最終章 第三節 旅立ちの前に
「こんな所にいた」
用を済まし自室に戻ろうとした彼を呼び止める声がした。声の主は分かっているのでさして驚くこともなく彼は振り返る。
「何だ凛か。お前任務はどうしたんだよ?」
以前会った時は確か、任務が入っているとかで浮かれていた記憶があった。
「ちゃんとしてます。恭介と違って」
「な、俺だって」
突然非難めいた口調になった凛に慌てて恭介は反論する。
「すぐに戻ってきた。おまけに滞在時間は半日だったんだって? 報告書も出して無いし」
「は、外れだったんだよ」
すぐに切り替えされ恭介はしどろもどろになる。元より嘘が得意な方では無い。案の定直ぐに何かを見透かしたような顔になった凛は彼の顔を覗き込む。
「ふうん、ルーカスと恭介にカイルさんまで行ったからてっきり何か特別な任務かと思っ
た」
「新人に特別任務与えるほど人材難でも無いだろ、ここは」
まだ何か言い足りなさそうな顔をしている彼女を置いて彼は歩き出した。
「ねえ!」
「まだ何かあるのか?」
歩き出した彼を呼び止める様に発せられた声に彼は振り返る事無く立ち止まる。
「明日暇?」
彼は思わず彼女を振り返った。ただでさえLIGHTSは激務だ。今年は新人の数も少なく例年の四分の一しかおらず、いくら優秀な人材が揃っているとはいえ、新人二人が同時に休暇を取って心象が良くなるわけも無い。
「はあ?」
「明日暇かって聞いてんの」
どうやらそれさえも彼女は折込済みらしい。一日くらい付き合うのは良くある話だったが、今回ばかりはタイミングが悪すぎた。
「すまんな、明日は用がある。また今度」
彼は手を振ってそれを断り、再び自分の部屋へと歩き出した。
「もう」
去っていく恭介の背中を見送りながら彼女は密かに意気消沈する。また今度とはいってもいつ会えるか分からない身分なのだ。任務で殉死する話も無いわけでは無いのだから。
「こんにちは」
「今度は何だよ」
恭介は内心溜息をつく。自分の部屋まで戻るのにこんなに苦労するとは思ってもいなかった。
「少しお話がしたくて、こんな格好で失礼ですが」
「確かに失礼だな」
その体には大きすぎるコートに帽子、春先にそんな格好をしているのはある種滑稽でもあった。声は少年の物だが、その実態は掴めない。
「貴方、ルシファと会いましたよね?」
「知らないな」
恭介は白を切る。こういう得体の知れない相手にまともに相手をするのは馬鹿のやる事で、彼には少なくとも自分はここまで馬鹿ではないという自信があった。
「では、質問を変えましょう。明日のご予定は?」
「何でそんなもんお前に教えなきゃならん」
あくまで丁寧な口調を崩さない声に恭介はあくまで態度を変えない。その少年らしき者はふう、と息を吐きコートの中から何やら取り出して恭介に見えるようかざした。
「これを見ても、同じ事がいえますか?」
「おいおい」
見せられた物を見て恭介が唖然とする。目に入ってきた物は間違い無く『ハムレス』の中でも一部しかその所有を許されていないと噂されているカードキー。それさえあれば全ての世界の秘密が覗けると言われているそれは、隊内の七不思議の一つとして語り継がれていたが、まさか実物をこんな所で拝めるとは彼も思ってはいなかった。
「それどうしようってんだ? まさか捕らえて拷問でもするんじゃないだろうな」
「まさか、ただ素直に質問に答えていただければ」
そこまで言ってその者の声は途切れ、変わりに小さく舌打ちが聞こえてきた。何かの気配を一瞬遅く感じ取って振り向くと、そこにはランスロットの姿があった。
「うちの隊員に、何か様か? ロクニ」
「いえ、少しばかりご挨拶を」
ロクニ、と呼ばれた者は軽く会釈して、そのまま霧のように消えていった。
「え!?」
恭介が驚いてその者がいた空間を手で探るが、何の感触も無い。
「消えた?」
「それがあいつの能力だからな」
ランスロットが驚くことなく手にしていた大剣を下ろす。その瞬間、その剣は始めからそこに無かったかのようにどこかへと消える。恭介はそれを見て心底うらやましそうな顔をする。
「便利ですね」
「ああ、エミルの簡易版ってところだな」
