嵐の前の静けさ 後編
リリィ達がバルガで旅の支度をしている頃。
イリス王国、王都イリスにて。
シルフィの故郷の里の住民達の起こした騒動を境に、レリアとロゼは視察を切り上げ、一旦王都へと戻っていた。
件の町で引きおこった事件、その全ての解決と、視察で得た市民たちの不満や、種族間でのいざこざのインフラ整備。
やる事は山積みであったが、一先ず、ロゼを陥れようとした犯人の捜索が行われた。
証人である盗賊達が全滅してしまった事もあって、捜査は難航してしまったが、徹底した調査によって、真犯人を確定することに成功した。
その犯人は、レリアの考えていた人物で、古参の貴族の一人であった事が判明した。
血筋や、生まれ等を何よりも大事にする傾向の有る家だったという事もあって、元平民であるロゼへ嫉妬したようだ。
調べてみれば、第一王女への間接的な暴行、そして、近衛騎士への名誉棄損だけでなく、賄賂脅迫のような姑息な真似までしていた事が発覚してしまった。
最終的に彼らは、爵位のはく奪は勿論、頭首らには懲役刑を言い渡された。
その後も、彼らの居なくなった部分の穴埋めや、その他貴族の調査を慣行。
汚い金銭のやり取り、禁止されている異種族の迫害行為等、法に触れる行いをしていないか、徹底的に洗い出すように、レリアから直接指示が出された。
そんな忙しい日々を送っていたレリアは、ある日の夜に、ベッドにダイブして、その疲れをベッドへとしみ込ませる。
他にも、色々とやる事は有るが、今の所、レリアの出来る事は無く成り、仕事から解放された喜びで、おしとやかさの欠片も無いポーズを取ってしまう。
父か小うるさい執事でも来たら、怒鳴り散らすような体勢だが、冒険後のせいか、この体勢が妙に落ち着く。
「あああ、疲れたぁ、冒険者やってた頃の方が、幾らか楽だわこれ、ロゼ~私を癒しに来て頂戴~」
レリアの愛する騎士、ロゼは、現在ハイエルフ達の件で、別の場所へと呼びだされてしまっている。
代理で、別の近衛兵達が警護に当たっているが、どうも安心できない感がぬぐえない。
ロゼが居れば、呼び鈴で呼び出しては、部屋の中で警護を行う事を名目に、一緒に寝たり、眠くなるまで話をしたりするのだが、今はそれも叶わない。
イリス王国の辺境にある森、かなり堅物なエルフ達が住んでいる事は、レリアも冒険中に聞き及んでおり、その対策等を、近隣の領主たちから聞いていた。
森に入りさえしなければ、別に危害を加えて来ることも無い、という事だったのに、以前の一件は、冒険者ギルドを経由し、各地の貴族や領主に伝わっている。
金髪のエルフ、この特徴に該当するのは、例の森の住民だけである。
そのおかげで、森の近辺では、既に警戒態勢が敷かれてしまっている。
もしも議会でレリアが森ごと焼きはらえと命じれば、正に鶴の一声の如く、森の近辺の軍が出動し、森を焼きかねない。
その結果内戦、というのは、レリア自身も望むところではない。
だが、事実として、彼らの手によって町が一つ無くなってしまっている。
レリアが静止させていなければどうなっていたのか、想像に容易い。
「(一応、彼らの族長は、しっかりと聞く耳を持つ、聡明な人だと聞いてはいるけど……あの、フーリとか言う奴の例が有るし、大丈夫かしら?)」
レリアが思い出すのは、洞穴の中で出くわしたフーリという、今回の事件の首謀者の一人。
盗賊達を利用し、子供達をさらい、そして、関わった人間全てを殺す事を前提とした行いの数々。
ロゼ、アリサ(リリィ)、シルフィ、ジャック、この四人が居なかったら、市民の犠牲はもっと出ていたかもしれない。
せめて、三人に褒賞を与えようかとも思ったが、ロゼが言うには、三人は先を急いでしまったとの事だった。
今どこで何をしているのか、気になる所であるが、それよりも町の住民達の安否の方が気になって仕方がない。
家屋が全て倒壊し、貧富の差も無く、全員が宿なしと成ってしまった。
