水井来訪
「…………」
夏休み以降学校が始まって以来、初めての休日。
小学生の休日と言えば友達と遊んだり、自堕落に過ごして休日を満喫するものだが、「堅実に生きる」という大いなる目標を掲げている俺にそんな余裕はない。
この土日は机に向かって勉強に注力すると決めている。
——のだが、勉強を進める手は止まっていた。
その理由は水井さんだった。
先日から始まったあの過度な付き纏い行為。
最初は優しさとか親切心から話しかけてきているのだと思っていたが、あまりに頻発するため俺も不自然さを否めなくなった。
まあ原因は間違いなく一昨日の図書館での出来事だろう。
彼女がおかしくなる時期と一致しているし、何よりそこで初めてちゃんとした彼女との関わりを持った。
そこで間違いない、という確信はあれど水井さんの犯行ど、じゃなくて付き纏い行為の動機は掴めていない。
一体何が彼女をそこまでさせているのだ?
儘ならぬ感情で動いているということは想像できるが。
まさか俺のこと——。
…………いや、それだけはないな。
あんなイタイタしい行動を取っている俺に対してそれだけはないだろう。
流石に自意識過剰だと思い直す。
「……やっぱ気になるなぁ」
一旦鉛筆を置き座った状態で天井を見上げる。
組んだ両の手を上にあげ背筋を伸ばすと少しだけ気持ちがシャキッとする。
今は水井さん関連のことで頭がいっぱいでとても勉強に身が入る感じではない。
気分転換にランニングでもしてくるか。
と思った矢先のこと。
『ピンポーン』
と家のチャイムが鳴り響く。
「はぁーい」
それに対して母さんがインターフォン越しに対応している声が聞こえる。
まあどうせ宅配とかそんなのだろう。
宅配の人が荷物を置いていってから外にランニングしに行くとしよう。
知らない人と玄関を出るときすれ違うのは気まずいため、少しばかり時間をずらそう。
そう思って部屋で大人しくしていると、
「ちょっと翔ぅ! お客さんよ!」
母さんが俺を呼び出す。
俺に客?
ってことは訪れた人物は俺の住所を知っていて尚且つ俺の知り合いってことになるよな。
それなら、来訪者は一人で決まりだろう。
クラスメイトで友人の砂川林太。
もしかして遊びに来てくれたのか!
友達の来訪に俺は気分を高揚させる。
友達が家に来ることなど生まれて初めてだ。なんせ今まで家に来てくれるような友達がいなかったからな。
階段を急いで下り、玄関の方へと向かう。
「ふふっ、あんたもなかなか隅に置けないわねぇ」
「……?」
通り過ぎざまに母さんが茶化すようにそんなことを言う。
友達が来ることは隅に置けないのか?
母さんの行動に疑問を持ちつつも、俺は玄関でサンダルを履いてドアを開ける。
——しかしそこにいたのは俺の予想に反する人物だった。
「こんにちは、翔くん♡」
「…………水井さん?」
白いワンピースに麦わら帽子と夏らしい服装を纏っており、背中にはシンプルなデザインのやや大きめなリュックを背負っていた。
清潔感もあってなんとも可愛らしい身なりである。
なんか背景にはヒマワリ畑とかが似合いそうだな。
そこには友達ではあるが、俺が予想していなかった方の友達がいた。
別にガッカリはしていない。
友達が家に来てくれたことには変わらず嬉しい。
だがその喜びよりも先行して驚きが来る。
「な、なんでここに?」
「遊びに来たの♪」
「いやそうじゃなくて、……なんでここがわかったの?」
俺は彼女に住所を教えた記憶がない。
「それは後をつ——……。偶然通りかかったの。運命みたいに♡」
今なんか不穏なことが聞こえた気がする。
偶然ならなんで両手に菓子折りらしきものを持っているのかという矛盾点に疑問を持たずにはいられないのだが、何故だか怖くて言及できない。
納得するべきと本能的に判断し「そ、そうなんだ」と言葉を繕う。
「入ってもいい? 外は少し暑くて」
彼女の言う通り今年の残暑はなかなかにキツイものだ。
地球温暖化というのはこの時から進んでいたのだな。
「あ、うん。どうぞ上がって」
昨日の下校中とは違って誰かとの用事があるわけでもないし、断る理由はない。
ドアを閉じないように押さえて家に入るよう促す。
水井さんは「お邪魔します」と丁寧にお辞儀をしてから、脱いだ靴の踵をきちんと壁横に揃える。
こういう所作を見ると、やはり育ちが良いのだと窺える。
きっと水井さんの両親の教育の賜物だろう。
「じゃあ翔くんのご両親にご挨拶してもいい?」
「え、別にそんなのいいよ」
友達が家に来るという経験はこれが初めてだが、小学一年生でそんな畏まったような挨拶なんて必要ないはずだ。
「ううんご挨拶させて。きっととても長い付き合いになるから、とってもね」
何か深い意味をはらんだように「長く」を強調して言う。
それは友達の両親として長い付き合いになるということでいいんだよな?
