3.誰がために
ヒスイとアイリスの二人は、店を出てしばらく。薄暗く細い道を右へ左へと曲がり、いつの間にやら四角い広場にやって来ていた。彼女たちはその手前で身を隠している。
静まり返った空気の中で、そっと身を寄せ合いながら二人は黙っている。
が、しかし――。
「いったい、何があるというのですか? ヒスイさ――」
「静かに! 気付かれたら、どうすんのさっ」
「は、はぁ……」
アイリスの方は、何も知らされていないためか、ついつい目の前の少女に声をかけてしまっていた。そのことをヒスイに咎められ、どこか煮え切らない表情で引き下がる。
さて。それと比較して小さな少女はというと、眉間に皺を寄せて難しい顔をしていた。注意深く聞き耳を立てている様子であり、そんな彼女の姿を見て、アイリスもまたそれに倣うこととする。すると、広場――と言っても、ただの路地裏に出来た空間ではあったが――から、こんな会話が聞こえてきた。
「へへっ、こんなに簡単に神竜の鱗が手に入るとはな……」
「な、言っただろ? あそこの店主は、顔に似合わず涙もろくてお人好しだって!」
それは、どうやら男二人によるモノのようである。
しかも話の内容から考えるにその内の一人は先日、酒場を訪れた商人であるようだった。
「それにしても、馬鹿だよなぁ! あんな簡単に人の話を信用して、まさか神竜に闘いを挑むなんてよ。本当に鱗を手に入れてくるのは驚きだったが、これで当分は遊んで暮らせるぜ」
そして、それは――。
「そうだな! つーか、あんな簡単な嘘に騙される奴が悪いんだっての。神竜の鱗がないと、商人一座が路頭に迷ってしまいます――なんてな! お人好しにも程があるってなぁ!」
「けっけっけ! 本当にな。しかし、あの男を騙して手負いにして、そんでついでに『神竜の鱗』まで手に入るなんて、ボロい依頼だよな!」
ギルデットの善意を、いとも容易く踏み躙るモノであった。
男二人は愉快そうに笑っている。ギルデットのことを馬鹿するように。自分たちの思惑通りに事が運んだこと、それに酔うかのように――周囲のことなど忘れてしまう程に。
アイリスはその笑い声に、表情を硬くした。
その理由は言うまでもなく、彼らのギルデットを嘲る言動である。
ギルデットは間違いなく、善意によって行動していたはずだ。それだというのに、この男二人は彼の善意を私欲のために利用したのである。アイリスはギルデットとの付き合いも、決して長いわけではない。それでも、恩人である人を貶されたのである。
不快に、思わないわけがなかった。
「ちょっと、貴方たち――」
だから、思わず飛び出してしまうのも当然だと――そう、思われた。
アイリスは珍しく声を荒らげて、男二人の前に躍り出ようとする。
だが、その前に――。
「――アンタ達、いい加減にしなさいよ!?」
彼女よりも先に、感情を爆発させる者があった。
「ヒスイさんっ!?」
それは、ギルデットとの付き合いが最も長いと思われる少女――ヒスイ。
少女は翼を羽ばたかせて、男達の前に飛び出した。アイリスの制止をまるで聞かずに、ヒスイは声を張り上げる。静かに、と相手のことを諭していた少女はどこへやら、であった。
男達は何事かと、ヒスイの方へと振り返る。
「……あぁ? なんだ、酒場の嬢ちゃん二人じゃねぇか」
すると、依頼をしに来た方の男がそう口にした。
口元にニヤリと笑みを浮かべてヒスイ、そして中途半端に身を乗り出したアイリスを見つめる。舌なめずりをするその表情は、愉悦そのモノであった。
「なんだ? 俺らに何か用かい。へへへっ……」
もう一人の男は、現われた二人の美少女に鼻の下を伸ばす。
手に持った小さな麻袋を弄びつつ、舐めまわすように二人のことを観察していた。
「どうしたもこうしたも、アンタ達がふざけたこと言っているのが頭にきただけよ! あー、もう! なんで、いつもいつもギルは――もうっ! 本当に頭にくるっ!」
しかし、どうやらヒスイはそんな二人の様子などまったくの無関係らしい。彼女は一人でそんなことを口走ったかと思えば、手のひらの上に小さな炎を作り出す。
「問答なんて要らないわ! アンタ達は、ここで眠ってなさい!!」
そして、迷いなく男達に向かって撃ち出すのであった――。
…………。
「「にぎゃ――――――――――――っ!?」」
……………………。
そうして、男たちの悲鳴が上がって十数分が経過。
ぽっかりと空いた広場には、焦げ臭い二人の男性が転がっていた。身に着けている衣服は、ところどころが焼けており、両者ともに頭にはドデカいたんこぶが出来ている。
