9話
「これで良いかな?」
先輩が俺のスマホを操作してメッセージを打ち込み、それを見せてきた。
『大切な話がある。今から化学実験室に来て欲しい』
由衣宛てのものだ。
「……ええ、それで大丈夫です」
「それじゃ送信っと……」
ここまで来たら、もう後には引けない。
そう考えたら少しばかり鼓動が高鳴った。
「これで後は由衣ちゃんが来るのを待つだけね」
「……そう、ですね……」
細切れに声が漏れる。
「もしかして緊張してる?」
「そりゃまあ、してますよ。妹に告白するとか只でさえ恥ずかしいのに、動画まで撮られるんですから……」
どうあがいても黒歴史確定だっての……
「告白が終えたらすぐにネタばらししても良いから、安心しなさい」
当然そのつもりだ。由衣に変な誤解をされるのは御免こうむる。
「ただし、私達の名前を出すのは駄目だから。あくまで友達との罰ゲームという事にしなさい。良いわね?」
「わかってますって」
言う通りにしないと何をされるか分かったもんじゃないからな。
「それと、あんまり下手糞な演技をされても困るから真面目にやりなさいよ」
「……はい」
告白なんぞした事の無い俺にとっては無茶な要求だ……
上手くできる自信なんてないぞ。
棒読みは必至だ。
「本当に大丈夫?」
先輩が俺の顔を覗き込むように聞いてくる。
そんなに心配ならこんな事頼んでくれるなっての……
「まあ、なるようになるかと……」
「……頼りないね」
うるせーよ。ほっとけ。
「仕方がないでしょう。こんなこと初めてなんだし……って先輩、それ電話かかってきてません?」
俺のスマホがピカピカと点滅している。
「ん?……ほんと…………由衣ちゃんからみたい」
先輩はジッとスマホを見つめ、電話に出ようとしない。
「出ないんですか?」
「そうね……出ない方が効果的だと思うから……気を揉んでもらった方が告白にも重みが出るでしょ? そっちの方が良いリアクションになりそうじゃない」
「いや電話を無視したら来ないかもしれませんよ?」
「その時はこちらから電話すればいいだけ。ね?」
まあその通りではあるが……
「演出よ。演出」
先輩はすっかりいつもの調子が戻っている。
俺を強迫してきた恐ろしい先輩とは別人のようだ。
そんな様子に少し腹が立つ。
どんな気持ちでこっちがやってると思ってんだ。くそったれめ。
「それじゃ私は隣の教室に移るから、あとは手筈通りにね」
「分かってますよ」
「あと、しっかりカメラに映る範囲で告白しなさいよ」
「……分かってますって」
「それから視線をカメラに向けたりキョロキョロしないように」
「だから分かってますって!」
少し苛立った返事をしてしまう。
「……そう……お願いね」
「……はい」
俺は先輩の顔を見ずに返事をする。
「……無理を言って、ごめんね」
先輩は去り際にそう呟いて、教室から出て行った。
――――――
俺は化学実験室で妹を待っている。
壁際の棚にはズラリと実験道具が並んでいて、その中に目立たないようカメラが仕込まれている。
先輩が写真部から拝借してきたカメラだ。小型ながら高画質での撮影が可能らしい。
それと先輩のスマホも俺の近くに仕掛けてある。
弟のスマホとビデオ通話で繋がっており、俺の行動が向こうに分かるようになっている。要は監視のためだ。とことん俺が信用できないらしい。
あと俺のスマホは先輩が所持しているため、逃げ出すなどの強硬策はとれそうもない。
もっとも逃げるつもりなど無い訳だが……
教室内には俺一人。
とても静かで自分の心音だけが響いている。
まるでここだけ別世界のように感じていた。
まだ十数分しか経っていないのに、すでに数時間は待っているような気がする。
こんなに時間を長く感じるのは初めてだ。
もしかして、このまま……由衣は来ないのではないかと……そう思い始めた、その時だった。
『由衣ちゃんが校門を通ったよ。もうすぐそっちに着くと思う』
俺を監視しているスマホから先輩の声が聞こえた。
おそらく窓から外を窺っていたのだろう。
――由衣が来る。
それを聞いた瞬間、まるで水に潜った時のような圧迫感と息苦しさを感じた。
俺の足が地面に貼り付いたように動かない。
思っていたよりも緊張している自分に苦笑してしまう。
気を落ち着けるために深い呼吸を繰り返した。
息苦しさはとれそうもない。
そうこうしているうちに、扉をノックする音が届く。
――コン――コン……と、小さく。
そして扉の開く音が、雷鳴のように鳴り響いた。