四番命令
「……ねえ、水井さん」
「なに、翔くん?」
「そろそろ離れてくれない」
あれから五分ほどが経過した。
彼女は、俺に抱きついたまま未だに離れようとしない。
俺も未だに水井さん関連の衝撃の事実の余韻に浸っている最中ではあるが、そう言った意思とは関係なく時間は過ぎ去るのだ。
そろそろ鬼ごっこが終わりそうだし、戻らないといけないのだが。
「嫌」
「……」
俺の要求はあっけなく一蹴されてしまった。
「もう少しこのままがいい」
「いやあのね。このままじゃ鬼ごっこ終わっちゃうから」
一応鬼ごっこが終わるまでという約束だったはずだ。
それが過ぎると俺たち二人が立ち入り禁止エリアに侵入していることがバレ、またしても先生にこっ酷く怒られることになってしまう。
水井さんは今回が初めてになるかもしれないが、夜中の校舎に忍び込んだ俺は短期間で二回説教を受ける羽目になるのだ。
「じゃあもう少しこのままでいて。四番目の命令ね」
「それは承諾しかねる」
悪いがそちらが俺の要求を一蹴するなら、こちらも彼女の命令を一蹴させてもらう。
彼女の言う「もう少し」の度合いによっては承諾してもいいのだが、絶対数分では終わらないだろうな。
「えぇー」
彼女は不満気な声を漏らす。
仰向けになった俺の胸元にある彼女の顔が俺を見つめながら頬を膨らませているのがわかる。
「もともと鬼ごっこが終わるまで、っていう約束だっただろ」
「善処するとは言ったけど、了解したとは言ってない」
「小学一年生がそんな言葉のトラップを使うなよ!」
水井さんが本当に小学一年生なのか時々怪しくなる。
「約束してないモノは守れないんだからしょうがないよ」
「しょうがなくないから! ……全く、どうしてこんなに我儘になっちゃったのさ」
水井さんの肩を掴み、少し強引に彼女の上体を起き上がらせ、自分もまた横たわった体を起こして地面に座る。
当初の水井さんはもっとお淑やかで、思慮深い人のはずだった。
一体どこでキャラ設定がバグったんだよ……。
「こうなったのも全部翔くんのせいなんだから、責任取ってね♪」
やっぱり俺のせいだよな……。
「正直で自由に生きた方がいい」なんて人生の先輩ぶった発言をしたのが、他でもない彼女がこうなってしまった原因なのだろう。
「重大責任過ぎて俺には負えないよ」
人一人の人格を大きく変えてしまったのだ。しかもまだ小学一年生の。
一体水井さんの親御さんにどう弁明すればいいというのだ。
「一生私と一緒に生きてくれるだけでいいから」
「だけって、十分重たい責任だから」
まったく、どうしてこうなってしまったのやら。
いやまあ全部俺のせいなんだけどさ。
自己嫌悪にも似た苦悩に、俺は頭を抱える。
「——とにかく、早く戻ろう」
そんなことを今考えてもしょうがない。
思考を切り替え、この場からの移動を提案する。
「もう少し二人でいたいの」
彼女は俺の服の裾をキュッと握り、甘えるような声で願う。
寂しそうな目で俺を見上げる。
水井さんにとって、俺と二人きりになれるというこの状況は非常に貴重なものであるのだろう。
だからこそ先生の説教覚悟でここに俺を連れ込んでいる。
俺を長くここに引き留めようとしているのもまたその証拠だ。
なんだか子供のおもちゃを取り上げるような罪悪感がある。
だが、願われるがまま言いなりになるわけにもいかない。
年相応な我儘に俺の心は揺らぐも、ここで流されてはいけないと気を強く持つ。
「二人になれる時間はまたいつか作るから、ね?」
彼女が傷つかないよう優しく諭す。
「本当?」
「ああ、約束する」
今度は時間に余裕がある時にして欲しいがな。
「……そういうことなら、……わかった」
寂しそうな表情が一転、彼女はいつも通りの笑顔に戻る。
どうやら納得してくれたようだ。
ふぅ、これでギリギリレクリエーション終了前には戻れそうだ。
一安心し、胸を撫で下ろす。
「じゃあ、戻ろっか」
水井さんがようやく戻る気になってくれたのだ。気が変わってしまう前に早く広場の方へ戻るとしよう。
彼女の手を引き、立ち上がろうとする。
「あ、ちょっと待って!」
だが、立ち上がるよりも先に俺が掴んで引っ張ろうとした手が、逆にこちらを引っ張り再び地面に尻を着くことになる。
「えっと、……まだ何かあるの?」
さっきわかったって言ったよね? 納得してくれたはずじゃないの?
「四番目の命令。まだしてない」
「さっきしたよね」
四番目の命令として「もう少しこのまま」という内容を聞かされたばかりだ。
「あれは翔くんが受け入れてくれなかったから無効」
「えぇ……」
「とにかく命令なんだから、聞いて。すぐに終わるから」
「……まあ、それなら」
早急に済むことなら断ってあーだこーだいうより、手っ取り早いか。
本当にすぐかどうかは少々怪しいが……。
「じゃあ、右向いて」
「右? 右に何かあるの?」
「いいから右向いて。これは命令だよ」
「……?」
疑問ながらも俺は指示通り右を向く。
すると、
「ちゅっ」
左の頬に柔らかな感触が伝わる。
何処か湿り気があって、なまめかしい感触だ。
それが何の感触なのか、一瞬の出来事だったにもかかわらず理解することができた。
経験したことないはずなのに直感的にわかった。
ゆっくりと右を向いた頭を正面に戻すと、今まで見たこともない程赤面した水井さんが自身の唇を二本の指先で抑え、気まずそうに俺と視線を合わせようとしない。
「え、……えっと、……」
「……」
お互い言葉を失う。
唐突な出来事に状況が呑み込めないわけではない。
むしろ吞み込めているが故に、沈黙が続いているのだ。
彼女は自身の唇を、俺は自身の左頬。
それぞれが接触した部位を抑え、余波もしくは余韻に浸っている。
「……その、……こ、これはね。……お、お姫様が王子様に送る愛の告白みたいなものでね。……えっと、つ、つまり、……その」
彼女にしては珍しく歯切れが悪い。
ひどく動揺している。
それでも、一度深く深呼吸し、気持ちを落ち着かせ自制心を取り戻す。
顔からはまだ赤みが取れていないが、気にせず彼女は言葉を続ける。
「——私は翔くんの事大好きだから。そのことは絶対忘れないでね」
この短時間で何度も聞いた告白だ。
一生忘れることはないだろう。
「……」
「えっと、それじゃあ、私先に戻ってるね」
それだけ告げると、彼女は逃げるように広場の方へと足早に向かう。
取り残された俺は一人、左頬を抑えたまま茫然自失となっている。
この短時間でいろいろあり過ぎた気がする。
膝枕したり、質問されたり、告白されたり、水井さんが実は電波だったことを知ったり、最後にはファーストキスと言っていいのかはわからないがとにかく生まれて初めて女の子にキスされた。
もちろん前の人生も含めてだ。
「最近の小学一年生って進んでるな……」