そしてそのすぐ隣には、手をパンパンと払うヒスイ。小さな少女はひとまず『神竜の鱗』を回収して、軽蔑した視線を男達に向けている。その後方には、唖然呆然とするアイリスの姿があった。彼女は目を丸くして、ぼんやりと事の成り行きを見守っていただけ。
一方的な暴力とも取れるそれに、言葉を失っていた。
「……さて。これで、よしっと」
と、その時。ヒスイが用は済んだといった風に、そう切り出した。
そこに至ってようやく、アイリスはハッとする。そして、慌てて少女に訊ねるのだった。
「い、良いのですか? えっと、この方たちは――」
「放っといていいでしょ? 動ける程度に痛めつけただけだし。そのうち目を覚まして消えるでしょ。アタシ達はその前にさっさと帰りましょ?」
オロオロとするアイリス。
でもヒスイは彼女に、そう雑に返答して帰ろうとしてしまう。本当に用は済んだといった雰囲気で、大きく伸びをしていた。そして、その場を去ろうとしてしまう。
「あ、あの! ヒスイさんは、最初から知っていたのですか!?」
だが、それを止めたのはやはりアイリスであった。
アイリスはヒスイの前に回り込んで、真剣な面持ちでそう問いただす。
「ん? 知っていた、って。コイツらのこと?」
「……………………はい」
そして、その内容というのはこの男達の目的についてであった。
もしかしたら、アイリスの目にはヒスイがすべてを知った上で放置していた、と。そのように映ったのかもしれない。さらに言ってしまえば、裏で糸を引いていたのではないか、と。
しかし、それは杞憂だったようで、ヒスイは大きなため息を吐きながら答えた。
「怪しいと思ったのは、今朝だよ。やけに上機嫌でコレを取りにきたから、不審に思って後をつけたってわけ。別に、ギルのことを嵌めようとか、そんなこと考えてないよ?」
「そう、ですか。……それなら、良かった」
あっけらかんと、どこか呆れ交じりで言うヒスイ。
口調からそれが真実だと感じ取ったアイリスは、ホッと胸を撫で下ろした。
その様子を見た小さな少女は、どこか不満そうな表情を浮かべる。けれどもそれは、自分が疑いをかけられたから、という類のそれではなさそうであった。
どこか、そう――明らかな闘志を燃やしているような、そんな顔色だ。
「どうして、アンタはそんなにギルのことを気にかけるのか。少し、興味があるわ」
「えっ、興味――ですか?」
ヒスイの一言に、アイリスは小さく声を上げる。
気が付けばヒスイの顔は、どこか相手を試すようなそれに変わっていた。
「そそ。仮に助けられた恩義があるにせよ、そこまで相手のことを案じるなんて、ね。しかもアタシに対してさえも、疑いの目を向けるときた。正直――相当だと思うよ?」
「そ、そうでしょうか……?」
「えぇ、そうよ」
「…………」
ヒスイに詰め寄られて、黙するアイリス。
二人の間には、少し前に流れていた緊迫した空気が、再び顔を出してきていた。ただ少し違うのは、それが怒りではなく好奇心に近いということ。その証拠に、ヒスイの口元には微かな笑みさえ浮かんでいた。アイリスの方はといえば、困惑しながらも、余裕さえ感じられる。
そして、今は遠い街のざわめきが聞こえてきそうな、静けさに支配されかけた――その時であった。スッと目を細め、表情を真剣なモノに替えたアイリスが逆に、
「貴方は――ヒスイさんは、どうしてなのですか?」
こう、問いかけたのは。
「……どうして、って。アタシがギルに肩入れする理由は何か、ってこと?」
するとそれを受けたヒスイは、ほんの僅か眉を動かし、呟くように小さくそう言った。
質問に質問で返されたことで、若干の不快感がにじみ出す。そのため、
「先に訊いたのは、こっち。気になるんだったら、ちゃんとこっちの疑問に答えなさい」
先ほどよりもやや強い口調で、断言した。
すると今度はアイリスが――。
「では、こうしませんか? 私は、ヒスイさんがギルさんに抱いている感情を、口外しない。その代わりにヒスイさんは、どうしてギルさんに肩入れするのかを私に教える、というのは」
――と。そう、提案するのであった。
それを聞いた瞬間に、今度は明らかにヒスイの表情が変化する。
「……なに? アンタ、もしかしてアタシのことを揺すろう、って言うの?」
静かな、怒りのそれだった。
目を細めて顎を持ち上げる少女からは、その背丈に似合わぬ威圧感がある。
「決して、そんなつもりはありませんよ? これはあくまで、交換条件として、です」
だが意外にもアイリスは怯むことなく、それを真っすぐに受け止めていた。そして挑発的とも思える返答をする。綺麗な蒼の瞳には、しっかりと宙に浮く少女の姿が映っていた。
ヒスイは彼女の思わぬ反抗に、ぐっと唇を噛みしめる。
そしてついには、
