翔君部屋
「どうぞ入って」
「う、うん」
母さんと水井さんの初顔合わせを済ませた後、「翔くんのお部屋を見たい」という彼女の要望に基づいて部屋へと案内する。
彼女は少しばかり緊張した声色で躊躇いながらも俺の部屋に足を踏み入れる。
小学一年生であっても男の子の部屋に入るというのはハードルの高いものなのだろう。
かくいう俺も初めて友達を部屋にあげるということで、少し緊張している。
しかも相手は女の子である。
異性を部屋にあげるなんて1度目の人生での俺では想像もできないことだった。
なんだか男として一つランクアップした気分だ。
そんな些細な優越感に浸りながら俺は水井さんの後ろに続いて自身の部屋に入る。
「ごめんね、何も面白いものがなくて」
勉強机とベッドや生活に必要な物が一式、あとは本棚に教材やノートが少々といった感じだ。
28歳の俺の記憶が宿る前の持ち物であるおもちゃ箱などは、現在一階の物置に眠っている状況だ。
決してミニマリストというわけではない。
単純に部屋に置く物がないだけだ。
そりゃあ前の人生では人並みに趣味の物が置いてはあったが、今は部屋の壁にも貼られてあるように「堅実に生きる」という目標を掲げて日々邁進している身であるため、打ち込むような趣味はない。
趣味は人の部屋に反映されるもの。
それが無趣味となれば部屋は随分と質素なものになる。
我ながら面白味のない部屋だ。
「ううん、そんなことないよ。男の子の部屋って初めて入ったからよくわからないけど、綺麗にされてて私はとてもいいと思う」
部屋をキョロキョロ見渡してから、水井さんはそんな感想を述べる。
「そ、そうかな」
褒められて満更でもない俺は、照れ隠しでポリポリと頬を掻く。
部屋を綺麗にしといてよかったと生まれて初めて思う。
「あー、……じゃあどっかテキトーなとこ座ってて。お茶持ってくるから」
「んっ、ありがとう」
俺は一旦部屋を出て、台所へと向かう。
お茶だけ持っていくというのも客へのもてなしとしては不十分な気がするし、お茶菓子もついでに持っていくか。
「母さん、なんかお菓子とかない?」
「お菓子? ——ああ、それなら戸棚のクッキー持って行っていいわよ」
「わかった」
俺は食卓の椅子を脚立代わりに使って戸棚にあるこじゃれた缶に入ったクッキーを取る。
基本は来客用にしか出されない少し高価なお菓子だ。
「——あんた、水井ちゃんとはどうなの?」
「どうって、何が?」
食卓の椅子をもとの場所に戻してから、お茶を出そうと冷蔵庫を開けている時に母さんがそんなことを尋ねてくる。
どうやら水井さんのことに対して興味津々なようだ。
俺の家に来た友達としては初めてだから、まあ当たり前と言えば当たり前か。
「そんなの決まってるでしょ。あれよ、あれ」
あれじゃわかんないよ。
なんせ情報量が「あれ」しかないんだから。
しかしそれでも、母さんの言いたいことにおおよそ見当はつく。
「水井ちゃんのこと、好きなの?」
色恋沙汰関連だ。
息子の恋愛事情が気になるというのは分からなくもないが、息子としては母親にそのことについて介入して欲しくはない。
それに第一、
「そんなんじゃないよ。水井さんはただの友達だって」
確かに彼女のことは良く思っているが、それは女性としてではなく人間としてだ。
まず小学生相手に恋愛感情は抱けない。
準備体操での出来事が合った手前強くは言えないが、そのことは確かだ。
「ここだけの話なんだから正直になりなさいよ。あんなに可愛い子なのよ?」
「可愛いからって理由で好きになってたらきりがないよ」
もしそうだとすればテレビの向こうの女優さん方に何回恋をするかわかったもんじゃない。
「ただの友達だって、それ以上の感情はないから」
きっぱりと断言する。
「とか言って、本当は好きなんでしょ? あんた奥手そうだもんね~」
「はぁ……。はいはい、それでいいよもう」
肯定したって否定したって好きであることをこじつけられてしまうのだ。
諦めた俺は雑に頷いて受け流す。
「ああいういい子は他の男の子にも人気だろうから、早くしないと取られちゃうわよ」
「へーへー、さいですか」
俺はクッキーとお茶それに二つのコップを乗せたお盆を持って、そのままキッチンを後にする。
取られるも何も狙ってないっつうの。
しつこい母さんに対して溜息を吐きながらも、俺は部屋へと戻る。
「ごめん、お待たせ」
「ううん、大丈夫だよ」
片手で扉を開けると、そこには部屋の地面にちょこんと正座して待っている水井さんがいた。
部屋には彼女一人だけだったのだから足を崩していても全く問題ないのだけど。
そういう些細なところから彼女の律義さを感じる。
——しかしなんだろう。……何か違和感がある。
その違和感は水井さんというより部屋全体から感じられた。
不審に思って辺りをキョロキョロ見渡してみると、
閉めたはずのクローゼットが半開きになっていたり、本棚に並んだ教材の配置が所々異なっていたり、綺麗に畳んだはずの布団が若干乱れていたりする。
荒らされたという程ではないが、物色されたような痕跡がある気が--。
お茶を取りにいってくる間、部屋には水井さんしかいなかった。
となると——。
いや、それはないな。
あんなに礼儀正しい水井さんが俺でもわかるようなマナー違反をするはずがない。
きっと俺の気のせいだろう。
俺は決して物覚えがいい方ではないからな。
いくら自分で動かしているとはいえ毎日変化する部屋の物の位置を事細かく且つ正確に記憶してはいない。
俺の記憶違いなのだろう。多分そうだ。
違和感の正体を自分で結論付け、納得する。
行儀が悪いかもしれないが俺はお茶菓子等が乗ったお盆を地面に置く。
座卓がないため仕方ないだろう。
そうして地べたに座る彼女と向き合うように、俺もなんとなく正座で座る。
「……」
「……」
しばし沈黙が流れる。
…………気まずい。
親が無理やり取り付けたお見合いくらい気まずい。
遊びに来た友達、というより女の子友達とは何をして遊べばいいんだ?
