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18話

 昼時を少し過ぎた時間、遊園地内にある野外フードコートで食事をとる事になった。

 俺と弟くんは注文をするために、店先で三組ほどの客の後ろに並んでいる。

 由衣と先輩には一番端の目立たない席を確保してもらっていて、ここからは他の席の陰になっていて良く見えない。

 

 由衣の視界に入らないように、俺達は彼女らの様子を窺う。

 これからついに、先輩の計画が実行されるわけだ。

 なので緊張からか、先ほどから身体の震えが止まらい状態になっていた。


「おい、大丈夫か?」


 隣にいる弟くんが俺の事を気遣ってか、ほんの僅かに優しめの声を掛けてくる。

 さっきは殺すぞとか物騒なこと言ってきたくせにな……


「顔色悪いぞ」


 弟くんは呆れたような表情で俺の顔を覗き込み、そう言った。


「だ、だいじょうぶだ」

「……そうは見えないけどな」

「少し、吐きそうなだけだ」


 喋るとうっかり心臓が口から飛び出しそうである。マジで。


「そんなに緊張するほどか?」

「……そら、まあ……」


 今回のことは俺達兄妹の関係性を決めるであろう出来事になるはずだ。

 緊張するなという方が無理がある。

 ましてや最近の俺のメンタルは、完全に弱り切っているときた。


「また泣き出すようなヘマはするんじゃねえぞ」

「…………ああ」

「これ以上、話がややこしくなるのは御免だからな」

「……分かってる」


 そんなこと言われんでも同じ轍を踏むつもりは無い……ただ精神状態が不安定なので、あまりプレッシャーになるようなことは言わないで欲しい。


「ほら、こいつをつけとけ」


 弟くんにワイヤレスイヤホンを片方だけ手渡される。

 そしてそれと装着すると、由衣と先輩の会話が聞こえてきた。

 互いに笑い合い、実に楽しそうな雰囲気だ。

 しかしながら、これから起こることを考えると、酷く胸が痛む。


「……」

「……」


 俺たちは黙って彼女達の会話に耳を傾ける。


――


『ねえ、由衣ちゃん。凄く面白いものがあるんだけど……見てみたくない?』


 不意に先輩が本題を切り出す。

 その瞬間、俺の鼓動が一層と高鳴る。


 由衣は呑気にも「気になります。見てみたいです」と、興味津々といった様子だ。


『最近見つけた動画なんだけど……凄く笑えるの』


 先輩が汚い笑みを浮かべているであろう事は想像に難くない。


『ええ、なんだろ。ハプニング系の動画ですか? それともお笑いですか?』

『それは見てからのお楽しみかな』


 その動画が何なのかを分かっている身としては非常に心苦しい。

 俺なら絶対にそれを見たくはないからだ。

 本来なら由衣に見せる事もしたくはない。


 俺の人生最大のトラウマ。


 あの放課後の、無くしてしまいたい記憶。


 俺が由衣に告白した――あの時、撮影していた動画。


 情けない俺の声が流れる。


 聞くに、堪えない。


『…………あの……これ…………なん、で』


 明らかに戸惑っているであろう由衣の声。

 その裏でクスクスと先輩の笑い声が聞こえる。


『どう? 面白いでしょ?』


 先輩の声からは悪意しか感じられない。


『…………なんで、先輩が……これを……』


 今までの明るい雰囲気が嘘のように、空気が凍り付いていくのを感じる。

 

『ホントに馬鹿だよねえ。あいつ』

『……せん、ぱい?』

『いくら私と付き合いたいからってさ、自分の妹に告白とかするとかキモ過ぎだっての』


 先輩は冷たく、吐き捨てるように言った。

 普段の先輩の物腰からは想像もできないくらいに、まるで別人のように。


『……どういう、ことなんですか?』


 由衣は苦しそうに声を絞りだす。

 良い人だと思っていた人物が、豹変したとあっては仕方もないだろう。

 

『先輩と付き合えるなら何でも出来ますって言うからさ、じゃあ妹に告白してみてよっつったらマジでやるんだもん。アホかっての』

『……なんで……そんな事……』

『は? 冗談のつもりだったのに、あいつが本気にするからじゃん。馬鹿なんだよ馬鹿。あんたは毎日一緒にいるんだから分かるでしょ? あいつの馬鹿っぷりがさ』


 先輩の口調はどんどん悪くなっていく。

 見事に低俗な人間を演じきっていると言っていいだろう。


『しかもピーピー泣き出してダサすぎでしょ。あんた恥ずかしくないの? あんなのが兄貴で』

『……そんな事、ない』

『……あ?』

『……お兄ちゃんは、かっこよくて……優しい……』

『はっ、どこが? 付き合い始めた初日にセックスしようとする猿じゃん』


 先輩が家に来て、服をはだけて見せた時の事だ。由衣はその場面を目撃している。


『………………ちがう』

『所詮カラダ目的なんだって。今日も二人きりになったとたんベタベタ触ってきたし、盛り過ぎじゃね? あんたの兄貴』

『違う! お兄ちゃんはそんなんじゃない!』

『違わねえんだよ。ヤルことしか頭にない猿だろ』


 

『お前にお兄ちゃんの何が分かるッ!!』


 

 イヤホンからは音割れた由衣の怒鳴り声。

 それは空気を伝って、離れた位置の此処まで届いて来た。

 そのくらいに大きな声だ。


「おい、頃合いだ。行くぞ」


 弟くんは俺の背中をポンと叩き、二人のいる席に向かい、俺もその後に続く。


『……なにムキになってんの?』

『もうお兄ちゃんに関わらないで』


 イヤホンからは依然として二人の会話が聞こえる。


『あんたには関係ないでしょ』

『私のお兄ちゃんだから』

『あいつは私のおもちゃなの。なんでも言うこと聞いてくれる奴隷だから』

『そんなの、許さない……これ以上、お兄ちゃんに酷いことをしないで』


 由衣の語気が荒くなってくる。

 だからといって先輩が譲ることはない。


『酷いこと? 私みたいな美人と付き合えてあいつも喜んでるでしょ。それに妹だからって兄貴の色恋に首を突っ込むのはおかしくない?』


 先輩は大きな態度を崩すことなく続ける。

 

『それともなに? あんた、もしかして――』


()()()()()()()()()()()()

 

 先輩がそう言ったのと、俺が由衣の姿を視界に捉えたのが同時だったろうか。


 由衣は勢いよく立ち上がり、大きく腕を振り上げ、そしてそれを――先輩の顔に叩き込んだ。

 

 その衝撃で、先輩は椅子ごと地面に倒れ込み、手に持っていたスマホは大きく地面を転がっていった。


「由衣ッ!」


 反射的に由衣の名を叫んでいた。

 由衣は俺の存在に気が付き、驚いた様子を見せると逃げるように走り去っていく。


「由衣ッ!!」


 もう一度叫んでみても、由衣は振り返らない。


――


 あれほどに声を荒げる由衣は初めてだった。

 兄妹同士で喧嘩をしたときだって、あんな怒声を上げることは無い。


 『お前にお兄ちゃんの何が分かる』


 その叫びが、俺の脳内を木霊していた。

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