「……あー、分かったよ。それでいいよ。アタシの負け!」
そう言って両手を挙げ、降参してしまうのだった。
それを見て、アイリスも緊張を解いた様子。胸に手を当てて、ふっと息をつく。
「アンタ、意外と強情だねぇ。しかもそれに加えて、腹も黒いときた……」
「ふふふっ、そんなことな――」
「そんなことあるわ!」
食い気味に、鋭くツッコみを入れるヒスイであった。
目尻を吊り上げてキーッと喚く小さな少女に、アイリスは相も変わらず笑っている。しばし二人はそんなやり取りを繰り返していたが、やがてヒスイがまた、ため息でその流れを切るのであった。そして、大きく伸びをして話を始める。
けれども次に現われた表情は笑顔ではなく、とても真剣なモノであった。
「どうしてアタシが、ギルの肩入れをしているか、ね」
静かに、彼女は話し始める。
「アタシはね、生前はギルの率いる魔王軍の一員だったのよ。まぁ、その中でも最も弱々しいランクのモンスター。それこそ、掃いて捨てるほどいる中の一人、だったけどね」
「そう、だったのですね」
「なに、神妙な顔してんのさ。あくまで演じていた役割の話だからね、気にしてないよ」
それを聞いて難しい顔をしたアイリスに、ヒスイは呆れたように言った。
――そうなのですね、と。そう漏らした相手の声を確認して、
「ま、その縁があってこうやって一緒に仕事しているってだけだよ」
最後にそう、結論付けた。
そして、この話はこれで終わり、といった風に帰ろうとする。だが、再びその行く手を遮るようにして、アイリスは手を広げた。彼女の表情は納得のそれではない。
無言で見つめてくるその姿に、ヒスイはまたもや不快感を露わにして、
「なによ。今のだけじゃ、不満ってこと?」
低い声でそう言った。それを受けて、アイリスは一つ大きくうなずく。
「不十分です。縁があってというだけで、こんな危険を犯すなんて――相当ですよ?」
「……アンタ、言うじゃない」
そして紡がれた言葉の言い回しに、ヒスイは怒りを再燃させた。
ジッとアイリスを睨みつける深緑の瞳には、黒い感情が見え隠れしている。それは、触れられたくない部分に触れられた、といった雰囲気だった。しかし引っ込みがつかない、ということもあったのだろう。ヒスイは、観念したように話を再開した。
声色は、どこか怒気を孕んだモノで――。
「そうだよ。アタシはただ、元配下だからって理由でこうしているわけじゃないよ。さっきアンタが交換条件に出したように、アタシはギルのことが好きだよ。――間違いなく、ね」
「――――――――」
その肯定に、アイリスは息を呑んだ。
彼女は何を思ったのだろうか。それは分からないが、ヒスイは語ることをやめなかった。
「だから、アタシはギルのことを騙す奴のことが許せない。――でもね? 本当はそれ以上に許せないことがあるの。それがなにか、分かる?」
途中で話を切って、小さな少女はそんな問いを出す。するとすぐに、アイリスは答えた。
「ギルさんのこと、ですか……?」
「そう。アイツ――ギル自身のことよ」
ヒスイは彼女の回答に応えて、小さくうなずく。そしてこう続けた。
「アイツは――魔王よ。いかに今は違うと言っても、その事実は変えられない。だったら、他人のことを考えるべきじゃない。もっと、魔王としての自分に戻る方が幸せなはずよ」
そう――恐怖で支配すれば、このようなコトになることもないのだ、と。
恐怖で支配してしまえば、いまこの場に転がっている二人のような輩に利用されることもない。魔王として再び君臨することで、ありのままの自分に戻ることによってこそ、ギルデットは救われるのだと。ヒスイは、そう主張しているのであった。
「それは……っ!」
そのことを敏感に感じ取ったのであろうアイリスは、何かを言おうとする。が、それでも指摘することがはばかられたのか、胸に手を当てて静かになった。沈黙が、場に降りてくる。
そのまま、数分の時が経過していった。
「……さて。これで、もう十分でしょ? いい加減に帰るわよ」
「あっ……!」
その静寂を断ち切ったのはヒスイ。
彼女はもうこの話は終わりだと、そう宣言してアイリスの脇をすり抜けて行った。アイリスは金の髪をなびかせ、慌てた表情で少女の方を振り返りながら、小さく声を上げる。
だが、遠くなっていくヒスイには何も語りかけることが出来ない。
「それは――」
それでも、誰にも聞こえない大きさで呟いた。
ヒスイに向けて。彼女の意見に対して、思ったことを。
「それは、本当にギルさんのためなのですか?」
その声は、空気の中に溶けていった。
誰の耳にも届かないそれは、ただアイリスの胸の中にのみ刻まれたのである――。




