自分価値
好きな女の子。
それを水井さんが聞くことの真意を見抜けないほど、俺は鈍感じゃない。
「それは……」
すんなり言えるはずがない。
好きな子がいようがいまいが、簡単にくちばしることは出来ない。
別に恥ずかしくて言えないなんてことは無い。
好きな子を言うのが恥ずかしい年頃はもうとっくに過ぎた。
言いづらい理由は他にある。
「……」
言葉に詰まる。
もともと会話が得意な方では無いので言葉に詰まることも珍しくはないのだが、今この瞬間においては会話の得手不得手は関係ない。
「……やっぱり翔くん1人に言わせるのはズルいよね」
「それってどういう——」
「私も言う」
何を? なんて無粋なことは聞かなかった。
そのようなことは気にしていないが、これは彼女にとってのけじめでもあるのだろう。
ズルとかそんなのは関係ない。
ここで俺にそのことを伝えるべきであると判断したから言うのだ。
水井さんの右手が俺の短パンの裾を軽く握る。
振り絞った勇気で、彼女は口を開く。
「——私はね。…………翔くんが好き」
「私は翔くんが好き。ううん、大好き。誰よりも、絶対大好き」
「……」
「私にとって、翔くんは王子様なの。私を受け入れてくれて、私を認めてくれる人」
王子様。
俺はその言葉を一種の比喩表現と捉えた。
「そんな大した人間じゃないよ。俺は」
謙遜ではない。
これでも三十年近く生きてきたんだ。
自分のことくらいなら理解しているつもりだ。
俺が大した人間ではないってことは、前の人生で重々承知していたことである。
だから俺はやり直すと決意したのだ。
「ううん、そんなことない。少なくとも私にとって翔くんは十分大したことある人だよ。だって、大したことない人が誰かに好かれることなんてないもん。翔くんが大したことあるっていうのは私が証明しているもの」
「……」
その言葉に自虐的になるのはやめた。
これ以上の自虐は水井さんの侮辱にも繋がることだからだ。
「——翔くん、図書室で私に言ってくれたこと覚えている?」
俺と水井さんが初めてちゃんと会話をした時の事だろう。
彼女の絵本趣味を知ったのもあそこだ。
つい最近のことだし、彼女が言った胸の内や、俺のイタイタシイ行動の数々は覚えている。
……のだが、水井さんが言う「図書室で言ったこと」ということに関しては記憶が少々曖昧だ。
他のことが印象深過ぎて、自分の発言はあまり記憶に留まっていなかった。
ただ俺の記憶力が酷いだけかもしれないが……。
「覚えてない?」
「ご、ごめん」
今この場で掘り下げるということは、彼女にとって大事なことを言ったのかもしれない。
それを忘れてしまっているということに対する引け目として、俺は謝罪の言葉を述べた。
でも、本当に大したことなんて言っていない気がする。
「ふふっ、そっか」
忘れてしまっているというのに、何故か彼女はご機嫌だ。
「本当に、翔くんってすごい」
「……?」
何故このタイミングで俺がすごくなるのかわからん。
「自分に正直で自由気ままな生き方をしてみたら。君は私にそう言ってくれたの」
過去に俺が言った言葉を、彼女は一言一句たがえずに復唱した。
言われてみれば確かにそんなことを言った記憶がある。
でもあれは子ども扱いしてというか、対して深い意味合いなんてなく、そう言うべきだと思って言っただけだ。
言った張本人の俺の記憶にだって残って無いような言葉だ。
「きっと翔くんにとっては何気なく言ったことだと思うんだ。……だけど、私はその言葉に救われたの。周りの目とか、イメージとか、いろんなものに囚われていた私を救ってくれる言葉だったの」
「でも、そんなこと誰だって言える——」
「違うよ、翔くんだから言えたことだよ。翔くんが言ってくれたから私は救われて、君を好きになれたんだよ」
「……」
そんなことない。と思う気持ちは未だに変わらない。
あの状況だったら、俺以外だってそう言ったはずだ。
しかし彼女がそこまで強く否定するなら……、と自分の意見を曲げる。
「誰にだって言えることじゃないよ。だから翔くんはすごいんだよ」
「……」
くどいようだがやはり腑に落ちない。
どうしても俺は自分のことをすごい人間だとは思えないのだ。
こればっかりは、どうしても……。
「——私は翔くんが好き。
私が絵本好きな事を知っても馬鹿にせず聞いてくれるくらい優しくて、それどころかそのことを肯定してくれるくらい心が広くて、毎日勉強を頑張っている所は格好良くて、ちょっぴりおっちょこちょいなところがあるけどそんなところも可愛くて、私との約束もちゃんと守ってくれる真面目で、
……他にもいっぱい好きなところがあるの。挙げたらきりがないくらいたくさん。
そして、その全部が好き。大好き」
「けどそんなの、俺じゃなくても……」
何かを怖がるように、俺は否定する。
「そうじゃない。そうじゃないんだよ、翔くん。
優しいとか、格好いいとか、さんざん言ったけど、一番重要なのはそこじゃないんだよ。
理屈とか理由とかそういうのは抜きで、私は翔くんが好きなの。
優しい人が好きなんじゃなくて、翔くんが好きなの。
格好いい人が好きなんじゃなくて、翔くんが好きなの。
好きになることの理由なんて全部後付けでしかない。
翔くんが優しかったからでも、格好良かったからでもなく、翔くんが翔くんだから好きになったんだよ」
「俺が、俺だから……」
「だからね、翔くん。「誰だって」とか「俺じゃなくても」なんて言わないで。私が好きなのは、他の誰でもない翔くんなんだから」
少しだけ彼女の声から悲しさが漏れていた。
俺が俺を卑下することを水井さんは自分が陥れられるのと同じように、いやそれ以上に辛く悲しんでいたのだ。
……今まで、家族以外の人間にこれほど大切にされたことがあっただろうか。
いや、なかった。
そうされるほどの価値が俺にはなかった。
今の俺にそれだけの価値があるのかと聞かれても、そうだと頷けられるほどの自信はない。
けどそんなことを思ったら、また水井さんを悲しませてしまう。
俺の価値を決めるのは、俺じゃない。
他人本位だが、それが事実だ。
他人から必要とされているか否か、更に言えばどれほど必要とされているかによって価値は定められる。
人を値踏みするような考え方はあまりいただけないが、綺麗事だけじゃ人という存在を語れない。
今俺は水井さんに好きだと言われ、価値を見出された。
嬉しくもあり、……重たくもある。
俺は果たして、好きになってもらうほどの価値がある人間なのだろうか。
……ダメだな。どうしてもマイナス思考になってしまう。
ネガティブ思想が俺の人格にこびり付いたまま離れない。
人としての在り方はタイムリープ程度では変わりやしないのだ。
「……ありがとう。そう言ってくれて嬉しいよ」
薄っぺらい感謝だと、つくづく思う。
どうやら俺は水井さんのように俺のことを好きにはなれなかったようだ。