クラスにいるときの女子は大抵談笑しているが、男子相手と遊ぶ時もお喋りがスタンダードなのだろうか?
まったくもって自慢ではないが、女子の会話についていける自信はない。
あの戦地の銃弾並みに言葉が飛び交う空間で物を言える度胸があるならボッチなんてやっていない。
相手が水井さんだけならまだいけなくもないが、話題提示やなんやを俺一人でこなす自信はやはりない。
ならお喋り以外に何か二人で遊べるようなことはあったかな。
トランプくらいなら多分家の何処かにはあるはずだけど。
俺がこの気まずい空気感を打破するための行動に行き詰っていると、水井さんは背負ってきたリュックサックから何かを取り出そうとゴソゴソし始める。
そして彼女は一冊の本を取り出す。
「ねえ、翔くん。良かったら一緒に読まない?」
水井さんが手に持っているのは一冊の絵本だった。
図書室で会った時に自分の家からコッソリ持ち出したものとは少し表紙が異なるため違う物だが、同じく姫と王子の恋愛物の絵本だ。
表紙にバーコードのようなものが貼ってあることから、図書室か一般の図書館のどちらかで借りた物と推測される。
「うん、読もうかな」
することがなくて悩んでいた俺にとっては絶好の提案だ。
絵本を読むことにさほど興味はないが、気まずい時間を過ごすことに比べれば何倍も有意義な時間の過ごし方だ。
俺の了承を得ると彼女は立ち上がり、トテトテと俺の隣までやってきてまた座る。
対面で読むというのは難しいから隣り合わせで読もうという考えはわからなくない。
——しかし、それにしても近くない?
普通隣り合わせで座るって言っても、人一人までいかなくてもその半分くらいの距離は空けて座るものだ。
だが今俺と彼女の距離はゼロだ。
限りなくゼロとか、ほとんどゼロとかではない。完全にゼロ。密着状態だ。
水井さんの右腕が俺の左腕に接着剤でもついているかのようにピッタリくっつき、ワンピースで袖のない服を着ている彼女に対して俺も部屋着の半袖であるため、水井さんの柔肌が服越しではなく地肌で感じられる。
足も同様に密着しているし、若干右に傾けた彼女の頭は座高の差からほぼ俺の肩に乗っている状態だ。
パーソナルスペースもへったくれもない。
なんか恋人のような状況に——っていかんいかん! さっき母さんに恋愛感情はないってきっぱり言ったばかりじゃないか!
いくらなんでも近すぎると感じて、俺は座ったまま右に少しずれる。
すると、彼女は何も言わず右に寄ってくる。
そしてまた密着状態に戻る。
…………。
今度は膝立ちになって二歩右にずれると、彼女は右に三歩寄ってきてゼロだったはずの距離が更に近づく。
……………………。
「……近くない?」
「近くないよっ♡」
即座に否定される。
彼女はそう言っているがそんなはずない。もはや体が接しているのだ。
一体絶対どのような企みでこんなことをしているのだ?
「それより読みましょう」
「えっ、うん」
流されるがまま、俺は了承する。
その後ピッタリとくっついた状態で絵本を読み進めたものの、絵本の内容は全くと言っていいほど頭に入ってこない。
こんな状況で絵本に集中出来るわけもないからな。
色々な葛藤に駆られる俺に対して、水井さんの顔はいかにも満足気であった。
まあ、水井さんが嬉しそうならそれでいっか。




