これ以上だと見せられない顔になっちゃう。
ほとんど意地だけで作業続行。何の苦行かしらこれは。
えぇい、泣き言言っても始まらんし。年下の女の子が頑張ってるんだから、つべこべ言わずもうちょい踏ん張るわよっ!
「痛いのは気合いで我慢っ!」
◇ ◇ ◇
ふぃー……スマホを見ると始めてからちょうど一時間ぐらい。伊吹ちゃんの全身に散らばってたベトベトが居心地悪くなって一つに集まり出してる。ようやく目処が見えてきた。
にしても痛い。出したら行けない汗が止まらない。マスカラが目に染みるー。
「身体が冷たく無い……」
「そうねもう少しよ、頑張れるわね?」
「はいっっ…」
声に力が戻ってきてる。もう少し。正に激闘の一時間。大分気が通ったし、小康状態まできたけれど。ここからの手がない。これ以上長引くようだと不味いか……ええい、私が焦ってどうする。
気を強く持たなきゃ……ヘリの音? 近づいて来てる。……師匠だっ! このタイミング師匠に違いない! にしてもヘリって……誠司兄ぃよね? うちの師範代。
ウチの流派の人達でヘリなんて用意出来る人他に思い浮かばない。随分気合い入ってるわね。
ホバリング……? 音が動かない、この音の大きさからして真上、上空よね。いや離れていった……?
何かが着地した音、着地の衝撃は殺した音がした。布ずれの音がしないからパラシュートじゃ無い……どうやって降りて来たのか想像がついた。
相変わらず人間の規格を派手に破壊しているご様子、弟子として安心致します。百メートルぐらい上空から落ちて来た人間見て、現実かどうかの判断とかできないよね。
砂利が鳴る音が一歩分だけ控えめに聞こえる、とても小さな音。それだけにその後の連続した破裂音が殊更、強調されて鳴り響く。
その渇いた音と音の間には肉を潰す音が挟まれてる。うわぁ、最悪の裏拍。
だからあれほどいったのに。八尋さん……ご冥福をお祈り致します。
障子の前に気配も無く影が立つ。疑い様も無く私の師匠。ヘリから降り立って一分無い間にもう誰かを殴ってると思うと不謹慎だけど楽しくなって来た。
勢いよく障子が開く。
「ヤッホー! 来たよ良子ちゃん」
「おひさ〜! 師匠! お元気そうで何より!」
久しぶりといっても三日ぐらいしか経って無いけど。一人暮らしといっても道場から徒歩十分で週ニ回以上顔出してるからね。
不必要に明るいテンションも、今は重くなりがちなこの場を振りはらうかの様で助かる。一瞥しただけで状況は掴んでくれてるわね。
「元気! 元気! 女の子一人も救えないゴミ虫が三匹程いたから潰しておいたけど、色の黒い奴はまた後で入念にすり潰しとくわね」
やっぱり、八尋さん大昇天。
そしてこの笑顔、華が咲くとはこの事だろうと思う満面の笑み。
ふと障子の先に見える転がった八尋と思しき物体が目に入る。ピクピクしてるけど痙攣ではなさそうだしひとまずは安心?
「一応バイトの雇用主なので……少々手加減してもらえると嬉しいかも。今月のバイト代支払い日まだだし」
まあ人助けする奴だし師匠も再起不能にしたりはしないっしょ。多分、知らんけど。
あっ、八尋の手が動いた。印を結んでる。あの形は賦活術とか言う奴だ。車でやってた動きと一緒だもの。おおっ、青白い薄い光が八尋を包んだ。
もう日が落ちて灯籠の灯りに頼るしか無いけど、それが必要ない程の光を放って八尋氏スタンドアップ。やっぱりそれカッコいい。覚えたい。
「……咲夜にも会ったのね。少しだけあの娘の鬼気が残ってる。あの娘、私の弟子って知って本気出してきたでしょ、掠って無いわね? 念のためこの薬飲んでおきなさい」
わたしを心配そうに見ながら丸薬を差し出す師匠。
「ダンプカーに撥ねられたら死んじゃうから全部避けたわ」
「正解。ダンプカーもそうだけど。無自覚に腐毒を攻撃に乗せるから、あだ名は毒姫って言うの。正直、耐性ないとコロっと逝っちゃうのよね」
手渡された薬を確認。神経毒とかに効果のあるお薬だ。師匠は薬を扱うので子供の頃、間違って飲まないよう散々注意されてヤバい奴は大体覚えてるから間違いないはず。
振り返って見ると水嶋グッジョブ。ちゃんと障壁で無効化してくれてたのね。
そしてやっぱり八尋さん。隠し事多すぎ問題。そりゃ師匠怒るわ。
「あれ? でも電話した時は闘ってたの言ってもないよ?」
丸薬を飲み込みながら、ふと疑問。
「住所。ここは私も何年も住んでたから。僧正坊にもあったでしょ? 聞いた瞬間、大体の事は想像ついたのよ」
「……聞きたい事だらけだけど、まず伊吹ちゃんかな?」
間違いなく気になる事だけど。現在進行中の事よりも大事では無いのは確か。私の事なんて、なる様にしかならない。それよりも今は伊吹ちゃんを助ける事に集中したい。
「それでこそ私の弟子ね、終わったら道場戻って話しましょ。そこの覗き見してる高貴なお方もね?」
水嶋。バレてる。バレてるよ。今のところアンタが隠れてるのバレなかったの咲夜さんだけよね? もう普段から出て来とけば良いじゃない?
「この二件は特別」? うーん。八尋もだけどアンタも大概私への説明が足りないわね。もう少し私からのキャッチボールを意識すべきなのかな? まあ、後で話そ。
「それじゃ始めるね師匠。モヤモヤドロドロ飛び出して来たら速攻で外に蹴り飛ばすから、伊吹ちゃんにお薬飲ませてあげてね」
「了解よ」
ようやく咒式を追い出せる。
今回はどんなの出てくるんだろ。希望さんの時は、そこまで大きくなかったけど。伊吹ちゃんの場合、明らかに大きなものが中に潜んでるのが分かるのよね。
「さて何が出るかなっと」
わたしの気を伊吹ちゃんの身体に一気に流し込む。
悶えるようにうねる咒式の動きで全体像が文字通り手に取る様に分かってきた。
これも蛇、但しさっきのとは桁が違う。
「そうだ、一つだけ。もう色黒の阿呆は復活してるだろうから、外に出てから、すぐ仕留めるのかどうするのかはアイツに聞いてからにしなさい。その辺アイツは専門家だから」
「わかった」
……よーし、やったんでぇ!




