21話
波乱の夏祭りから数日が経過し、俺は生徒会室に来ていた。
他にも生徒会メンバーである新庄姉弟もこの場にいる。
なぜ夏休み中にわざわざ生徒会で集まっているのかと言えば、弟くんが由衣に行った暴露への追及に他ならない。
俺の正面の席に弟くんが座り、その隣に先輩が座っている。
先輩は今回の件に無関係なので本来なら居る必要は無いのだが、弟くんを呼び出そうにも無視されてしまい連絡が付かなかったので引きずり出してもらった格好だ。
申し訳なさそうな顔をしている先輩とは対照的に、弟くんは我関せずといった態度で悪びれる様子も無い。
「優人くん……この間は、その……貴志が酷く迷惑をかけたみたいで……ごめんなさい」
そんな弟を横目に、先輩が謝罪の言葉を口にし頭を下げる。
「い、いやっ、先輩が謝ること無いですよ!」
先輩は今まで俺の意向に沿って協力をしていてくれていたのだ。
いくら姉弟とはいえそこまでする義理は無いだろう。
「先輩には感謝してますから」
「……本当にごめんなさい」
何度も謝る先輩は身を硬くして縮こまっている。
どうやら相当な責任を感じているらしい。
俺としては弟くんに自責の念を抱いて欲しいところなのだが――
「別に謝る必要なんかねえだろ」
と、弟くんは不機嫌な様子を前面に押し出しながら言いやがる。
自分が悪いなどとは微塵も思っていないようだ。
「ちょっと、貴志ッ――!」
「こいつらの問題だろ。俺達には関係ない」
横にいる先輩がすかさず咎めようとするも、弟くんはバッサリと切って捨てる。
俺はその無遠慮な物言いに頭に血が上ってしまっていたのだろう――
「誰のせいでこんなことになったと思ってんだ!」
気が付けば俺は弟くんに向かって怒鳴り散らしていた。
本来ならもっと冷静に話し合うつもりではあったのだ。
全部が弟くんのせいではない。もとは自分で蒔いた種だ。
すべての責任を擦り付けるのは間違いだってのは分かっている。
それでもこいつのふんぞり返った態度には我慢がならなかった。
「お前が由衣に余計な事を言ったせいで――!!」
「余計な事じゃねえよ。てめえが勝手に決めつけんな」
「なっ……」
まるで悪いのはお前だと言わんばかりの言い草だ。
いくら俺のことが嫌いだったとしてもあんまりではないか。
「ふ――」
弟くんへの苛立ちが最高潮に達し、「ふざけるな」と怒号を飛ばす寸前――
「いい加減にしてッ!!」
俺よりも先に、先輩の叱責が響く。
勢いよく席から立ち上がり、弟くんを見下ろす形で本気の怒声を浴びせていた。
「せ、先輩?」
驚いて声を掛けてみるも、先輩の瞳には弟くんしか映ってはいないようで、鬼のような形相で睨みつけている。
まさか先輩が弟に対してここまで怒りを露わにするとは思いもしなかった。
対して弟くんは立ち上がった姉を面倒くさそうに見上げ、明らかに不服そうな様子だ。
「……いい加減にって、何をだよ」
「由衣ちゃんに全部話しちゃったらどうなるかくらい想像できたでしょ!?」
「だから知ったこっちゃねえって、そんなこと」
「優人が由衣ちゃんとのことで悩んでたのは知ってたじゃない!!」
今までの先輩は弟の不始末に対しては優しく窘めるくらいであった。
弟くんも姉に対しては反抗的な態度をとったりはしなかった。
でも今は違う。
互いに感情的になり、言い争っている。
今回の件に関しては譲れない何かがあるのだろうか?
