朝の蜘蛛は縁起が良い 中編
アリサたちが、アラクネ達と出会う数か月前の事。
満月の綺麗な夜、ラズカは夜道を散歩していた。
他の住民たちは寝静まり、昼間の活気が嘘のように静かな空間、聞こえるのは夜風と虫の鳴く音だけ。
その日は何故だか眠れず、気分転換に町を、というより、家の周りをグルグルしていた。
この異世界の夜は、夜盗の類が現れやすく、彼女たちの町は、近くに魔物の出る森が有るという事で、衛兵の数も多く、比較的治安が良いと言われている。
それでも、犯罪を行おうとするならず者達は、必ずいる。
だからできるだけ遠くへは行かず、家の周りをちょっと歩いているだけだった。
しばらく歩き、大分ウトウトとしてきた当たりで、ラズカはローブを着た人物と出会った。
こんな夜中に、しかも顔を見られないように、フードを深く被る人物。
あからさまに怪しい者だと、反射的に感じ取ったラズカは、すぐに家へと駆けこもうとするも、あまりに驚きすぎたために、足元が狂い、転んでしまった。
膝をすりむき、ジンジンする痛みを我慢しながら、立ち上がろうとした瞬間、背後から女性の声が聞こえてくる。
「ごめんね、驚かしちゃった?」
「え?」
恐る恐る振り向くと、先ほどのローブの人物が、手を差し伸べていた。
もしかしたら、悪い人では無いのではと思い、ご厚意に甘えて、手を握ると、優しく立ち上がらせてくれる。
声からして、女性であることがなんとなくわかる。
それだけでなく、服についた汚れまで払ってくれた。
「ひざは大丈夫?良かったらこれ、水に浸して冷やすと良いわ」
「え、あ、いや、悪いよ、そんな」
「良いのよ、驚かした私のせいなんだから」
ローブの人物は、ラズカにハンカチを一枚渡すと、夜の闇の中へと消えていった。
その日から数日間、渡されたハンカチを返すべく、ハンカチを手掛かりとして、ラズカは例の女性を探し回った。
その途中で判明したのは、渡されたハンカチはかなり高価な代物である、という事を、織物屋に聞き込んだ際に判明した。
レンズの町には、豆以外にも、山に生息している、蜘蛛型の魔物達の糸を使った織物なども、名産品として売り込んでいる。
その為、職人たちの目からしたら、貴族のような身分でなければ、触れる事すら恐れ多い代物だという。
とはいえ、貴族が出歩くような時間帯でもなく、別に家紋の刺繍が入れられている訳でもない、単純に良質な糸で織られたハンカチという事しか解らなかった。
探し始めて一週間が経過し、また夜中に出歩いた。
もしかしたら、また出会えるかもしれない、という淡い期待も有った。
しかし、今回は運が悪かった。
路地裏に向かったローブの一部を見つけ、後をつけたら、夜盗に絡まれてしまった。
戦闘の経験も無く、頭数も向こうの方が多い、圧倒的に不利な状況、逃げようにも、逃げ道は塞がれてしまっている。
不敵な笑みを浮かべる夜盗たちは、ラズカに言い寄り、明らかに何かよからぬことをしようと言う雰囲気を醸し出していた。
恐怖で委縮し、尻餅をついてしまったラズカに、夜盗たちの毒牙が迫る。
怖さのあまり、目をつむり、両手で頭を押さえると、夜盗の一人の悲鳴が、路地裏に響いた。
瞼で視界が遮られている中で、一人、また一人と、夜盗たちは悲鳴を上げる。
しばらくすると、路地裏に静寂が訪れた。
恐る恐る目を開け、辺りを見渡すと、地面には綺麗な糸で、がんじがらめに成った夜盗たちが転がり、もう一人ローブを着た人が佇んでいた。
「あら、誰かと思えば、貴女だったのね」
「あ、貴女は」
何という偶然か、ラズカの前に現れたのは、ハンカチの持ち主の女性だった。
また手を借りて立ち上がらせてもらうと、ラズカは頭を垂れ、礼を述べると同時に、先日貸してもらったハンカチを返却した。
「このハンカチ……別に返さなくてもよかったのに」
「良いから、これは私なりの誠意なんだから」
「なら、受け取らない訳にはいかないわね、でも、これ以上は私に関わらない方が良いわ、きっと、良くない事が起こるから」
無理矢理ハンカチを返すと、ローブの女性はもう関わらないように忠告する。
もしかしたら、ローブを深く被って、正体を隠している事に、何か関係が有るのではないのか?
