プロローグ5 閉ざされる『日常』
「遅かったな」
「う、うん。ちょっとね」
結局彼女が自分の部屋に戻ったのはエリックとの会話から20分後の事だった。心の中で何の結論も出せない自分にイラつき、また自分ではこの状況を何ら動かすこともできない無力感で彼女の頭は爆発寸前だった。
「さっき泊まるって言ったって事は、俺の家はやっぱりやばいのか?」
「え? まあ、当分は。何かあるの?」
珍しく何故か落胆している彼にエミルは問いかけた。が、返ってきた返答は予想外のものだった。
「お前からの誕生日プレゼント」
「へ?」
彼女の反応に拍子抜けしたのか、彼はあきれた顔で続ける。
「昨日折角貰ったのに、家に置いたまんまだ。まさかもう帰って来れないとは思わなかったからな。蓋も開けてない」
何かフェイトやライトについて責められるのではないか、と内心緊張していた彼女は一旦その警戒を解く。この状況でそんなことに頭が回るのは、まだ今の状況に頭が追いついていないか、ただの鈍感か、それともこの状況においてすら平然と振る舞える強さを持っているのか。ただ、自分の事を気にかけてくれる嬉しさが自然と言葉にも表れる。
「何だ・・・そんなことか」
「そんなことかって、俺にとっては初めて女の子から貰ったプレゼントなんだ。大事にも思うさ」
その言葉が必要以上に今の彼女の心には響いてしまう。いけない、と思いながらも彼女は聞かずにはいられかった。
「大事? 私からのプレゼントが?」
「ああ、とても」
一つ一つの言葉に心が弾んでしまう。もう、彼女の行動の選択肢は決まっていた。
「分かった」
「? 何がだ?」
「私が、君の家にそれを取りに行くよ。そして、改めて君に渡す。その時」
「その時?」
「ううん、何でも無い。その時のお楽しみ」
大丈夫、きっと彼に渡して、それから返事を聞いて、彼に全てを話して説得しよう。大丈夫、きっと分かってくれる。結局のところ、こんな願望を抱いている彼女もまた、この状況を楽観視していた。
「何も今からいかなくても・・・」
「早いうちに行っておくよ。すぐに戻るから待ってて」
「分かった。気をつけろよ」
「うん、ありがと」
彼の見送りの言葉を背に、彼女は車のエンジンを始動させ、出発した。そして、それを確認するかのように、駐車場から部屋へと戻っていく彼にとうとう、その影は真後ろにまで迫った。
「お兄ちゃん」
「!」
「来ちゃった」
「フェイト!」
部屋に戻るためエレベーターに乗った彼が後ろの気配に気付いたのは、すでに上昇を始めてからの事だった。いや、それまで気付かせなかった、と言った方が正しいだろう。
「フェイト! 何のために俺を襲うんだ!? 目的はなんだ!?」
密室状態の中事実上追い詰められた彼は叫ぶ。身体能力の異常さは先程嫌と言うほど見ている。まともに戦って勝てる相手ではなかった。というより見たはずだ、確か頭が転がって・・・。
「私はね、フェイトなんだけどフェイトじゃないの。同じ顔、年齢も近いけど、あの役立たずとは少し違うんだよ」
彼の心を読んだかのようして発せられた言葉は人としての何かを持ち合わせていなかった。何の心の動きもない、ただの声。そして何より、顔が全くの無表情のまま、フェイトらしき何かは、ゆっくりと腕を振り上げた。
「死んじゃえ」
ゆっくりと彼女の腕が振り下ろされるのを彼は黙って見ることしかできなかった。ああ、これで終わりかとか、とにかくスロウモーションの様にして流れる目前の光景をただ見つめることしかできなかった。
「止めなさい」
いきなりエレベーターが動きを止め、扉が丁度よく外への扉を開く。
「なっ」
その振動で体勢が崩れた隙を見逃さず、彼は彼女を突き飛ばしながら外へ出て、階段を駆け下り、家の方角へと走り出す。
