恐怖体験
足音が聞こえた。
俺のでも林太のでもない。
前方の廊下から聞こえてきた足音だった。
足音だけではない。人影もあった。
校内は薄暗く、前方10メートル程先にいるであろう人間のシルエットはぼんやりとしか見えない。
それでも成人男性ではないということだけはわかる。
ボヤけた感じでしか見えないが、それは決して全く見えない訳では無い。
なんとなくではあるが、廊下の奥にいる人間の体のラインはわかる。体の線の細さはとても男性のそれとは思えない。
そして子供でもない。
子供の軽い体重で地面を歩く甲高い足音ではなかった。
ならば考えられるのは成人女性。
しかしこんな夜中にしかも小学校にいるなんて。
一体誰なんだ?
そう思い目を細めた瞬間。
「に、にげるぞぉ!!」
林太の掛け声とともに、ものすごい力で後方に引っ張られた。
彼が俺の腕を掴んで一目散に逃げだしたのだ。
恐怖で竦んでいたはずの彼の体は、緊急事態に陥ったことにより火事場の馬鹿力的にものすごい力を発揮した。
引っ張られた俺はその力に作用されるがまま、二階へ三階へと昇り、とある教室へと入った。
「ハァ……ハァ……」
人一人を引っ張って階段を駆け上がり廊下を全力疾走したのだ。体力切れの証拠として林太は息も絶え絶えになる。
俺は力に流されるがままだったため特に疲労は見られない。なんか凧揚げの凧の気分だったなぁ。
「や、やばいぞカケル! ゆ、ゆーれいだ!」
「幽霊?」
恐怖で震えながらも林太は必死に俺にそう伝える。
どうやら先ほどの人物を林太は幽霊と勘違いして、その場から逃亡を図ったりしたのだろう。
「少し落ち着けよ林太。幽霊なわけないだろ」
「だって! えっと、お、女の人だったんだぞ!」
「その理屈だと世界人口の半分が幽霊になるぞ」
女の人全員幽霊説ってか? どんなオカルトマニアだってこんなふざけた説を唱えたりはしない。
「そ、そうじゃなくて! こんな時間に女の人がいるなんてへんだろ!」
「それは……確かにそうだな」
幽霊でなくとも変質者である可能性はある。
学校に侵入した泥棒か。
もしくは極度のショタコンの変態女性か。
まずいな。もしそうだった場合俺たちはその女性にとっては格好の獲物だ。
なんせ林太と現在の俺は正真正銘ショタ属性の小学一年生男子である。
となると林太と俺の身がいろんな意味で危険だ……!
こうなればどうにかして変態女性に見つからずに夜の学校から逃げ出さねばならない!
「わぁああッ!!??」
「っ! ど、どうした?」
突如として林太が悲鳴を上げる。
「か、かかか、肩、か、カケルの肩につかまれたあとがッ……!」
「いや、これはお前に掴まれた跡だから」
先ほどまで俺の右肩に捕まっていたのは、何を隠そう林太ではないか。
「っ!? う、うでにもひっぱられたあとが……!」
「それもお前だよ」
どうやってここまで来たのか忘れたのか? まったく。
この緊急時に素っ頓狂なことを言い出すため思わず呆れる。
しかしそのおかげで張り詰めた気持ちが少しだけ和らいだ。
緊急時だからこそ冷静でいなくては。
最優先は一階にいた女性に見つからず、この学校から脱出すること。
窓から脱走なんて映画の真似事なんてできるわけもない。
3階から落下したらそれこそ危険だ。身ではなく命が。
やはり玄関に向かうには1階へ降りるしかない。
その場合も危険だが。命ではなく身が。
なら迂回して正面玄関ではなく、裏口から出ることにしよう。
「は、早くにげようぜ!」
「ああ、そうだな」
林太の気も滅入ってきている。
早く移動しなければ――。
「コツンッ」
「「ッ!?」」
足音。
さっきまで1階にいたはずの女性が今は3階にいる。
それまで階段を昇ってくる足音も聞こえなかったのに、突然に唐突に隠れている教室の近くまで来ていた。
まさか、本当に幽れ――。
い、いや! そんなはずない!
先程そんな非科学的なものは信じないと言ったばかりじゃないか!
ここで幽霊であることを確信してしまえば、俺は自分の発言に責任を持てない薄っぺらい人間になってしまう!
