第三章 第三節 既視感
「あのねーこっちー」
「え? とと」
翌朝、ルシファはクラウスに引っ張りまわされていた。呼びに来てくれたクリスについて朝食のため部屋に通された瞬間、クラウスが彼の腕を取り走り始めたのだ。
「ルシファはここ!」
王が一番奥の席に座り、その前でニコニコしているのが恐らくフィリア皇后。クラウスはその皇后の隣に座ったため、彼の席は王の隣となった。
「おはようございます。陛下」
「ああ、おはよう。すまないね、朝から」
「いえ、光栄です。まさか御一緒させて頂けるとは」」
彼は王の気遣いに応え席についた。
「今日の王子のご予定は?」
「一日中城内だよ。別に王子だからといって特別な事をしているわけではない。勿論、勉強やそれなりの教養は積ませているが」
「はあ」
ルシファは出されたシリアルのようなものを口にしながら相槌を打った。シリアルなのだが、妙に色が黒くて苦い。
「お口に合いますかしら?」
「はい。ありがとうございます」
それに固い上に何かどろどろしたものがその中から出てきた気がして、彼は置いてあった飲み物を飲み干した。
「ぐっ!」
「お兄ちゃん大丈夫? 駄目だよ慌てて飲んだら」
「あ、うん、いえすみません」
恐ろしい味がした。辛いのか甘いのか、熱いのか冷たいのかそれさえも判断ができず、彼は数瞬の間、凍りつく事になった。
「こちらにはどれ位滞在なさるの?」
「春までは、ねえ」
「あ、はい」
王に先に答えられたため、彼は今考えた嘘を飲み込み王の言葉に合わせた。
「それなら、きっと綺麗なお花が見えますね」
「ええ、楽しみにしています」
柔らかな声と長く揺れる髪。そういえば見る人皆髪が長かった。そういう習慣のある国なのだろうと彼が思っていると、ただ一人短髪の王子は素早く朝食を平らげ、席を立つ。
「お兄ちゃん、行こう?」
クラウスが出口に立ってこちらを手招きする。彼はすぐに行きます、と答えてから王に溜めていた疑問をぶつけた。
「あの、何故王子は私を兄と?」
「あの子は幼いころ兄を失っていてね。これからお前に護衛をつけると言ったら、ずっとあの調子だ。まあ、狙われていると知った途端泣かれるよりは随分ましだろう」
なるほど、と彼はクラウスの方を見て切なくなった。兄と呼んでくれた存在は今はもういない。そして、彼が兄と呼べる存在も既に無い。同じ寂しさを持っているのかもしれない
「行きましょう、王子」
彼は幼い王子の手を取り、歩き出した。
「ここが僕の部屋!」
「広・・・」
そこは家が一軒入ろうかという、巨大な部屋だった。中には玩具が散乱しており、荒れ放題となっていた。
「ここがベッドで、こっちがたんす」
「凄い」
流石に広大な領土を治めているだけの事はある。王は今は執務中で、皇后はそのお手伝い、この国の制度は王政であるため、彼の両親は朝と夜しか共にいられない。お手伝いは多数いるみたいだが、何故かクラウスに積極的に関わろうとする者はいなかった。
「ま、こういうのも悪くは無い」
ルシファはそう言って、クラウスが取り出してきたボードゲームに付き合う事にした。
「勝てない・・・」
「これで僕の勝ち!」
ルシファはこれで何度ともしれぬ敗北に肩を落とす。まさか自分がこんな子供に負けるわけは無い、と高をくくって始めた彼であったが、実際、彼の前に立ちはだかったのは分化の違いだった。
「結構俺の世界と近いと思ったんだけどな・・・」
力により文字は読める、意味も理解できる、会話も問題ない。唯一つ問題だったのは、リズム感。
「十八分の五十四拍子って何だよ・・・」
少なくとも彼の世界では有りえないリズムに彼は困惑していた。まず体がついてこない。何度説明されてもそれは異質なものだ、と体が勝手に判断してそのリズムに乗る事を拒否していた。
