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2.眠らない魔王





 ――そして、翌日の昼である。

 店主が帰っては来たものの、店は急遽休みとなった。

 それというのも、昨日からギルデットが目を覚まさないためである。彼は帰宅直後に意識を失って以降、今のいままでずっと眠り続けていた。ヒスイの手によって、最低限の治療は施されたが、ダメージは大きかったらしい。


 死のないこの世界でも、痛みは感じる。すなわち、今のギルデットは死なないモノの、死の寸前、生と死の境を延々とさまよっている状況なのであった。


「ギルさん……貴方はどうして、こんな風になるまで……」


 アイリスは、大きなベッドで眠っている店主を見てそう呟く。

 場所は酒場の一階――その奥にある、ギルデットの自室。ベッドとクローゼット以外は何もない、殺風景といえるその部屋の中にいるのは、アイリスとギルデット、二人だけであった。眠る彼の傍らに立ち尽くているアイリスは、どこか泣き出しそうな表情。


 しかしひたすらに眠るギルデットは、それに気付くことは決してなかった。


「ギル、さん……」


 アイリスは腰を屈め、起きる気配のない彼の顔をじっと見つめる。

 包帯で頭部と右目を覆われたギルデットの顔で、露わになっているのはほとんど鼻と、口元だけだった。一定のリズムで吐き出される呼吸には時折、苦悶の色が浮かんでは消える。対して傷一つない顔をした少女は、彼の呼吸が乱れるたびに表情を曇らせた。


 彼女はぽつりと、こう言葉をこぼす。そして――。


「いま『楽にしてあげます』から、ね……?」


 ――何を、考えたのであろうか。

 不意に、自らの唇でギルデットの口を塞ごうとするのであった。

 意図は分からない。だがアイリスは迷いなく迅速に、その行為を働こうとした。だが、


「……ちょっと。何しようとしてんの、アンタ?」


 直前で、アイリスを呼び止める者が現れる。小さな少女、ヒスイだった。

 彼女は部屋唯一の扉の前で腕、足を組み、まるで通せんぼをするかのように浮いている。深緑の目を光らせ、アイリスのことを睨みつけていた。


 分かりやすい、怒りの表情である。

 それを真っすぐに受けて、アイリスはすっと身を引いた。


「いえ別に、何も――」

「何も、なわけないでしょう? ギルに、何するつもりだったのよ」

「………………………………」

「答えたくない、ってわけ?」


 沈黙する相手を、威嚇するような声色で責め立てるヒスイ。

 両者の間には、名状しがたい火花が散っている。そのように思われた。


「…………はぁ。仕方ないね、ったく」


 それでも、空気に耐えかねて先に折れたのはヒスイの方。

 少女は大きなため息を吐くと、ギルデットのいるベッドを挟んだ向かい側に移動した。そして彼のことを、何とも愛おしげな表情で撫でるのである。


 ちらり、アイリスの姿を視界の端に捉えるように見ながら、彼女はこう言った。


「コイツはね、こういう状況でもないと寝ないの。だから、少しでも寝かせてあげたいのよ」

「寝ない……? それって、どういうことですか?」


 その言葉に、アイリスは首を傾げる。するとそれに、


「あぁ、そうだよ。コイツは、自発的には寝ない――何があっても、ね」


 ヒスイはそう答えた。


「眠らない、ってことですか? そんなこと――」

「あり得ない、って。そう言いたいんでしょ? でもホントだよ。アタシは、サキュバスだからね。眠っている、眠っていないの違いくらい分かるんだよ」


 眉をひそめるアイリスに、ヒスイがそう説明する。さらに、


「アタシの魔法で眠らせようとしても、全力で抵抗してくる。そして、仮にこうやって眠っていてもね――夢の中に入ろうとすれば、こちらを跳ね返した上に起きるんだよ」


 そう、付け加えた。

 だからせめて、こうやって眠っている時はそっとしておこうと思っているのだ、と。ヒスイは静かに、アイリスに語って聞かせた。それは忠告や警告の類のように思われたが、しかしその実、彼女なりのギルデットへの気遣いなのだろうようにも感じられる。


「そう、ですね――分かりました」


 そのことを汲み取ったのであろうアイリスも、柔らかな表情になり同意した。

 彼女の反応を見たヒスイは安堵し、また満足したのだろう。そのことによって、二人の間には先ほどとは異なる空気が流れ始めた。

 が、それも束の間の出来事。


「ん? ヒスイさんはどうして、ギルさんの夢の中に入ろうとしたんですか?」

「――――――――――――――――――っ!」


 アイリスの発した、その何気ない疑問によって空気は激変した。

 否。正確に云うならば、ヒスイの顔色が如実に変化したのであった。分かりやすいくらいに肩を跳ね上がらせた彼女は、これまた分かりやすく視線を泳がせる。そして、


「あ、あのぉ……えっと、その……」


 しどろもどろな口調になり、顔を林檎のように真っ赤にして下を向いてしまうのであった。

 その様子を見たアイリスは「なるほど」と。そう口にして、ポンと手を打った。するとそれを耳にしたヒスイは、小さな身体をさらに小さくして、縮こまってしまうのである。

 誰が見ても一目瞭然、分かりやす過ぎるリアクションであった。


「あぁ、なるほどです。つまりヒスイさんは、ギルさんのことが――」

「ち、違う違う違うっ! 違うからぁっ!!」


 アイリスから、追撃を受けるヒスイ。全力で否定するのは、どう考えても逆効果であるようにも思えた。だが、どうやらそれを気にする余裕もないらしい。立場が逆転してしまい、窮地に立たされる少女。反対にアイリスは、どこか楽しげに微笑んでいるのであった。


「も、もう、この話はお終い!! ――いいねっ!?」

「ふふふっ、分かりました……ふふふっ」

「わ、笑うなぁっ! もう、知らない!」


 無理矢理に話題を収束させようとするヒスイ。

 しかし、アイリスはそんな少女が可愛いらしく思えるのか、笑い続けていた。すると少女はそんな相手に見切りをつけたのか、ぷいっとそっぽを向いてしまう。そして、部屋の外へと出て行こうとしてしまうのであった。


「あれ? ヒスイさん、どこへ行かれるのですか?」


 アイリスは少しやり過ぎたか、といった表情をしながらそう問いかける。

 でもそれは杞憂であったらしく、ヒスイは――。


「少し外に用事が出来たんだよ。何だったら、ついてくる?」


 言って、ドアノブに手を掛けるのであった。

 アイリスは頭の上に疑問符を浮かべつつ、その後を追うことにする。




 だが、アイリスは知らなかった。

 その先に、ギルデットの行いを否定するモノが待っていることを――。



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