いや正確には心の中で思っただけで、口に出して言った訳では無いけど。
どう考えたって人間だ。
1階にいた女性が足音を立てずに上がって来たに違いない。そうだよ。そうに違いない。
ふぅ、それなら安心だ……。
俺は一旦胸を撫で下ろして――。
いや全然安心できねえよ!!
相手は人畜無害な変質者とは限らないんだぞ。というか人畜無害なら変質者じゃないし、まず小学校に不法侵入している時点で無害ではなく有害であることは確定している。
幽霊なんかより尚更危険じゃないか!
「か、カケル……」
「し、静かに。ここは黙ってやり過ごせば――」
「コツン、……コツン、…………」
足音は教室の前で立ち止まる。
ば、バレている。
それを確信した瞬間全身から鳥肌が立つ。
こうなれば一か八か走って逃げるしかないのか?
しかし毎日体力作りをしているとはいえ、所詮は子供の走力。
成人女性ならいとも簡単に捕らえることが可能だ。
それに例え俺が逃げ切れるだけの脚力を持っていても、林太はどうすればいいんだ。
友達を見捨てて逃げることなどできない……!
何処かに隠れようにも迂闊に物音を立てる訳にはいかない。
万事休す。
スピリチュアルなものは信じない主義の俺だが、今だけは神に祈ろう! 全身全霊で祈ろう!
念仏を唱えたり手で十字を切ったりと色んな宗教が入り混じった祈りを捧げるも、その記念虚しく教室の扉はゆっくりと開かれる。
「か、カケル……!!」
「――ッ!」
覚悟を決めたその時だった。
「糸崎君に砂川君? 一体こんなところで何をしているの」
扉を開けた主から声をかけられる。
それはほぼ毎日、学校で聞いている声だ。
「み、実里先生……?」
そこには見回りの最中だった実里先生がいた。
◆
「まったく……、いくら宿題を忘れたからって夜中の学校に侵入したらダメじゃない」
「「はい、ごめんなさい」」
俺と林太は廊下に正座させられ、実里先生のお説教を受けていた。
当然の報いである。
「初犯だから今回は親御さんに報告するのは勘弁してあげるけど、2度目はないからね」
「「はい、わかりました」」
背を縮めながら先生の有難いお言葉を肝に銘じる。
――女性の正体が実里先生であることが分かり、ようやく合点がいった。
正面玄関が開いていたこと。
おっちょこちょいで閉め忘れたわけでも、一種の侵入者対策でもなく、単にまだ見回り中で最後に閉めるべき正面玄関は開いていたというだけだったのだ。
……しかし一つだけ気がかりなことがある。
「先生、この愚かな私めに一つだけ質問をすることをお許し願えないでしょうか」
説教を受けている分際での質問であるため、謙って頼む。
「うむ、よろしい」
お代官様のように先生が頷く。
なんだかんだ言ってノリのいい先生だ。
許可を頂いた俺は口を開く。
「あの……どうして1階で会った時に声をかけてくれなかったんですか?」
1階での遭遇。
その時見かけた女性は状況から考えるに十中八九実里先生であろう。
あの時俺たち2人は実里先生であることはわからなかったが、そこに誰かいるということだけはわかった。
それはあの時俺たちの向かい側にいた実里先生も同じはずだ。
ならば何故その時に声をかけてくれなかったのか。
あの場で声をかけないというのは不自然な行為だ。
もしかしたらこんな愚かな私めにはとても想像もつかない意図が、実里代官、じゃなかった、実里先生にはおありなのかもしれない。
皆目見当がつかないため先生にそのことを尋ねてみるも、俺が首を傾げるようにまた先生も首を傾げた。
「1階ってなんのこと?」
質問に対する質問にまたしても俺は首を傾げる。
「いえですから、1階で1度会ったじゃないですか」
「……?」
どうも話が噛み合わない。
一体どういうことなんだと更にまたしても首を傾げた時。
嫌な予感がした。
出来ればこんなこと考えたくない、考えただけで全身に悪寒が走る、それほどに恐怖してしまうような予感だった。
いやそんなはずない。そんなことあるはずがない。
懇願にも似た否定をする。
しかし残酷にも、実里先生は次のように言った。
「私、2人を見かけたのは今が初めてだけど」