「悩んでたのはこいつだけじゃねえよ。妹には妹なりの考えがあるだろ。それを蔑ろにしていい理由があるのか? なあ!?」
「なら優人の気持ちを蔑ろにする理由はあるの? そんなのおかしいでしょ!?」
二人の言い合いは熱を帯びていき、譲り合う様子などまるで無い。
逆に俺はと言うと先程までの怒りが嘘のように引いていた。
目の前でここまで本格的に喧嘩が始まると何故か冷静になってしまう。
「ちょ、ちょっと二人とも、少し落ち着いてさ――」
なんとか仲裁できないものかと俺は二人に声を掛けた。
このままでは二人の感情が爆発して取り返しのつかない事になるのではないかと思ったから。
たしかに俺は弟くんに心底ムカついていたわけだが、だからと言って新庄姉弟の関係が壊れることを望んでいたわけではない。
姉弟でありながら恋人であるという二人に、俺はなんだかんだ希望をもらっていたように思う。
「先輩の気持ちは嬉しいけど、これは俺とこいつの問題だから――」
「てめえはすっこんでろ」
「優人は黙ってて」
どうにかしようにもすでに手遅れなようで、二人は俺の話を聞こうともしない。
姉弟での結びつきが強すぎる故、喧嘩になっても他者の介入を好まないのだろうか。
「貴志は優人が気に入らないだけなんでしょ?」
「あ?」
「私と優人が馴れ馴れしくするのが嫌で憂さ晴らしをしたかっただけなんでしょ?」
「……んな訳ねえだろ」
「子供みたいな独占欲で駄々こねてるのよね? 貴志は」
「ちげえって言ってんだろッ!!」
先輩の挑発的な口調に弟くんは勢いよく立ち上がり、怒声とも呼べる抗議の声を発し、敵意とも思える感情を自分の姉に向けて放っている。
こいつは絶対に姉だけにはこういった態度を取らないのだと勝手に思っていた。
あれほど仲が良く、愛し合っている相手だというのに、何が弟くんを突き動かしているのだろうか?
「兄貴のこいつが好き勝手やってよ……妹の気持ちはどうなるんだよ? あいつだってずっと兄貴のことが好きだったんだぞ!? あいつにだって……あいつにもチャンスがあったって良いじゃねえか!」
由衣と弟くんがどんなやり取りをしたのかは分からない。
ただ弟くんはどうしようもなく由衣の味方なのだろう。
自分が弟という立場で、由衣は妹という立場だから――
「あいつの気持ちを無かったことにするんじゃねえよ!!」
その叫びを聞いて息が詰まる思いだった。
まさに俺がやっていたことだったから。
由衣の気持ちを知りながら、それを無かったことにしてしまおうと奔走していたから。
それが一番角の立たないやり方で、世間的には正しい行いだと信じていた。
「……」
俺は何も言えなかった。
由衣の気持ちを受け入れるわけにはいかないし、受け入れたら問題になるのは目に見えている。
どんなに頭をつかって考えたところで正解なんて分かるわけがない。
由衣の気持ちが報われて、周りにも認められるような方法なんてあるわけがないだろう。
「だいたいなんなんだよ……こいつへの責任は十分とっただろうがッ……なんでそこまでこいつに肩入れするんだよ!? 情でも移ったのか? 何の理由があるってんだよ!」
「……理由?」
弟くんの問いに、先輩の顔には影が落ちた。
怒りに支配されていた表情は苦しげなものになり、弟くんを睨みつけていた視線は下に向けられる。
「後悔してるから」
先輩はポツリとそう呟き、ひとつ息をのみ込み、もう一度弟くんの瞳を見つめる。
辛そうな顔で、苦しそうに胸を押さえつけながら口を開く。
「貴志と恋人になれたことを、後悔してるから」
言った。
言ってしまったと、先輩の吐息は大きく震えた。
俺と弟くんは何も言えず、ただ次の言葉を待つことしかできない。
「貴志のことを好きにならなければ良かったって、ずっと、そう思ってた」
その告白に弟くんの身体からは力が抜けていくのがはっきりと見て取れた。顔からは血の気すら消え失せている。
「こんな関係、もうやめたいの」
その言葉と涙を置き土産に、先輩は逃げるように準備室から出て行った。
乱暴に開かれたドアの音が教室に響き、消えていく。
弟くんは項垂れるように椅子に腰かけ、額に手を当てる。
何か独り言をつぶやいたようだが、内容までは分からない。
こんなに痛々しいこいつの姿は初めてだ。
「な、なあ……追いかけなくて良いのか?」
なんとかしてやりたい気持ちはあるが、俺にどうすれば良いのか分かるはずも無く、咄嗟に出た言葉がそれだった。今の先輩を一人にするわけにはいかないと、そう思ったんだ。
「……今、俺が行っても……意味ねえよ」
いつものぶっきら棒な彼の姿はそこには無く、今にも泣き崩れてしまいそうな脆さがある。
「なら俺が行っても良いか?」
「……頼む」
短いやり取りを済ませ、俺は先輩の後を追った。
準備室を出る際、視界端でとらえた彼の姿はとても小さなもので、惨めにさえ思えた。
それでも俺はいい気味だなんて思えない。
ムカつく奴だけど、新庄姉弟のことは好きだったから。
こんな形で二人が終わって欲しくない。
心の底からそう思ったんだ。