3.始まり
アイリスの訪問から、かれこれ小一時間が経過。
その間にヒスイと、来訪者であるアイリスは互いの自己紹介を済ませた。だが、肝心の店主であるギルデットはというと、
「……で? いつまで凹んでんの。いい加減、切り替えなよ。ねぇ、ギル?」
「ぐすっ……うっぐ……」
部屋の片隅で膝を抱え、のの字を描いていじけてしまっていた。
大きな身体を最大限に小さく折りたたんで、目を真っ赤にしている姿は、正直に言っておぞましいの一言である。鼻水をすする音は、店内に響いていた。
そんな彼の背中を申し訳なさそうに見つめているのはアイリスだ。
彼女はオロオロとした様子で、ギルデットのことを叱咤するヒスイの後ろに立っている。自らの失言で、恩人の心に深い傷を負わせてしまったのだ。困惑も仕方のない話であろう。
それにしてもギルデットの凹み方は幾分、大げさにも思える節があったが。
「あ、あの……申し訳ございません。私その、気が動転していてつい……」
「あー、気にしなくていいよ。コイツ、たまにこうなるから」
「そう、なのですか?」
謝罪するアイリスに、そう適当に返すヒスイ。
金髪の美女はキョトンとして、ギルデットの後ろ姿に目をやった。
「女性に悲鳴を上げられては泣き、子供に泣かれてはそれ以上に泣き――ホントに、情けないったらないよ。ほら! そろそろ元に戻りな!」
ヒスイは手頃なところにあった盆で、またもやギルデットの後頭部を引っ叩く。――スパーンっ! と、良い音が鳴り響いた。そうすると、ようやく大きな水玉の山が動き始める。
むくり、と。若干うつむき加減ではあったが立ち上がり、ギルデットは二人の方へと振り返った。しょんぼりとした表情はたしかに、ヒスイの言葉通り、少し情けなく思われる。
「うむ、すまない。客がいるというのに、主がこれではいけないな……」
だが、それも一瞬のこと。
彼は自ら頬を何度か叩くと、表情を引き締めた。そして、アイリスの方を見る。
「すまなかったな、アイリス殿。少々、迷惑をかけてしまった」
「い、いえ! 私の方こそ、申し訳ございませんでした。助けて頂いたのに……」
「いや。我の方こそ、怯えているアイリス殿への配慮が欠けていた。申し訳ない」
「そんなこと! 私が気持ちを強く持っていれば良かっただけなのです。本当に申し訳――」
ギルデット、アイリスの両名はそう言いながら、揃って頭を下げた。しかしながら、一方が頭を下げれば、もう一方が重ねて頭を下げる。それの繰り返しとなってしまっていた。するとその様子を見ていたヒスイが、明らかに苛立った表情を浮かべて会話に割って入る。
「――ちょい待ち。アンタらもしかして、ずっとそうやって互いに謝り倒すつもり? 話が一向に進まない上に、不毛でしょう。いい加減にしなさいよね?」
「む。……あぁ、確かにヒスイの言う通りだな」
「そう、ですね……」
ヒスイのツッコみに、二人は頷いた。
「ひとまずは、なんでアイリスは追われていたのか。それを訊くところから、じゃない? とりあえずは匿ったけど、素性が分からない奴は置いておけないでしょう?」
二人の同意を確認すると、小さな少女は腕を組んで言う。
その言葉に、肩をビクリとさせたのはアイリスだった。彼女はどこか居心地が悪そうな表情を浮かべる。そしてちらちら、ギルデットの方を見るのであった。明らかに動揺している。
アイリスの視線に気づいた大男は、仏頂面をしているヒスイに向かって言った。
「それは、今はとりあえず良いのではないか? アイリス殿は今、このように怯えている。無理に聞き出す必要はないだろう。落ち着いて、話せるようになってからで良いと思うが?」
「……ふーん。まぁ、ギルがそう言うなら、良いけどさ」
二人の表情を見て、ヒスイは渋々といったように頷く。
だがしかし、納得は出来ていないらしく、空中で足を組んでアイリスを睨むのであった。
「申し訳、ございません……」
さて。そうなると、である。
またもやアイリスは小さくなって、うつむいてしまうのであった。
「ヒスイよ。それよりも、この後どうするかを話し合った方が建設的ではないか? アイリス殿。お主はこれから、どのようにしたいのだ?」
すると場の空気を読んだのであろうギルデットが、二人の少女に対して目配せをし、そう提案する。ヒスイはため息をつき、無言の承諾を示した。そうなると、あとはアイリスのみである。店主はいかつい顔に最大限の笑みを浮かべ、金髪の少女を見た。すると彼女は、
「わ、私は……その――」
しばし困ったように、視線を泳がせるのであった。だが、不思議なことに「よし!」と小さく呟くと、次にそこにあったのは迷いのないそれ。
最初から決めていたと言わんばかりの、しっかりとしたモノであった。
「――こ、ここで! ここで、働かせてはもらえないでしょうか!」
そして、飛び出してきたのはそんな言葉。
「「…………はぁ?」」
予想だにしなかった提案に、ギルデットとヒスイは目を丸くした。
そんなこんなで始まることとなった、三人の新しい生活。それはまるで、嵐のような慌ただしさであった。酒場の店主――ギルデットは呆然とし、頬を掻く。このような出来事は、そうそう起こり得るモノではない。反応に困っても、仕方がないと言えるだろう。
だが、この時の彼はまだ知らなかった。
この出会いが、己の過去と因縁。
その罪の昇華を巡る物語の序章に過ぎなかった、ということを――。
次の更新は明後日の昼ごろ。
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