そんな心配をしていると、突然ものすごい風が吹き荒れる。
不意打ちであったがゆえに、女性の付けていたローブがはがれてしまった。
「あ!?」
「……」
その結果、女性の素顔が露わと成る。
蜘蛛と人間の顔が半分半分と成ってしまっている、なんともグロテスクな顔、普通であれば、見ただけで鳥肌が立ってしまいそうな、おぞましい顔だ。
何とかして隠そうとしている顔を、ラズカはじっと見つめていた。
そして、ポツリと、彼女の顔に対する感想を述べる。
「その、あんまり見ないで」
「カッコいい」
「は?」
「カッコいいって」
「いや、カッコいいとは違うでしょう、こんな気持ちの悪い顔」
ラズカの予想外の返しに、女性はきょとんとしてしまう。
蜘蛛と人間の顔が半分に成っているような顔を、カッコいいと表現されるとは、思っても居なかったから。
蜘蛛と言えば、大体の女性は気持ち悪いという印象を抱くのに、カッコいいと評するのは、少し違うとしか思えない。
「お姉さん、もしかして魔物なの?」
「……さぁ、自分でも人だか化け物だか」
「でも、根はいいひとだよね、私を助けたんだし」
「……これくらいで人を信用してはいけないわよ、こういう事を口実に、色々と言ってくる奴だっているんだから」
「そんなの、関係ないよ、私、人を見る目はいいつもりだから」
「……全く」
それが、アラクネとラズカの出逢いだった。
――時は戻り、現在。
「それから、何度か会うように成って、その……」
「付き合う事に成った」
「ラズカ!?」
バツが悪そうにするアラクネの腕をつかみ、ラズカはその後で何が有ったのか、直球にアリサたちに伝えた。
アリサは酒場にて、ラズカは友人とそう言った関係であると、店主より聞いていたこともあって、予想はしていたという感じだった。
しかし、当時酔って何も覚えていなかったシルフィは、驚いてしまう。
シルフィの故郷では、同性婚は認められていない、外ではそう言った風習もあると、父から聞いていたが、冗談としか思っておらず、まさか事実とは、夢にも思わなかった。
「え?本当に付き合ってるの?」
「ええ、編み物を教えたり、二人で過ごしていたら……いつの間にか、ね」
「まぁ、私から告ったんだけど」
「成程、ところで、馴れ初め話はこの辺で、そろそろ本題に移ってもよろしいですか?もう半分近く思い出話で尺取ってるので」
アリサの言う本題とは、アリサたちが戦う前に、相手取ったという冒険者たちの行方だ。
一応ではあるが、アラクネ達は、冒険者の戦闘能力を削いで捕縛しただけ、別に殺しているわけでは無く、一先ず生きている事は事実の筈だ。
その事に関して、アラクネはラズカに説明を求めたが、聞かれた瞬間、ラズカはそっぽを向いてしまった。
「ラズカ?」
「えっと、実はここに向かうのに夢中で……置いてきちゃった」
「……蜘蛛の方々に案内とか、頼めますか?」
「ええ、できるわ、あの子たちに頼んで、連れてきてもらいましょう」
アラクネが手招きをし、隠れていたナイト・スパイダーが現れ、彼に指示を与えると、頭を垂れ、何処かへと走り去った。
しばらく待つと、仲間の蜘蛛と一緒にここへ依頼で来た冒険者たちを連れて、戻ってきた。
彼らの視線には、敵意と言えるものはなく、ちょっと警戒している程度でしかなかった。
とはいえ、丸腰の状態で、十体近く群がっている、ナイト・スパイダー達を相手には、流石に部が悪いだろう。
結構緊張した空気の漂う中で、リーダーと思われる一人の男性が、前に出ると、アラクネに話しかける。