とりあえず、近辺の町や村、権力者たち難民の受け入れを要請したが、其処でどれだけの人物が救われているか、今のレリアには正確に知る術が無い。
ここ数百年、人間同士の目立った戦争の起こらない平和な大陸だった。
だというのに、レリアの代と成ってから、その雲行きは怪しくなっている。
「(……考えても仕方が無いわ、内戦紛いの事だけは、避けておきたいし、里の族長さんの人望に賭けるしか無いわね)」
今回の件で内戦が勃発、何て事の起こらないように、里への会談は、レリアも同行する事に成っている。
流石に国の代表が赴けば、里のエルフ達も事の重大さに気付いてもらえるだろうと、レリアも考えている。
だが、里のエルフ達が、この一件をどう受け取ってしまっているのか、それが一番の問題だ。
森の近くにある町、レンズで、その里の出身の者を、町を破壊した罪状で囚えており、現在聴取中との事。
それで得られた話によれば、相当傲慢な性格の者が多く、町一つ消した所で、罪悪感何て抱いていない可能性が高いとの事だ。
「(私はレリア・カーマイン・イリス、シャキッとしないと)」
疲労と気分の沈みで、暗い気持ちになってしまったが、レリアは思い出す。
かつてジャックに見せられた記憶の片鱗。
歪んだ政治体制のもたらしている、終わりなき戦争。
その歪みの中であっても、割り切って生きなければならない市民達。
彼女の見てきた世界のようにならないよう、対話による和平交渉をめげずに行う。
武力による威圧を起こさせない様に、根気強く、交渉は粘り続けなければならない。
最低限、数週間後に控えているファーストコンタクトは、必ず成功させなければならないのだ。
「(平和ボケだと笑われても構わない、戦争の無い平和な世界の維持、そんな絵空事を現実にしてこそ、人の発展が実現したと言えるのだから)」
――――――
レリアが気合を入れなおしている頃。
シルフィの故郷である里、その地下牢で、最も頑丈な扉のつけられた一室、そこの警備を任されたエルフの青年は、頑丈な扉を前に怯えていた。
「なんだよ、一体」
物理的に頑丈で、宝物庫にでも取り付けるような分厚い金属の扉。
魔法への耐性も付与し、ちょっとやそっとでは、破壊されないような頑丈な扉であるが、その奥から、獣のうめき声のような声が響いている。
更に、時折聞こえて来る、皮膚を引っ掻く音に、何かを舐めとるような不気味な音。
同時に感じ取れる禍々しい気配が、見張りにつくエルフ達に恐怖心を植え付けていた。
彼の前に、数名程此処の警備を行っていたのだが、この音が気になった彼らは、設けられている覗き穴で、中の様子を見た途端、パニック状態に陥ってしまった。
その次も、またその次の見張りも、中をのぞいた瞬間、悪魔にでもとりつかれたように、正気を失ってしまった。
現在見張りを行っている彼も、怖いもの見たさで、中の様子を伺いたいと思ってしまっているが、中を見た同僚の状態を思い出すだけで、拒絶してしまう。
「(それにしてもおかしい、確か、此処に容れられた奴は、死んだ筈だ)」
彼が疑問に思うのは、この中に収容されたエルフは、既に死んでいると言われていた。
だというのに、生物が居る音を鳴らし、異様な臭いを放っている。
扉の奥には、日の光も射さない暗黒の空間しかなく、コウモリやネズミが入り込んでいたとしても、扉の外まで聞こえるような音は出さない筈だ。
もう、気になって仕方無くなってしまった彼は、恐る恐る覗き穴を開ける。
「(一体、何が起きて……)」
中を見た青年は、光魔法で中を少しだけ照らしてみる。
部屋の中は血に塗れ、池が形成されてしまっており、異常な鉄臭さが、彼の鼻を突いてくる。
そして、血の池の中心に有る物体に光を当てた途端、青年は硬直する。
血の池の中心に居たのは、自らの体の隅々を爪で引き裂き続けている同胞らしき者。