「やるじゃない。動揺して無いとは」
「おかげ様でそこそこ慣れてきたんだよ」
そう言って彼は隣を走る人物を見てぎょっとする事になる。てっきりエミルが助けに来てくれたものと思い込んでいた彼の隣にいたのは―ライトだった。
「ライト・・・か?」
「そう、他に誰だと思ってるの? ほら、証拠」
そう言って、彼女は自分のおでこをこちらに向ける。そこには確かに銃弾の跡がきっちり残っていた。
「生きてたのか」
「もう聞いたでしょ。始めから生きてないって」
どこか自嘲気味には話す彼女に彼は感謝の意も込めて、兄として告げた。
「生きててくれて嬉しい」
「ふん、あんくらいじゃ機能は停止しない、というより、あの撃ってきた娘、始めからこれ撃ち抜くのが狙いだったみたい」
そう言って彼女はこちらにチップを投げつけてきた。
「何だこれ?」
「まあ、早い話が受信機。それ使って私作った人はこっち指令よこすんだけど、正確無比に撃ち込むなんて彼女相当のやり手」
「じゃあ、フェイトがおかしくなったのって・・・」
「指令が出た。私に来たのは貴方を殺害しろって」
「じゃあ、何で泣いてばっかで殺しに来なかった? フェイトと一緒に襲ってたら、簡単に殺せただろうに」
そう言うと、彼女は盛大に溜息をついた。
「自分で考えなさい、お馬鹿さん」
「なっ」
「悔しかったら、強くなりなさい。もっと」
家の前に辿り着いた時、妙な事に彼は気がついた。
「なあ、中に誰かいないか?」
「あなたの彼女がプレゼント探してるんじゃない?」
「彼女って・・・ていうか聞いてたのか?」
「中々スリリングな体験してたっていう自覚ある? LIGHTSの三幹部と会うわ、軍に乗り込むわ」
「知ってるのか? LIGHTS」
「ええ、私は嫌い」
「何故だ?」
返ってきた言葉は予期していないものだった。
「私を作ったから」
時が止まった。いや、それはつまり―
「お前たちとLIGHTSは味方? じゃあ何で戦ってたんだよ?」
「その答えは、入ってから」
家に入った瞬間、前を歩く彼女が急にこちらの体を伏せさせると同時に、銃声が部屋に響いた。
「おやおや、お早いお帰りじゃないか」
「ええ、やっぱり家が一番ですから」
ライトの返答を、訝しげに聞いた彼は納得したように笑い出す。
「そうかエミルか。フェイトは確実に破壊されたとの報告がカイルから来ていたが、君は未確認だったな」
「ええ、おかげさまでぴんぴんしてます」
かろうじて視線を前にやると、そこには確かに男が一人立っていた。今までと違うのはこちらに銃を向けている事と、歳が今まで会ってきたLIGHTSのメンバーより20歳は上に見える、といったところか。
「ただ、今は君に用は無いんだ。あるのはそっちの坊や、てこずらせないでくれよ。奴等が来ちまうからな」
銃声が響いた瞬間彼女の蹴りによってそのまま外へと彼は弾き出される。
「お見事」
直ぐに男はライトの頭上を飛び越えルシファに再び銃口を突き付ける。が、銃声は彼からではなく横から響いた。
「ぐっ」
「あまり私をなめないで」
彼女の方を見ると、いつのまにかその右腕の先端は、銃口に変わっていた。
「ふっ、流石にシリーズのな・・・」
言葉は最後まで紡がれること無く、彼女によってその命は断ち切られた。
「・・・」
「軽蔑した?」
沈黙を続ける彼にライトは声をかけた。守れさえすれば、そんな事はもはやどうでもよかったが、それでも何となく聞いてみたのは、彼の顔があまりに見るに耐えない顔をしていたから。
「いや、守ってくれてありがとう。感謝してる。ただ・・・」
「ただ?」
ここで予期せぬ事態が起こる。彼女にとって世界が揺らいだ瞬間だった。誰が気付くと思うだろう。この短期間で。
