1.テンドン
「ご注文の品をお持ちしましたっ……!」
金髪の少女――アイリスは、接客に勤しんでいた。
身にまとっているのは、ギルデットに新調してもらったエプロンドレスである。どういった伝手を辿ったのか、彼は翌日にはそれを調達してきた。青を基調として、白の愛らしいフリルによって飾られたそれは、着た者をお伽の国へと連れて行ってくれるような代物。無粋かもしれないが、これを選んでいるギルデットの姿は想像が出来ないと、そう思ったアイリスであった。
「あ、ありがとうございました! またのお越しを、お待ちしております!」
さて。彼女がこの酒場で働くようになって、はや一週間が経過した。
初日こそ右も左も分からずに、失敗を繰り返したモノであったが、存外に器用らしくあれよあれよという間に、アイリスは店の看板娘となっていたのである。
その証拠に、昼間はまったくと言っていい程に客の来なかった店内に、今は全席に客が座って食事を楽しんでいるのであった。そして、そのすべての客の目当てはアイリス。
しかし、セクハラ紛いの行いをする者がいないのは、
「はい、そこの! うちの娘にいやらしい視線向けない!」
ヒスイが、目を光らせているためであった。
彼女は調理を担当する傍ら、このように危険な客を見つけては忠告する。そして手を出そうモノならば、調理場から包丁を投てきする覚悟なのであった。
もっともここは、巷で――主に恐怖的な意味で――評判な店主の切り盛りする場である。
そのため、まず間違っても手を出す客はいないのであった――のだが、今日はいつになくヒスイが気を張っているように思われる。いいや、今日だけではない。
ここ数日は、ヒスイもアイリスも必死になっているように思われた。
その理由というのも――。
「なぁ、嬢ちゃん? 今日はあの悪魔みたいな店主、いないのかい?」
「えっ? はい。そうなのですよ。ギルさんは今、別件で留守にしていまして――」
「――別件? この店以外に、何かやっているのかい。あの店主は」
「そう、らしいです。私はあまり、詳しくないのですが……」
――そう。ギルデットが不在であるため、だった。
アイリスの言葉の通り、ギルデットはここ数日、店を留守にしている。というのも、事の始まりは三日前へと遡るのであった。
◆◇◆
――三日前。
『うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ――――――――――――――――――んっ!』
例のごとく、殺風景な店内にはギルデットの泣き声が響き渡っていた。
『何ということか! そのようなことがあってはならない!』
ギルデットは勢い良く立ち上がり、鼻息荒くそう叫ぶ。
彼の前にいたのは、一人の男性客だ。カウンター席に腰かけ、隣の席には大きな荷物を置いている。曰く商人をやっているそうで、この街には仕事でやってきたとのことだった。
『そう、なんですよ。私共も困ってしまいまして……』
商人の男は、何やら困ったような表情を浮かべている。
どうやら、仕事関係で何かしらのトラブルに巻き込まれてしまった様子であった。その話を聞いたギルデットが、同情の涙を流している。つまるところ、いつものパターンであった。
『今日はいくらでも話を聞こうではないか! それで、解決のためには何をすればいい!?』
『え、えぇ……それがですね――』
ぐいっと、身を乗り出して男性との距離を詰めるギルデット。鼻先が触れそうな距離だ。
その日はまだ客足も少なく、ギルデットも先日のジョイの時と同様、特定の客と一対一で話が出来ていたのである。アイリスも今は休憩に入っており、他にいるのはヒスイだけ。
『――この街の裏にある山。その奥にいる、神竜の鱗さえあれば……』
『神竜――それは、かの有名ゲーム最強のボスと名高い、あの竜のことか?』
商人は、静かに頷いた。次いで、震えた声でこう続ける。
『えぇ、そうです。それさえあれば、私たち家族は路頭に迷わずに……くっ! うぅ……』
『おぉうっ! ――うむ。良し分かった。我が何とかしようではないか!』
そして、とうとう男性が泣き始めた時だった。
ガタッと――素早く立ち上がったギルデットが力強く、商人の手を取る。目からは、やはりというか何というか、大量の涙が流れ落ちていた。足元に水溜りを作りながら、彼は続ける。
『我が! かの神竜の鱗を剥ぎ取ってこようではないか!』――と。
◆◇◆
――そんなこんなで、現在に至る。
「ギルさん。大丈夫でしょうか……」
アイリスは食器を下げながら、ぽつりとそんなことを呟いた。
すると、偶然にそれを耳にしたヒスイが、呆れたようにこう答えるのである。
「大丈夫でしょ? アイツはそんな簡単にくたばる奴じゃない。それに、この世界では死ぬことなんて、まずないんだから。そのうち、絶対に帰ってくるっての!」
それは、ギルデットのことを信頼しての発言なのか、そうではないのか。
ヒスイの言葉の真意を知ることは、彼女の表情からはうかがい知れなかった。だが、それでも確かなのは、店主が帰宅することを微塵も疑ってはいない、ということである。
「そうでしょうか……」
「そうそう。さぁ、客もいなくなったことだし! 掃除から始めるよ!」
しかし、それでも不安げなアイリス。そんな彼女にヒスイは、半ば強引にではあるがそう言い聞かせた。そして、床掃除のためのモップを手渡すのである。渋々モップを受け取ったアイリスは口をへの字に曲げて、仕方なしに掃除を開始した。
と、その時であった――ガタン! と、酒場の入口の前で物音がしたのは。
「あ、もしかして! ギルさんっ!?」
その音に、いち早く反応したのはアイリスであった。
金髪の少女はモップを投げ出して、玄関へと向かって駆ける。エプロンドレスをなびかせつつ、そこへとたどり着いた彼女は、満面の笑みを浮かべてドアを開くのだった。
出会って数日の間で、さすがのアイリスもギルデットの厳つい顔に慣れたのである。そのためこうやって、帰ってきた店主のことを迎えることも――。
「お帰りなさい! ギルさ……!?」
――出来る。そのはずだった。
「――――――――――――――――――――――っ!」
扉を開いたアイリスは、言葉を失する。
何故ならば、そこに立っていたのは見慣れたギルデットではなかったからだ。
顔面は血に塗れ、右目は完全に潰れてしまっている。身にまとった衣服はいたるところが破け、それもまた真っ赤に染め上げられていた。肩で呼吸をし、辛うじて開いている左目も虚ろである。前のめりになった姿勢のまま、足はふらつき、今にも倒れ伏しそうな状態。
満身創痍――その言葉がピッタリな、恐ろしい外見であった。
「……あ、あぁっ」
それを目の当たりにしたアイリスは、どうなるか。
結果は明らかであると、そう思えた。引きつった表情で彼女は、
「いやあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――――――――――――――――――――――っ!?」
絶叫した。
バタン――と。その場に倒れ、巨大な荷物の下敷きになったギルデット。彼を助け起こすことも出来ずに、アイリスは尻餅をつくのだった。
とある日の夕方の出来事。
それはまたしても、彼女のトラウマとして刻まれるのであった――。