かろうじて人の姿を保っているが、背中からは数本の触手が突き破る様にして伸びており、その触手も全身をかき続けており、全身から出血してしまっている。
皮膚の表面だけでなく、その奥の肉さえ爪でかきむしっているせいで、大量に出血し、その血は床や壁を濡らしている。
かき傷は再生能力ですぐに治っているので、かいては治っての無限ループとなって、ただひたすらに血を流し続けている。
あろう事か、彼女は、自らの血で濡らした床を犬のように舐めているのだ。
まるで、数日間水を一滴たりとも飲まなかった者が、水たまりの水で、必死に渇きを潤そうとしているように、自身の血を舐め取っている。
しかも、その舌に至っては、まるでアリクイのように長く伸びており、その舌はスポンジのように血を吸収している。
確かに、このような光景を見れば、恐慌状態に成ってしまってもおかしくはなかった。
当然、この光景を目の当たりにした彼もまた、恐怖におののいてしまう。
最悪な事に、明かりを灯したせいで、その存在に気付かれ、目を合わしてしまったのだ。
厳密には、目と呼べる物はつぶれてしまっているのだが、それでも目が合ったと呼べるに等しい印象を受けてしまう。
「あぁ、ウワアアアア!!」
悲鳴を上げた彼は、のぞき穴の蓋を閉めず、一目散に地下牢から逃げ出そうとする。
恐怖で心臓をバクバクと鳴らし、冷や汗を滝のように流しながら、地上を目指す。
自傷行為によって流した血をすすり、渇きを満たそうとするその姿は、もはやエルフとも、人間とも言えない、ただの化け物だ。
見ただけで、その凶悪さを認識した彼は、生存本能が働き、気づけば逃げ出していた。
化け物の入れられている牢から離れ、仲間を呼び、すぐにでも処分しなければならない、本能的にそう悟ってしまったのだ。
「(すぐに、すぐに族長に知らせなければ!あんな化け物、生かしておいていい筈がない!!)」
そう思っていた矢先、青年は何かにつまずいてしまったかのように、石畳の床に体をぶつける。
石に足を取られたのかと思ったが、違った。
彼のズボンのスソに、蛇のような何かが食いついており、ズボンを引き裂きかねない力で彼の事を引っ張っている。
その蛇の胴は、あの化け物の囚われている牢へと伸びており、それを見ただけで、青年は恐怖に駆られる。
「クソ!放せ化け物!!」
瞬間的にナイフを抜き、蛇を切り裂き、立ち上がろうとするが、思い通りにはならなかった。
切り裂いた筈の蛇の胴から、更に多くの蛇の頭が出現し、青年の首を絞め、腕、足、胴体に絡みつく。
「や、ヤメロ」
何とか振りほどこうとしても、もの凄い力で抑え付けられ、力技では無理だと判断した青年は、魔法で光の刃を形成し、蛇たちを切り裂き、脱出する。
だが、安心したのも束の間、更に増えた蛇たちは、青年に食らいつきだす。
もう一度魔法で脱出しようと試みた青年であったが、その瞬間、両腕が明後日の方角へと曲げられる。
激痛に悲鳴を上げる青年の体に、次々と蛇が食いつきだし、青年の断末魔は地下牢に響きわたる。
―――――
「あら、騒がしいと思ったら」
騒ぎを聞きつけ、地下牢へといの一番に到着したのは、族長だった。
地下牢に降りた彼女が目にしたのは、破り捨てられた見張りの着ていた衣服や装備品。
だが、肝心の見張りの姿は無く、血の一滴も落ちておらず、ベタベタとした粘液だけが、辺りを湿らせている。
何が起きたのか、ある程度理解した族長は、奥に有る扉へと赴き、開きっぱなしの覗き穴をのぞいてみる。
「あらあら、やはり貴女は、復讐の道を歩むのですね」
扉の先に居る、異形と化したクラブを見て、族長は微笑む。
彼女は、全身をかきむしり、血を舐める事は止めていない。
しかし、血を舐めとる姿に、先ほどまでのような必死さは感じられず、小腹をすかせた子供が、飴を舐めるように、血を舐めている。
「間食をできる程、回復して何よりですよ」
そう言い残した族長は、のぞき穴の蓋を閉め、何事も無かったように、地下牢を後にした。