自分専用の『武器』、という物を持っている能力者は意外と少ない。恭介も剣自体はどこにでもある安物だし、『セイバー』でさえあの剣は代々セイバーに受け継がれている物で、彼女は自分特有の武器を持っていない。ルシファやランスロットのようにいつでも自分の力を解放する事によっていつでも戦闘態勢に入れる、というのは大きなメリットだった。
「こんな所で油売ってるから変なのに絡まれるんだ。単独行動はできるだけ避けろ」
「了解です」
ランスロットはそう言って彼の横を通り過ぎていく。恭介もその後に続きながら、さて明日の休暇はどんな理由をつけて取ろうかという思案に入り込んでいた。
「こんなものだろう」
「お前一人で大丈夫か?」
早々に自身の予定の調整を済ましたセイバーにランスロットは心配そうな顔になる。明日、恭介が何をする気かは知らないが、世界移動をする瞬間にこちらの分析班を投入して彼の行く先を解読、その直後LIGHTSから選抜した隊員数名がその後を追う、というのがランスロットの描いた作戦だったのだが、例のごとくこの頑固な隊長は単独で行くと言って聞かなかった。
「問題ない。『ハムレス』が関わっているのだろう? 半端な物は連れて行っても邪魔なだけだ」
確かにそれは正論だったが、理性とはまた違う部分で彼は彼女の行動を否定しにかかる。
「だったら俺も行く」
いつにもまして真剣な表情で提案する彼に対し、セイバーは小さな微笑を返した。
「お前までここからいなくなったら誰が緊急時に指揮を取るんだ。大丈夫だ、私は弱く無い。知っているだろう?」
自分が最強と信じて疑わなかったあの日、初めて負けたあの日。彼女との出会いから今までの期間は決して長くは無いが、それでも彼女の性格は知っているつもりだった。
「俺はいつかお前に勝つ。忘れるなよ」
隊長室を後にしようとするセイバーの方を見ないままランスロットは言い放った。その声を聞いたセイバーも、ライバルとして応えた。
「分かっている。それまでは死なん」
扉が閉じられ、彼は一人になる。主がいない部屋はそれだけで物寂しく、彼は思案に耽る。
「何が起こっている?」
分からない事だらけだった。ハムレスの目的も、ルシファの正体も。カイルから極秘に提出された報告書の中身は、一見ルシファが大量虐殺を肯定したかのような状況だったが、セイバーも彼もその報告を丸呑みにはしなかった。マーダライクを恭介に見られたのは誤算だったが、それすらもルシファは計算に入れていた可能性がある。そして今もまた、恭介をどこかに導こうとしている。
「戻って来いよ、二人とも」
静かに彼は天井を見上げ、呟いた。
「よし、こんなもんだな」
恭介は荷物をまとめた鞄を満足げに見てから一つ伸びをする。自室に戻った彼は最小限の日用品を小さな手提げ鞄に突っ込んでいた。整理なんて言葉は彼の脳内には存在しない、とでも言い切るかのような適当さに、手伝いのため引っ張ってこられたマルクは頭を抱える。
「何、これ?」
「ちょっとした用意。そこの歯ブラシ取ってくれ」
「はい、ていうか何でベッドの下に落ちてるの?」
ベッドの下から苦労して取り出したそれはマルクにはもはやそれは捨てるべき物にしか見えなかったが、恭介はそれを鞄に入れ、満足そうにマルクにVサインを送った。
「完璧」
「ある意味ね」
「どういう意味だ?」
「そのまんま」
そう言ってマルクはベッドに腰掛ける。決して広くは無い部屋はベッドと机で一杯になり、自由なスペースはそんなにあるわけでは無かった。それなのにこの散らかり具合、足の踏み場も無いとはまさにこのことだった。
「旅行でもするの?」
「まあな」
適当に答える恭介の返答に彼はさほど興味も無さそうにベッドに横たわる。
「そんな好き勝手ばかりしてると、取っちゃうよ」
「そん時は勝負だな」
思わず飛び起きたマルクに恭介は目を点にする。
「何だよ。次の『セイバー』お前も目指してるんじゃないのか?」
「あ、ああ。そのこと」
自分の早とちりに気付き、マルクは誤魔化すように笑みを作った。
「他に何かあったか?」
怪訝そうな顔をしながらも鞄を適当に放り投げ、恭介はジュースを二本冷蔵庫から取り出し、一本をマルクに差し出した。
「ほれ、今日の報酬」
恭介からそれを受け取り、マルクはゆっくりと開けた。炭酸が体に染み込むのを感じながら、彼は恭介には聞こえない声で呟いた。
「勝てそうも無いなあ」