「ふーんふふーん」
何故ボードゲームなのにリズム感が要求されるのか、最初は疑問に思った彼も開始五分でその重要性を思い知らされていた。
「じゃあ、次は僕から!」
「どうぞ・・・」
マルクスはさいころを振り、自分の駒を動かす。ここまではルシファも違和感無く楽しめたが、問題は次だった。
「えーと、この国の国歌かあ」
そう、このボードゲームはマスに止まる度、何がしかの行為をする事をプレイヤーに要求する。そして、その大部分が歌だった。
「はい、次お兄ちゃん」
「分かってるよ」
ルシファはさいころを受け取り、勢い良く振った。
「きーれいなーほしーぼーしをー」
「はい駄目。スタート地点まで逆戻り」
「・・・」
彼がそろそろうんざりし始めてきたころ、救いの鐘が鳴った。
「あ、お昼ご飯だー」
「助かった・・・」
駆け出していくクラウスの後を歩いていくと、クリスの姿を見つけ、彼は顔を綻ばせる。
「呼びにきてくれたのかな?」
「はい、今の鐘が昼食の合図となっておりますので」
「ありがとう、大体王子と一緒だから大丈夫だよ」
遠くでクラウスがこちらを手招きしている。彼は分かりました、という風に頷いて、彼の方へと歩き出す。
「あの」
「ん?」
「いえ、何も」
彼女はそう言って去っていった。彼は前回の事を思い出して思わず足を押さえたが、
「まさか」
そう笑い飛ばして歩き出した。昼食が平和なものになるよう祈りつつ。
「美味しい?」
「はい、それはもう」
彼はそう言ってスープを美味しそうに啜る。王と皇后、そしてお付きの物は全員が執務部屋で臣下と共に会食を行っている為、ここには彼とクラウス二人、そして側にクリスが控えていた。
「ここに座るかい?」
ルシファはクリスに隣の席を示す。
「はい?」
「よろしいですか?」
ルシファはクラウスに許可を求め、彼が元気良く頷いたのを確認してから椅子を引いた。
「立ちっぱなしっていうのも何だし」
「いえ、ですが」
「いいよ! その方が僕も嬉しい」
「だってさ。王子の命令だ」
「かしこまりました」
彼女はそう言って静かに席に着いた。これで上等な服でも着ればそこらの貴族の娘よりはよっぽど気品も出るはずだが、そんな事よりもルシファは別の事が気になっていた。
「ねえ、会った事あったっけ?」
首を振る彼女に彼は何か引っかかりを感じていた。何と言うか、既視感のような物を昨日からずっと感じていたのだ。
「もしかして、好きなの?」
からかう様にクラウスが言うのをルシファはあっさりと否定し反撃に出た。
「違いますよ。そういう王子はいらっしゃらないんですか?」
「決まってるんだって」
クラウスは事も無げにそういってパンに噛り付いた。
「ああ、・・・失礼しました」
王子ともなれば他国の姫なり有力者の娘なりとの政略結婚が当たり前の世界だ。しかも今は内戦状態で他国がいつ責めてくるのかも分からない状況。その中で病にかかりながらも今もなお執務を取り続ける王に彼は敬意を抱く。
「いいよ、当たり前なんだって」
微妙な空気の中、クラウスは残っていた昼食を片付け、急いで立ち上がる。
「これから先生とお勉強なんだ。お兄ちゃんは多分兵器庫かな?」
「兵器庫?」
「うん、護衛ならこの国の武器くらい使えないと駄目だよ」
「それはまあ・・・そうですね」
正直なところ武器などあっても邪魔にしかならなかったが、そう言われては断る事もできない。それに、相手がそれを使ってくる可能性もある。知っておくに越した事は無い。と彼は判断して、隣にいる女性に頼んだ。
「案内してくれるかな?」
「こちらです」
彼は彼女の後に続いて歩く。もやもやした気持ちを胸の中に抱えながら。