「……? まあ、そういうことなら……」
完璧に納得したわけではないが、彼女にとって友人の両親への挨拶はマナーの一つとして教えられているのかもしれないし、そこまで不自然ということもないだろう。
そうして俺が両親のいるリビングへと案内しようとした時、不運なことに「奴」が目の前に現れる。
空のアイスの箱を持ってラフな部屋着で俺の前に来たのは、俺の姉貴だった。
姉貴の姿を見た瞬間、俺は苦虫を噛み潰したような顔をする。
なんせ「来訪者が来た時絶対現れて欲しくない人間第一位」の姉貴が来たのだからな。
「おい愚弟、アイス買って……来い……——」
命令口調で言い終えるよりも先に俺の隣にいる水井さんを目視で確認する。
「初めまして。水井ヒメと申します」
水井さんはわざわざ麦わら帽子を取って頭を下げて自己紹介する。
別に「これ」に対してはそんなことしなくていいのに。
「……おい愚弟」
「なんだ姉貴」
暴言交じりの呼応に好戦的に答える。
姉貴の前とそれ以外の人の前では態度があまりに豹変する俺に、水井さんは少しばかり目を丸くする。
決して普段の俺が猫を被っていたというわけではない。むしろ姉貴以外の人との態度の方が普段通りの俺である。
ただ死ぬほど仲が悪い姉に対してはどうしてもこのような態度になってしまうのだ。
姉貴は元々歯に衣を着せない上に口が悪いという濁り切った人格をしているため、周囲への態度と俺への態度にはあまり差異がないかもしれない。
だが俺のことが嫌いなのは間違いない。俺も嫌いだし。
「テメェなに女連れ込んでんだよ」
「変な言い方やめろ! 普通に友達だから!」
「ダチだろうと女であることには変わりないだろうが! 愚弟のくせに生意気なんだよ!」
「意味わかんねえキレ方するんじゃねえよ!」
「るっせぇな! 生意気なのは生意気なんだよ!!」
理不尽なキレ方に怒ると、また理不尽にキレられる。
そのエンドレスで口論はヒートアップする。
そして最終的にはいつも通り——。
「ゴッ!」
と脳天に拳骨が炸裂した鈍い音が脳を揺らす。
姉貴による暴力での終結。
俺は激痛に耐えかねて脳天を抑えて膝をつく。
相変わらず超イテェッ!
「あぁー、気分悪っ!」
散々逆ギレしといて姉貴は怒りに満ちた様子で家を出る。
きっと荒立った気を静めるため散歩にでも出かけたのだろう。
もしくは家に友達を呼んだ俺と同じ家にいたくないからかもしれない。こっちの可能性の方が高そうだな。
「か、翔くん、大丈夫?」
「あ、ああ、大丈夫。いつものことだし」
心配そうな声色の水井さんに俺は暖かい優しさを感じる。
もし姉を交代できる制度があったら水井さんに後任をしてもらいたい。
あの暴力で塗り固められたような人格をした姉貴と比べると、水井さんは天使そのものだな。
あんなのと比べるのはどうかと思うが、それで水井さんの優しさを再認識できる。
「その、翔くんってお姉さん相手だと、——なんて言うか……。堂々としてるね」
彼女なりに一番分厚いオブラートで包んだ言葉なのだろう。
正直に乱暴な喋り方だと言ってくれてもよかったのだが。
一応そのことは自覚しているつもりだし。
「まあ、姉弟なんて基本こんなものだよ」
殴られた脳天をさすりながら立ち上がり、諦め混じりにそんなことを口にする。
「えっと、…………仲が良いんだね」
皮肉なのかお世辞なのかそれともかける言葉がなくて咄嗟にそう言ったのか定かではないが、水井さんは取り繕った笑顔でそう言う。
「……そうだね」
俺は純度100パーセントの皮肉でそう返す。