「俺は、Cランク冒険者のハードだ、その子が言ったことは、全部本当なのか?」
「ええ、色々と誤解を招いた事は、謝るわ」
「そうか、とりあえず、あんたは別に、町に敵対心が有るわけでもなく、その子を誘拐したわけじゃないんだな、全部あの爺さんがでっち上げただけで」
「ええ、理解してくれて助かるわ」
状況がうまく呑み込めないシルフィだったが、二人が話している中で、ラズカが大まかに、状況を説明してくれていた。
町ではラズカの祖父が、アラクネを人さらいと称して、彼女の首をギルドの方で懸賞をかけている事を知ったラズカは、どうにか誤解をとけないかと、奔走していた。
しかし、自身の親を介して祖父を説得しようにも、頭に血の上っている祖父には、馬の耳に念仏だった。
アラクネと相談し、いっそのこと冒険者たちに事情を説明しようという事に成った。
問題としては、ラズカの顔を知っている冒険者たちは、彼女を見つけ次第、連れて帰る危険性だ。
なので、ちょっと野蛮な方法になるが、一度捕らえて、ラズカがみんなを説得することになった。
この山には、決して近寄ってはならない場所もあるので、それは致し方の無い決断でもある。
そのおかげで、アラクネへの誤解は解けたが、冒険者たちからしたら、はいそうですか、では済まなかった。
「それで、壊れた武器と防具、それから報酬の方はどうしてくれるんだ?」
無力化の為とは言え、彼らの使う武器を、酸の糸で溶かし、ワイヤーで破壊してしまったのだ。
大切な武器を全て失い、更には依頼も達成できなかったと成れば、彼らの損失は計り知れない。
冒険者と言うのは、職業であるとはいえ、福利厚生(そもそもこの世界にそんな概念は無いが)と言えるのは、大けがした際に、治療を安値で受けられる程度、装備に関しては、全て自費だ。
Cランク以上の冒険者ともなれば、現代一般人が、ローンでも組まなければ購入できないような、高価な武器を使う事もある。
そんな武器を簡単に破壊されたのだ、怒らない方がどうかしている。
もちろん、アラクネはそれを承知でいる。
「ああ、それに関しては、これでどうにかならないかしら?」
だからこそ、金に成りそうなものを用意していた。
それは、アラクネ自身が生み出した糸。
織物も主要な生産物として扱っているレンズでは、山に住む蜘蛛達の糸は、高品質の衣服や防具を作れるという事で、高値で取引されている。
冒険者一人につき、毛糸玉のようにまとめた糸を一つ渡すことで、機嫌を直してもらうという魂胆だ。
「……アラクネの糸か、確かに、結構な収入になるが、本当に良いのか?」
「ええ、麓の町の人たちと、此れから交易も始めようと思っている所だし、今のうちに売っておかないと、株価が駄々下がりよ」
「う、成程、まぁ依頼人には、こっちから説明しておくが、いい加減戻らないと、面倒なことになるから、一旦山を下りても良いか?」
「良いけど、面倒な事?」
「ああ、依頼主の爺がよ、俺たちが戻らなかったら、私兵ども使って殴り込みかけるつもりだぜ」
彼の言葉を聞いたアラクネ達に、衝撃が走る。
あの堅物であればやりかねない、そんな考えが、彼女たちにめぐる。
アラクネは急いで蜘蛛達に指令を出し、冒険者たちを山から降ろそうとしたが、アリサはそれとを止めた。
「センサーに感あり、手遅れです」
「何ですって」
彼女たちの周りには、既に弓兵や魔法使いたちが、今にもアラクネに攻撃を仕掛けそうな空気を醸し出していた。