「俺は」
「うん」
「人間じゃないよな」
「は?」
彼は聞こえていないと思ったのか、今度はゆっくり確認するかのように告げた。
「俺は、人間じゃないよな」
そう言う彼の顔が今にも泣き出しそうに見えたのは、偶々、光の加減がそう見せていたのか、それとも、彼女が涙で前がよく見えなかったせいだろうか。
「家・・・入ろっか」
「ああ」
彼等に運命はもはや、一片の慈悲も与えはしなかった。
「そ、そのご飯どうする? 何か家にまだ結構残ってるし、私作ろうか?」
先ほどからソファに座り込んだまま、彼は外の光景を見つめるばかりで、一言も発さないままだった。
「なあ、ライト」
キッチンで作り始めた彼女に彼は唐突に口を開いた。
「何?」
「いつから、自分が人間じゃないって知ってた?」
「生まれたときから、何となく。だって、生まれた瞬間から周りのことはきちんと認識できてたし、周りは研究者ばかりで、ああ、自分は違うんだなってそう思うしか・・・無かった」
「辛く・・・無いか」
「ううん、いい人もいたし何より、今まで私を管理してくれた人達が、とてもいい人だったから」
「それって」
「うん、お父さん」
「父さんっていったい何を」
「もう分かってるでしょ? 私を作った一人」
「母さんもか」
「ううん、あの人は何も知らなかった。ある日いきなり現れた私を何の疑いも無く引き取って、フェイトと二人、あなたと本当の兄弟のように育ててくれた」
「二人って、俺は?」
「大丈夫、貴方は正真正銘あの二人の子。人間」
「いやでも、じゃあ何で俺は」
「それはね、君は人間のなかでもとびきり特別な部類に入るからだよ」
「!!」
いきなり第三者の声がするとともに、ライトはキッチンからこちらへ一飛びでダイニングに舞い戻る。
「私だよ、ライト」
そう言って、陰から姿を現したのは、エミルだった。
「家の前で血の匂いがした。一応消してはあったけど、気配で何となく分かった」
「それで、私と彼をどうする気?」
ライトの言葉に彼女は無抵抗を示すかのように両手を上げ降参のポーズを作った。
「どうもしないよ。本当にある物を取りに来ただけなんだ。車を全開で飛ばしてきたんだけど、やっぱり間に合わなかった」
「ある物?」
ライトの警戒心はさらに高まったかのように、いつでも飛びかかれる態勢に入る。
「そう、だけど戻ってきてたんなら、その必要性も無くなったし、今日はこれでお暇するよ」
「二度と来ないで」
ライトの言葉は鋭さを増し続ける。まるで、宿敵と対峙しているかのような、彼女にしては珍しい敵意丸出しの口調だった。
「どうして? せっかく助けてあげたのに」
エミルはそんな彼女をいなすかのように、いつもの口調に、いつもの表情。
「貴方が何を考えていようと、敵は敵。あの時に免じて今は黙って帰すけど、次来たら容赦はしない」
「その意気なら安心かな。それじゃ、ルシファ」
「あ、ああ」
そう言って、彼女は本当に出ていった。後に残るのは、何とも言えない微妙な雰囲気。
「ライト?」
それからピクリとも動かない彼女にさすがに気味がが悪くなったルシファが声をかける。
「え?何?」
驚いたようにこちらを振り向いた彼女に彼は冷静に告げた。
「お湯が沸いてる」
慌ててキッチンへと向かう彼女を可笑しそうに眺めながら、彼は思っていた。例え自分が人間だとしても、もうきっと、普通の生活には戻れないであろう事を。今まで、普通に暮らしてきた。家族の一員だと信じていた。それは今も変わらない。けれど、今までの話しの中には、嘘が多すぎる。
「ライト、お前は信じてもいいのか?」
一人、誰にも聞こえないはずの声で彼は呟いた。
「・・・馬鹿」
一人、今度は本当に誰にも聞こえない声で彼女は呟いた。




